蝙蝠の求愛行動

枯れはしないのだろう


それはセノーテへの巡礼を終えてから数日後のことだった。
ピアスを埋めたカマソッソは舌が腫れてしまったのと、喋りづらいということもあり、ミズノは暫く彼との夕餉を控えていた。そのため、その日は2人にとって久々の会食であった。
ミズノが歩く廊下の先。カマソッソの部屋に辿り着けば、部屋の前にはいつも夕餉の時に給仕をしてくれるお世話係が立っていた。

「こんばんは」

「こんばんは、ミズノ様。お待ちしておりました」

待っていたという言葉に、はて、何の用かと彼女は首を傾げる。

「カマソッソ様より、先にお部屋の方でお待ち頂くよう言伝を賜っております」

「なるほど…、分かりました。わざわざありがとうございます」

「とんでもございません。それと、部屋内の物をお好きに触っても良いとのことです」

では、失礼致します。と深々と頭を下げ去っていく男の姿を見送る。部屋にカマソッソがいないと聞き、ミズノは顔には出さないものの、ほんの少しだけ残念な気持ちが胸に落ちた。王の仕事が立て込んでいるのだろうか。そう考えながら、部屋の主はいないものの、一応礼儀としてノックをし、彼女は部屋の中へと足を踏み入れた。
ガランとした部屋の中。ただ座っているだけでは退屈だしな、と考えた彼女は、カマソッソの言葉に甘えることにした。部屋に置いてある物を好きに触っても良いということだが、はて、何をしようか。そう思案していれば、カーン王国の楽器が目に留まる。カマソッソに教えて貰ったお陰か、だいぶ弾けるようになってきたそれ。いい暇つぶしになるだろうと思いながら、彼女は楽器へと近寄った。
楽器を手に持ち、ちょうど外が見える場所に座る。弾くのなら、自分の好きな曲がいいだろうと考えた彼女は生前――現代で良く聞いていた曲を頭の中で思い出していた。出来ればそう、星降る夜に聞きたくなるような曲がいい。静かな夜に似合う、そういう曲がいい。そう記憶を巡らせながら、弦に指を沿わす。頭に曲を思い浮かべながら、ミズノは弦を爪弾いた。

「――――」

1人の部屋に、ミズノの澄んだ声が響く。思えば、歌を唄う時は、いつだって昔を懐かしんでいる時だった。
だが、この時ばかりは違った。歌詞に込められた想い。それを彼女はある人物に向けて、言葉を声にのせる。それはまるで、彼女が胸の内に隠した感情を吐露するようだった。


曲が終盤に差し掛かる。歌詞を唄い終え最後のフレーズを弾いていれば、後ろからぎゅっと、優しく首に回る凛々しい褐色肌の腕が目に入った。

「……見事なものだな」

カマソッソがそっと、ミズノを後ろから抱き締める。背中から感じる温かいぬくもりに、ミズノはふわりと笑みをこぼした。

「すみません、楽器お借りしちゃいました」

「好きに使って良いと申しただろう。気にするな」

「お仕事の方はもういいのですか?」

「ああ。待たせたか?」

「ふふ、意外とあっという間でしたよ?」

くすくすと戯れるように言葉を交わす2人。カマソッソがちゅっ、とミズノのつむじに口付ければ、ミズノは擽ったそうに身を捩る。再会してから見られた戸惑いも、意識してから抱いていた緊張も、今では懐かしいもののように思えた。心が暖かな火に照らされるのを感じていれば、カマソッソはひょいっとミズノの手から楽器を奪い去る。そして近くに置けば、彼は真剣な眼差しを彼女に向けた。今までに見ない表情に、自然とミズノも居住まいを正す。そのまま数秒、お互いは見つめ合う。カマソッソはゆっくりと、言葉を紡いだ。

「オレはあの日。オレの前から消えたお前が現れた時、運命だと思った」

それはカマソッソとミズノが再会した日のことなのだろう。カマソッソは自分の奥底に閉まった感情を、少しづつ拾い上げていく。

「そしてもう2度と、失いたくないと思った」

カマソッソの真剣な眼差しが、ミズノを真っ直ぐと射抜く。ミズノはじっと、カマソッソの言葉を聞いていた。彼の熱く、想いの籠った視線を逸らすことなど、彼女には出来なかった。そしてカマソッソは懐を漁り、何かを取り出す。

