人形姫・16


「ただいま?」

早朝、カカシは任務から帰宅して異変に気付いた。
いつも起きている時間になっているのに名前はベッドに入ったまま眠っている。規則正しく生活する彼女には珍しいことで、すぐに何かあったに違いないと分かった。

「どうした?」

布団の中に埋めた顔を見るために、少しだけ布団を捲れば顔を真っ赤にした名前が眠っていた。普段よりも息が苦しそうだ。

「名前?」

カカシに気付いた名前が、薄く目を開けた。赤く充血して体調不良なのは明らかだ。

「熱が出て」
「うん、無理しないで」
「早く寝たんだけど、インフルかな……」

名前は、ベッドから手を伸ばして、綱手様に電話しなきゃ……と呟きながら何かを探していた。
名前は時々訳の分からないことを言って、謎の行動をする。普段は出さないが、凄く眠かったり、体調が悪かったり気が抜けていると、前の生活の癖が出てしまうみたいだ。その度に、何となく知らない名前を見た気がして、カカシは少し寂しくなった。

「病院に行こうか、綱手様には言っとくから」
「うん……」

名前が風邪をひくのは2度目で、かなり久しぶりだった。
前回は、まだこっちの世界に来たばかりの頃。突然変わった環境、カカシに対してもまだ信頼もしていなかった。かなりのストレスが掛かったのか、熱を急に出して倒れてしまったのだ。
その時は、カカシも名前の監視任務しかついていなかった為、処方薬だけ貰って家で看病をした。そして今回も幸い任務明けで、明後日まで任務は入っていない。名前が大好きな綱手なら、名前のために任務を空けてくれるだろう。

「喉乾いてない?」
「水、飲みたい」

急いで冷たい水をコップに入れて、名前の眠るベッドに戻る。少し体を起こしてあげて、ひとくち飲ませてやった。名前は、ゆっくりとコクンと水を飲み込んだ。水を飲むだけでも一苦労のようだ。コップの半分だけ飲んだところで、名前は一息ついた。

「まだ飲む?」
「もう、大丈夫。ありがとう」

食欲が相当落ちてしまったようで、名前はコップから顔を背けてしまった。

「着替えるよ」
「……うん」

汗でびっしょりと濡れた寝間着で外を出たら、風邪が悪化してしまう。タンスから部屋着を出して、手伝いながら着替えさせた。
カカシは普段あまり着ることはない、自分のパーカーを名前に羽織らせると正面のファスナーを閉めた。

「気持ち悪くなったりしたら言ってね」
「うん」

いつもより熱い名前を背中に乗せて、カカシは玄関を出た。
出来るだけ名前を揺らさないように、膝のクッションを使いながら歩いた。耳の裏にかかる熱い息を感じながら、カカシは早く名前を診せてあげなければと気持ちが焦る。
自分が怪我をしたり、風邪をひくのは構わないが、名前が弱るのを見るのは滅法苦手みたいだ。名前が苦しむなら、自分ひとり苦しんだ方がよっぽどましだと思ってしまう。こんなの、名前が聞いたら怒るだろうな。

木ノ葉病院に着いて、カカシは裏口から中に入る。名前の体のことは、極一部の人間にしか知らされていない。体が特殊であることが漏れてしまわないように、名前を診察する忍医は三代目の命令で決まっているのだ。それは綱手が来てからも変わらない。
名前の担当になっている忍医の診察室の前に来ると、コンコンと控えめにノックをした。中から声が聞こえて、扉を開ける。

「すみません」
「ああ、カカシさん」

どうなさいました?と言う前に、背中の名前に気付いてすぐに診察用のベッドをあけてくれた。

「症状は?」
「高熱があって、食欲が全くないんです」

忍医は、名前の脇に体温計を差し込んでひと通り診察する。

「風邪ですね、少し脱水症状が出ているので点滴を打ちましょう」

そう言って、テキパキと準備をして名前にチューブに繋がった針を刺した。ブドウ糖の入った生理食塩水に抗生物質と解熱剤を混ぜた点滴をゆっくり注入していく。点滴が落ちるスピードを調整すると、名前に薄い毛布を掛けた。

「点滴が終わる頃に来ますから、ゆっくりなさって下さい」
「ありがとうございます」
「いいえ」

看護師が持ってきてくれた氷嚢を、名前の頭に当てた。

「きもちいい……」

カカシは、汗で髪がくっついた額をタオルで拭いてやる。

「綱手様の所へ行ってきて大丈夫?」
「うん、お願い。ごめんね」
「気にしなくていいの」

カカシは診察室を出て、執務室に向かった。
普段の出勤時間より少し遅れてしまったため、急ぎ足で行けば、やはり綱手が心配をして待っていた。

「カカシ、名前はどうした。何でお前だけなんだ?」
「それが名前は風邪をひいてしまって、今は病院で点滴を打ってます」
「そうか、風邪で良かったよ。最近、忙しく働かせてしまったからな、悪かった」

綱手は、お詫びにと自家製の栄養剤をカカシに託した。

「明日、名前の風邪が治らなかったらお前の任務の調整をするから連絡しろ」
「分かりました。感謝します」
「言っとくがお前の為じゃないからな」

栄養剤をポケットに入れて、カカシは再び病院に戻る。食欲がないとはいえ、空っぽの胃に薬を入れる訳にはいかない為、途中の商店でゼリーやドリンクを買った。
名前の眠るカーテンを開いて覗きこめば、目を開けたまま名前がぼーっとしていた。

