蝙蝠の求愛行動

あのきらめきに縋って


神殿の廊下に響く複数人の足音。カマソッソは神官と戦士長を連れてミズノの元に向かっていた。3人が医務室に着くと、戦士長が代表するように壁を軽く叩く。

「カマソッソ様のご訪問です。入室しても宜しいか?」

「ええ、どうぞ」

中から医師の声が聞こえると、戦士長は目隠しを持ち上げカマソッソと神官を中に招き入れた。カマソッソが医務室に足を踏み入れれば、医師とベッドから起き上がっているミズノの姿が目に入る。そしてカマソッソが部屋に入るのと同時に、ミズノの傍で腰掛けていた医師はそっと腰を上げ、カマソッソたちから離れた所に立った。
カマソッソが空いた席に座れば、部屋に張り詰めた空気が漂う。
時間にして数秒の無言。先に動いたのはミズノだった。彼女は、目上の存在であるカマソッソがいる手前、さすがにベッドの上にいては不敬に当たるのではないかと考えた。そのため立ち上がろうと腰を浮かせば、カマソッソが口を開く。

「そのままで良い。病み上がりなのだ、無理はするな」

どこか心配するような表情を浮かべるカマソッソを、昨日のこともあってかミズノは何とも言えない気持ちで見遣る。だが相手の心遣いを無碍にするわけにもいかず、上げかけた腰を元の場所に戻した。
カマソッソは改めてミズノの顔を見る。彼が最後に彼女を見たのは、まだ意識が戻っていなかった時。その時よりも、幾分か血色の良くなった顔色に、カマソッソは人知れず安堵した。

「本日は御足労頂き、感謝致します」

深々と頭を下げるミズノ。それを見つめるカマソッソは僅かに口角を下げた。過去の親しいやり取りなど皆無な、彼女のまるで他人行儀な堅苦しい態度に不満を抱いたからだ。しかし、まだ出会って数日。更に言えば再会した当初に酷な接し方をしたのは自分だった。以前のように話すにはまだ時間を要すると思い至ったカマソッソは渋々、己を納得させた。

「体の方は?」

「お陰様で回復致しました」

カマソッソの問に、ニッコリと綺麗な笑顔を向けて答えるミズノ。そしてその表情を崩さぬまま、彼女は再び言葉を発した。

「それで、本日はどういったご要件でしょうか?」

「無論、お前の処遇についてだ」

ピクリ、とミズノの無機質な表情が僅かに動いた。処遇──それは賭けをする際に取り決めた規約の事だろうと合点がいく。ミズノが負ければ牢屋に行き、もし勝てば、彼女を幼少期に出会ったミズノと同一であると認めるという内容。
しかし今回、ミズノは勝負の途中で意識を手放してしまった。つまり、負けたのだ。そしてカマソッソの言葉を聞いたミズノは、当然の様に自分は牢屋に行くのだろうと考えた。そんな面持ちで、彼女はカマソッソの次の言葉を待つ。

「貴様には今後、このカーン王国に仕えることを言い渡す」

瞬間、ミズノの思考が停止した。

「まずはだが──」

「ちょ、ちょっとお待ちください!」

構わず話を続けるカマソッソに、焦ったようにミズノが待ったをかけた。

「王の言葉を遮るとは不敬でありますよ」

神官からの鋭い叱責に、ミズノは思わず口を噤む。押し黙るミズノを、カマソッソはどこか手のかかる子供を見るような目で見遣った。

「良い。このオレへの発言を許可する。それで、何だ?」

カマソッソにそう問われたミズノは、一度、気持ちを落ち着かせるために静かに息を吐いた。そして、言葉を選びながら口にしていく。

「お言葉ですが、今回の勝負で私は戦闘不能になりました。規約では、私が敗北した場合は牢屋に行く約束だった筈では?」

それは最もな意見だった。そして、カマソッソにとってミズノがそう聞いて来るだろうことは予想の範囲内だった。カマソッソは予め用意していた言葉を、ミズノに言い聞かせるように紡ぐ。

「それについてだが、まず貴様が使っていた武器が劣化していた事が分かった。そして戦闘不能になったのは眠り薬のせいだ。つまり、今回の勝負は無効。貴様が牢屋に行くことは無くなった」

カマソッソから話を聞いたミズノは、それでも食い下がろうと口を開くも、そんな彼女に被せるようにカマソッソは言葉を発した。

「それと先程も言ったが、貴様にはこの国に従事して貰う。これには戦士長含めた他の臣下たちも納得し、了承済みだ。即ち、貴様1人の意見で覆す事など不可能だと知れ」

ふん、と鼻を鳴らし言い切るカマソッソをミズノは呆気に取られた顔で見詰める。目の前の女の惚けた表情を見たカマソッソは、漸く無機質な仮面を剥がせたことに満足していた。