「これを、受け取ってほしい」

カマソッソはミズノの手を握り、その上にそっと、何かを置いた。

「これ……」

掌には、緑色の光を放つ鉱石が付いたネックレスがあった。

「お前は時々、オレですら理解に苦しむ無茶をするからな。御守りだ、持っていろ」

「いいのですか?」

「ああ。それに、あの時の非礼を、どうか詫びさせてほしい」

「お詫びだなんて……。あれはその、急にいなくなった私のせいでもありますから」

眉を八の字に下げて困った様に笑うミズノに、カマソッソも柔らかな笑みを向ける。そして彼は、自分の後ろに隠していた物をミズノに差し出した。

「それと、どうかこの先も、オレの傍にいて欲しい」

カマソッソの手には青い花が咲き誇る花束があった。それは在りし日の、彼がミズノに渡したかった花束だった。
差し出された花束に、ミズノは目を真ん丸に見開く。

「そんな…ネックレスまで頂いたのに、花束まで貰えません」

「お前の為に用意した花だ。貰ってはくれぬか?」

「私は、カマソッソ様に何も用意していないのに…」

「阿呆め、何を言う。花を渡す代わりに、お前が傍にいる権利をオレは得る。それで十分だ」

傍にいる。それはつまり、もう勝手にいなくなるな、という意味なのだとミズノは考えた。それだけ、あの時急にいなくなったことはカマソッソにとって、大きなショックだったのだろう。正直、自分がいつまでこの世界にいられるかは分からない。もしかしたら明日の可能性だってある。でも、それでも。彼女はこの世界にいる間は、カマソッソの傍にいようと思った。いや、彼の傍にいたいと思ったのだ。だって彼の傍は、まるで陽だまりのように居心地が良いのだから。
ミズノは花束をもつカマソッソの手をぎゅっと優しく握る。そして真正面から、彼の黒曜石のような瞳を見つめた。

「カマソッソ様。私は、いついなくなるか分からない、泡沫のような存在です」

「ああ、知っている」

「でも、それでも。時間が許す限り、私がこの世界にいる限り。貴方の傍にいさせてください」

カマソッソの手を握る手に、ぎゅっと力をこめる。彼から花束を受け取ったミズノは、それを大切に、胸に抱えヘラりと照れたようにはにかんだ。瞬間、カマソッソは勢いよくミズノを抱き締める。

「勿論だ」

うふふ、と蕩けるような笑みを浮かべたカマソッソは、ゆっくりと顔を離す。鼻先が触れそうな距離。見つめ合う2人は口元に笑みをのせる。そして2人は引かれ合うように、軽い口付けを交わした。
2人の首から下がるネックレスが、きらりと夜空の燐光マィヤを反射する。カマソッソは自らの心に空いた穴が塞がるのを、確かに感じたのだった。



「カマソッソ様、1ついいですか?」

夕餉を摂り終えたミズノがカマソッソに声をかければ、彼は「なんだ?」と彼女を見返した。

「貰ったお花、全部青色なのには何か意味とかあるんですか?」

こてん、と首を傾げる彼女に、カマソッソは思わず喉を唸らせた。そして誤魔化すように、首裏をポリポリと掻く。

「……オレの好きな花が偶然、その色だっただけだ」

「あれ、でもお好きな色って、赤と紫と褐色ですよね?」

「紫にも青が含まれているだろう」

「あー…、確かに?」

まあなんでもいいか、と思ったミズノは再度、貰った花に視線を向ける。花束を楽しそうに眺める彼女に、カマソッソは照れくさそうに口元を隠した。

――お前に似た色だからなど、言える訳がないだろう。

そうして再びミズノを見遣る。カマソッソは大切なものを見る様な、愛しさを込めた表情で、彼女をそっと見守るのだった。


***



シバルバーの地下深く。セイバの麓で眠る巨大な存在。

――フシュー……。

まるで息吹をあげるかのように、空気を微かに揺らすソレ。
破滅の音が確実に、ゆっくりとミクトランに忍び寄る。
生きているのか、死んでいるのかも分からないソレが目覚める時は、もうすぐそこ……。


【補足情報】
23/05/08
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