蝙蝠の求愛行動

優しいだけでは手に入らないのだ


まるでコマ送りの映像のように、目の前のその人の体が傾くのがミズノの視界に映った。視界の端で、真っ赤な鮮血が飛び散る。激情に背中を押されるようにその体へと駆け寄った。

「カマソッソ様!」

地面に着く前にその体を抱き留める。利き腕を失ったカマソッソは激痛故か、顔を歪ませていた。なんで、どうしてと、言葉がぐるぐると脳内を駆け巡る。何のために、こうならないために動いてきたというのに、何故。するとカマソッソの後ろから、眩い黄緑色の光が溢れ出す。目の前にいる敵を殲滅しようと、星喰いの怪物がその凶刃を持ち上げた。

「ッ!!」

急ぎカマソッソを地面に横たえ、印を結ぶ。パシンッ、とミズノが柏手を叩く音がその場に響いた。

「結界展開ッ!」

彼女の声に呼応するように怪物の周りに巨大な光の壁が展開される。そしてその壁は大きな立方体となると、怪物をその内側へと取り囲んだ。それは彼女が夢を見たあの日から、もしものためにと事前に仕込んでおいた結界術だった。大きな硝子の箱のような中で怪物が壁を叩こうと腕を持ち上げる。しかしその刃は鈍い音を立てるばかりで壁はびくともしなかった。

無事に発動した術にミズノは詰めていた息を吐き出すと、急ぎカマソッソへと視線を戻した。そして片腕があった場所へと手を翳す。すると緑の淡い光が彼女の手から浮かび上がった。慎重に、傷口を縫い合わせるように止血していく。こめかみにつう、と汗が一筋流れた。

そして彼女の処置が終わると同時に、こちらに駆けてくる足音が聞こえた。ミズノは下げていた視線を持ち上げ、その音の主へと目を遣る。そこには必死の様相を浮かべる戦士長がいた。

「カマソッソ様!」

彼はカマソッソの片腕がないことに気付くと、苦痛の表情を浮かべた。その表情に、ミズノは胸に申し訳なさが広がる。

「……すみません、私が付いていながら」

「……いや、寧ろあの中で生きていらっしゃるんだ。それだけでも儲けもんだ」

「戦士はどのくらい残っていますか?」

「多く見積もって三分の二だな。さっきの雷で大体が戦闘不能や負傷を負った。一度体勢を立て直す必要がある」

そう言った彼は傍に落ちていたカマソッソの片腕を拾い、気を失っている彼を背中に背負った。そして大きな硝子の箱に閉じ込められている怪物をちらりと一瞥した。

「あの術、お前がやったんだろ?助かったよ」

「……閉じ込めることしか出来ないですけどね」

そう言った彼女は悔しさからか、唇をキツく噛み締める。

「だとしてもだ。お陰でこうして動き回れる」

さあ、飛行船に戻るぞ。そう言って駆け出した戦士長の後を追うように、顔を上げたミズノも足を踏み出した。



片翼を損傷した飛行船は防衛拠点でその羽を休めていた。その飛行船の中で、ミズノは無事だった戦士達と協力して負傷した戦士達の治療を進めていく。カーンの戦士達が使う神秘の術と遜色ない術を使う彼女はこの時ほど、自身が医療忍術を使えて良かったとそう思った。

重症の怪我を負った戦士達の治療を終え、静かに息を吐き出した頃、彼女は幹部に名前を呼ばれた。その男の元へと急いで走り寄る。そして男はミズノが近くに来ると、「戦士長が向こうで呼んでいる」と伝言を告げた。その言葉にお礼を伝えて、ミズノは戦士長の元へと足を向ける。

戦士長とその他の幹部達が集まっているところに向かえば、彼らは通信機で他の飛行船と連絡を取っているのか、投影機には技術開発局の総元締めが映し出されていた。

「お呼びですか?」

ミズノがそう声をかければ、その場にいた者達は皆彼女へと視線を向けた。

「そっちはもう大丈夫そうか?」

「はい、重症者の治療は一段落着いたところなので問題ありません」

「そうか。ミズノ、今お前が発動させている結界はどのくらい持つ?」

「持って数時間かと。半日は持たないと思います」

「数時間か……」

戦士長が顎に手を当てる。彼は何かを考えるように、視線を伏せた。

「ここからカラクムルは目と鼻の先だ。直ぐに合流することは可能だろうな」

「何か手があるのですか?」

そうミズノが問い掛ければ、ちらりと戦士長は彼女に視線を向けた。

「さっき総元締めから提案があった。シバルバーにあるカラクムル、その中にある炉を使うのはどうかとな」

「炉って、確かカーンの先人達が作ったという身体強化の装置ですよね?」

解析が終わったんですね、と彼女は少し声音に喜びの色を滲ませる。しかし、周りにいる彼らは皆一様にして険しい顔を浮かべていた。その表情に、ミズノの眉間が自然と寄る。

「何か、問題が?」

「その説明は私がしましょう」

開発部門の総元締めがバトンを受け取るように言葉を発した。

「炉を解析した結果、あの装置と現在我々が使っている強化の術式を使えば莫大な力が手に入ることが分かりました。しかし、問題が発覚したんです」

「問題?」

「ええ。代償です。強化したい部位を捧げること、そして生きた人間の魂が必要だと分かったんです」

まあ生贄ですね、と彼は言う。その言葉に、ぴくりとミズノの眉が動いた。

「捧げた魂の数だけ対象者は強くなり、強靭な肉体と絶大な力を得ます。それこそ、まるで人外のようなね。しかし、先程も言った通りこれには生贄が必要になってくる。だから容易に使えないんです」

