蝙蝠の求愛行動

美しき日は心の奥底に


街の喧騒が鳴りを潜め、草木も眠る夜更け。ベッドの上で眠る女の傍に、1人の男がいた。
男はただじっと、女の横顔を見つめる。そして男は投げ出された女の手を握ろうと手を伸ばし───触れる直前で、ピタリと動きを止めた。

結局、男の手は何も掴むことはせず、力無く元の位置に戻る。
そして男は、無言で女を見つめた。

まるで包むかのように窓から降り注ぐミクトランの星明かりが、2人を優しく照らす。男のその目に、顔に映る情が何なのか。それを知るのは、夜空に輝く燐光マィヤだけであった。



*****



侵入者──基ミズノとカマソッソの戦いが終わった次の日。カマソッソは途中で中断してしまっていた話し合いをしていた。
それは第9層、シバルバーについてだった。以前より──カマソッソが王になるよりもずっと前から、カラクムルの壁画に書かれていた『終わりの星』がチコナワロヤンの最下層に眠っている事は分かっていた。そのため年に一度、カーン王国は先遣隊を派遣し、その異物の観察とシバルバーの調査を行ってきた。しかし、先日の報告で今まで異常が見られなかった『終わりの星』に変化が見られ始めたのだ。

「つまり、過去の神官とお前が占星術で見た凶星はコレのことだったという訳か」

カマソッソはチラリと自らの隣に立つ神官を一瞥する。それに対し神官が軽く会釈を返すのを見届けたカマソッソは、「後ほど褒美を寄越す」と言葉にすると再び洋紙へと視線を移した。

「有り難き幸せです。それとこちら、毒に対する対策の具体案とカラクムルにあった炉の解析結果となります」

さらに洋紙を受け取ったカマソッソは書面に目を走らせる。そこには炉の解析結果から考えられる活用方法として、従来より伝わってきたカーン王国の身体強化を遥かに凌ぐ肉体改造が可能な旨が挙げられていた。そして毒への対策としては、防護用の術式を刺青として新たに刻む案が書かれていた。

「毒を防ぐ術式が完成次第、予備実験を行った後にカーンの戦士から優先的に入れさせろ。民たちにはその後だ」

「はっ!承知致しました!」

正面で膝を着く開発部門の総締めにカマソッソはそう指示を出した。話が終わったためか、開発部門の人間が退出するのを見届けたカマソッソは思い出したように言葉を発する。

「そういえば、先の占星術。確か凶星の他に、吉星も見えていたな」

カーン王国では凶星を示す金星と、吉星を示す火星。実はその2つが同時に観測されていたのだ。すなわち、カーン王国に降りかかる災いが起きたとしても、それを振り払う抑止力もまた顕現すると。それが、観測された当時に出された結論であった。
そしてカマソッソは1つの仮説を立てた。恐らく、『終わりの星』の異変と同時期に再び現れたミズノは災いに対する抑止力なのではないか、と。そしてまた、吉星がミズノを表していると証明出来れば、彼女のカーン王国内での立場は確実な物になるはずだ、と。

