亡霊が思うには


 09

「な、んで……」

 まさかこれも幸喜のどっきりか?俺をビビらせるためにわざわざ手の込んだ真似してるのか?有り得る。
 にゅるんとところてんかなにかのように指があった場所に新たな指の形をした物体が生え、そして芯を持ち始めたと思えばみるみるうちに元の手の形に戻る。なかなか気持ち悪い一部始終であった。

「因みにまじでーす」
「……こ、これも見えないのか?」

 そう錠を見せるが、幸喜は「うん」と大きく頷くのだ。いい返事、などと言ってる場合ではなかった。
 お互いに見てるものが違う、という体験は初めてではない。けれどそれは相手が仲吉だったり、他の生きている相手だったりの話だ。
 この場合俺も幸喜も同じ亡霊だ。それなのに、なんで。
 件のカメラのことを思い出す。本気で幸喜がなにもしてないというのなら俺か幸喜、それとも他のなにかしらの影響を受けてるということか?
 でも、となるとこの屋敷の大元となるとあの男しか浮かばない。
 ――花鶏。
 花鶏がなにかしらの細工をしてるとしても、何故幸喜は拒まれて俺が平気なのか。その理由を考えると益々知恵熱が出そうになる。

「でも準一が触れるってことは、そこの鍵を見つけだせばもしかしたら扉開けられんじゃね? 俺はできなかったけど、準一なら斧でぶっ壊すこともできるかもしれないし」
「ま、待てよ……これって花鶏さんがなんかしてるってことだよな。そんなの、勝手なことしない方がいいだろ」
「はあ? 準一それ本気で言ってんの? いいこちゃん過ぎて俺びっくりしちゃった、花鶏さんいねーんだからバレないって」
「だからその根拠はどこからきて……っ、いや、つかそもそもこんなことしなくたって花鶏さんに直接言えばいいだろ。どうせ鍵も必要なんだから」
「鍵、鍵かー……じゃ、花鶏さんの部屋にあるかもな。盗みに行くか!」
「お、お前……ッ」

 人の話をまるでなにも聞いていない。
 ケロッとした顔でそんなことを言い出したと思えば、そのまま「じゃあ準一、花鶏さんの部屋までかけっこな!」と物置部屋から飛び出す。
 幸喜にモラルや常識を説いても無理だとわかっているが、いくらなんでもこのままでは俺まで共犯扱いされかねない。
 ここは幸喜に先回りして花鶏に伝えた方がいいかもしれない。そう、一人取り残された俺は部屋を出ていく前にもう一度背後を振り返る。
 淀んだ空気が充満した部屋の中、俺は再び扉の方を見た。ほんの一瞬、床板に嵌められたその扉がかたりと小さな音を立てて動いた――そんな気がした。

「……ッ、……」

 目の錯覚だろうか。思わず瞬きをし、目を擦る。そして再び扉を見れば、今度は隙間なくぴたりと閉まったままだった。
 ――気のせい、だよな。
 いやまさか、なにかいる?
 胸の奥、心臓の辺りがざわつくような違和感。気になる。取手をこじ開けてこの地下を覗き込みたい衝動に駆られると同時に、強い恐怖を覚えた。
 幽霊なんているわけがない、なんて今更俺が言う立場ではない。けれど、俺だけに触れて、俺だけに見えるその意図を考えたくなかった。
 俺は好奇心に無理矢理蓋をし、ぐっと息を飲んで物置を出た。扉を閉じる直前、背中に突き刺さる視線を強く感じながらも俺はそれを必死に気付かないフリをしながらドアノブを強く掴み、扉を叩きつけるように物置部屋を閉じた。

「……ッ、はあ……」

 人気のない廊下に出てようやくまともに呼吸が出来た。
 全身にまとわりつくような嫌な空気もない。そういえば、この嫌な雰囲気も幸喜はなんも感じないと言っていた。
 まだ幸喜の言葉を全て信じるつもりはないが、それでもどうやってもなにもなかったことにするには出来なかった。

 幸喜は花鶏の部屋へ向かうと言っていた。
 だったら、俺はどこへ花鶏を探しに行こうか。先に花鶏の部屋に向かった方がいいだろうか。
 そう考えながら踵を返そうとした矢先のことだった。

「おや、準一さん。奇遇ですね」

 振り返ったそのすぐ背後、翳る視界。いつの間にかに背後に立っていた花鶏に飛び上がりそうになる。
 物置部屋のすぐ扉の前。
 いつからそこに。どのタイミングで。さっきまではいなかったはずなのに。
 口を開閉し、言葉を探すが上手く喉に出てこなかった。

「っ、あ……花鶏、さん」
「ふふ、随分なご挨拶ではありませんか。……先程ぶりですね、なにやら幸喜との楽しげな声が聞こえましたが如何なされたのですか?」

 既にこの場にはいない幸喜の名前を出され、冷や汗がだらりと滲む。いや待て、あいつは確かに問題発言をしていたが俺は別になにもやましいことはない。
 そのはずなのに、何故こんなに花鶏との対面に動揺しているのかが自分でもわからなかった。

「花鶏さん、いつからそこに……」
「さて、いつからでしょうか。……つい先程といえばつい先程ですし、ずっとといえばずっと、でしょうか」

 これは、ただ単にはぐらかされているわけではないのだと直感した。
 恐らく本当に花鶏はずっといたのだ。誇張でもなんでもなく、俺達の会話を聞いていたのだとすれば。

「ああ、そんなに怖がらないでください。……なにも説教しにきたわけではございません、私はただ……」

 そう言いかけて、花鶏の視線がこちらを向いた。言葉が止まり、どうしたのだろうかと顔を上げたときだった。ずい、と歩み寄ってくる花鶏の生白い顔がすぐ鼻先に迫り、ぎょっとする。
 長い睫毛の一本一本が見えるほどの距離、冷たい空気が全身を包み込む。まるで蛇に全身を締め上げられるようなそんな緊張感に、眼球を動かすことすらもできなかった。

「準一さん、貴方……」

 花鶏は小さく口を動かす。
 俺を見つめるその目は、確かにこちらを覗き込んでいるはずなのに俺を通して別の何かを見ているようにすら見えた。
 いつものような笑顔はなく、どこか怪訝そうに眉をひそめる花鶏に胸のざわつきは大きくなる。

「あの、俺がなにか……」
「……」
「花鶏さん……?」

 神妙な顔をしたまま花鶏は何も言わない。両頬を掴むように挟まれたと思った矢先、花鶏は俺を見つめたままその形のいい唇を動かした。

「……貴方、なにか私に話すことがあるのではないですか?」

 顔を固定したまま、目を逸らすことも許されない状況の中花鶏は珍しく真面目な顔をして尋ねてくるのだ。
 ない、といえばそれは嘘になる。
 けれど、花鶏に言わなければならないことがありすぎて俺はすぐに言葉を発することができたなかった。

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