蝙蝠の求愛行動

よく考えた結果


暗い路地をひた走る。
理由のない感情が、身に覚えのない感覚が、早く、早くと自らを急かす。この胸に渦巻く気持ちは何なのだろうか。少し苦しくて、でもどこか温かくて、息が詰まりそうで胸を掻きむしりたくなるのに、煩わしいのに捨てられない。
ぎゅっと無意識に胸の辺りを掴んでも、服に皺が寄るだけで何も解決しない。気休め程度にもならない。
ここに来る前はいつもそうだ。いつか治るのだろうか?そう思いながら只管に脚を動かす。

そして走る速度を徐々に落とし、遂に止まった。


「――ん…?やあ、少年。また来たのか」


長い髪を靡かせこちらを向いた女性に、そう声を掛けられた少年――カマソッソは、先程の胸に巣食っていた感情が嘘のように静まっていくのを不思議に感じた。

もしかしたら目の前のコイツは医療にも通じているのかもしれない。ならばオレが王になったときは、神殿に呼ぼう。そうだ、それがいい。

「おーい?少年?どこか具合でも悪いの?」

カマソッソが脳内で1人会議をしていることなど露知らず、目の前の女性は不思議そうに声を掛けた。女性の声によりカマソッソの意識は引き戻され、彼はどこか気まずそうに咳払いをしたあと、ムッと不機嫌そうな表情を浮かべる。

「オレの名は少年ではない。この前教えた筈だが?」

最初に出会った際にカマソッソは己の名を女性に告げた。にも関わらず、女性はその後もカマソッソのことを『少年』と呼び続ける。それが何故だかカマソッソには気に入らなかった。
カマソッソの不満を聞いた女性は、一瞬ぽかんとしたあと、口元に手を当てくすくすと笑みを零した。
何故笑う?カマソッソの顔は更に不機嫌になる。それを見た女性は、顔に笑みを浮かべたまま宥めた。

「ごめんごめん、そんなに拗ねないで?ちゃんと覚えてるよ」

――カマソッソ?

ふわりと、微笑み掛ける女性。名を呼ばれ、笑みを向けられただけなのに、カマソッソは自身の体温が急激に上昇するのを感じた。そして心臓の辺りが、きゅうっと苦しくなる。
何だこれは?何なのだこの痛みは?自分ですら分からないこの痛みと体調の急激な変化に、カマソッソは混乱した。
再び無言になるカマソッソに、女性は徐々に心配を募らせる。もしかしたら具合が悪いのではないだろうか、と。

「大丈夫?体調良くないなら今日は止めに――」

「全くもって無問題だ!!」

体調が悪いのなら明日以降でも良いと女性が打診しようとすれば、カマソッソは食い気味に否定をした。あまりの勢いに女性は若干退いてしまうが、まあ本人が大丈夫なら良いか。その分こちらも気を付けて配慮すればいいと思考を切り替えて、カマソッソを尊重することにした。

「君が大丈夫というならいっか。はい、これ」

壁に立て掛けてあった物を女性はカマソッソに手渡す。それは木で作られた棍棒――カーンの戦士が訓練用に使う武器だった。カマソッソは手渡された武器を慣れたように構える。瞬間、全身の毛穴からぶわりと汗が滲んだ。

「よし、じゃあ今日も――始めようか」

目の前の女性の雰囲気がガラリと変わる。温かく優しい熱を浮かべていた双眼は、今は冷たく氷のようだった。目の前の圧に呑まれてはならない。カマソッソは今一度、強く己が手にある武器を握りしめる。そして自身を鼓舞するように開戦の合図をした。

「いざ、尋常に!」

――勝負!!



時は2人が初めて出会った頃に遡る。
酔っ払い男に絡まれていたカマソッソを助けた女性――基、ミズノに自分の名を伝えたカマソッソは、ある事を考えていた。
先程、目にした女性の強さ。カーンの戦士、更には王になる自分は国を、民を守る為にも強く在らねばならない。例え年の差や力量の差があったとしても、男に反撃出来なかった自分をカマソッソは悔しく思っていたのだ。
そして思い至った。目の前のこの女性は強い。それも街で見掛けるカーンの戦士と引けを取らぬほどに。己よりも強い者に教えを乞う。それは人間として当然の本能だった。善は急げとばかりに、言葉を発しようとしたカマソッソよりも先に女性は口を開いた。

「ところで君、何か急いでいたようだけどいいの?」

こちらを心配するように尋ねる女性の言葉を聞き、カマソッソは本来の目的を思い出した。
しまった!帰路を急いでいる所だった!!あれからどのくらい時間が経っているかは分からないが、急がないと不味いことだけは分かる。カマソッソは焦りながら女性に問うた。

「おい!いつもここにいるのか!?」

「……?いや、いつもは反対の空き地にいるかな。ほら、もう使われてない演習場」

「なら明日はそこにいろ!絶対だぞ!」

「はあ?――って、ちょっと…こら!」

カマソッソは伝いたいことだけを女性に伝えると、自分を止める声を無視して走り出した。明日また会って話せばいい。その結論に至った彼は、一目散に家に向かった。
颯爽と路地の先の暗闇へと消えたカマソッソを訳も分からず見送った女性は、不自然な格好で浮かせたままの手を元に戻し、大きな溜息をつく。

「どうしよ、、関わるつもりなんてなかったんだけどなあ……」

その声には諦めと少しばかりの後悔が滲んでいた。しかしだからと言って、あの状況を見逃すことなど自分には出来ないことも女性は分かっていた。
ガシガシと頭を掻き、何の気もなしに頭上に目を向ける。視界に飛び込む満点の星空は、綺麗な筈なのにどこか無機質に感じた。

「――いなかったら、寂しがるかな…」

勝手に約束を取り付けた少年。その必死な形相が、記憶の中の誰かと重なる。
少年のことを思い、女性はまた1つ、大きくため息を吐き出した。



途中で不運が重なったものの、カマソッソは無事に間に合った。内緒で外に出ていたのだ、家の人間に見付かったら何と言われるか分かったものじゃない。自室に戻り、ぼふんっとふかふかの寝具に横たわったカマソッソは、ぼんやりと先程の出来事を考えていた。
ここ、カーン王国では見ない肌の色に、星の光をキラキラと反射する不思議な髪色。別の層から来た人間だろうか?女性のことは何も知らない。知っているのは名だけだった。

「――ミズノ…」

ポツリと、女性の名前を口にだす。カマソッソにとって聞き慣れない音ではあったが、嫌ではなかった。
明日にはまた会える。その時に色々聞けばいい。
部屋の外から自身を呼ぶ声が聞こえたカマソッソは、ぐっと伸びをして寝具から降りる。この時の彼の中では既に女性から訓練を付けて貰うことは確定事項になっていた。本人から許可を取っていないのにこの自信である。唯我独尊、傍若無人はこの頃から既にあったのか。



次の日、女性に教えられた演習場跡に向かったカマソッソは、女性がいた事にほんの少しばかり安堵し、自分を鍛えるように言うも中々了承が得られず一悶着あったことをここに記しておく。


23/02/14
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