蝙蝠の求愛行動

脆くて柔くて危うくて


もう会うことはないと思っていた。

もう忘れていると思っていた。


でも、君の表情が、声が、態度が――。
何より、胸元に掛けられているソレ・・がそうじゃないと言っている様で、思わず目を逸らした。

だからこれは、君と向き合わなかった私への罰であり、罪なのだろう。


***



侵入者と思わしき女を凝視するカマソッソと、そんなカマソッソの視線から逃れるように目線を背ける女。
周りに控えていた臣下はその異様な雰囲気に口を開けずにいた。何より、カマソッソから放たれている怒気を含んだオーラがそれを許さなかった。

「これは何の冗談だ」

カマソッソが発した声音は常時よりも低く、冷酷で威圧的な物言いであった。雰囲気に当てられたのか、自分に言われた訳でもないのに女の傍にいた戦士長はビクリと体を震わせる。

そしてカマソッソは、端正な顔を歪ませて吐き捨てるように言葉を続けた。

「貴様、オレを愚弄しているのか?よりにもよってそ奴の姿に似せるなど。不愉快、この上なく不愉快だ」

その顔は侮辱を前面に出し、軽蔑の眼差しを向けている。

「二度とオレの前に現れるな。さっさと牢にぶち込んでおけ」

交渉以前の問題。カマソッソにとって侵入者である女は地雷以外の何者でもなかった。
冷徹な判断を下すこともあるが、普段ならある程度は忖度する王がここまで毛嫌いする。カマソッソの傍に控えていた神官は女の顔を見るも、その顔に見覚えはなく、一体、王にどれほどの影響を与えたのか少し興味が湧いた。だが、触らぬ神に祟りなし。彼女は開発部門行きであろうことを神官は察した。

すると、それまで目を逸らしていた女は一度ぎゅっと目を瞑ったあと、そろりと顔をカマソッソに向け口を開いた。

「―――少年」

瞬間、玉座の間の空気が凍りついた。
正確には、1人の人物の殺気により急激に温度が下がったのだ。突如放たれた殺気に、女は思わず口を噤む。
殺気を放つ当事者であるカマソッソは目をこれでもかと見開き、玉座から大股でズカズカと女に近寄った。そして女の傍に行くと、ガッ!と女の顎を力任せに掴む。突然の理不尽な動きに、女は苦しそうに声を潜もらせるも、カマソッソには関係なく、当然のように無視をした。

「その言葉を軽々しく口にするな。もう一度口にしてみろ。二度と喋れぬよう舌の根を抜いてやる」

相手を射殺さんばかりに睨みつけ、地を這うような声で警告をする。カマソッソと女の視線は、この時初めて交わった。怯えの色を映さない女の顔を、目を……見れば見る程に当時の想い出がカマソッソの脳裏にチラつく。

「何処で知り得たか知らぬが、そ奴の姿を真似、加えてその言葉をオレに言うなど猿でも犯さぬ愚行よ。虫唾が走る」

カマソッソは顔をこれでもかと歪め、侮蔑の表情を浮かべた。
余りの言い草に、カマソッソと対面してから表情の乏しかった女の眉がピクリと動く。

「―――随分と、好き勝手なことを仰いますね?」

女の凛とした声が響く。

「真似も何も、本人ですが?」

真正面から殺気を浴びせられているのにも関わらず、女は怖気ずくこともなく力強い眼差しでカマソッソを見返す。自身の記憶と寸分違わない落ち着いた声音。女の声を聞き、カマソッソは余計に胸を掻き毟りたくなった。そして思わず顎を掴む手に力を篭める。

「その顔で、目で、声で言葉を発するな。それに本人だと?――はっ!つくのならもっとマシな嘘をつけ」

嘲笑し、冷笑を浮かべ、嘲るカマソッソはまるで自嘲するように言葉を紡ぐ。

「彼奴がオレの前に現れることなど二度とない」

女の言葉を戯言と突き放す。しかし、その瞳の奥には心做しか、どこか寂しさと諦めが滲んでいた。そして皮肉なことに、対面している彼女はそれに気付くも喉まで出かかった言葉をすんでのところで飲み込む。
何故なら、彼女は今ここで何を言っても取り付く島などないと分かっているからだ。


では、どうするべきか?何が最善か?

