「ここは……」
「良かった。目を覚ましたのですね、カマソッソ様」
視界に映ったミズノの顔をぼうっと眺めたカマソッソは暫しその顔を見つめると、はっと何かを思い出し、急いで自身の体を起き上がらせた。
「――ぐッ!!」
「まだ傷口が塞がっていません。無理をなさらないでください」
そう言葉をかけたミズノはカマソッソの体を支え、その体を横たわらせようとする。しかしカマソッソはそれを手で制した。彼の意を汲んだミズノは不安の色を滲ませながら、カマソッソを見つめる。
「奴は、星喰いの怪物はどうなった」
「今は私の結界で動きを封じています。その間に体勢を整えようと一時カラクムルに撤退をしました」
「そうか……」
それっきり、カマソッソは口を閉ざす。浮かべた表情は険しい物で、ミズノは近くにいた戦士にカマソッソが目を覚ましたことを戦士長に知らせて欲しいと願い出た。走り去る戦士の背を見送り、彼女は再びカマソッソへと視線を戻す。
雷に貫かれた仲間の姿、そして無くなった自分の片腕。星喰いの怪物の底知れない力に、どう立ち向かうべきかカマソッソは必死に頭を働かせていた。カーン王国に伝わりし強化の術も、加えてミズノが施した強化を持ってしても討伐することは叶わなかった。しかし、だからと言ってしっぽを巻いて逃げるなんてことは絶対有り得ない。何か、何か策はないだろうか。カマソッソは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
いや……。一つだけ、ある。
しかしそれは最悪の悪手であり、最も避けなければならない方法だった。即ち、炉の活用である。技術部門から炉の解析が終わったことは事前に聞いていた。そしてその活用方法についても。莫大な身体強化を得るために多大な犠牲を払う必要がある。国を護る為に戦っているというのに、その為に民を犠牲にするなど本末転倒もいいところ。何か他の策が必ずある筈だ。そう自分に言い聞かせるように思考を巡らせていく。
「カマソッソ様。一つ、宜しいでしょうか」
「なんだ?申してみよ」
戦場故か、普段とは異なる口調で二人は会話をする。
「あの星喰いの怪物を倒す術が一つだけあります」
「……なんだ?」
一度、言葉を区切ったミズノは真っ直ぐとカマソッソを見据えて、その口を開いた。
「炉を使った強化です」
「ならん」
ミズノの言葉をカマソッソは一切の躊躇もなく斬り捨てる。その否定の言葉に迷いも揺らぎもなく、取り付く島さえなかった。しかし、そんなカマソッソのことを意も介さず、ミズノは言葉を続けた。
「カーン王国の民全てを含めた全員を貴方のリソースに回した強化なら、あの怪物に勝つ確率は高くなります」
淡々とミズノはカマソッソに告げる。その言葉を聞いた瞬間、カマソッソは彼女の胸元を力強く掴んだ。
「……オレに民を犠牲にしろというのか?」
その瞳の底は冷え冷えとしており、まるであの日、再会した時のように歪んでいた。凄まじい威圧感がミズノの体を襲う。しかし彼女とてその圧に臆する訳にはいかなかった。憤りを露にするカマソッソとは反対に、ミズノは至極冷静に言葉を返す。
「どの道、貴方のその体では戦うことは愚か、満足にご自慢の鎌を振るうことも敵わないですよ」
「侮るな。鎌なんぞ腕一本で事足りる」
「そんな状態で勝てる程、アレは弱くない」
それに貴方も分かっている筈です。とまるで幼子を諭すような口調でミズノは語り掛ける。一切の揺るぎのない瞳でそう言い切る彼女に、カマソッソは喉まで言葉が出てくるもそれを飲み込み、ぐっと口を引き結んだ。カマソッソとて自分の状態が分からないほど愚かではない。何より、星喰いの怪物と対峙したことにより彼は怪物の力量も、それに対抗する自分の力量も、カーン王国内の力も全て理解していた。生半可な覚悟ではあれは倒せない。それほど、あの怪物は絶大だった。しかし、それでもと、彼は奥歯を噛み締める。
「……民を犠牲にするなど、それだけはならん。そんな
力強い瞳でカマソッソは言葉を紡ぐ。その瞳に映るのはカーンを治める王としての彼がいた。その言葉と瞳を真正面から受け止めたミズノは数秒の後、口をゆっくりと開いた。
「……無駄、ですか。貴方に希望を、夢を託すことが無駄であると?」
無駄死に称した彼に、ミズノは異を唱える。
