蝙蝠の求愛行動

両手の隙間から零れ落ちるものを愛でる


幾万もの民が上から身を投げるのを、カマソッソはじっと見つめる。死なせたくないと哭く親と子。お救いくださいと笑う戦士達。その顔には悲涙、歓涙、慟哭、恍惚。様々な感情が浮かんでいた。それをただただ、平坦な心で見届ける。決して、目を逸らしはしない。乾き切った砂地のように、目の端から流れる水など有りはしない。見届けること。それが王として、彼らに返せるせめてもの礼儀だった。



異形と化した体で、カマソッソは星が瞬く闇夜を駆け抜ける。カーンの民全員の魂と、このミクトランに住み着いていた精霊の力によって蘇った体の底からは、無尽蔵の力が溢れていた。それと同時に、熱い激情が、どす黒く澱んだ感情が、ただ一つに向けられる。炉を飛び立ち、カラクムルを飛び出したカマソッソの眼前にソイツはいた。辺りの木々はなぎ倒され、所々地面が抉られている。ぎらぎらと、鋼の肉体を輝かせるソイツは尚も毅然と立っていた。

翼をはためかし、地面に降り立つ。目の前の怪物を視界に収めた途端、濁流のように感情が渦巻いた。そして、少し離れた木々の傍で何かが落ちていることに気付く。そこに散らばっていたのは翡翠のような水晶だった。まるで人のような形を成しているその水晶を見て、ドクン、と鼓動が厭に大きく跳ねる。そしてカマソッソの胸の奥で何かがぱちん、と音を立てて弾けた。

「――――」

泣き叫びたくなるような、藻掻き苦しくなるような、胸を掻き毟りたくなる衝動が全身を駆け回る。苦しい、苦しい、苦しい!!視界に映った水晶に大きく心を掻き乱される。奥歯を噛み締め、胸元で光るネックレスを握る。ふー、ふー、と獣のように呼吸をするカマソッソの感情を占めるのは、大きな憎悪だった。それに呼応するように、体内に宿る多くの魂が呼応する。

――生かしてはおけぬ。

黒く、激しい感情が鎌首をもたげた。
力を授けた精霊達がカマソッソを中心に体を取り囲む。めきめきと、体の構造が作り変わっていく。そして精霊達が自分の周りから飛び去るのと同時に、カマソッソは眼前に聳え立つ星喰いの怪物へと突進した。

「おおおおお!!!」

炉によって持たらされた権能、異能、異形の体を駆使して鋼の体を剥いでいく。鎌のように鋭く、尖った爪を突き立て、靡く触覚を槍の嵐のようにその体に突き刺していく。怪物がカマソッソに付けた傷は数秒の後、何事も無かったかのように癒えていく。それはまるで、カマソッソが生物の理から外れたようだった。

だとしても、例え、この冠を捨て、人ならざる者になったとしても。目の前の怪物だけは、何があっても倒さなくてはならなかった。鋼の腕をもぎ取り、傷付け、その外装を剥がしていく。何回も、何回も。それこそ、自身の腕を、カーンの戦士達の命を奪った稲妻が落ちたとしても。何度体を纏う強化を無かったことにされようとも、その度に体躯は燃え上がり、再び力が漲った。

怪物に幾重も攻撃を繰り返し、カラクムルに押し戻していく。そして黒く煤けた頭部に彼は鋭利な爪を突き立て、かっ捌いた。その途端、怪物は全ての動きを停止させる。ガシャン、ガシャン、と音を立てて怪物の足が崩れていく。しかし、それを見つめるカマソッソの瞳は酷く冷静で冷淡だった。

ぼろぼろと、怪物の外皮が砕けていく。ばらばらと、怪物の装甲が朽ちていく。そして全ての装甲が地に落ちた時、怪物の背中から、何かが浮き上がった。瞬間、周りの時空は歪み、その場に軋轢を生んでいく。

「……なるほど、それが貴様の本体という訳か」

にやりと、カマソッソは口の端を歪める。怪物の外装から現れたのは円盤上の物体だった。それは核融合のエネルギーを生成し、複数の宇宙線、そして超重力を発生させる。生身の人間ならただじゃ済まなかっただろう。それ程の、威力だった。

