蝙蝠の求愛行動

お揃いの傷跡を抱える


いつもの通りの国外任務。

いつも通りの魔獣駆除。

ただ、1つだけ違うことがあるとしたら……。


「――よし、これで最後か」

ズシャッ、と突き立てた剣を引き抜き、戦士長は辺りを見回す。今日も誰1人欠けることなく終わった任務に、ふうと息を吐いた。残党がいないか確認に回るミズノたちを一瞥し、彼は再び自身の横に倒れている魔獣に視線を移す。

「近頃、魔獣の数が増えてきてますね」

「ああ、動きも活発化してきてやがる」

しかし、戦士長から見て、魔獣たちの動きは凶暴化といっても、それはまるで何かに怯えているかのような動きだった。そして頭に過ぎるのは、シバルバーの奥底に眠る星喰いの怪物。先日、新たに術式として刺青を入れた自らの腕に視線を移す。近い内に、大きな戦いが来るのかもしれない。そう直感めいた何かを感じ取る。出来れば杞憂であって欲しいと願いつつ、彼が再び魔獣を見れば戦士たちの騒ぐ声が耳に入ってきた。何かあったのかと、戦士長はその騒ぎの中心へと足早に駆ける。
着いた先には、残党がいないか確認していたミズノたちの姿があった。誰か怪我をしたのかと近付けば、頻りに大丈夫だ、問題ないという彼女の声が耳に届く。

「おい、何かあったのか?」

戦士長の声に、近くにいた戦士が手短に説明をした。

「それが、ミズノちゃん。イランイランの花粉を大量に吸ったみたいで」

まあ毒はないから大丈夫なんですが。と言葉を濁す戦士に、戦士長は安堵の溜息を吐いた。そしてミズノを見遣ればその戦士の言葉通り、彼女の外見は特に変化など見られず、無傷だと分かる。全く、人騒がせなやつだ、とこめかみを押さえれば、ミズノと視線が合った。

「あー…、はは、すみません」

「お前な、無害だからって気を付けろよ」

「いや、まさか花粉が弾けるなんて思わないじゃないですか」

「たくっ。帰ったら医務室行っとけよ」

匂いが気になるのか、鼻を擦りながらむすっと不貞腐れるミズノに、戦士長は大きな溜息を吐く。何事もなかったことに越したことはない。そして、それ以外の異常もなく、残党もいない報告を受けた戦士長は戦士たちに指示を出し国へと帰還した。



「こんにちはー…」

「おや、これは珍しい。今日はどうなさったんですか?」

医師は久しぶりに見たミズノの顔に驚いた表情を向けた。実に、2人が会うのはミズノがカマソッソと戦闘をした時以来である。医師の前に置いてある椅子に座った彼女は気恥しさからか、頬をポリポリと掻いた。

「実は、任務中にイランイランの花粉を大量に吸ってしまいまして…」

「おや、イランイランですか?」

「今のところ体に異常はないのですが、何かあったらいけないからと言われて来た次第です…」

「成程、そういうことでしたか」

にこやかに笑った医師は、どうやらミズノが戦士たちと上手くやっているようだと知り、心の中でひっそりと安堵の溜息を吐いた。そして彼はテキパキとミズノの体を触診していく。瞼の異常から喉の腫れ具合、心拍数の変化に痛覚などの麻痺があるかを確認していく。そうして一通り調べ終えた医師は、耳に当てていた聴診器を首に下げた。

「イランイラン自体に強い毒性はありませんからな。この様子なら大丈夫でしょう」

医師の言葉にミズノは胸を撫で下ろした。彼女自身に多少毒の耐性があるものの、出来れば味わいたくないのが本音である。

「ですがもし何か異常があったなら必ず、ご無理をなさらずにここに来てください」

「異常ですか?」

「ええ。そうですね、例えば体の火照りや動悸、息切れなどでしょうか」

挙げられる症状にミズノは思わず口元をひくつかせた。頭に浮かんだのは遅発性の毒という単語。実は危ない花だったのかと疑えば、「まあそう心配なさらないでくだされ」と医師は安心させるような笑みを向ける。

「症状は滅多なことがなければ出ないと言われております。なので大丈夫ですよ」

「は、はあ……」

まあこの人がそう言うなら大丈夫かな。そう結論付けた彼女は医師に礼を伝えて、お世話にならないことを祈りながら医務室を後にしたのだった。



その日、ミズノは最早恒例となっていたカマソッソとの夕餉を楽しんでいた。1度彼の前で歌を歌ったからか、カマソッソはよくミズノに彼女の世界の歌をせがんだり、時には彼自身が、彼女に歌を披露することがあった。中でも最近は、カマソッソの部屋にあった琵琶のような楽器を教えて貰うのが、2人の間で流行っていた。
その日もいつものように2人で夕餉の後の演奏会を楽しんでいた時。最初に異変に気付いたのはカマソッソだった。