「で、あるならば。『終わりの星』の異変と共に来たあの女が吉星である可能性も考えられるな」

ニヤリと笑みを浮かべ、眼下に控える臣下たちをカマソッソは一瞥する。さて、彼らは斯様な反応を示すのか。数秒の後、1人の男が口を開いた。

「……王よ、発言の許可を」

「良い、許す。申してみよ」

「はっ。無礼を承知で発言させていただきますが、吉星があの女と断定するのは早計でございます」

やはりと言うべきか。臣下はカマソッソの仮説に異を唱えた。面白い、とカマソッソは目を細め、男の言葉を促す。

「ほう?何故だ?」

「あの女もまた凶星であるかもしれません。そして吉星が別の存在である可能性も捨てきれません」

男が言った言葉もまた有り得る可能性であり、他の臣下たちが僅かにザワつく。

「静粛にしてください」

神官の声により、ざわついていた臣下たちが静かになれば、それを見計らったようにカマソッソが口を開いた。

「ふむ、確かにお前の言うようにその可能性も考え得るか…」

一度言葉を区切り、思考を巡らすように僅かに目を伏せたカマソッソは更に言葉を続ける。

「ならばあの女がカーン王国に害を為す存在ではないと判断出来た暁には、奴を吉星と認めるとしよう」

異論はないな?と、ニヤリと口角を上げるカマソッソに、男は渋々ながらも了承を示した。男には少なからず、あの侵入者である女に対する周りの印象が良くなるなど思ってもいなかったからだ。
見事、臣下たちから言質を取ったカマソッソは自身の思惑通りに事が運んでいる様に内心胸を撫で下ろし、次なる一手を考える。切っ掛けを作ることは可能だが、実際にどう転ぶかはミズノ次第。彼女がどのような働きを見せるのか。それがカマソッソには少し楽しみであった。

話し合いが一段落ついた頃、玉座の間に神殿仕えの医師が入ってきた。見慣れた人物に、神官は何用か尋ねる。

「カマソッソ様、異邦のお方がお目覚めになりました」

その医師はカマソッソがミズノの治療を任せた人物だった。ミズノに関わる報告だったためか、カマソッソの眉がピクリと動く。

「……女の意識はしっかりしているのか?」

「はい、後遺症も特に見受けられず無事でございます」

満面の笑みで医師が大丈夫だと言えば、カマソッソは表情を変えず、内心、安堵のため息を吐く。

「そうか。医師よ、女に明日赴くことを伝えておけ」

「承知致しました」

恭しく一礼をして医師は玉座の間を去った。
本音を言うならば、カマソッソは直ぐにでもミズノに会いに行きたかった。しかし、目覚めたばかりの彼女へ押し掛けては体に障ること。また、王である自分が気にかけ過ぎてしまえば要らぬ軋轢や誤解を周囲に与えかねないこと。何より、まだ彼女の立場は危うい。そのような状態での頻繁な接触は余計にミズノの立場を悪くするだろうと考慮しての事だった。

そしてカマソッソは控えていた戦士に、戦士長を呼ぶように言伝る。それは彼が、ミズノのために次なる一手を打つためであった。



***



意識が水底に沈むように、ゆっくりと、ゆっくりと体が落ちていく。
コポリ、コポリと小さな空気が上へ、上へと昇っていく。
空気の後を辿るように、そのまま水面へと視線を動かせば、見覚えがないのにどこか懐かしい映像が映し出されていた。夢の中なら何でもありらしい。
僅かな明かりしかない真っ暗闇の中、沢山の人々が1人の男を讃え、祝福する姿。その男は大きな冠と、綺麗な装飾品を身に纏っていた。
それを何故だか私は、とても、とても誇らしい顔で見る。そんな目出度い日だというのに、主役の男はどこか寂しそうな表情を浮かべていた。見間違いなのかもしれない。だからもっと近くで見ようとして───、

ブツリッ。

まるでテレビの電源を落とすように。
映像は、消えた。



***



水面に上がるように、女──ミズノの意識が浮上する。鉛のように重く感じる瞼をゆっくりと開ければ見慣れない天井が目に入った。そして独特の懐かしい匂い。ああ、どこで嗅いだのだろうか。ミズノは記憶の糸を辿るように思い返し、そして想い出す。そうだ、これは消毒液の、医務室独特の匂いであったと。
目を覚ましてからやけに重い頭を不快に思いつつ、ミズノは己の指先を順番に動かした。そして自分が五体満足で拘束されていないことに、そっと胸を撫で下ろす。てっきり拘束でもされて牢屋に放り込まれていると思っていたからだ。
すると、部屋の外から響いてくる足音が耳に入る。咄嗟にミズノは身構えた。目覚めたばかりの、しかも本調子ではない今の状態ではまともに戦うことすら敵わないからだ。どんどんと近付いてくる足音。布団の中で、いつでも応戦出来るように指を構えた。
そうしていれば、現れたのは綺麗な黒髪を持った1人の女性。女性はミズノが目を覚ましたことに気付いたのか、話しかけた。