実は昨日、玉座の間に戦士長を呼んだカマソッソは、そこで今回の勝負の顛末について話し合ったのだ。ミズノが戦闘不能になった原因は武器の劣化と眠り薬。つまり、彼女に落ち度はないと。そして、吉星であるか凶星であるかを見極めるためにも国に従事させるのはどうかと。運のいい事に、彼女の強さは臣下たちも目の当たりにしていた。渋々ではあるものの、その場に居合わせた者たちはカマソッソの案を飲み込んだのだ。

「話を続けるぞ。貴様をこの国に仕えさせるのはその類稀なる身体能力を利用するためと管理下に置くためだ。その事を努努ゆめゆめ忘れるな」

その発言に、要は体良く監視するためかとミズノは思案した。恐らく、今後何かしらの監視が付くか行動が制限されるのだろうと。

「オレからは以上だ。何か言いたいことはあるか」

ジッと、カマソッソはミズノの目を見る。恐らく、この先カマソッソとこうして会話をする機会はそうそう無いだろうとミズノは思った。つまり、何か聞くのなら今しかないという事。ミズノは一度口を開きかけては閉じて。そして意を決したようにカマソッソに問い掛けた。

「規約が無効になったという事は、私が本人であるとは認めないという事ですか?」

ミズノの真剣な顔とは裏腹に、カマソッソはキョトンと、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。そんな彼の表情を見たミズノは、こんな表情も出来るのかと思わず目を瞬いた。
そう思っていたのも束の間、カマソッソが大きな溜息を吐く。予想外の反応にミズノがビクリと肩を跳ねさせれば、カマソッソはそれを視界に捉えつつも無視して口を開いた。

「貴様、あの戦いを得てもこのオレが理解出来ぬ男だと思っているのか。流石にオレの慧眼もそこまで曇ってはいないぞ」

呆れた顔でカマソッソがミズノを見れば、彼女は気まずそうに目を逸らした。

「……だって、あんなに怒ってたので」

そして半ば言い訳のように小声で喋るミズノに、カマソッソは再び溜め息を吐いた。そして、存外柔らかな表情を彼女に向けた。

「否が応でも認めざるを得ないだろう」

それは、ミズノがここに来てから初めて目にした表情だった。初めて見たカマソッソのそんな表情に、まるで懐かしい物を見る優しい目に、ミズノの鼓動が大きく高鳴った。
しかしそれも一瞬のこと。カマソッソは直ぐにまた元の硬く、近寄り難い表情に戻る。

「貴様にはカーンの戦士たちと共に戦う事を命じる。詳しい話はそこにいる戦士長から聞け。話は以上だ」

「寛大なお心遣い、感謝致します」

深々と頭を下げ、相も変わらず堅苦しいミズノをカマソッソは鼻を鳴らして見遣った。胸に蔓延る寂しさを、カマソッソは見て見ぬふりをしてやり過ごす。

「精々励むが良い」

そう言葉を残したカマソッソが席を立ち医務室を退出する。それに続くように、一礼した神官もまた、部屋を後にした。
医務室に残ったのはミズノと戦士長と医師の3人。
詳しい話を聞こうとミズノが戦士長の顔を見れば、彼は当然と言うべきか、どこか納得がいっていないような不満そうな顔を浮かべていた。戦士長がへの字に曲げていた口を開く。

「アンタには明日から合流して貰う。明日の朝また来るからな」

そうぶっきらぼうに言った彼は、部屋を出ようと背を向け歩き始める。ミズノが慌てたように、遠ざかる背に「よろしくお願いします」と頭を下げるも戦士長は特に反応を示さず、そのまま出て行った。
ミズノはその姿を、まあ当たり前の反応だよなと思いながら見送る。

「では、私も退出させて頂きます。何処か怪我をしたらまた来てくださいませ」

戦士長とは対照的に、柔和な笑みを浮かべて去る医師を、ミズノは何とも言えない気持ちで見る。それは一重に、自身が周りから見れば侵入者同然であり、寧ろ好意的な方が可笑しいという思いからだった。
自分以外誰もいない部屋。やっと人心地ついたミズノは静かに息を吐き、窓へと視線を移す。視線の先には満点の星空。その星空にどこか懐かさを覚える自分の可笑しさに、ミズノは自嘲するように笑みを浮かべた。


23/03/24
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