木と木が大きくぶつかる音がしたあと、それは風を切り地面に落ちた。それと同時に、ドサッと大きなものが地面に落ちる音が響く。
「――はい。勝負あり」
ヒュン、と先程まで対戦していた相手の首元に訓練用の武器を突き付ける。突きつけられた本人であるカマソッソは、悔しそうに目の前に立つ人物へと鋭い眼光を向けた。
眼差しを向けられた対戦相手であるミズノにとって、訓練中にカマソッソが睨んでくるのはもはや慣れたものであった。なんなら、最初に出会った時に負けず嫌いなのだろうことは薄々気付いていた。
突き付けていた物を下げ、武器を弾かれた衝撃で後ろに体勢を崩したカマソッソに手を貸そうと手を伸ばすも、彼はそれを無視して1人で立ち上がる。それを苦笑しながら見詰めるのも、いつものことだった。
カマソッソは後方に飛んだ武器を取り、戻ってくると悔しそうに顔を歪ませた。
「くそっ、また負けた!あと少しだったのに!」
「『あと少し』になるくらいには成長してるよ?最初なんて全然だったし。反射も受け流し方も良くなってる」
「…ッ、そんなの勝てなきゃ意味がないだろ!無駄死にと一緒だ…!」
吐き捨てるように言うカマソッソの顔を、ミズノはチラリと一瞥し、どうしたものかと軽く息を吐く。そして身近においてあった、もう使われていない横長の木箱に腰を掛ける。
トントン、と自らの横を軽く叩きカマソッソを見れば、彼は意図を理解したのか、渋々ミズノの横に腰を降ろした。カマソッソが隣に座ったのを見計らい、ミズノは視線を前に向けたまま口を開く。
「君さあ、最初も聞いたと思うけど、何でそこまで強くなりたいの?」
「……、オレは必ず王になる。王は民を、この国を守る責務がある。強くなければ守ることなど出来ぬ」
それは初めてこの場所にカマソッソが来た時。彼はミズノに鍛錬を付けろと言った。何回拒否をしても食い下がるものだから「何故そこまで拘るの?」と尋ねた時に、カマソッソから聞いた言葉と同じものだった。
「守るねえ……」
「――ッ、オレを愚弄するつもりか!?」
「まさか。優しいなと思っただけだよ」
「……は?優しい…?このオレが?」
先程までの怒気はどこにいったのか、カマソッソは信じられないとでもいうような顔でミズノを見る。そして、自身を嘲笑うかのように乾いた笑みを浮かべた。
「は――ははっ…。誰が死のうと悲しまず、涙すら浮かべないこのオレがか…?」
カマソッソは物心がついた時からか、いや、それ以前からか。友の死にも身内の死にも、ましてや自身への死にすら不感症であった。何も感じなかった。初めから他の人間にはあるはずの感情が欠けている自分が『優しい』などと形容される謂れが分からなかった。だからか、己の目の前にいる女の言葉を受け入れることが出来ずにいた。
そうやって自らを貶めるカマソッソを、まるで手のかかる弟を見るような、包み込むような目でミズノは見遣る。
「――でも、物語を読んで泣くこともあれば、どうしたら皆みたいに感じられるか悩んでる」
「……ッ!!」
「どうしたら自分も皆と同じになれるかって考えてる時点で優しいと思うよ。それに物語を読んで泣くのは感情が豊かな証拠」
それにさ、とミズノは更に言葉を続ける。
「もしかしたら、君が死に対して不感症なのには何か意味があるのかもしれない。王様になるんだったら、時には無慈悲な決断だってしなければいけないし。他人の死を背負い込み過ぎて、君が潰れちゃわないようにってさ」
「………」
カマソッソは不思議な気持ちだった。常ならば、お前に何が分かると、知った口を聞くなと声を荒らげている筈なのに、何故だかそれが言えなかった。
「それとね、守る対象が、人がいるだけで人間は幾らでも強くなれるんだよ。今君は、見えない誰かの為に強くなろうとしている。でもきっと、いつか心の底から救いたいモノが出来たとき、一緒に戦い支えてくれる人達が出来た時、何の為に戦うか決めた時、君は誰よりも強くなれる」
己に対して言っている筈なのに、目が合っている筈なのに、カマソッソには何故だか女が自分ではない誰かと話しているように感じた。カマソッソを通して、誰かに伝えているようにも。
そして一瞬、目の前の人物の姿がブレ、思わず目を見開く。
「それに今は単純に筋力とか年の差もあると思うから、筋トレはしといた方がいいかもね!」
にっこりという効果音が付きそうなくらい、場違いな明るい声にカマソッソは思わずコケそうになる。見間違いか、女の姿はそこにはっきりと存在を示していた。
「……結局、問題は棚上げか?」
「まさか、視点の転換だよ」
「――ふん、まあいい。頭の隅くらいには留めておいてやる」
腕を組み、偉そうに鼻を鳴らすカマソッソを女はくすくすと笑い声を転がして見る。ただの気休め、その場しのぎの解決策など何も提示していない言葉。だが少年は、今はそれでいいかと気を持ち直す。
そして先程からどこかむず痒さを覚える視線にカマソッソは眉間に皺を寄せて苦言を呈するも、その頬は暗闇でも分かるほど、ほんのりと色付いていた。
「今日はもう遅いし、続きはまた今度ね」
ぐっと伸びをしたミズノは勢いよく箱から降りる。
「なあ」
「ん?」
カマソッソの声に振り返る女。その動きに合わせて、髪がさらさらと流れる。カマソッソはそれを、場違いにも星光を反射する水面のようだと思った。
「アンタはどうなんだ?」
それは酷く、抽象的な問だった。
だがそれだけで何を意図しているのか、カマソッソが何を聞きたいのか、ミズノには理解できた。その言葉に隠された本心も。
「そうだね――」
女は目を細めて、口端に笑みを乗せる。
「――私から1本取れたら、教えてあげてもいいよ。少年」
向けられた微笑みは綺麗な筈なのに、カマソッソにはそれが冷たく感じられた。
23/02/14