蝙蝠の求愛行動

曖昧未満


額に流れる汗をグッと拭う。途中から数えることを止めた患者の人数を確認するために、ミズノは広場に視線を向けた。視線の先、広場のそこかしこに張られた簡易テントからは、長蛇の列が伸びていた。

研究施設で開発された対毒用の術式付与が全戦士に施された頃。シバルバーの奥底で眠る終わりの星――星喰いの怪物を定期的に戦士が監視しに行くことが決まったのと同時に、全カーン王国民への術式の付与が決まった。元々彼らには刺青を入れる習慣があったためか、今回の取り組みに否定的な姿勢は見受けられなかった。
大人も老人も子供も、全員が並んでいる列を見ながらミズノは次の患者を迎い入れる。刺青を入れる技術はないものの、簡易処置が出来る者はこうして施術後のケアを担当していた。
そうしてテントに入ってきたのは、まだミズノの背丈半分もいかない、小さな男の子だった。

「こんにちは。それじゃあ刺青を入れたところ、見して貰ってもいいかな?」

「うん!いいよ!」

元気良く挨拶をした少年は、ついさっき刺青を入れた腕をミズノの前に出す。彼女はそれに炎症止めの軟膏を塗っていく。刺青を覆うように塗り広げ、その上から慣れたようにくるくると包帯を巻きながら、彼女は少年に声をかけた。

「小さいのに偉いね。痛くなかった?」

「痛いけど、刺青は根性のある証だから平気なんだ!」

「そっかそっか。よし、じゃあ夜までこの包帯は取らないようにね。それと、濡らすのもダメだよ」

「はーい!」

素直に返事をする少年に、ミズノはふっと口元を緩める。そして最後の仕上げに包帯をきゅっと結んだ彼女は、机の上から小さな包み紙を取った。

「それと、これは頑張った君へのご褒美。お家に帰って、ゆっくり味わってね」

「なあに?……わあ!お菓子だ!」

包み紙に入っていたべっこう飴に、少年はきらきらと目を輝かせる。実は小さな子供には、施術後にお菓子を配るように取り決められており、ミズノを初めとした治療班は自分たちの元を訪れた子供にご褒美としてお菓子を渡していたのだ。

「ありがとうお姉ちゃん!」

「どういたしまして」

ばいばーい!と手を振って駆けていく少年を、ミズノは懐かしい面持ちで見つめる。そういえばあの時の彼も、ちょうどあの子くらいではなかっただろうか、と。

「随分と熱心に見つめているな」

後ろからかかった声に、呼ばれるように背後へと顔を向ける。噂をすればなんとやら。そこにはちょうど頭で思い描いていた彼がいた。

「カマソッソ様。見回りですか?」

「ああ。順調に進んでいるのか気になってな」

神官を引き連れた彼は1つ1つのテントを見て回っているのだろう。別のテントからこちらに向かって振られる沢山の手に、慣れたように手を掲げていた。

「何か気になることはあったか?」

「いえ、今のところ順調ですよ」

「そうか、なら良い。だがくれぐれも、根を詰め過ぎるなよ」

カマソッソの厳しい口調に、思わず苦笑いを零す。彼が抱くミズノの体調面に対する信頼度は0といっても過言ではなかった。そして彼はミズノの胸元を見ると、不思議そうな表情を浮かべる。

「……お前、ネックレスはどうした?」

「ネックレスならちゃんとしていますよ。ほらここに」

彼女は服の内側にしまっていた翡翠のネックレスを取り出して、カマソッソにも見えるように持ち上げてみせる。しかし何が気に入らないのか、彼は端正な眉を顰めさせた。

「なぜ隠す。オレのように外に出せば良いだろう」

カマソッソの問いかけに、ミズノは照れ臭そうに頬をポリポリと掻いた。

「あー、その…、折角頂いた物なので、傷とか付けたくなくて。大切にしまっていたいんです」

へらりと眉を下げる彼女を見て、カマソッソは身が熱くなった。そして思わず、自分の目の前にいる女を抱き締めたい衝動に駆られた。もしここに人目がなく、2人っきりだったなら勢いよく抱き締めていただろう。そう思考を巡らせていれば、後ろからウォホン、と神官が咳払いをする。はっ、とカマソッソは我に返り、誤魔化すように口元を手で隠した。神官の配慮がなければ、危うく彼の威厳が損なわれるところだっただろう。

