蝙蝠の求愛行動

もう痛みも怖くないね


─くれぐれも、無理をしてはいけませんよ─

完全に回復をしたミズノは、戦士長を待ちながら今朝方、医師から言われた言葉を思い出していた。終始一貫して敵意の欠片も向けて来なかった稀有な存在。珍しい人もいたもんだ、と思わずにはいられなかった。そうして物思いに耽ること数分。廊下の先から聞こえてくる足音へ緩慢に視線を向けた。

そこには昨日ぶりに会った戦士長が相も変わらず、口をへの字に曲げて立っていた。

「……こっちだ、付いて来い」

ぶっきらぼうにそれだけ言えば、さっさと歩き出す戦士長にミズノも黙って付いていく。

2人の間に会話はなく、痛いくらいの沈黙が流れていた。しかし、疑っている者と疑わしき者が一緒にいればこうなる事は必然でもあった。

「──自己紹介がまだでしたよね。ミズノと言います。これからよろしくお願いします」

先に沈黙を破ったのはミズノだった。彼女はにこりと、戦士長の背中に微笑みを向ける。

「……戦士長のヘロディオンだ。王からカーンの戦士達の纏め役を賜ってる」

ミズノが自己紹介をしてから数秒後、戦士長であるヘロディオンはそう自らの名を名乗る。そして彼はギロリ、と後ろを歩くミズノを睨みつけた。

「言っておくが、俺はまだアンタのことを信用した訳じゃねえ。王の命令だからこうして付き合ってるだけだ」

それは正に、敵に向ける目であった。

「少しでも不審な動きをしてみろ。その時はただじゃおかねえからな」

低く、ドスの効いた声で忠告をした戦士長は、話は終わりだとでも言うように再び顔を正面に向ける。それをミズノは微笑を浮かべたまま見つめた。

「ええ、分かっています」

「……ッチ。イケすかねぇ奴だ」

そして再び2人の間に落ちる沈黙。廊下には2人分の足音が虚しく響くだけだった。

戦士長の突き放すような言葉を聞いたミズノは傷付く訳でも悲しむ訳でもなく、ただ淡々と受け止めていた。彼女からしてみれば、戦士長のこの対応が普通であり正解なのであり、カマソッソと医師だけが変わっていると言っても過言ではなかった。それはつまり、2人以外は皆、戦士長のような態度、もしくはそれよりも悪いという事でもある。
ミズノは歩きながら内心溜め息を吐く。それは専ら、これから合流するカーンの戦士たちの事、現在目の前を歩いている戦士長の事だ。

──さて、どう立ち回っていくかね。

唇を舐めた彼女は人知れず、脳内で策を巡らせるのだった。



現在カーンの戦士たちは訓練中ということで演習場に向かった2人。ミズノにとったら久しぶりの外。演習場に足を踏み入れた彼女は、カマソッソとの戦闘ぶりという事もあり少し懐かしく思っていた。
演習場の中心近くへと歩みを進めると、戦士長は声を張り上げて戦士たちを集合させる。上官の命令に従うように集まる戦士たち。当然の様に、ミズノは沢山の戦士たちの前に出る様な形となった。疑惑、敵意、猜疑、懐疑的な視線──多くの視線がミズノに注がれる。それは明らかな非歓迎ムードであった。

「王からの進言があり、コイツは今日からお前たちと過ごすことになった」

一言戦士たちに告げた戦士長は無言でミズノへと視線を向ける。その視線の意図に気付いたミズノは、自己紹介をするために一度、静かに深呼吸をした。

「本日より皆様と一緒に活動することになったミズノです。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」

ミズノがお辞儀をし、頭を上げるも辺りには沈黙が漂う。戦士たちからのリアクションは皆無に等しかった。しかしこれも予想通りだったのか、彼女は笑顔を崩さない。静かな空気の中、にこにこと微笑を湛えるミズノは異様であった。

「何か困ってそうなら手助けしてやれ。以上だ」

戦士長が解散を告げればぞろぞろと訓練に戻る戦士たち。ミズノはここまで案内してくれた戦士長に一度お辞儀をすると、彼らの訓練に混ざるべく歩き出す。
ギスギスとした居心地の悪い空気。助力など見込めない戦士たちの反応。ミズノは笑顔の下で、骨が折れるなあと思わずにはいられなかったのだった。