「へえ……、じゃあ私が貴方と戦って勝てば認めますか?」

女から出された予想外の提案にカマソッソは一瞬面食らうも、それを馬鹿馬鹿しいと鼻で笑った。

「嘘の次は冗談か?マィヤですら救えぬ愚かさよ」

そしてカマソッソは女の真っ直ぐな目を見る。それは忌々しいくらいに記憶の中の彼女と同じだった。

「――だが折角だ。貴様の誘いに乗ってやろう」

カマソッソの言葉に両者のやり取りを見守っていた臣下たちはザワついた。得体の知れない者と王を戦わせる訳にはいかない。もし、万が一。王の身に何かあったら。そう思わずにはいられなかったのだ。しかしカマソッソとて、そこまで考えが及ばない人間ではない。彼はニヤリと悪どい笑みを浮かべた。

「オレが勝った暁には、大人しく牢屋に行って貰おう。が、もし貴様が勝てばその戯言を信じてやってもいい」

「それはそれは、寛大な御心遣い痛み入ります」

カマソッソの笑みに負けじと、ニッコリと笑みを浮かべる女。笑顔の筈なのに2人の間に見えない火花が飛んでいるかと思う程、お世辞にも場の空気は和やかではない。
そしてカマソッソは神官と戦士長に声を掛け、外の演習場へと足を向けた。また、言わずもがな、成り行きを見ていた臣下たちも勝負の行方を見届けるために彼らに同行したのだった。

演習場に向かう団体。その一番前を歩く、否。戦士長に連れながら歩かされている女とその後ろを歩くカマソッソ。女の後ろ姿と歩く度に揺れる髪。それを視界から消すようにカマソッソは外へと視線を移した。
あの日から何も変わっていないミクトランの星空。それが今日だけは、いつもと違っているように見えた気がした。



演習場に再び現れた女と、王であるカマソッソの登場に休憩をしていた戦士たちはどよめいた。そんな中、戦士長が1人の戦士を呼び、訓練用の武器を持ってくることと暫くこの場所を借りることを話す。神妙な顔つきながらも、頷き了承した青年は周りで状況を伺っていた同僚たちに声を掛けていった。

そして数分もしない内に、女とカマソッソの戦う場が整えられた。ギャラリーと化した戦士たちと臣下たちに囲まれるように立つ2人。
周りの戦士たちから注がれる沢山の好奇と懐疑的な眼差しに女は居心地悪そうに首裏を掻いた。そして戦士長から渡された訓練用の武器をまるで懐かしむような目で数秒見詰めたあと、感触を確かめるように数回握る。そんな女の様子を見ていたカマソッソは薄らと笑みを浮かべた。

「勝負の行方が知れている賭け程つまらぬ物はない。今の内に精々マシな言い訳でも考えておくんだな」

「折角の御助言、有り難い所ですが私にはどうも必要が無さそうで。ええ、誠に残念です」

「ふん、その減らず口がどこまで持つか見物だな」

好戦的に笑う女をカマソッソは冷めた目で見遣る。二度と馬鹿な事を口走らないよう徹底的に相手を伸すために乗った誘い。何より、カマソッソにとっては、目の前の女が記憶の中の彼女ではないと確信を得るためでもあった。

「では、御二方。よろしいですね?勝負はどちらかが降参するか、戦闘不能になるまでとなります。では、尋常に……」

審判を務める戦士長の声に、2人は武器を構える。
刹那、カマソッソは思わず息を呑んだ。

何故なら、目の前の女の鋭い目付きが、構えが、在りし日の彼女と全く一緒だったからだ。一瞬、女と彼女の姿が重なる。

「―――勝負!!」

戦士長の声と共に真っ先に動いたのは女だった。出し惜しみなしの全力。それは過去に稽古をした記憶の中の彼女と比べて何倍もの速さだった。

―――ガキィンッ!!

演習場に武器と武器が激しくぶつかる音が響く。僅かに反応が遅れたものの、カマソッソは辛うじて女の打撃を防いだ。だがそれすらも予想の範囲内だったのか、女は次々と技を繰り出す。素早く、重く、読めない攻撃。相手の思った以上の実力に、カマソッソのこめかみに冷や汗が垂れる。そして彼は武器を今一度強く握りしめ、相手を鋭く見据えた。


