第3話
不安を胸に●●●は窓から外を見ていた。
頭の声は声を潜めて、聞こえない。
甲板ではクルー達が走り回っているのが見える。
しばらくするとバタバタと足音がキッチンに近づいてきた。
「待たせたな、●●●ッッ!」
ハヤテがバンッッと、ドアを開ける。
背後からシンがハヤテの頭を、拳でもってゴツンと叩いた。
「うるさい!黙ってろ!イライラする!」
「……ってぇ!」
すぐさまハヤテは睨み付けるが、シンは鼻でフンとあしらい、さっさと自分の席につく。
ソウシとトワもハヤテの横を通りすぎ、
ナギも無言でハヤテの頭をコツンとこずくと自分の席に静かに座る。
ハヤテはチッと舌を鳴らした。
「なんだよ……ナギ兄まで」
恨めしそうに見遣るハヤテがようやく席に座ったその時
ガンッッとドアを蹴り開け、リュウガが中に入ってきた。
「よぉーーし!お前ら全員揃ってるな、」
しかし。
クルーは誰も応えない。
真横に口を結んだままで
険しい顔を崩さない。
「なんだお前らシケてんな、」
リュウガは口を歪めて笑う。
そんな彼に、●●●の視線が釘付けとなった。
リュウガは何かを隠しているのか片手を背中に回している。
少し身体をずらして見るけど、大きな身体が邪魔をして
それが何か、よく見えない。
「船長、席に座ってください、」
ソウシの叱咤が部屋に響くと、
リュウガはヘイヘイと、片手で頭をガシガシ掻いた。
「ほんじゃあ‥さっそく始めるかァ〜」
どっかり椅子に座ったリュウガはふんぞり返って腕を組む。
チラリと●●●を見たかと思うと
彼は本題を切り出した。
「ほんじゃトワ、‥例のものを頼む‥」
「………はい」
トワは頷き、足元にあった袋を手に取る。
例のものとはトワが腕に抱える、袋の中にあるらしい。
立ち上がったトワは手にある袋に視線を落とす。
上目使いでリュウガを見てから、戸惑いの表情で、そこからゆっくりと進み出た。
「え?」
そのまま自分の向かいに立ったトワに唖然とする。
「●●●さん、これを」
トワが、手にある袋をズイと差し出す。
条件反射で立ちあがり、トワから袋を受け取った。
「えっとォ…」
見ればそれは、シワの寄った紙袋。
プレゼントとか、そう云うものではなさそうだ。
「なあに、これ…」
なにげなしに問うてみるけど、なぜかトワは口ごもる。
「それが………えっとォ………」
モジモジしながら身体を揺らし、視線を左右にさ迷わせる。
その姿に、リュウガは少々イラついた。
「おい●●●、今すぐソイツを開けてみろ」
いきなり飛んだリュウガの指示に、どうしたものかと●●●は戸惑う。
しかし、これは船長命令。
無碍にもできず断りの言葉を告げてからリュウガの言葉に従った。
「じゃあトワ君、開けるね、」
袋の口に指をかける。
袋がガサリと音をたてた。
「………っ!」
ビクっと反応したトワは、焦りを顔に滲ませる。
素早く腕を両手で掴み、●●●の動きを静止した。
「まま、待ってください…っ!」
●●●の方が驚いた。
トワは腕に力を籠める。
「ぼくも最初は断ったんですッッ!」
「え?」
トワが顔を近づける。
「でも船長に‥‥どうしても、って頼まれてッッ!」
「船長に」
トワはマズイと、首を横にブンブン振る。
「そうじゃなくてッッ!」
「あっと……トワ君」
「ちゃんとこれッッ!洗濯してありますからッッ!汚くないですッッ!!」
「?」
叫ぶように言うトワに
何のことだか分からない。
「ちょっと待って、トワ君‥」
1歩2歩と押される●●●は、迫るトワを押し止めた。
そうしながら、袋の中に手を入れる。
中にあった物を見て、思わず言葉に詰まってしまった。
「えっと………」
なんと言えば良いのだろうか。
無言のままで固まる●●●は、袋の中身を取り出した。
「――もしかしてこれって、トワ君のなの?」
袋の中から出てきたものは、男性用の大きなズボン。
黒くて長いズボンは、自分のモノではないだろう。
トワはそれに視線を落とすと
ほんの一瞬、固まってから
跳ねるように飛びのいた。
「ごごご、ごめんなさいッッ!いきなり掴んで‥‥痛かったですよね」
「ううん、いいの。それよりこれは……」
トワがしゅんと肩を竦める。
●●●はズボンを掲げて見せた。
口を歪めて見つめるトワは、コクンと1つ頷いた。
「はい……実はそれ、‥‥僕のです」
ズボンを見つめる●●●の前で、トワはバツが悪そうに自分のほっぺをポリポリ掻く。
やっぱりだ。
●●●は不意に顔を上げて、リュウガの方に振り向いた。
「……どういう事です船長」
どうせまた、善からぬ事をたくらんでいるに違いない。
しかしリュウガは至って真顔で●●●の顔を真っ直ぐ見据えた。
「トワからズボンは受け取ったな?」
腕を組んで見つめるリュウガに、●●●は「はい」と1つ頷く。
するとリュウガは、とんでもない事を言いのけた。
