偽の太陽が消えて―――年、ミクトラン第3層に築かれたカーン王国では、そこかしこから民たちの賑やかな声が聞こえていた。
生物にとって神聖な、必要不可欠である陽の光が刺さなくなりミクトラン唯一の人類であるディノスは深い眠りについた。しかしカーン王国に住む民はそこから長い年月を掛け、代わりになる地下熱を使い繁栄を築き上げた。今では何億もの民がこの王国に暮らしている。
陽の光がなくとも、民たちは幸せであった。
「――はっ、、、はっ……!」
暗い路地を1人の少年が駆けていく。少年が走るのに合わせて編み込まれた髪の束が靡き、褐色の肌には玉の汗が浮かんでいた。
家の人間の目を掻い潜り友人たちとの遊びについ夢中になっていた少年は、時計を見て慌てて別れを告げ家に向かったのだ。
急げ、急げと彼は近道として人通りの少ない道を走る。大通りと違い、灯りの少ない道は当然ながら視界も悪い。
――ドンッ。
「うわっ!?」
ベシャリ。と地面に尻もちをついた少年は、痛みに目を瞑った。案の定、少年は何かにぶつかったのだ。一体何にぶつかったのか、少年は暗闇に目を向けた。しかし何か大きいモノがあることしか分からなかった。
「――ってぇな…、ああ?」
柄の悪い男の声が路地に響いた。少年はどうやら人にぶつかったらしい。
「どうした?」
別の男の声が心配する声をかけ、手元に持っていた灯りを点けた。少年はあまりの眩しさからか、咄嗟に目を守るように腕を交差させた。
「何かと思ったら餓鬼かよ。おい!危ねぇだろうが!」
ぶつかられた男は乱暴な物言いで少年を詰る。
急いでいたこともあってか、急な怒声と光の刺激もあってか、ムッとした少年は声を荒らげた。
「うっせぇな!オッサンも前見てろよ!」
「ッンだとこのクソ餓鬼!!」
「おい馬鹿、やめろって!」
売り言葉に買い言葉。この場合、どっちもどっちなのだが、頭に血が上った両者には関係なかった。
連れの男が静止の声を掛けるも、元々短気な性格なのか男は荒ぶる感情のまま、地面に座り込んでいた少年の胸倉を掴んだ。
「ぐっ…!」
息が詰まり少年は苦しそうな声を上げ、鼻にアルコールの匂いが微かに香った。だが負けじと、少年は自分の数倍は大きい男を睨み付ける。
しかし、少年の目は余計に男を苛立たせてしまった。男はカッとなり、握った拳を振り抜いた。
―――殴られる!
咄嗟に少年はギュッと目を瞑った。来るだろう痛みに耐えるために。何故なら、痛いのは怖いからだ。
しかし、いくら待っても痛みは来ない。
不思議に思った少年は恐る恐る目を開けた。
「――いくら腹が立ったからといって、こんな小さい子供相手にムキになるなんて大人気ないですよ?」
「い、、イテテテテ!!」
フードを被った見知らぬ人物が、少年を殴ろうとした男の腕を掴み捻っている光景が目に飛び込んできたのだ。少年は思わず、ぽかんと口を開けた。驚き過ぎると、人間は声が出ないらしい。
「それと、いつまで胸倉掴んでるんですか」
ただ冷静にそう問い掛けたその人物は、少年を掴みあげている男の腕を握り、力を込めた。
――ミシッ…。
骨の軋む音が少年の耳にも届く。男は苦しそうに呻き声を上げ、ぱっと少年をその手から放した。
宙に浮かんでいた少年は当然のように重力に従って落ちていく。受け身を取り損ね、硬い地面との衝撃に備えるよう目を瞑れば、腰に腕が当たる感触と共に少年の体はふわり…と何かに包まれた。
どうやら少年が落下する直前に、フードの人物が抱えてくれたようだ。
少年は無意識に、きゅっとその人物の服を握りしがみついた。そして先程まで自らを掴み上げていた男に目を向ける。男は、フードの人物に握り潰されそうになった腕を労わるようにしてもう片方の手で守っていた。
「続けますか?私はどちらでも構いません。貴方がご飯を食べれなくなるだけですので」
「ぐっ……、、クソ!覚えてろよ!――おい、行くぞ!」
男は灯りを持っている男に声を掛け、足音を苛立たせながら去っていく。声を掛けられた男は気遣わしげにこちらに視線をやると、ぺこりと軽く会釈をして男の後を追って行った。
2人分の足音が聞こえなくなった頃、少年の隣から「ふぅ……」と息を吐く音が聞こえる。終始緊張していたためか、思わずビクリと少年の体が跳ねた。そして少年は無意識にずっと、自分を助けた人物の服を握っていることに今更ながら気付き、急いで手を放した。そしてまるで親に隠し事をする時のように、手を後ろにやった。
「まさかあんないかにもな台詞を聞くとは……」
どこか呆れたような声で呟く隣の人物。段々と落ち着いてきたからか、その声が少し高く柔らかいことに少年は気付いた。
一体、目の前のこの人物は何なのだろうか。
それは少年にとって、当然の疑問だった。相手を探るように見ていれば、その人物は急に少年の方に体を向け、目を合わせるように屈んだ。
「君もいくら急いでて腹が立ったからといって、相手に突っかかるのは良くないぞ?」
諭すように優しく語りかければ、罰が悪そうに少年は目を逸らした。その子供っぽい仕草に、フードの人物はつい笑みが零れ、ポンポンと優しく頭を撫でる。少年は少しむず痒さを覚えたが、手を振り払うことはしなかった。そして躊躇いながら、目の前の人物に話しかけた。
「……ありがとう、助かった」
「んふふ、、どういたしまして。怪我は大丈夫?」
「ん。アンタのお陰でもう大丈夫」
「こら。初対面の人に向かって『アンタ』は失礼だぞ?」
「そういうアン…、あなたもずっとフード被ってるじゃん。それに名前知らないし」
「言われてみれば確かに」
くふくふとおかしそうに笑った目の前の人物は、そう言うとバサり、と被っていたフードを取った。
夜風に攫われて露になった髪がふわりと舞う。少年は思わず目を見開いた。
「私の名はミズノ。貴方のお名前は?」
闇夜に煌めく、深い深い青の髪。そして、暗くてもその存在を主張する紅い隻眼。
少年は目の前の女性に目を奪われる。そして、自分も名乗らねばと、喉が引き攣り声が震えることがないように、自らの名を伝えた。
「――オレは、カマソッソ。将来、この国を導く偉大なる王になる男だ」
少年――カマソッソは、強い意志の籠った目をミズノに向け、そう宣言する。名だけで良かった筈だが、何故だろうか。彼は本能的にそう伝えるべきだと感じたのだ。
これが少年カマソッソ―――後に、勇者王カマソッソと呼ばれる彼と1人の女の出逢いである。
23/02/12