***




「アンタはこっちだ」

訓練が終わり、国の警備に行く者、城内の警備に赴く者と別れる中、未だ信頼の足らないミズノは監視の意味も込めてか、当然の如く残った戦士たちと共に備品管理や荷物運びに武器の手入れといった雑務をこなす事となった。そしてこれもまた当然の様に、彼女を進んで手助けする者もいなかった。

しかし、それはミズノにとって些事であった。
元々特殊な環境で生きてきた事もあってか、彼女は周りを観察し、把握する事に長けていた。いや、そうなるように特訓をさせられていたのだ。そして相手の懐に入る術もまた身に付けていた。

周りを観察して分からない事があれば上手く聞き出す。そして後はノルマ以上に働き、気遣いをして信頼関係を着々と築く。

それが戦士達と合流してから数日間、ミズノが徹底した事だった。


その甲斐もあってか、はたまた不審な動きを見せず一生懸命に働く姿からか。
彼女の目論見通り、当初は投げやりだったり暴言交じり、果てには無視していた戦士たちの態度は一部であるものの少しずつ軟化していった。最初はミズノに疑わしい目を向けていたものの少しずつ絆されていく戦士たち。それはミズノが忍、加えて元暗部だったからこそ短期間で出来た事だった。暗部にいた事がここで活きるとは本人も思わなかっただろう。
しかし、そんな中でも戦士長は相変わらずだった。何故なら、彼はミズノの監視も兼ねていたからだ。監視と言っても、王から賜ったのではなく自発的に行っているものではあるが。
だがそれも、ミズノにとったら予想の範囲内。寧ろ以前、カマソッソが言っていた『管理下』の役割を彼ないしは誰かが担っているのは分かっていた。逆に戦士の取り纏め役である彼が早々にミズノを受け入れる事の方が有り得ない。そう、それこそ、何か起こらない限り──。



***




それから数日後、徐々にミズノへの疑惑が薄れてきた頃。
ミズノは他の戦士たちと王国外に潜む害獣の退治に駆り出される事になった。それはミズノが戦士たちと行動を共にしてきてから築いた印象と、彼女自身の戦闘力の高さからだった。一緒に戦闘をさせても問題ない。戦士長はそう判断したのだ。

「今日は密林付近に生息するキメラや肉食イグアナの討伐を行う。くれぐれも注意を怠らぬよう──」

戦士たちと演習場で任務の説明を受けているミズノは、他の戦士たち同様に支給された武器の手触りを確認していた。生憎、彼女の愛刀は演習場に現れた際に没収されている。慣れない武器に少しでも手を馴染ませようとする彼女は戦士長の言葉を聞きつつ、頭の中でこの後の戦闘のシュミレーションを行っていた。
恐らく、戦士達との連携は望めないだろう。何より向こうがこちらに合わせるとは思っていなかった。ならば、こちらから合わせにいけばいい。そして彼女は目の辺りにチャクラを集中させると、視界はよりクリアに、より遠くまで見えるように変わった。量に制限がかかっているものの、彼女のチャクラコントロールに問題はないようだった。

そして戦士長の説明が終わり、一行は王国外の密林に向かう。当然の事ながら外は王国内とは異なり光のない状態。夜目が利くカーンの戦士たちは当初、ミズノが足を引っ張るだろうと予想していた。そのせいもあってか、一団の雰囲気はあまり良くはなく、ミズノは遠巻きに見られていた。

しかし、その予想は大いに外れる。

次々と現れる害獣をカーンの戦士たちと遜色なく、時には戦士たちの動きに合わせて武器を振るい倒していくミズノ。足を引っ張る所か彼女はカマソッソとの戦闘で見せた動きを遺憾無く発揮していた。だが戦士たち、そして戦士長を驚かせたのはそれだけではない。討伐のし易さがいつもと格段に違うのだ。いつもなら少なからず何人かは怪我をする者がいるのに今回はゼロ。寧ろ任務は滞りなく、通常よりも楽に終わりを告げた。
戦士長はミズノの戦闘力に思わず目を見張る。王との戦いでその強さは知っていたものの、味方になるとこれ程に強いのかと。そして彼女が完全にこちらの味方になれば、カーン王国も安泰なのではないかと。最後のキメラを倒したのか、ミズノが武器に付着した血を払うのを見つつ、戦士長はそう思わずにはいられなかった。

