亡霊が思うには


 08

 幸喜に引っ張られてやってきたのは一階の廊下。

「っ、おい、どこまで……っ!」

 行くつもりなのだ。
 そう声を上げるが、当の幸喜はというと「こっちこっち!」と一人楽しそうに笑っていた。
 どうにもろくな目に合わない予感しかない。
 今すぐにでも逃げたいが、逃げられる気がしない。

「こっちっつったって、この辺は物置くらいしかないんじゃ……」
「そうそう、大当たりだよ準一! 花丸あげよっか?」
「い、いらねえ……。まさか倉庫荒らすつもりじゃないだろうな」
「あははっ、今更そんなことするわけないだろ?」

『今更』というところが妙に引っかかったが、敢えて深く突っ込まないでおくことにする。

「探検ごっこも飽きてたんだけど、なあ準一、お前は気付いた?」
「気付いたって、なにが……」
「この屋敷、たまに形変わんの」

 不意に飛び出した幸喜の言葉に思わずどきっとした。そしていつの日か、忽然と俺の目の前から姿を消した屋敷のことを思い出す。

「……ああ。確か前、この建物ごと消えてたときあったな」
「あったっけそんなこと」

 そういえば幸喜はあの場にいなかったっけか。記憶を呼び起こそうとしたとき、幸喜はようやく立ち止まった。

「まあそんな感じでさ、たまに変わるんだよな。準一が見たみてーに大きく変化するわけじゃなくて、あの人の気分で花壇が増えてたり、シャンデリアが微妙に変わったり」

 あの人とは言わずもがな花鶏のことを指しているのだろう。幸喜は目の前の扉へと向き直る。
 その扉は確か、掃除用具や使われていない家具が入っていたはずだ。

「……ここになにかあるのか?」
「まあまあまあ! それは見てのお楽しみじゃん? てか、先にネタバラシはつまんねーって」

 言いながら、錆びた金属製のドアノブを掴む幸喜。そして、扉は軋音を立てながらもゆっくりと開く。
 黴と埃が混ざったような、湿気を多分に含んだ異様な空気が流れ込んでくる。間違いなく人体に何らかの悪影響を与えているのではないだろうか、そう思えるほどの嫌な空気だった。

「おいおい準一なに怯んでんだよ、まだ入ってもないのに」
「ここ、空気悪すぎんだろ……具合悪くなるって……」

 そう思わず苦言を漏らせば、幸喜は「空気?」と不思議そうに小首を傾げた。全く可愛いとは思わないが、なによりもいつもと変わらない幸喜が不思議だったのか。

「空気だよ、空気。……換気しねえとこれ、具合悪くなるぞ。お前は平気なのか? この黴臭さ」
「んー、よくわかんねえけど準一って意外と繊細なのか?」

 意外とは余計だ、と突っ込みたいところだが、本当に幸喜はなんともないみたいだ。元々俺と幸喜では過ごしていた環境も死んだ時期も違う。もしかして幸喜は慣れてるから特に違和感もないのだろうか。

「そーれーよーりー、ほらこっちこっち。この奥、来いよ準一っ!」

 そう、今度はいつの間にかに背後に経っていた幸喜に背中を押される。
 危うく転びそうになりながらも俺は「分かったから押すなって」と壁をつたいながらもその部屋の奥へと更に物置部屋の奥へと踏み入れた。

 この屋敷にはいくつもの扉と部屋がある。
 以前は俺や他のやつらのように行き場を失った亡霊たちが暮らしていたのだろうが、今となっては空き部屋だ。そのいくつかは花鶏によって物置として使われている。
 そして、この部屋もその一つだった。
 そう、記憶していたはずだ。

「……こ、れは」

 古くなり、腐食しているのかところどころ変色した床板。そして他の物置同様壁を埋め尽くす勢いで物を放り込まれたその部屋の中央にその扉は存在していた。

「お、準一も気付いた?」
「床下収納……なのか?」
「さあな? 俺もこの前見つけたばかりだったんだけどまだ確認できてなかったんだよな」

 今度は幸喜の言葉に驚いた。
 こんな意味有りげな扉を見つけたらいの一番に開けそうなくせに。

「ま、俺優しいから準一に譲ってやろうって思ってな」
「……お、お前。なんか企んでないよな」
「おいおい俺をなんだと思ってんだよ!」

 お前だから言ってんだよ、と言い返したかったがやめた。後が怖いからだ。
 俺は幸喜から足元の扉へと視線を落とす。そのまま膝を折り曲げ、屈んでみるが変哲もない扉だ。人一人入れるくらいの大きさはある。
 その扉の取手部分には、床板と繋がる錠付きの鎖が取り付けられていた。

「でもこれ、鍵がかかってるな。頑張れば壊せそうだけど……」

 鎖を無視して取手を引っ張れば、数センチくらいは隙間が開きそうだ。と思いながらも観察していると、幸喜がこちらをじっと見ていることに気付いた。
 いつもみたいに笑ってるのも気味が悪いが、真顔の幸喜もなかなか気味が悪い。「な、なんだよ」と聞き返せば、幸喜は俺から視線を外して床の扉に目を向ける。

「なあ、準一お前今これ鍵かかってるって言った?」
「……あ?」
「俺には鍵なんて見えないんだよな」
「…………………………は?」

 思わず言葉に詰まる。そんなはずがない。「ここにあるだろ」と扉の取手に触れれば、幸喜は笑った。

「やっぱ準一、お前連れてきて正解だったわ」
「な、何言ってんだよ……」
「俺もさ、本当は見つけたとき速攻扉こじ開けて中突撃しようとしたんだよなー、暇だったし。けどさ、」

 何が言いたいんだ、と俺の隣によっこいせと座り込む幸喜は、そのまま扉に触れようと手を伸ばす。瞬間、取手に触れようとした幸喜の指先は音もなくどろりと溶けていくのだ。まるで熱に充てられた鉄のように、液体のように溶ける指先を見て「ほらこれ」と痛がるわけでも苦しむわけでもなくいつもと変わらない満面の笑みを貼り付けたまま幸喜はその人差し指と中指の第一関節部分まで欠けたその掌をこちらへと向けるのだ。

「俺は無理だったんだよな」

 いつの日か、幸喜に騙されてあの結界に触れたときのことを思い出す。それから、奈都を助けようとして飛び込んだ結界の中のことも。
 だったら、なんで俺は。
 幸喜には見えない錠、そして触れられない扉に触れることができている自分自身がただ理解できず、俺は目の前の幸喜と床下の扉を交互に見た。

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