時間にしてどのくらいだろうか。演習場には武器同士がぶつかる重い音、鋭く風を切る音、土を削る音、両者の息遣いが響いていた。周りで戦いを見ているギャラリーは2人の息をつかぬ勝負に固唾を呑んで見守っている。王であるカマソッソの本気を見る機会など早々ない。何より、その動きに着いてこれる女に驚嘆と畏怖すら抱いていた。
そしてカマソッソはというと、複雑な心情だった。戦っている女の攻撃、挙動。その1つ1つが遠い昔の記憶と重なり、煩わしく思い舌を打つ。
当の本人である女――ミズノはというと、少年の時よりも明らかに、格段に成長し強くなったカマソッソと戦える事に喜びを感じていた。この男はどこまで戦えるのか?自分の力はどこまで試せるのか?むくりと、彼女の心の奥底に潜んでいた好奇心が鎌首をもたげる。
戦闘への恐怖はある。だがほんの1mmほど。それが初めから備わっていたのか、世界を救うために何回も何回も戦ってきたことによって得た後天的な物なのかは定かではないが、彼女には戦闘狂のきらいがあった。今回の場合はここに来てから散々煽られたせいもあるが。
しかし、楽しいのは事実であり、ミズノは笑みを浮かべた。
そして戦いを楽しみ初めたミズノに影響されてか、カマソッソも段々と不思議な気持ちになっていく。最初は煩わしくて仕方がなかった。だが何故か、今は懐かしく思っているのだ。カマソッソは無意識に口角を上げる。まるで、一緒に訓練をしていた時に戻ったかのような気持ちだった。
両者の一歩も引かない戦闘を周りの人間は食い入るように見る。当初は王の圧勝だと思っていた戦いは、今じゃどちらが勝つか分からなかった。
ミズノが上体を僅かに屈め、肘を引く。カマソッソはその動きに見覚えがあった。それはミズノが勝負を仕掛ける時にする癖。カマソッソは瞬時に、ここだ!と一点を突く。

ニヤリ――。

ミズノが悪どい表情を浮かべた。そして急に武器の軌道を変え、まるでカマソッソがそう動くのを読んでいたかのように攻撃を去なそうとする。
瞬時にカマソッソの脳内に、とある日の記憶が蘇った。
それは彼が初めてミズノから1本取った時に、自分が彼女に仕掛けたフェイント。そう、これはミズノからカマソッソに向けた意趣返し。
不味い、くる!とカマソッソは身構えようとし……、

―――バキィッッ!!

「―――ッ!?」

突如2人の間に響いた何かが折れる音。カマソッソは驚き、音の出処に視線を向けた。そこには、攻撃を去なそうとして添えられたミズノの武器が折れる姿。本来なら当たる筈のない打撃。ミズノは目を見開いた。そしてスローモーションで自身に迫る武器を視界に入れる。

――――あ、やばい。

そう思った刹那、頭に勢いよく攻撃が入る。脳を揺らす程の衝撃。ガンッッ!!と鈍く、大きな音。咄嗟の出来事に、ミズノは防ぐことも出来ず後方に吹っ飛ばされる。

―――ガシャアンッ!!!

そして飛ばされた方向は運が悪いことに、積荷を置いてある場所だった。盛大な音が鳴り、土埃が舞う。パラパラと木屑が落ちる音のみが演習場に響いた。
突然のハプニング。許されざる不測の事態。
真っ先に我に返ったのはカマソッソだった。戦いの中で薄々感付いていた物は、さっきので確信に変わる。先程まで自分と対峙していた女は記憶の中の彼女と同一人物だったのだ。疑った己、彼女に吐いた暴言、向けた眼差し。ぐるぐると駆け回る様々な感情が、胸の中でぐちゃぐちゃになるのを感じた。だがそれよりも、そんな事よりも、吹き飛ばされた彼女の安否が心配だった。頭部に打撃を食らい無事ではあるまい。まずは治療が先だと瞬時に判断したカマソッソは未だ呆けている戦士長に声を上げた。

「戦いは一時休戦だ!!直ぐに女の手当てを――ッ!?」

しかし、カマソッソの言葉は最後まで紡がれることはなかった。一瞬向けられた殺気。そしてバキィッ!!とまるで彼の言葉を遮るように響く音。土埃の方を見れば、そこから飛び出ている足。ミズノが積荷の残骸を蹴飛ばしたのだと容易に想像がついた。
そして煙が晴れた先で、ユラりと立ち上がるミズノの姿。

「……ああー、、くっそ…思いっきり入った」

イッタあー…と打撃を受けた所を抑えながらフラフラと前に進む彼女。積荷に突っ込んだ時に切ったのか、額からは血が流れていた。それを煩わしそうに袖で拭い、傍に落ちていた壊れてしまった武器を手に取り、顔を顰めた。