「……おい。頬が赤いが、大丈夫か?」

「え、本当ですか?」

カマソッソの言葉に、ミズノは自分の頬をぺたぺたと触る。確かに、言われてみれば少し熱っぽいかもしれない。しかし医師が言っていた火照りという程の熱を感じず、まあ大丈夫だろうと思えば横から視線を感じた。彼女が目を向ければ、そこには不満げに口端を下げるカマソッソがいた。

「お前、さては何か隠しているな?」

「いえいえ、カマソッソ様がお気にさなることではありませんので」

「ダメだ、話せ」

有無を言わせぬカマソッソの口調に、ミズノは小さく溜息を吐く。本当に平気なんだけどなあ、と思いつつ彼女はカマソッソに、任務中にイランイランの花粉を大量に吸い込んだことを話した。そう話せばよりカマソッソの眉間に皺が寄る。はあ、と大きく溜息を吐いた彼は右手をゆっくりとミズノの方に持ち上げ――

コツン。

指先で軽くおでこを突いた。軽い衝撃にミズノは「わっ」と言葉をこぼし、押された額を慌てておさえる。押された額に痛みはない。むしろカマソッソの視線の方が痛かった。ジトリ、とこちらを非難するように向けられる視線に、ミズノは苦笑いを浮かべる。

「お前、よもや他にも隠し事があるのではないか?」

「いや、ないですよ。カマソッソ様は心配し過ぎです」

「お前の大丈夫は宛にならんからな」

ふん、と鼻であしらう彼に、ミズノは罰が悪い顔をする。まるで心を見透かされているようだった。そしてカマソッソは首裏を掻いてミズノから視線を外す。

「ならば今日はもう解散とするか」

「……イランイランって、そんなに危険な花なんですか?」

「香水や香油に使われるだけだが、過剰に体内に入れれば毒になる可能性も否定できん」

それにお前が倒れたら戦士長が困るだろう。と言ったカマソッソの顔を、ミズノは見上げる。確かに、戦士長や研究施設の人たちは困るだろう。だが……、

――この人は、困るのだろうか。

頭に浮かんだ1つの疑問。それはただの純粋な疑問だった。まあ、業務が停滞すれば確かに困るか、と考えた彼女はカマソッソの言葉に従うように立ち上がろうとして、

ふらり、と体が傾いた。

ガタン、と机に着いた手が大きな音を出す。その音に気付いたのか、ミズノが傾く姿を視界に捉えてか、カマソッソは焦った声を出しながら彼女の傍に寄った。

「言ったそばからこれか!だからお前の大丈夫は宛にならんのだ!」

苛立たしげに声をかけ、ふらつく彼女の体を支えるように肩と腰に腕を回す。対するミズノは、急激に変化した自分の体調に理解出来ずにいた。そしてドク、ドク、ドクと早くなる鼓動に、ジワジワと火照っていく体。頭の片隅で、ああ、これが医師の言っていた症状か、と他人事のように考えていた。

「おい、しっかりしろ」

切羽詰まる声をミズノにかけるカマソッソは彼女の顔色を確認しようと顔を覗き込み、思わず息を呑んだ。
火照りのせいか赤みをさす頬に、乱れ気味な呼吸、苦しげに寄せられた眉。そしてこちらを見上げる潤んだ瞳。
まるで情事の最中を思わせるかのような、女の顔を浮かべた表情がそこにあった。
ゴクリ。カマソッソは無意識の内に喉を鳴らす。そして頭の中で警鐘が鳴り響くのが分かった。このままでは取り返しのつかないことになる。直ぐに離れなければならない。だというのに、彼はミズノの表情から目が離せない。

「……カマソッソ、様…?」

普段とは違う、どこか舌っ足らずで甘い声を出すミズノ。カマソッソの中の何かが切れそうだった。そして息苦しそうに段々と呼吸が荒くなる彼女に、はっと我に返る。それはだいぶ前に問題になったイランイランの作用だった。
問題になったのはその花が持つ催淫作用。といっても性欲が一時的に高くなるだけで、効果も個人差がかなりある。しかし、ミズノは明らかにその効果が強く出ていた。もしや異世界の人間故なのかもしれないと思い至ったカマソッソは、それよりも彼女を医務室へ運ぶのが先だと、横抱きにして1歩踏み出す。
しかしその足はピタリ、と止まった。そしてもう一度、彼は自らの腕の中にいるミズノへと視線を向ける。上気した頬と悩ましげに寄せられた眉、苦しそうな呼吸。

――この状態のミズノを、外に出すのか?

