人形姫・05



久しぶりに着物の袖に腕を通す。

「もう踊りも忘れちゃったよ」
「大丈夫よ、貴女には母親譲りのセンスがあるわ」

畳の上に座ったお母さんは、懐かしむように名前を見上げていた。実の母親がいなくなってから、お母さんは名前の世話をしてくれた。
名前の母親とお母さんは、先輩芸妓と舞妓、所謂姉と妹の契を交わした間柄だった。昔からのお得意さん曰く、本当の姉妹のようにに仲が良かったのだと言う。名前の母親は芸妓になって人気絶頂の中、結婚で引退をしたが、お母さんはその後も続け引退後は置屋の女将を引き継いだ。

名前は、自分の舞妓として人気が出た時、やっと少しだけ恩返しが出来た気がして安堵したのを覚えている。

「またお客さんに、名前の顔を見せてあげないと。みんな待ってるわ」
「そうね、お母さん」

この世界に戻って来ても、もう舞妓に戻れないと思っていた。
アカデミーや火影室で事務もしていたし、事務の仕事をしようと考えていたが、こないだまで植物人間だった自分を雇うような会社があるだろうか。どうしたものかと考えていたが、常連客が声を掛けてくれたことで舞妓に戻ることが可能になった。
木ノ葉でも、こちらでも、運良く手を伸ばして貰え、助けて貰ってばかりだと名前は思った。







稽古の日々が始まり、生活がかつての同じものに戻りつつあった。
季節は目まぐるしく流れ、日本髪を結うには短かった髪も、いつの間にか伸び、初めてカカシに会った日と同じ長さになっていた。
椿油の染み込んだ木櫛で名前の髪を梳きながら、お母さんはもう大丈夫そうね、と囁いた。

それから、復帰する日の朝、髪結の人に結ってもらい久し振りに白粉を塗った。紅を目元と唇に差すと昔の感覚が蘇った。
木ノ葉で大名相手に接待をしたことはあるが、白粉を塗らなかった。真っ白に塗り込むと身が引き締まる。

復帰して最初の客は、もともと常連客であった名前の担当医。他にもっとお得意さんがいるのは分かっているが、我儘が通るのなら最初の客にして欲しいと頭を下げて頼んで来たのだという。勿論、恩人であるのだからお母さんは快諾した。

置屋の前には、今か今かと出待ちをしている人集り。こんなに人に注目されるのは、舞妓として初めて店出しをした日以来。久し振りのことで、名前はどんな顔をすれば良いのか分からない。からげた着物の褄を握りながら、名前は子供のようにお母さんの前で右往左往していた。

「お母さん、どうしよう」
「いつものニッコリで通り過ぎれば良いのよ。今日は男衆さんもいるから、ね?」
「うー、うん」
「花風はん、行きましょう」

男衆に促されて、名前は下駄を引っ掛けた。胸で大きな呼吸をして、玄関を出る。褄を持っていないほうの手で、口角を無理やり上げた。

「行ってきます」
「はい、気を付けて」

置屋の門を出れば、出待ちの人々がカメラを一斉に名前に向けた。名前はカメラを見ないように真っ直ぐと前を見据えた。
この仕事を選んだ以上、注目されることには覚悟をしている。最初こそ緊張していたものの、舞妓になって半年でカメラのことは気にならなくなっていた。その筈なのに、ひとりの普通の女の子として暮らせた木ノ葉に慣れ切ってしまっていた名前には、緊張で足を速く進めることで精一杯になっていた。
カカシがこんな様子を見たら、どんな反応をするのだろうか。案外独占欲が強いから、その場で我慢をしても終わった後でプリプリと怒るのかもしれない。名前には、その様子が簡単に想像できた。

「花風はん、着きました」

お茶屋の玄関をくぐると、女将が迎えに来た。お詫びの挨拶は先日済ませており、名前は深々と頭を下げた。

「今日からよろしくお願いします」
「よろしくね、花風ちゃん」

相変わらず人の良さそうな女将は、名前の手を引き玄関を静かに閉めた。かと思いきや、名前の手を握りしめて満面の笑みを浮かべた。

「あらまー、やっぱ可愛いわ」
「ありがとうございます」
「花風ちゃんのお陰でうちの予約はいっぱいよ」

女将は踊るように名前を奥の座敷へと連れて行く。名前は転ばぬように必死についていく。男衆は呆気に取られたまま玄関に立ち尽くしていた。

「お客様がお待ちよ」

行ってらっしゃい!と、準備もそこそこに座敷に投げ込まれ、名前は襖の前に座った。

「失礼します」
「ど、どうぞ」

襖の奥から上擦った声が聞こえて、名前はクスリと笑ってしまった。そのお陰で緊張が解ける。襖を開けると、医者が不自然なまでに背筋を伸ばして座っていた。

「苗字さ……いや、花風さん」
「どうも、おおきに」

頬を赤らめ少し強ばった表情は、病院で見せる姿とは正反対の姿だった。
名前は三指を立てて頭を下げる。この瞬間から、名前の生活が戻った。




ー70ー

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