蝙蝠の求愛行動

落涙を拭う人は無し


次の日、カマソッソはいつものようにミズノの所へと赴く予定であった。しかし、第一王位継承権を授かった彼はそれに関連する様々な手続きや準備に追われ、実際にミズノの元に訪れたのは4日後のことだった。

漸く彼女に会いに行ける。
そう思い、いつもの場所へと向かうも、そこにミズノはいなかった。いつもいるはずの時間にいないのは初めてのことだった。だって自分が赴けば必ずいたから。
カマソッソは不思議に思うも、もしかしたら彼女も何か用事があるのかもしれない。偶然、今日は会えなかっただけかもしれないと思い、彼はここに来る途中で買った花束をどうしたものかと見つめる。
それはミズノの髪に似た青い花束だった。
ここにくる時に通り過ぎようとした花屋で青い花を見付けた彼は、無意識にミズノを思い出していた。
アイツには色々と世話になったからな、その礼だと誰にする訳でもない言い訳を頭に浮かべながら、彼は飾られている花を何種類か選び包んでもらう。
そして落とさないように、ぐちゃぐちゃにならないように大切に抱えた。
受け取ったらどんな反応をするだろうか。また、あの優しく温かな目で見てくれるのだろうか。
そう考えれば、彼の足は自然と速くなった。
しかし、ミズノはいない。カマソッソは残念に思いながらも、明日にはまた会えると気持ちを切り替え踵を返す。

部屋に戻ったカマソッソは、ミズノに渡そうとした花束を窓際に飾る。今日は渡せなかったが、また別の機会に渡せばいい。そう思い花を見つめれば、ぽわんと頭に浮かぶ髪を靡かせる彼女の後ろ姿。少し気恥しく思ったカマソッソは花から視線を外し、日課である鍛錬に勤しむ。そんな彼を送り出すように、風に攫われて花は小さく揺れ動いた。

次の日もカマソッソはいつもの場所に向かった。
しかし彼女はまたいない。待っていれば来るかと思い待つも、その日も結局会えなかった。

次の日も次の日も、そのまた次の日も。

カマソッソは段々と焦っていた。
何故?どうして?と。
ミズノとこんなに会えないのは初めてだった。何かあったのだろうか。もしかして嫌われたのか?
カマソッソは苦しくて苦しくて痛くて、心臓の辺りを強く握った。それは彼にとって、初めて他者に対して抱いた不安だった。
そしてハッと、何かに気付いた。
それは以前聞いたミズノの身の上話。彼女は目的を果たしたら消えてしまう漂流者であることを思い出したのだ。
頭が真っ白になった。つまりそれは、もうミズノがこのカーン王国、ミクトランに―――。

気付けば、彼は自分の家に戻っていた。
どうやって帰ってきたのかは覚えていなかった。
ぼんやりと部屋に繋がる道を歩いていれば、運悪く彼は家で働いている召使いと鉢合わせてしまう。抜け出していた事がバレるだろうかと考えていれば、カマソッソの予想と反し、召使いである男は顔をギョッとさせた。そして急いで彼の傍に近寄る。

「カマソッソ様!どこかお怪我でも?具合が悪いのですか?」

慌てたようにそう聞いてくる男をカマソッソは不思議そうな目で見た。一体何を聞いているんだ?と。

「いや、どこも怪我などしていないが……」

カマソッソの言葉を聞いた男は少し安堵するも、それでも心配する表情を崩すことはなかった。

「そ、そうなのですか……?では何故泣いて……」

「……え?」

男の言葉に、カマソッソは引き寄せられるように自らの頬に手を当てれば、そこは水でも滴っているように湿っていたのだ。
この時、初めて彼は自分が泣いてることに気付いた。
そしてカマソッソは漸く、己の心の内を理解した。
ミズノがいないと、もう会えないと知り心にぽっかりと空いた穴。その穴に、風が吹き抜けていくかのように身体の芯が凍っていく。そして心臓を握られたような苦しみ。
そうか、オレはミズノに会えなくて寂しいのか、悲しいのか。これが、別れなのか。

カマソッソはこの日初めて、他者に対して涙を流した。そして止まることを知らない涙に、感情とは斯くも御し難いものなのだな。と、そう思いながら。

彼の部屋に飾られた青の花々。その中の一輪が、そっと花弁を落とした。



***




オレが涙を流したのはこの日だけだった。
今思えば、オレがミズノに対して抱いていた感情は、自分よりも遥かに強い相手、異なる見た目への憧憬だったのだろう。
それは正に、若いが故の幼い感情であった。

あの頃と比べて、オレは随分と成長した。
王位継承のため、より一層、武術と学術の稽古に加え、王としての振る舞いの指南など。日々の暮らしは忙しくなり、気付けば、彼女との思い出は記憶の片隅に追いやられていた。

刺青を入れた体、舌に開けたピアス。これはこの国が始まってより続く、神秘を司る古き習わし。
現王から賜った服と装飾品を身に纏ったオレは、彼の御方の前に膝を着く。

「―――今この時を持って、汝に王位を継承する。勇敢なる王、勇者王カマソッソ。そなたがこれより、カーン王国を統べる者である」

沢山の民が見守る中、王の祝詞と共に、王者を示す冠が授けられる。
待ち望み、焦がれた重みは不思議と直ぐに馴染んだ。

「汝、面を上げ、民に祝福を」

王の言葉で顔を上げる。そして立ち上がり、衣を翻した。
己の目に映る、カーン王国の民たち。オレがこの先守っていく者たち。


――守る対象が、人がいるだけで人間は幾らでも強くなれるんだよ――

――いつか心の底から救いたいモノが出来たとき、一緒に戦い支えてくれる人達が出来た時、何の為に戦うか決めた時――

――君は誰よりも強くなれる――


「―――誓おう。このカーン王国に栄光を、繁栄をもたらすことを。約束しよう。お前たちの営みを、命を守ることを。この勇者王カマソッソが!宣言する!」

わああと歓声が沸く。誰もが新しい王の誕生を、新しいカーン王国の歴史に歓んでいる。

沸き上がり、興奮する民たちとは裏腹に、オレの心はあの日から、どこか穴が空いたようだった。

そしてあの時、オレに言葉を授けた彼女が、オレのこの姿を見せたかった彼女がいない現実を、ただただ、静かに受け止めた。



***



主のいない部屋。その部屋の窓際には、何も入っていない、空っぽの花瓶と、綺麗なままの花弁を彩った栞が置かれていた。


23/02/14
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