モヤモヤと霞のように広がる黒い感情。思わず、誰にも見せたくない。と彼は思った。何故だか分からないが、彼は他の男に今の状態の彼女を見せたくないと思ってしまったのだ。扉に向けた足を戻し、彼は部屋に置いてあるソファーへ向かう。そして彼女に振動がいかないよう、ゆっくりと降ろした。

「……直ぐに戻る。暫し辛抱せよ」

そう一声かけて、彼は足早に医師の所へと向かった。



医師の所に向かったカマソッソが薬を貰って戻ってくると、ミズノはソファーの上で体を丸め、ふー、ふー、と呼吸が荒くなっていた。身動きを一切取らない彼女の傍にカマソッソは近寄る。そして一度、深く深呼吸をした。

「ミズノ、オレだ。カマソッソだ」

カマソッソの柔らかな声に、ピクリ、とミズノが反応をする。そしてゆっくり、顔を向けた。瞳に張った涙の膜と、ドロドロに蕩けた顔、僅かに開いた口からもれる熱い吐息。何かに耐えるように、カマソッソはぎゅっと口を引き結ぶ。

「…、カマソッソさま……、か、らだ……あつ、い…」

「……薬を持ってきた。直ぐに良くなる。飲めるか?」

思考が混濁しているのか、それとも考える余裕すらないのか、ミズノは僅かに首を傾げる。自力で飲めないと判断したカマソッソは、ミズノに薬を飲ませるために体を起こそうと触れる。

「……っ!?」

ビクッと大きく跳ねる体。なるべく肌に触れないように衣服の上から触れるも、衣擦れすら刺激になるのか、彼女は時折小さく、まるで何かを堪えるように甘い呻き声を鳴らす。耐えろ、ここで耐えなければミズノが良くならない。そう必死に、彼は自身に言い聞かせた。
ミズノを抱き起こせば、彼女はぐったりと、カマソッソの腕に寄りかかる。腕に伝わる体の柔らかさを意識しないように、彼は渡された薬をミズノの口元へ近付けた。柔い弾力を持つ唇に触れながら、そっと薬を押し込み、水の入ったグラスを近付ける。しかし彼女は飲み込むことが出来ないのか、水は口端から零れ、顎下を伝って緩やかに落ちていく。
カマソッソは心の中で舌を打った。これではミズノの体調が良くならない。尚も苦しげに喘ぐ彼女に、カマソッソの気持ちが焦る。何より、自分自身もそろそろ限界に近かった。ミズノに声をかけようと彼女の顔を見れば、薄らと瞼を持ち上げて此方を見る彼女。どうしたのだろうか、とカマソッソはじっと、彼女の言葉を待つ。

――カマソッソ…。

彼女の口から飛び出てきた、甘く囁かれる自らの名。瞬間、カマソッソの中で何かが切れる音がした。それと同時に胸がぎゅっと締め付けられる。数秒。彼はミズノの顔を見る。そしてゆっくりと、彼女の耳元に己の唇を寄せた。

「……許せ」

鼓膜を撫でる、低く、お腹に響く声にミズノは小さく呻き、体を震わせる。カマソッソは耳から顔を離し、手に持っていたグラスをグイッと煽った。

そして彼は、そのままミズノに口付けをした。

合わさる唇。ミズノが小さく声をもらす。急に口内に入ってきた冷たい水に、彼女の体は大きく跳ねた。そして流し込まれた水を、ゆっくりとコクリ、コクリと飲んでいく。水を移し終え、カマソッソは名残惜しむように唇を離した。はあ、はあと息を整えるミズノ。見れば口内に収まらなかった水が、彼女の顎を伝って胸元を濡らしていた。そのままじっと、2人はお互いを見つめる。部屋にミズノの荒く、乱れた呼吸のみが響いた。

「……欲しいか?」

何を、とは聞かなかった。

「…、もっと……」

小さく、まるで誘うようなミズノの声。その言葉通り、カマソッソは再び口に水を含みミズノへと口付ける。そしてミズノの薄く開いた口から自分の舌を割り込ませた。

「……っん、ふぅっ……っぁ」

彼女の熱く火照った舌に、自らの長い舌を絡ませる。逃げそうになる舌を、執拗く、執念に絡ませた。もう口内に水は残っていない。それでも2人は、口付けを止めることはなかった。くちゅ、ちゅっと微かに響く水音。カマソッソは薄らと、目を開けた。悩ましげに寄せられた眉、気持ち良さに震えるまつ毛。時折小さく聞こえる熱の篭った声。ふるり、とミズノのまつ毛が震え、ゆっくりと持ち上がる。伏せ気味の双眼。昔から、自分を優しく見つめるその瞳。
カマソッソは不思議と、満たされる思いだった。漸く埋まった、心にぽっかりと空いた穴。まるで耐えるように、ぎゅっとカマソッソにしがみつくように服を握るミズノを、愛おしいと彼は思った。そして味わうように、確認するように。唇を重ねた。



何回目かの口付けの後。ミズノの服を握る感触がせず、カマソッソは顔を離した。見れば、すう、すうと寝息をたてる彼女。どうやら薬が効いたようだった。皺の寄っていない額をさらりと撫で、前髪をどかしてやればその顔は幾分かマシになっている。抱えていたミズノをゆっくりとソファーに横たえさせ、しばらく彼女の穏やかな顔をカマソッソは眺めた。
その顔は、目は。愛おしい者を見るような、慈愛に満ちたものだった。


【補足情報】
23/04/23
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