「うわ、、、やっぱり専用のじゃないとダメだな…。そこの貴方。新しい武器ありますよね。それ持ってきてくれませんか?」

平然と続きをしようとするミズノに、声を掛けられた戦士は思わず狼狽えた。いや、むしろ演習場全体が戸惑っていた。中でも、カマソッソの狼狽具合は酷く、彼は待ったを掛けるように口を開く。

「オレの言葉を聞いていなかったのか!?一時休戦だ!貴様はさっさと治療を受けよ!」

「――はあ?」

カマソッソの言葉を聞いたミズノは思いっきり顔を歪めた。それは彼女がカマソッソに対して初めて向けた嫌悪だった。

「こんな傷直ぐに治るし、そこまで柔じゃない。第一どちらかが降参するか、戦闘不能になるまでがルールだ。こっちはまだ負けなんざ認めてない!そもそも、相手の戦意を喪失させなきゃ意味がないって前に教えた筈だけど?」

「頭から血を流している奴が馬鹿なことを言うな!貴様、自分の状態すら判別出来ぬほど愚かなのか!?」

「だから!こんなの直ぐに治るし余計なお世話だ!」

「こんッのわからず屋が!!」

普段、温厚とまではいかないが滅多に怒る事はないカマソッソと、そのカマソッソに血を流しながら真正面から食ってかかるミズノ。戦士長はオロオロと2人を交互に見遣る。そしてギャラリーも突然始まった2人の口喧嘩に混乱していた。

「わからず屋はどっち―――ぁ、れ?」

ミズノはカマソッソに言い返そうとするも、急激に襲われた目眩にフラリと体を傾けた。そして突然の眠気。
くそ、折角これからだったのに。と思いながら、彼女は瞼の重みに抗えず、ゆっくりと瞼が降りてくる。
彼女が完全に目を閉じる前に見た光景は、酷く焦ったようにこちらに駆けてくるカマソッソの顔。最後に、自分の名を呼ぶ懐かしい声を聞き、ミズノの意識は深い闇の中へと沈んだ。



急に倒れたミズノを寸でのところで抱き留め、安堵のため息をついたカマソッソは、思わず口をへの字に曲げた。だから言わんこっちゃないと。そして、彼女からふわりと香った匂いに彼は端正な眉を顰めた。彼の記憶の中で1つ、該当する物があったのだ。

「猛獣用の眠り粉か。……戦士長!」

戦士長を呼び寄せれば、彼もミズノが急に倒れたことを不思議に思っていたのだろう。カマソッソの傍へと寄り、ミズノから香る匂いに気付いた戦士長は壊れた積荷を見たあと、王が言わんとしていることを察して素早く敬礼をした。

「はっ!直ぐに対応を!」

「流石の物分りの良さだ。では其方は任せた」

ミズノが突っ込み大破した積荷の方に目を向ければ、カマソッソと同じく匂い気付いた戦士たちが二次被害を出さないよう処理をしている所だった。武器が壊れてしまったのは不運だったが、薬によって眠ってしまったのは不幸中の幸いだっただろう。でなければお互い一歩も譲らないところだった。
ミズノを横抱きにして立ち上がったカマソッソの元に、神官を初めとした臣下たちが駆け寄ってくる。そして皆を代表するように神官が口を開いた。

「カマソッソ様、勝負の結果は如何なさいますか?」

「ふん、決まっている。一時休戦だ。眠り粉あんな物で勝つなど、それこそオレへの侮辱というものだ」

「承知致しました。では医師たちに話を通しておきます」

「ああ、頼んだ。それと、こ奴が目覚めた時、交渉の場を設ける。上手く転がれば此方の戦力になるだろう。神官、お前も同席せよ」

「はい、仰せのままに」

仰々しく一礼をした神官に倣うように、周りにいた臣下たちも頭を垂れる。そして神官に続くように神殿内に去っていく臣下たちをカマソッソは何の感情もない目で見送った。
あの場ではカマソッソの言葉に従ったものの、恐らく、この決定によく思っていない……正確には、彼女を侵入者と捉え疑っている者もいるだろう。さて、これからどう言いくるめていくか。そう思案しながら、カマソッソは自身の腕の中で眠る人物を起こさぬように抱えて歩き出す。そしてチラりと一瞥する。ミズノが言った通り、額の傷はもう塞がりかけており、流れていた血は乾いていた。

夢でも幻でもなく、腕に確かにある温もり。消えないように逃さないように、カマソッソは今一度強くミズノを抱える。ふと、何の気なしに見上げた空。朝でも昼でも夜でも一日中そこに在る星々。それがなぜか、この瞬間だけは、いつもより輝いて見えたのだった。


23/02/23
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