異形と化したカマソッソでもどうなるか分からない。だがそれがどうしたと、彼は笑みを深める。全てを捧げられたカーン王国最後の戦士として、止まる謂れなどなかった。

再び翼をはためかせる。そして彼は勢い良く、地面を蹴り上げた。カマソッソの動きを止めようと円盤はその機体から長い腕のような物を勢い良く伸ばす。それをカマソッソは体を翻して避け、円盤に猛スピードで突進する。回る円盤に爪を突き立て、その硬く、分厚い装甲に傷を付ける。

剥いで、剥いで、剥いで――。彼は一心不乱に、突き進む。例え体に風穴が開こうとも、翼を砕かれようとも、その度に彼を奮い立たせるように体の中心が熱く滾り、彼を再生に導いていく。

永く、独りぼっちの戦い。それでも彼には沢山の魂が、託された想いが、その体を巡っていた。

そうして何度目かの眩い光を浴びる。ぐっ……、と彼は一瞬たじろぐも、それは本当に一瞬で。瞬きの後に、彼は再び円盤に爪を伸ばした。果てしない持久戦。その戦いの中で、カマソッソは円盤の中心に心臓に当たる物があることを見抜いていた。それを抜き出せば、この怪物も動きを止めるだろう。彼は力を振り絞り、自慢の愛刀である鎌を顕現させる。それを右手に全力で飛び、翔け抜ける。真っ向からの全力勝負。それに負けじと、円盤は光を収束し、まるで光線のように解き放った。

「一点、ただ一点ッ…!!」

全身が熱く、燃えがった血が駆け巡る。吹き飛ぶ体、砕ける頭部。たがそれでも、鎌を持つ右手だけは消えなかった。まるでカマソッソの、そして全てのカーンの民の思いを背負うかのように、鎌は一直線に円盤の中心に向かう。

そして、遂に。

大きな漆黒の鎌は、その機体の中心を刈り取った。大きな穴が機体に抉られる。ばち、ばち、と機体に小さな稲光が走った。そして、徐々に生まれた軋轢は正常に戻り、やがて円盤は完全に動きを停止させた。そして動きを停止させた円盤はその機体を傾けさせると、緩やかにシバルバーの奥深く、カラクムルのその先へと落ちていく。そしてその後を追うように、鎌を握ったカマソッソの右手も、シバルバーの奥底へと落ちていった。



それから、暫くの後。不死身となり、再生の権能を持ったカマソッソの体は、右手を始点に再生を始める。それはまるで、セノーテに浮かぶ星空のように緩やかな物だった。そうして、全ての体が過不足なく再生されると、カマソッソは閉じていた双眸を緩りと持ち上げた。そして、酷く鉛のように重たい体を起こし、改めて自らの四肢を眺めた。強化を施す前とは打って代わり、まるで獣のように鋭く尖った鉤爪のような足と、長く、まるで人とは異なった腕。極めつけは、背中に生えた赤く、燃えるような翼と、先端が三又に別れた尻尾だった。

死ぬことすらない不死身の肉体を眺めていた彼は、自身の側に突き刺さっていた鎌に視線を遣った。その鎌には、水色の石が光るネックレスが垂れ下がっていた。そのネックレスを見ていれば、心に不思議な感情が灯る。温かく、どこか愛しい感情。なぜ、そんな想いを抱くのかカマソッソには分からなかった。そして彼はそのネックレスを取り、首から下げる。彼にとっても、それが当たり前だと思えたからだ。

彼が鎌に手を掛ければ、鎌は霞のように消えていく。そしてカマソッソはカラクムルの外に出る為に、止まっていた足を動かした。地下の神殿を抜け、溶岩の流れる側を通り抜ける。そして彼は、カラクムルの壁画へと辿り着いた。その壁画の前には、神官が纏っていた衣服の残骸が残っていた。神官が掘ったであろう壁画へと目を向ける。そこには確かに、カーン王国の歴史が刻まれていた。