「まあ、それなら良いのだが。無理だけはするなよ」

そう言葉をかけ、彼は無意識に持ち上げた手をさっと背後に隠した。それをミズノは不思議そうな目で見つめる。

「…?カマソッソ様?」

「いや、何でもない」

そう言いながら別のテントに向かっていく彼を、ミズノは少し名残り惜しく感じた。しかし、患者が来たために直ぐに思考を切り替えた。さっとネックレスを胸元にしまい、彼女はいつも通り笑顔を浮かべる。

「――カマソッソ様、少しは自重して下さいませ」

「……分かっている」

神官に咎められ、頬を赤らめてそう苦々しくカマソッソが呟いていることなど、彼女は知らないのだった。



その日の術式付与が終わり、テントの片付けと備品の確認を行っていたミズノはふう……と小さくため息を吐いた。そうして服の上からそっと、胸元に手を当てる。思い出すのは今日の朝、戦士たちと訓練に励んでいた時の事だった。

その日もいつものように素振りをしていれば、「あー!」と叫ぶ同僚の声が演習場に響いた。思わずそちらに目を向ければ、その声の主はミズノの胸元に光る翡翠のネックレスを指し、わなわなと震えている。

「ミズノ……!それって!」

「……?」

「もしかして、前に言ってた友人から貰ったのか!?」

「え?は、はい…そうですが…、あ、もしかしてアクセサリー類を身に着けるのはご法度でしたか?」

「いやいや!そうじゃないんだけど!」

騒ぐ同僚に、周りはなんだなんだと2人に集まる。そして皆、ミズノが首から下げるネックレスを視界に入れると、「おお…!」と謎の歓声をあげた。

「そうか、遂に友人さんはやったのか!」

「いやー、これは目出度いな!チョコレートで一杯やりたい気分だ!」

「話を聞いた時はどうなるかと思ったが、これは嬉しい!」

盛り上がる周りに置いてけぼりにされるミズノは頭に沢山の疑問符を浮かべた。事態を上手く飲み込めていない彼女に、1人の同僚が嬉々として尋ねる。

「な、な!付き合ったんだろ?どっちから告白したんだ?」

男の言葉に、ミズノは思わず、は!?と口先まで出かかった言葉を飲み込んだ。そして恐る恐る、彼に1つのことを聞いた。

「あの、この国では翡翠のアクセサリーを送ることに特別な意味があるんですか?」

「そりゃ、翡翠は金や銀よりも高価だからな。大切な相手によく送られたりすんのよ。それに相手が幸せにいられますようにとか、2人で安定した間柄を築きたいって意味もあるしな」

「大切な、相手……」

口の中で反芻させた言葉は、ミズノの胸にじんわりと温かい火を灯した。アクセサリーに込められたカマソッソの想いに触れるほど、なんだか身が擽ったくなり、堪らず頬が緩む。そんな彼女を見て、これはお相手といい感じなのでは?と周りの同僚たちは微笑ましくなった。
しかし、先程の「付き合っているのか?」という言葉を思い出した彼女は、ふと顔を伏せる。

「その、実は付き合っているのか分からなくて……」

「えっ?そうなの?」

「傍にいるとは言ったのですが、付き合おうとか、そういう具体的なことは言われてないんですよね。なので皆さんが期待しているのとはちょっと違うと思うんです」

なんだか期待させてすみません、と頬をポリポリと掻く彼女を見て周りは衝撃が走った。え!?傍にいるってそれつまり付き合ってるんじゃないの?!という気持ちである。これは彼女の察しが悪いのか、ただ単に相手が言葉足らずなだけなのか。いや、最早その両方なのか。ミズノとその相手を思い、周りはつい不憫な気持ちを抱いた。これは前途多難だなあ…と思わずにはいられなかった。いっその事、さっさと妻として娶った方が確実ではないかと思ったほどである。