「ただいま、どう?」
「うん、ちょっとだけ楽になった。綱手様は?」
「お大事にだって、栄養剤も貰ったよ」
「ありがとう」
「点滴終わるまで待ってるから、寝てていいよ」

手を握ってやれば、安心したのか直ぐに寝息を立て始めた。
名前の寝顔を見るのは好きだが、苦しそうなのを見ているのは辛いものがある。カカシ自身、過去の戦闘で痛みや苦しみと言うものに慣れてしまっていた。正確に言えば、鈍感になってしまったと言うべきか。それが良いとは思わないが、苦しんでいる名前を見ると、その苦しみを貰ってやりたくなる。自分なら耐えられるだろうから。

点滴が終わりに近付き、そろそろ医者を呼ばなければと考えていると、向こうから顔を出してくれた。

「点滴、終わりました?」
「もうすぐです」
「では、抜きますね」

名前の腕から、ゆっくりと針を引き抜いた。名前は目覚めることなく、ぐっすりと眠っている。処方薬を貰い、名前を背負うと、再び家に着く道を今度はゆっくりと進んだ。

「あ……あれ?」
「もう点滴終わって帰るとこ。家帰ったらゼリー食べて薬飲もうね」
「うん」

家に着いて、カカシは名前をベッドに寝かした。薬のお陰だろう、幾分か顔色が良くなっている。

「ゼリー買ったけど食べる?」
「食べる」

即答した名前を膝の中に座らせ、自分の体にもたれ掛からせた。カカシの膝上のお盆に乗せたゼリーを、名前は少しずつ口に運んだ。冷たくて甘くて、足りていなかった栄養が少しだけ体に染み込む感じがした。しかし、食欲はまだ失われたままだ。半分ほど食べたところで、スプーンを盆に置いた。

「ありがとう、もう大丈夫」

名前に薬と綱手の栄養剤を飲ませて、再び寝かせる。
頭の下に氷枕を敷いてやり、頭を撫でてやれば、擽ったそうに目を閉じた。

「ねえ、甘えていい?」
「いいよ」
「握って」

布団の中から手を差し出してきた。目を閉じたままの名前は口角を微かに上げた。

「甘えん坊さんだね」

カカシは、差し出された小さな手を握った。





名前は目を擦り、枕から顔を上げた。体が幾分か軽くなっていた。まだ熱っぽく怠い感じはするが、風邪は少しは良くなったみたいだ。
名前が目覚めるのを待っていたかのように、カカシがすぐに視界に現れた。

「おはよ、体はどう?」
「うん、少し良くなった」
「綱手様が、今日は休めって」
「そう……申し訳ないなぁ」

今日は執務室で終日会議があるんだってさ。とカカシは言った。それが本当なら良かったと名前は胸を撫で下ろした。
一般人の名前は、話の内容が分からないとしても、記憶を抜き出されてしまえば情報の漏洩に繋がる。自衛手段を持たない名前を守る為にも、綱手は名前が聞くべきではない会議や仕事をする時には退席させたり、場合によっては休みにしてきたりする。運良く、それが風邪と重なったのだ。

「朝ご飯は食べる?昨日はゼリー以外食べてないしね」
「軽いものなら食べられるかな」
「じゃあ、作ってくるから寝てるんだよ」

布団を掛け直され、名前は朧気なお父さんの思い出を思い出した。風邪をひくと、とても温かい手で頭を撫でてくれた。お母さんにはなかった不思議な温もり。お父さんは幼い頃に事故で亡くなったから、あんまり覚えていない。けれど、お父さんは魔法のような力を使える人だったのは憶えている。
名前の穏やかな顔を見ていたら、カカシの胸は堪らなくなった。どうしてか分からないが、今しかないと思った。カカシは名前の枕元に腰を下ろして、頭を優しく撫でる。

「ねぇ、名前」
「なぁに?」
「結婚しようか」

息がヒュっと音を立てて名前の肺に入り込んでいった。

もうこの子なしでは自分は生きて行けないと思った。何よりも、この子の幸せを願うだけではなくて、自分が幸せにしなければならないと確信したのだ。
ロマンチックな場所でもなければ、特別な日でもない。
向こうは風邪をひいていて、こっちは部屋着でカッコいいスーツやタキシードを着ているわけじゃない。準備もしていなかったから、婚約指輪もない。だが、今言わなければならないと思ったのだ。
こんな状況でプロポーズをしたなんて、サクラが聞いたら呆れて怒るかもしれない。

名前の後頭部に手を添えて、カカシは自らの顔を近付けた。
触れた唇はいつもより熱く、この熱さえも愛おしいと思う自分は、相当に彼女に惚れ込んでいたのだと、呆れさえしてしまう。

「うん、結婚したいよ」

喉から絞り取るように紡がれた返事は、カカシの胸にゆっくりと染み込んで体の隅々に行き渡った。

「あー、困ったな……」
「カカシ?」
「幸せ過ぎて、どうして良いか分からない」

言葉とは裏腹にこの上なく嬉しそうなカカシの顔を見ていたら、彼もずっと同じ気持ちだったのだと幸せな気持ちになった。カカシの髪が寝癖で少し跳ねていた。完璧な忍だと称される彼が、自分にだけ見せてくれる無防備な姿。
ロマンチックなプロポーズよりも、ずっとカカシらしくて自分らしいと思った。こうやって、何気なく少しずつ、私達は幸せな時を刻んで行くんだ。

「愛してるよ」
「うん、私も」

それは、まだ空気が澄んだ朝の出来事だった。



あとがき2



ー44ー

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