「……大儀であった」

彼がそう呟くと、ひゅう、と風が吹きすさぶ。その風に吹かれ、残された布切れは木の葉のように宙へと舞っていった。それを見届けて、カマソッソは再び足を動かす。そして、松明以上の光が漏れ出る出口へと、体を滑り込ませた。網膜を焼くような煌めきに、彼は目を瞑り、腕を翳す。そして漸く瞳が慣れた時、カマソッソはゆっくりと瞼を持ち上げ、目を見開いた。

「――――は?」

はくはくと、まるで酸素を求めるように口を動かす。言葉が喉に突っかかったように出てこなかった。カラクムルを出た先には想像した暗闇は広がっておらず、眩いばかりの輝きが辺りを満たしていた。なんだこれはと、彼は絶句する。一体、何が起きたのかと、頭を働かせる。そして頭の片隅で、昔読んだ書物の内容を思い出した。

それはカーン王国が栄える前、それこそ、まだ人類として文明を持っていなかった時。ミクトランには太陽があり、世界を照らしていたということを。

一体どういうことか。オレが眠っている間に、太陽は復活したというのか。沢山の疑問が、彼の頭の中を覆い尽くす。まずは、情報収集からだ。そう気を取り直して、彼は翼をはためかした。

僅かであるものの、星喰いの怪物との戦闘の傷跡が残っていた。不自然に倒れている木々を辿り、漸く着いたのは防衛拠点があっただろう場所だった。しかし木々に侵食されているせいか、はたまた時間の流れ故か、拠点は所々朽ちていた。その中を、カマソッソはまるで何かに誘われるように、引き寄せられるように進んでいく。

どれほど歩いただろうか。彼はある場所で、その足を止めた。地面には、星喰いの怪物と対峙する前に見た翡翠の水晶が散らばっていた。

カマソッソはしゃがみ、ゆっくりとその水晶に手を伸ばす。そしてまるで大切な物を扱うように、水晶を集め始めた。一つ、また一つと掻き集める。その度に、心が握り潰されるように感情がグチャグチャに掻き混ぜられていく。何故こんな感情を抱くのか、何故こんなにも苦しいのか。カマソッソには分からなかった。そして頬を伝う滴に彼は気付かなかった。ズキズキと痛む心臓に、ああ、やはり痛いのは怖いと、彼は一人、胸中でそう零す。

全ての水晶を掻き集めたカマソッソはそれらを抱え、大きく飛翔する。そして、まるで自分の居場所に戻るように、カーン王国へと翼を向けた。

「…………」

彼は上空に停滞したまま眼下を見る。所々崩れた王国には、書物で見たディノス達が生活をしていた。街には生活の営みを知らせる仄かな灯りが点っている。その灯りはあの日、最後に見た景色と似ているようで、全くの別物だった。そして彼は想いを断ち切るように、上空で踵を返した。

彼が向かったのはカーン王国から外れた場所だった。元々、研究施設があった場所はその鳴りを潜めて、今や廃れた場所と変わっている。カマソッソはそこに降り立つと、手に抱えていた水晶を地面に置いた。そして、胸に渦巻く感情のまま、口を開く。

「戦士達よ、市民達よ……。命を捧げるほどの王だったのか?家族を捧げるほどの国だったのか!?」

脳裏に浮かぶのは王国で過ごした沢山の眩しい日々と、身を投げる民の姿と、全てがなくなり、ディノスが住む自国だった。向けられた感情、託された想い。沢山の想いが胸中に広がり、そして渦となって混ざり合っていく。一人ぼっちの民も誰もいない王様は、歪に口元を持ち上げた。

「ふ、ふふ……うふふ……」

そして、自らが被っていた冠を手に持つと、一つ、また一つと水晶を嵌めていく。何かを封印するように、堪えるように、消し去るように。その作業を続けていく。

「……カマソッソは思い出さない。振り返らない。物語はただ、そこにあるだけでいい」

そうして彼はうっそりと、狂気に染まった目を細める。
その日から、ミクトランでは度々、空で独りぼっちの獣が咆哮を上げていた。それはまるで仲間を探すように、あの日見た、眩しい想い出を消し去るように。その声は、ずっと空に木霊していた。


23/08/31
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