「貴方はそう思うかもしれませんが――」
そこで不自然にミズノは言葉を途切れさせる。彼女はカマソッソに向けていた視線を自分の後方に向けた。その視線につられるように彼女の後ろを見たカマソッソはその双眸を驚きに見開く。
「彼らは、そうは思わないようですよ」
彼女の後ろには生き残った戦士が、そして何億ものカーンの民が控えていた。開発部門と戦士長のやり取りを聞いていた彼らは自然と、まるで己に課された使命を全うするようにその選択肢を取った。強要でも、命令でもない。これは彼らが皆、国を護る為にと本心から臨んだことだった。彼らの姿にカマソッソは驚き、言葉を失う。口から出るはずの言葉は空気となり、彼の喉を情けなく震わせた。
「――お前たち……、本気か?」
喉から押し出した声はみっともなく震えていた。その震えた声は響き、その場にいた者達の耳に届いていく。
「カマソッソ様、無礼は承知で進言させてください。どうか私達の為にも。この国を、この世界を救ってください」
「貴方様は優し過ぎるのです。どうか我等を国の為にお使いください」
「例え肉体が、魂が滅びようとも、私達は貴方と共にいます」
「貴方様の為に、この国を護る為にこの身を捧げるのは本望です」
そう言葉を告げていく民達の顔は皆穏やかで、どこか誇らしい物でもあった。
「カーン王国の王、勇者王カマソッソ様」
ご判決を。ミズノの凛とした声がその場に響き渡る。民達の言葉を、その表情を正面から受け取ったカマソッソは一度、その端正な顔を伏せ、自分の不甲斐なさを押し殺すように、そして堪えるように歯を食いしばった。胸中を渦巻く沢山の感情は言葉にし難く、それでも一つだけ、唯一言えることはあった。
「……愚か者共め」
彼らの真摯で真っ直ぐな想いを汲み取るように、受け止めるように、カマソッソはその瞳を固く瞑った。彼の零した言葉が切なげに揺れる。ミズノはただじっと、そんな彼らの姿を目を逸らすことなく焼き付けた。握った拳は強く、自らの掌に爪を食い込ませる。それはカマソッソに進言した罪悪感からか、護れなかった自分の不甲斐なさか、それとも彼らの最後の勇姿を見届ける故か。それは本人にしか分からないのであった。
炉を発動させるには強化したい体の部位をその炉に捧げなければならない。カマソッソに肩を貸しながら、ミズノを含めた神官と、神秘の術を使う魔術師達、そしてカーンの民は皆炉に向かっていた。
「まさかお前に肩を貸される日がくるとはな」
「私も、大きくなった貴方とこうして歩くなんて思ってもいませんでした」
炉の底へと繋がる階段を降りながら、まるで他愛ない話をするようにカマソッソとミズノは言葉を繋いでいく。
「腕はまだ痛みますか?」
「いや、もう収まった。お前が施したのだろう?流石の技量だな」
最後となるであろう穏やかな会話をしていく。戦いの最中だとは思えないほど、その空気は落ち着いていた。そして炉の底の中心に辿り着いたカマソッソは魔術師から手渡された薬を飲むと、神官の言われた通りに地面に仰向けになる。そして、程なくして魔術師達が術を発動した。その場に皮膚と肉が引き裂かれる生々しい音が響く。事前に飲んだ即効性の麻酔が効いているのだろう。カマソッソは顔を僅かに歪めるだけだった。
カマソッソの周りに円を四つ描き、その中央に切断した四肢を並べていく。四肢を切断された状態で、カマソッソは淡々とその作業を見つめた。そうして作業が終わると、カマソッソはそろそろかと、顔を上げる。しかし、作業に当たっていた者達は上に戻ろうとはしなかった。その中で、ミズノだけがカマソッソに近寄った。彼女は達磨状態になったカマソッソの傍に寄り添い、そして上半身を起こすとその頬に手を添えた。カマソッソを見つめる瞳は凪いていて、その瞳に、彼女の纏う空気に、カマソッソはただ見つめることしか出来ない。
「……何をしようとしている?」
漸く口から出た疑問はしかし、応えられることはなく、空気に溶けていった。
「……私は、貴方と共にいることは出来ません」
彼女の言葉に、カマソッソは何故だと言葉をかけようとした。だがそれよりも早く、ミズノは彼の言葉を遮るように言葉を続ける。
「星喰いの怪物を少しでも足止めする為に、拠点に戻ります」
「ふざけるな!貴様だけでどうする対処するつもりだ!」