「戦士長、どうやら今ので最後のようです」

「分かった。各自準備が出来次第、帰還──」

「──ッ!!」

ミズノが何かを察知したのと同時に、言葉を不自然に切った戦士長が声を張り上げた。

「総員構えろッ!」

密林に戦士長の緊迫した声が響く。咄嗟に武器を構える戦士たち。辺りにピリついた空気が漂う。
何かがいる。まだ何かが潜んでいる。
長年の経験でいち早く察知した戦士長は周囲の気配を探った。
どこだ、どこにいるのか。
静かな空間に緊張が走る中、

──ガサガサッ!!

突然動いた茂みに全員の意識が向く。全員が固唾を呑んで茂みを睨みつける。そして全員の緊張がピークに達した時…、

「ガアアアアッ!!」

茂みとは逆の方向から咆哮を上げて飛び出してくるキメラ。敵の罠に嵌り、戦士長はしまった!と焦りを見せる。キメラの視線の先には1人の戦士。戦士長は狙われた戦士を助けようと急いで動くもその距離は開いている。加えて近くにいる戦士たちも咄嗟のことで反応に遅れてしまい助けに間に合わない。
狙われた戦士には自らに向かってくる鋭利な爪がスローモーションで見えていた。このままいけば自分は死ぬだろう。最後の足掻き。カーンの戦士としての意地で少しでも怪我を軽減させようと頭と胸を守るように武器を前に出す。目前に迫る爪。殺られる!!


──ピタッ……。


爪が触れそうになる直前。獣の爪は戦士の皮膚を裂くことはなく、動きを止めていた。何が起きたのか?
獣に視線を移した彼の視界に映るのは、獣の頭に深々と突き刺さる1本の剣。男が一体どこから飛んできたのかと周りを見回す。

「ッ危なかったですね…、怪我はありませんか?」

後ろからかかる声に振り返ればそこにはミズノの姿が。急いで駆けつけたからか、彼女の息は少しだけ乱れていた。

「あ、ああ…、大丈夫だ」

「それなら良かったです」

予想外の人物から声をかけられたことに困惑するカーンの戦士と、無事だと知り安堵の表情を浮かべるミズノ。男も、周りにいる戦士たちも何が起きたのか分からずにいた。ミズノが倒れた獣に近付き、頭部に刺さっていた剣を抜き取る。この時、その場にいる全員はキメラの頭部に剣を突き立てたのがミズノだと漸く理解した。
ミズノに助けられた男は彼女のことをよく思っておらず遠巻きに見ていた内の1人だった。今まで無碍に扱ってた人物が身を守ってくれた事に驚きが隠せず、男は思わず無言になる。

「おい、大丈夫か!?」

「──ッ!は、はい!問題ありません」

「さっきの例もある。討伐漏れがあるかどうかもう一度見回りを行う!全員最後まで気を抜くなよ!」

戦士長の言葉に戦士たちは今一度、来た時と同様に気合いの入った面持ちで見回りを再開させる。ただ一点、違うことがあるとすれば、ミズノが遠巻きにされていないことだった。

結局、あの時襲ってきたのが最後の1匹だったのか。一団は見回りを終え、全員無事に帰還したのだった。



***




演習場に帰ってきた戦士たちは点呼を終え、戦士長から解散の指示を受ける。ミズノが支給された武器を戻しに歩き出そうとすれば彼女に近付く人影。ミズノは踏み出そうとした足を止め、その人影に体を向けた。

「何か御用でしょうか?」

視線を向ければ、そこにいたのは先程彼女が助けた戦士だった。問われた男の視線は下を向いており、その表情もどこか硬い。確か彼は自分をよく思っていないグループの1人だったな、と思い当たったミズノは彼が一体、何の用で来たのか皆目検討がつかなかった。何を言われるのだろうかと男を見つめること数秒。男は漸く、その重い口を開いた。