「あ、妻と言えば…」

ここで1人の同僚が言葉をこぼす。それに周りは「あー、確かもうすぐだったな」と相槌を打った。自分の知らない話題に、ミズノは目をぱちぱちと瞬く。

「どうかしたんですか?」

「いや、来月、王妃様の命日だったなって思い出してさ」

王妃様という言葉に、カマソッソの奥さんか。と気付く。自分のいなかった空白の期間。王妃様の話を聞くのは初めてだった。

「ミズノちゃんは知らないかもしれないけど、凄い綺麗な人でさ」

「綺麗だけど、芯がお強いお人だったよな…」

「そうそう。彼女のお陰で、病気の治療法も見つかったし」

「本当に、惜しい人を亡くしたよ」

同僚が教えてくれる言葉はちゃんと聞こえている筈なのに、それらはミズノの耳を右から左へと流れていく。奥さん……それはつまり、結婚をしたということで。玉座についたのなら、子孫を残すためにも、繁栄を繋ぐためにも、それは当たり前のことで。頭では分かっているのに、胸がチクチクと、内側から針で刺されるような感覚に喉が苦しくなった。

――その女性にも、同じように言葉を囁いたのだろうか。

そこまで考えて、彼女は、はっとした。自分は一体…、一体何を考えているのか。思わず心の中で嘲笑した。馬鹿馬鹿しい、自分がその器になれる訳がないだろうと。そもそも、自分にはその資格がない。羨むなど甚だおかしな話なのだ。
そこでピタリと思考が止まる。羨む?自分が、羨ましいのか?妻になりたいのか?辿り着いた感情に、頭を抱えそうになる。それこそ、おかしな話である。カマソッソの妻になるには、国民から認められなければならない。自分のような異世界の人間がなれるものではないのだ。それにだ……。そこまで考えて、ミズノはそっと、お腹に手を這わす。王族を繁栄させることも出来ない自分は、土俵にすら立てないのだろう。

「―――ミズノちゃん、どうかした?」

かけられた声に、素早く笑顔を向けた。そして頭に渦巻いていた思考を掻き消した。

「どうしました?」

「いや、急に黙ったからさ」

「あー、王妃様にお会いしたことがなかったので、どんな方だったんだろうと」

「確か神殿内に肖像画があったはずだから、今度案内するよ」

そうして同僚たちが会話し始めるのを、ミズノはどこか遠い気持ちで眺めていた。チクチクと胸を刺す小さな痛み。いらない感情に蓋をするように、彼女はそっと目を背けるのだった。


***



「そういえば神官よ、ミズノと交際を開始した」

いつもの定例報告の際、カマソッソはその日の天気を知らせるような口調で、神官にミズノと付き合い始めたことを口にした。以前からのカマソッソの様子から、遅かれ早かれそうなるだろうと思っていた神官は、漸く想いを告げたのかと内心でため息を吐いた。いつもは大胆に攻める彼が、かの女性には慎重に動いてる様がなんとも神官にとってはヤキモキしたのだ。

「漸くですか…、おめでとうございます」

「何だ、驚かぬのか?」

「貴方様の様子を見ていれば分かります」

「流石、長く仕えているだけあるな」

カマソッソは可笑しそうに喉を鳴らすと、「それでだ」と言葉を区切った。

「父上と母上にどう話すべきかと思ってな」

「おや、もうお話するのですか?」

神官は予想外の速さに目を驚きで見開いた。それをカマソッソは呆れたように一瞥する。

「阿呆、さすがのオレとてタイミングくらい考える」

「ではその時にミズノ様にも?」

「ああ。星喰いの怪物討伐後なら、国も安定していて良かろうよ」

カマソッソの言葉に、なるほど確かにと神官は頷く。星喰いの怪物が討伐されれば、晴れて彼女は吉星となる。階級制度に囚われていなくとも、異世界の彼女には今のままでは些か身分が不安だ。吉星という箔は、彼女の身分を押し上げるのに十分な要素といえよう。上機嫌に微笑むカマソッソに、神官は来るかもしれない未来へと想いを馳せる。

しかし、この時のカマソッソはまさかミズノが付き合っているとは思っておらず、自分の考えがすれ違っていることに悲しいかな、気付いていないのであった。


【補足情報】
23/05/12
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