「私を誰だと思っているんですか?貴方に稽古をつけた師匠ですよ?大丈夫です、きっとなんとかなります」
「そうだとしても、だとしてもだ。行くな……、もうお前のいない世界など、お前の姿がない夜など、オレには……!」
カマソッソの言葉に、ミズノは困ったような、寂しげな笑顔を浮かべる。彼の言葉に、大切なんだと言う彼の表情に。彼女の胸には切なくて、温かい気持ちが広がった。
「例え貴方の一部になれずとも、少しでも貴方の力になりたい我儘な私を、貴方に酷な判断を迫った私を、どうか赦さないでください」
彼女はそう言い切ると、カマソッソが口を開く前にその口を、自らの唇で塞いだ。
彼女から口付けを交わすのはこれが初めてだった。彼女を抱き締める腕はもう無い。強く掻き抱きたくも、それは出来ない。彼女からの初めての口付けが、まさかこんな時だとは。カマソッソは胸中でそう言葉を零す。ミズノは唇を離すと、そっと、カマソッソの額に自分の額を合わせた。こつん、とお互い額が合わさる。
「どうか貴方に、祝福を」
彼女の瞳に灯る意思に、その優しく慈しむような笑みに、カマソッソは嫌な予感がした。
「おい、待て……何をするつもり――」
顔を離したミズノは人差し指と中指を重ね、カマソッソの額を横一文字になぞった。その瞬間、カマソッソに割れるような頭の痛みと耳鳴りが生じる。その痛みに顔を顰めれば、徐々に彼の脳内に霞が掛かり始めた。
カマソッソの様子を見て術が上手く発動したことを確認したミズノはそっと、優しく彼の体を横たわらせる。そして振り切るように彼の傍から離れると、神官たちと共に階上に向かった。
階段を上る間際、ミズノは後ろを振り返りカマソッソを見つめる。顔を歪めるカマソッソと彼女の瞳がぱちりと合わさった。
――行くな、待て……。
そう思いカマソッソはミズノの名前を呼ぼうとするも、霞に包まれたように彼女の名前が出てこなかった。必死に記憶の糸を掴み手繰り寄せるも、掴んだその糸は行く宛などないように途中で途切れていた。ひらひらと揺れる記憶の糸。視線の先の女はいっとう大切で愛しい筈なのに、ずっと追い求めていたのに、その名前は出てこなかった。
結局、カマソッソは最後まで、自身を見つめる女の名前が口から出ることはなかった。
上に戻ったミズノ達の中で、神官が起動装置へと進み出る。そして魔力を込め、その装置を起動させた。機械的な音を立てて起動した炉はその底に火を燃え上がらせる。ごうごうと燃える火の中、カーンの民達はその淵へと立った。
「貴方様を、死なせたくありません」
哭きながら、親とその子供が身を投げる。
「どうか我等の国を、お救いください」
穏やかに笑いながら、カーンの戦士達が身を投げる。その姿を心に刻みながら、ミズノは炉に魔力を注ぐ神官へと向き直った。神官もまた、彼女へと視線を向ける。
「例え貴方は外の人間だとしても、立派なカーンの民です」
「……ありがとうございます」
神官の言葉に、ミズノは微笑を浮かべた。そして彼女は炉を一瞥すると、想いを背負うように背を向ける。神官はその姿を見送り、再び魔力の注入へと意識を戻した。
その後、幾万の身を投げる民を見つめ、強化を無事に成し遂げ見届けた彼は、炉から飛び立つ王をその眼に焼き付ける。そして彼は魔力切れの中、カラクムルのその壁画へと歩みを向けた。唯一持っていた護身用の黒曜石の刃をその手に持ち、壁画に手を掛ける。記すは己が国の為に立ち上がった戦士達を伝える為に、我等の為にその身を捧げた王の勇姿を残す為に、そしてその王を支えた彼女の存在を忘れぬ為に。彼はそうして命尽きるその時まで、カーン王国の歴史を世に残さんと刻み続けた。
小型の飛行船から降りたミズノは一人、櫓の上に立ち、星喰いの怪物と対峙していた。彼女が持っていた規格外の権能、能力は全てカマソッソへと譲渡されている。彼女に残されているのは小さな灯火程度の力だった。きっと自分はここで命果てるのだろう。漠然と、そう確信めいた物を感じていた。
「君のその姿を見れただけで、私は幸せだったよ……」
沢山の想い出が、脳裏に浮かんでは消えていく。瞼の裏に映るのは王になると言った少年と、そしてその言葉通り王になった青年の姿だった。
「――さよなら、少年……。ただ一人の王様」
そう零す顔は存外、穏やかで。酷く、満足したものだった。
【補足情報】
23/8/18