「……さっきは助かった…、ありがとう」

吃りながら礼を伝える男。ミズノは思っていなかった言葉に、きょとんと意外そうな表情を浮かべた。無理もない、何故なら彼はミズノを疎ましく思っていたのだから。

「命を救ってくれた奴に何も言わないほど、カーンの戦士は落ちぶれていない」

男は罰が悪そうな顔をする。そして気付けば、ミズノと男を見守るようにカーンの戦士たちが2人を見ていた。予想外の状況に目をぱちぱちと瞬かせるミズノ。やっと、通じた心に、彼女の頬はゆるゆると緩んだ。

「どういたしまして!」

ニシシ、と屈託のない笑顔を向けるミズノ。それは彼女が戦士たちに初めて見せた表情だった。そんな2人を見守る輪から戦士長が出てくる。彼の顔もまた、男と同じように申し訳のない表情だった。

「さっきは、部下の命を救ってくれて助かった」

そこで言葉を区切った戦士長は、勢いよく頭を下げる。

「それと、今までアンタに対する非礼を詫びさせてくれ。済まなかった」

「俺も済まなかった」

戦士長に続き、男の方も頭を深く下げる。いきなり目の前の人物が頭を下げたことにミズノはギョッとした。流石にそこまでは予想出来なかったのだ。

「顔を上げてください!それに、あなた方が私を疑うのは当然の判断です、寧ろそれは正しい」

疑わしき者を罰することは、時として必要な考えだと彼女は知っていた。

「きっと、あなた方のその意識のお陰でカーン王国が平和なのだと思います」

ミズノからして見れば、自国を守るために敵と思わしき者に対する対応としてカーンの戦士たちは間違っていなかった。そして、彼らの行動は自国を愛するが故の行動と分かっていた。だから多少寂しくとも、特に思わなかった。
しかしこのままでは一向に頭を上げないだろう2人に、ミズノはある事を思いついた。

「でもそうですね。これからは本当の意味で、一緒に働けると嬉しいです」

少し照れながら言うミズノ。それは、いつかそうなればいいと思っていた事だった。

「こちらこそ、よろしく頼むよ」

漸く、頭を上げた戦士長は柔らかな笑みを向けミズノに手を差し出す。2人が握手を交わせば、周りにいた戦士たちから拍手が疎らに聞こえ始め、そしてそれはいつの間にか大きな音となった。
こうして、ミズノは遅くはなったものの、戦士長から宜しくという言葉を受け取ったのだった。



***




時は丁度、ミズノと戦士長が握手を交わして少し経った頃。玉座の間では、神官がカマソッソに定期連絡をしていた。

「そういえばカマソッソ様。ミズノ様を監視していた者から報告がありました」

「何だ?申してみよ」

「どうやら戦士長並びに戦士たちと和解したそうです。未だに一部、変わらずの者たちもいるようですが」

神官からの報告を聞いたカマソッソは、馬鹿馬鹿しいと鼻を鳴らす。

「むしろいきなり全員と和解する方がおかしな話しだ」

そう冷静に返すカマソッソはニヤリ、と口の端に笑みを乗せる。

「やはりお前はそうでなくてはな」

カマソッソの満足そうな笑顔に、神官は思わず目を丸くする。神官がカマソッソのそのような表情を目にしたのはほぼ初めてに等しかったからだ。

「貴方様がそのように喜ぶとは、珍しいこともあるのですね」

神官がびっくりしたような表情を浮かべると、カマソッソは神官に不満げな顔を向ける。

「オレとて好物が出た時に喜びさえする情緒くらい持っている」

「では今日の夕餉では注意深く見るとしましょう」

カマソッソが呆れた顔で神官を見れば、彼は柔らかい笑みを浮かべてカマソッソを揶揄う始末。それをカマソッソは鼻で笑い飛ばした。そして2人は中断していた話し合いを再開させる。
ミズノが現れてから増えたカマソッソの表情と、時折見られる機嫌の良さ。王に就いてから初めて見るカマソッソの変化を、神官は優しい笑みを浮かべて見ていたのであった。


23/04/05
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