「……ですがそれしか手段がないのも、現状ですよね?」

「……そうですね、悔しいことですが」

「……カマソッソ様の容態はどうだ?」

「まだ意識は戻っていません」

幹部の言葉に、皆は無言になる。葛藤か、不安か。総元締めの提案をどうするか、皆悩んでいた。

「もし仮にだ。仮にその装置を使うとしたら、対象者はカマソッソ様になるだろう。あのお方が俺らの中で一番お強く、王でもある。しかしだ。星喰いの怪物の力は計り知れない。生半可な魂の数じゃ勝てないだろう」

「カマソッソ様お一人に、全てを託すと?」

「……悔しいが、そうなるだろうな」

ミズノの言葉を肯定した戦士長は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。ミズノは胸元のネックレスをぎゅっと握る。きっとそれは、彼が、カマソッソが一番胸を痛めることなのではないかと思った。彼は人の死に不感症だと前に言った。でもきっと、痛む胸に気付かないだけで本当は悲しいのではないかと、そう思うのだ。

きっと、戦士達全員の魂だけでは足りない。恐らく、最悪の場合、カーン王国の民全ての魂が必要になるのかもしれない。薄々皆そのことに気付いていた。しかしそれは国民に死を強要することになる。カマソッソは言った。民さえいれば、国はいくらでもやり直せると。その民がいなくなったら国どころではない。でもだからと言って、このまま滅びを前にじっとしていることも出来なかった。選択肢など、あってないようなものだった。

「どちらにせよ、俺達に残された時間も、選択肢もない」

「……分かりました。ではこちらは炉の起動を進めておきましょう」

「俺達も直ぐにそっちへ向かう」

ぶつん、と音が切れると映し出されていた総元締めの顔は消えた。

「残っている戦士を全員、飛行船前に集めろ。炉についてと今後の行先について話をする」

その言葉に了解を示した幹部は走り去っていく。程なくして、飛行船の前に集められた戦士達は戦士長よりカマソッソの容態と、カラクムルにある炉について話を受けた。炉を使えば、カマソッソを強化出来ること。そうすればあの星喰いの怪物に勝てるかもしれないこと。戦士長の話を聞き、戦士達の中に戸惑いを見せる者はいなかった。皆、決意の固まった表情を浮かべる。それはつまり、彼らが覚悟を決めていた証でもあった。例え、この身がなくなろうとも、最後の希望をカマソッソに託そうとしていた。

そして話は終わり、戦士達を乗せた飛行船はカラクムルに向けて地を離れる。束の間の休息。談笑をする戦士達がいる中、ミズノはカマソッソの傍に寄り添っていた。船に運んだ際に、目に入る傷は全て治した。唯一癒せなかったのは無くなってしまった片腕だけ。もしかしたらあの時、片腕を回収した戦士長は既に頭の中で炉を使う可能性を考えていたのではないだろうか。彼は戦場において勘が良く働く。ミズノには何故だかそう思えた。

カマソッソは怪物の雷を直に受けた。本来なら他の戦士同様、死を免れなかっただろう。だがそれでも、彼は生きている。それは彼が刻んでいる術式のお陰か、それとも生来彼の体が頑丈だからか。目を瞑っているカマソッソの頬をそっと撫でる。目を瞑る様は普段の気難しい顔が鳴りを潜めているからか、年相応のあどけない表情を浮かべていた。

「……ごめんなさい」

誰に対してなのか。それは目の前の男に対してなのか。ミズノはぽつりと言葉を零す。そんな彼女の後ろから、誰かが近付く気配がした。その気配の持ち主が分かっているのか、彼女はカマソッソから視線を動かさない。

「ここにいたのか」

戦士長はどこか呆れた、けれど納得したような声音でそう声をかける。

「直ぐにカラクムルに着くんだ。お前も今の内に休んでおけ」

「ありがとうございます。でもせめて、今だけはこの人の傍にいたいんです」

「……そうか。まあ止めはしないがよ」

俺は向こうにいるから何かあったら呼べよ、と彼は言葉を告げ、来た道を戻っていった。気遣ってくれた戦士長に心の中でお礼を述べる。

カマソッソの傍にいるミズノを皆、そっと見守っている。彼女と王には何かしら因縁めいた不思議な糸が繋がっていることはあの日、ミズノが初めて王国に現れた時に気付いていた。そして今の彼女を見れば彼女にネックレスを送った相手のことも。だがそれをとやかく言うほど、彼らは野暮ではなかった。

飛行船の中は静かな空気が流れている。ゆったりと、穏やかな、束の間の憩い。ミズノはカマソッソの手を取り、ぎゅっと、想いを込めるように握る。その胸中に渦巻く想いは何なのか。それを知るのはその手を握る彼女だけなのであった。


23/08/13
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