人形姫・04



「それにしても不思議だよ」

担当医は、細くカタチの良い顎に指を添えて首を傾げたと言う。
お母さんが聞いてくれた検査結果、異常はむしろ怖い程に全くなく、目覚めて声を出すのが困難などはともかく意思疎通が容易に可能なことも通常有り得ないらしい。
今後は、日常生活に困らないように体を鍛え直す位でリハビリは充分だと、恐らく家に帰っても安静にしていれば大丈夫だが、万が一の為にまだ入院は続くという。

「眠れる森の美女ね、なんて皆で言ってたんだけど。本当に眠ってただけなのかしらね」
「お姫様には例えないでよ。皮肉みたい」
「何言ってるの。こんな可愛い顔して眠ってたからよ」

お母さんが名前の頬を両手で包み込みながら、ふざけたようにギュッギュッと柔らかくつまんだ。

「本当に嬉しいのよ。貴女まで失ったらって怖かった」
「お母さん、ありがとう」
「本当よ、人を心配させてー。それで、3年もぐっすり寝ちゃって、どんな夢を見てたの?」
「夢?」

名前は木ノ葉で過ごした毎日を思い出した。ここでは眠っていただけのようだが、名前には木ノ葉で過ごした思い出が心の中に残っている。
数日前までカカシと一緒に居たはずなのに、もう遠い昔のようだ。
でも、それも夢だったのかも知れない。それならば、お母さんに話しても大丈夫だろう。

「あのね、恋をしたの」

名前の発言に、お母さんは目を見開いて、それから僅かばかり眉を下げた。それは何かを懐かしむような、不思議な表情だった。お母さんのことだから、キャーとかワーとか騒がしく反応するかと思っていた。予想外の反応で名前は、何と言葉を続ければ良いのか分からなくなってしまった。
その空気を打破したのはお母さんで、修学旅行の夜のようにお母さんは名前の枕元に肘をついて、ヒソヒソ話を始めた。

「で、相手は誰なの?」
「うんとね、優しくてかっこよくて、でも少し抜けててね」

カカシの仕草や見せてくれた表情をひとつひとつ思い出す。

「へえ、イケメンなんだ?」
「うん、そうなの」
「その人も名前が好きなの?」
「ま、まあね」
「好きって言ってもらえたんだ」

お母さんに恋の話をするのは初めてで、名前の耳朶は恥ずかしさで熱くなる。

「その男の人はラッキーね。こっちじゃモテモテ舞妓の名前をゲットするなんて至難の業なのに、向こうならねえ」
「変なこと言わないでよ」
「名前が鈍感なのよ。ここは母親と真逆ね」

お母さんはクスクスと笑った。

「お客さんが聞いたら、みんな泣いちゃうわよ。内緒よ、内緒」
「……そうね」

お母さんは、きっと夢の中の話だと思っている。だからこそ、変にからかったりしないのだろう。善意を無下にしてしまうのも申し訳なく、名前は下手に詮索するのを止めておいた。
これは本当なんだよ?と言った所で、事実としてずっと自分は病院で眠っていたといわれたのだから。

「何だか口が寂しいわね、フルーツ切ろうかな。どれがいい?」

テーブルの上には、山盛りのフルーツが乗った大きな籠。快気祝いにと過去のお客さんが送ってくれたものだ。
昨日は苺を食べ、今日はどうしようか。名前は艶やかな赤い林檎を指さした。

「リンゴが食べたいな」
「はい」

お母さんが小さなフルーツナイフで、赤く照りのある皮を薄く剥いていく。シャリシャリと水分を含んだ音が涎を誘う。器用に皮剥きをする様を眺めていると、お母さんが手元を止めずに口を開いた。

「中学の時から思ってたけど、本当にお母さんにどんどん似ていくわね」
「そう?」
「本当に似てる。名前の性格はお父さん譲りだけど、見た目はお母さんと瓜二つ。貴女のお母さんと出会った頃の懐かしい気持ちになるわ」

お母さんは裸になった林檎を等分にわけると、ひとつを爪楊枝に刺して名前の口に運んだ。名前はそれを素直にひと口齧る。

「ん!美味しい!」

お偉いさんが買ってきてくれたものだ。木ノ葉で食べていたものよりもずっと上等で絶品であることは間違いない。
名前が川に落ちて失くした着物は、また上質のものを仕立て直してあげようとしてくれている。やはり木ノ葉よりも豊かで、命の危険のない世界だ。あの扉の向こうに、お面を着けた忍者か立っていることもない。

カカシは、今頃任務に向かっているのだろうか、怪我をしていないだろうか。自分が心配した所でもはや関係もないし、どうしようもないのだけど。

「明日から、リハビリ頑張りましょうね」
「うん、私、頑張るね」

翌日、リハビリが開始され、想像よりもずっと自分の体が弱くなっていた。まるで狐につままれたような、浦島太郎のような、つい1週間前まで木ノ葉で車のない生活をしていたなんて信じられない。

「ちょっと休憩しましょう」
「はい、ありがとうございます」

ベンチに腰掛けて額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。ふと、カカシの言葉が浮かんだ。

「名前じゃ軽くて負荷にならないな。俺と同じくらいの体重はないと」

カカシのトレーニングに付き合っていたある夜のことだった。名前は腕立てをするカカシの背に子亀のように乗っかっていた。

「じゃあ、ムキムキの大きい男の人になればいい?変化するよ」
「名前はそのままでいいよ」
「そしたら、カカシ強くなれないよ?」
「良いんだよ、強くなる方法はひとつじゃない」

そっか、そうだよね。と名前か答えればカカシは腕立て伏せを再開した。当時の名前は深く考えていなかったが、今になって骨身に染みる。

それから、1ヶ月ほど名前はリハビリに励み無事退院の許可が下りた。久しぶりの我が家は変わりない。自分が帰ってきたのだとようやく身をもって実感した。

カカシが迎えに来てくれるまで、それまでに自分もカカシを守れる人間になっていたい。




ー69ー

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