「お目覚めになられたようですね、お体の具合は如何ですか?」

友好的に話す女性に敵意がないことを確認したミズノは、返事をしようと声を出す。しかし、代わりに出たのは乾いた咳だった。咳き込むミズノに女性は「これで喉を潤してください」と木製のコップを手渡す。中に入っているのは透明な液体。ミズノは最早習慣のように、無意識に、相手に勘づかれないように液体の匂いを嗅いだ。そして、コップの縁に口を少し付ける。匂いもなし、痺れもないことを確認した彼女は漸く手渡された水を飲んだ。
喉を潤したミズノは礼を述べ、少しダルいが他は問題ないと女性に告げた。

「それは良かったです。今から先生を呼んできますので、少しばかりお待ちください」

女性はにこやかな笑みでそう伝えると、ミズノからコップを受け取り、退出していった。それをぼんやりと見送った彼女は、時間潰しとして部屋を見回す。
棚に入っている沢山の瓶に薬、厚さが様々な本。そして現代と遜色がない医療器具。この国の医療水準の高さを認識していれば、2人分の足音が聞こえてくる。暫くすれば初老の男性と先程の女性が部屋に入ってきた。男性は備え付けの椅子に座ると、おっとりとした口調で喋り始める。

「気分は如何ですかな?」

「少し違和感はありますが大丈夫です」

先程、女性に伝えたことと同じことを伝えたミズノは、彼が自分を治療してくれた医者なのだろうと見当をつけた。そして、「診てくださり、ありがとうございます」と礼を伝えれば、男性はニコニコと人当たりのいい笑みを浮かべる。

「礼には及びません。それに王からの直々の頼みでしたからな」

フォッフォッフォと朗らかに笑う男性の言葉を聞いたミズノは思わず、目をぱちくりと瞬いた。王…、カマソッソが直々に頼んだ?何故?と。
そして男性は、思い出したように言葉をこぼした。

「王といえば、言伝を頂きましてな。なんでも明日、見舞いに来るらしいですぞ」

「明日……ですか」

「ええ、体調を整えるようにとも言っておりました」

男性はニコニコとなおも笑顔を浮かべ言ってくるものだから、ミズノは段々と気まずく、居心地の悪さを感じていた。そう、何故か男性が自分を見る目が生温かったからだ。

「この後、食事を運ばせましょう。食べねば治るものも治らぬというものです」

男性が投げかけた言葉に、ミズノは内心、驚愕をしていた。先程から何故、警戒をされていないのかと。自分は云わば不法侵入者で、加えて国で一番偉い人物に危害を加えた人間だ。何か裏があるのかと勘ぐっても、彼やその後ろに控える女性からはそういった不穏な物は一切感じない。だからか、自分に何故そこまでするのか分からなかった。

「あ…、ありがとう、ございます……」

ぎこちなく伝えた謝辞を、男は優しい笑顔で受け止める。

「では、我々はこれで失礼致します。何かあればそちらの伝声管を使ってください」

そう言葉を残して、医者と女性は部屋から出て行った。2人の足音が完全に聞こえなくなったのを確認したミズノは、ぼふりとベッドに倒れ込む。そして視界を遮るように目を瞑った。
思い出すのは玉座の間での出来事と、カマソッソとの勝負。正直なところ、今回の戦闘への誘いはミズノにとって、一か八かの賭けだった。何故なら、カマソッソが勝負に乗るとは思っていなかったからだ。しかし、自分と目の前の元少年との想い出など、大半が訓練しかない。ならば戦って思い出して貰うしかミズノには思い付かなかったのだ。
それに、勝算がない訳ではなかった。だからといって、慢心や油断もしていなかった。

ただ純粋に、楽しかったのだ。

だから武器にまで気が回らなかった。云わば自業自得なのに。
そこまで考えて、ふと、ミズノは自分が意識を手放す間際に見たカマソッソの焦った顔と、医者から言われた先程の言葉が脳裏を過ぎった。
嫌われていると思っていた。そうでなくても、突然いなくなったのだから、よく思われていないとも思っていた。何より、もう自分の事など忘れてしまっているとミズノは思っていた。なのに、何故かそれが、心に穴が空いたかのように、ミズノにはとても寂しく思えて。だからか、カマソッソが覚えていてくれた事が、少しだけミズノには嬉しかった。

───自惚れてもいいのだろうか。

いや、そんな訳ないか……。何かを抑えるように、ミズノは瞼に腕を押し当てた。


23/03/23
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