蝙蝠の求愛行動

拝啓、僕の隣にいないきみへ


「忘却を禁じる……!?忘れることを赦さぬ、だと……!?」

この冥界において、あらゆる忘却を禁じると女は言った。瞬間、濁流の様に、忘れていた、否。心の奥底に封じ込めていた記憶が押し寄せてくる。幼き日の記憶、初めて冠を受け取った際の記憶、王宮での煌びやかで眩しく、豊かだった日々。民が笑い、笑顔が溢れ、長閑な国での一時。

そして、自らの隣にいて、微笑を浮かべる温かな彼女の存在。失うことを恐れた、彼女の存在。

苦しくて、苦しくて、苦しくて。息が詰まりそうで喉を締め付けられそうな感覚になりながらも、目の前の敵であるカルデアに眼光を注ぐ。しかし、己のスキルは尽く冥府の女に邪魔をされる。

忘れたい、忘れたくない。手放したい。手離したくない。激情が、カマソッソの身体を駆け巡る。負ける訳にはいかない。なぜならば、この体は、この霊基は。カーン王国の十万年もの積み重ねによって出来ているのだから。

だが諦められないのは藤丸立香とて同じだった。一進一退の攻防。カマソッソの攻撃をなんとか防ぎ、着実に、確実にその体力を減らしていく。

「ぐうう……ああああっ!」

深い一撃がカマソッソの身体を貫く。獣のような咆哮。お互い、まさに満身創痍の状態だった。前にも、似たようなことがあった。ああ、そうだ。オルトとの戦いだ。あの時も、こうしてぼろぼろになりながら戦っていた。その瞬間、カマソッソの脳裏に、シバルバーに身を投げる民達の姿が過ぎった。子を抱きながら飛び込む親。微笑みながら飛び込む戦士達。諦めずその命の最期までカーン王国の歴史を刻んだ神官。そして最後の最後に、自らに言葉を掛け、術式を付与して死地に向かった長い髪を靡かせる彼女の後ろ姿。全てが走馬灯のように駆け巡った。

「戦士達よ、市民達よ……命を捧げる程の王だったのか。家族を捧げる程の国だったのか」

何億もの人々から託されたのは、沢山の、温かな想いだった。希望だった。それが今、杭を切ったように溢れ出す。

「であれば……であるのならばあああ!!!」

慟哭を上げる。最後の力を振り絞るように、想い出した沢山の想いを形にするように、全身に力を回す。託された最後の者として、何より、王として。

「シバルバーの大鎌よ!!」

大鎌を顕現させ、カルデアにその斬撃をぶつける。身体は既にぼろぼろで、それでもなお立っていられたのは、カーン王国から託された想いからだった。

「忘れよ!忘れよ!!」

激情が逆巻く。その想いに、身体が翻弄される。触覚は枝のように伸び、カルデアにぶつかる。しかしカルデアとて、やられる訳にはいかない。

「これで最後だ、カマソッソッ!」

強烈な一撃が、カマソッソの体に直撃した。

「ぐ、おお、おおおおお……!!」

体から、力が抜けていく。獣の姿が解かれ、元の人の形へと戻っていく。やっとの思いで立ち上がれば、体はほぼ半壊していた。

「オ、ォォ……ア、ハァァアア――!」

翼もぼろぼろで、こうして立っているのは最早最後の王としての意地だった。自分の呼吸が荒くなっているのが分かる。ここまで追い詰められるのは想定外だった。カルデアも、最後の力を振り絞ろうと畳み掛けようとする。

「ふぅ、ふぅ…………――――、!」

その時、冥府の女が、空から落ちるのが見えた。その髪の色が、長さが、在りし日の彼女に。そして褐色の肌が、あの日身を投げた国民達と重なった。瞬間、考えるまでもなかった。

「ハ――クァアアアアア!」

全身のありったけの力を掻き集めて飛び立つ。そして、その体を衝撃から守るように抱きかかえた。

耳元で、風を切る音がびゅうびゅうと音を切る。腕の中の女への身の振り方を思いながら、ふと、今までの自分の生について想いを返した。誰が死のうと、オレに悲しみは訪れなかった。作り物の物語には、感涙する癖にな。だが思えば、二度程、こんなオレでも涙を流すことがあった。ずっと忘れていた存在。いや、正確には忘れさられていた存在。この女の身を案じていたのも、もしかしたら記憶のどこかで彼女と重ねていた部分があったからかもしれない。

思い出せる、とは、いい事だ。

あの日々が、美しく、輝かしい日々が、胸を焦がす日々が何度でも美しく蘇る。

――なるほど。

――永劫とはいかないが――

――過ぎた後も生き続けるとは、こういう事か。

「――ミズノ、またお前に、巡り逢いたいものだ」

ふっと、口角を持ち上げる。そして――

べちゃっ。何かが潰れる音がそこに響いた。そこには何も残ってはおらず、最後の王の言葉を聞いたのは、ただ一人、冥府の女だけであった。


***



「今回集まって貰ったのは他でもない。微小特異点が発見された」

「場所はどこでしょうか?」

「場所は恐らくヨーロッパの辺りになるけど、存在が不安定で安定していない。恐らく、未知のトラブルがあるかもしれない。呉々も、気を引き締めて臨んでくれ」

「はい、分かりました」

「それで、ダヴィンチちゃん、今回の同行サーヴァントの皆さんは」

「トリスメギストスUによって三人が選出された。斎藤一、メディア、それから……」

「このカマソッソの出番という訳だな、カルデアの神官よ」

ずしりと藤丸の頭に腕を乗せ、宙に浮きながら不敵にその男は笑ってみせる。

「うん、カマソッソの三人の編成になる」

「今回、マシュ・キリエライトは先輩のサポートに回ることになるので、精一杯、頑張りたいと思います」

「うん、よろしくね、マシュ」

藤丸は慣れたようにマシュへと微笑みかけた。

「それにしても、中々見ない面子だねえ」

「そうね、果たしてこれでチームワークが取れるのかしら」

「カマソッソとてそれくらいは熟知している。何、心配はするな」

「はは、まあ皆、よろしくね」

なんとか場をまとめた藤丸は、嵌めている手袋をきゅっとはめ直した。

「藤丸、こちらからでも通信出来るが、何かあったら必ず連絡しろよ」

「くれぐれも、無茶はせんようにな!」

「分かってるよ、ありがとうカドック。それに新所長も」

「さあ、準備はいいかい?レイシフトの準備を始めるよ」

ダヴィンチちゃんの声に、皆はコフィンへと足を向ける。向かう先は、平穏か、不穏か。未知なる冒険が、幕を開けようとしていた。


23/9/27
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