「なら‥‥今すぐそいつに着替えてこいッッ」
「――は?」
聞こえた声に耳を疑う。
しかしリュウガはさらに顎を突き出した。
「厨房の奥で着替えられるだろ!ほら行けッッ」
「……っ!」
顎をしゃくって急かすリュウガに、●●●の顔がみるみる歪む。
「ちょ…!着替えて来いって、これにですか?」
冗談にもほどがある。
いや‥‥トワのズボンだから、履きたくないとかそんなんじゃなく
男のズボンを履けとは、自分をからかうつもりだろう。
しかしリュウガは真顔のままで、●●●の顔を真っ直ぐ射抜く。
「早く行け」
反論は許さない――
そんな顔で見つめるリュウガに、●●●は言葉を失った。
「‥‥たく」
その時、黙って様子を見ていたシンが、呆れたように息をつく。
背後でスッと立ったと同時に、突っ立つ背中をいきなり押した。
「たく、時間が無いんだ、早く行けッッ!」
「‥‥きゃっ!」
いきなりドンッと突き飛ばされて、身体が前につんのめる。
よろめき数歩歩いたものの、倒れる事なく踏みとどまった。
「ちょ‥っ、酷いじゃないですかシンさんッッッ!!」
振り返ればシンは腕を組んだまま、ニヤリと笑って立っている。
その顔に、悪びれる様子は微塵もない。
「お前が早く行かないからだろ」
「く、」
フンと鼻であしらうシンに、悪びれる様子は微塵も無い。
ムッとして、抗議をしようと詰め寄るその時、
素早くナギが立ち上がり、2人の間に割って入った。
「待て●●●ッッ!」
「っ!」
大きな声にびく、とする。
ナギは●●●の身体を押しとめたまま、シンの顔を睨めつける。
「おい、コイツをからかってる場合じゃねえだろッッ!」
しかしシンはいつものように、顔を逸らして、フンと笑う。
「たく‥‥」
挑発的なシンの態度にナギは拳をギリリと握る。
…が、いつもと同じやり取りに、呆れたように息をつく。
これがシンの悪い癖だ。
普段、興味のない人間には、口を訊くことすら面倒くさいと、そっけないくせに
こと●●●が相手となると、わざと彼女を挑発する。
これがシンの●●●に対する
愛情表現、なのだが‥‥
今は話が逸れるだけで、無駄に時間を食うだけだ…
「どういうことですか、ナギさん‥‥」
その時、睨みあう二人の間に、今度は●●●が割って入る。
顔を戻せば、不安そうに見上げる顔。
ナギはシンを一瞥してから改めて彼女と向き合った。
「よく聞け●●●‥」
「は…い…」
両手で腕をガシッと掴む。
「シンが言う通り、もうあんま時間がねえ。‥とにかく早く着替えて来い」
「‥‥え」
ナギの言葉に耳を疑う。
「でもッッ!!」
●●●はズイと詰め寄った。
どうしてナギさんまで‥
トワ君のズボンを履けと言うの?
「落ち着け●●●、」
反論する頭に、ナギは優しく手を乗せた。
「‥‥ッッ!」
「あとでちゃんと説明してやる。厨房の奥には誰も行かせねえ。だから、安心しろ」
「‥‥‥く、」
ナギが「な、」と口を弛める。
酷いよナギさん。
そんな顔をさらたら
反論できなくなってしまう。
「●●●ちゃん‥‥」
そこに、全てのやり取りを見ていたソウシが不意に横から声を掛けた。
「大丈夫だから‥‥着替えておいで?」
「‥‥でもっソウシ先生」
「大丈夫」
微笑むソウシが軽くうなずく。
「●●●ッッ!」
「●●●さんッッ!」
ハヤテとトワも椅子の背もたれに腕を置いて
カラダを前に乗り出している。
「ほら行けよッッ!船長とシンは、おれが見といてやるからよォー!安心して着替えてこいってッッ♪」
「ハヤテまで……」
戸惑う●●●に、ハヤテがニカリと笑いかける。
ハヤテだけじゃない。
気づけばみんなが自分を見ていて――
押し黙る●●●はナギの背後に視線を向けた。
「……っ」
そこにはリュウガが腕を組んで、肯定するよう深くうなずく。
「いつまでぼさっと考えている?」
シンは、自分の方に身体を向かせニヤリと笑って見下ろした。
その顔は‥‥
自分をからかう顔ではない――
「●●●‥‥」
最後にナギに肩を叩かれ、ようやくそこで我に返った。
顔をあげれば、真摯な顔で見つめるナギ。
その目を●●●も真っ直ぐ見つめる。
少しして、先に目を逸らしたのは、●●●だった。
「行けるな?」
ナギが顔を覗きこむ。
――こんな顔で見つめられたら、頷く事しかできないじゃない……
「分かりました。着替えてきます」
「‥‥‥よし、」
脱力してうつむく頭を、ナギが優しく、くしゃりと撫でる。
その向こうでクルーたちも、乗り出す身体を椅子に沈める。
それからナギに促され、観念して歩き出す●●●は横目でリュウガをチラと見た。
(船長は、何をさせるつもりなの?)
訝る●●●は振り向き振り向きしながらも、袋を抱え
厨房の奥へと入っていった。
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