亡霊が思うには


 もしも藤也と付き合ってたら

「花鶏さん達は?」
「庭に出ていった」
「まじで?」
「なんで嘘つかなきゃいけないの」
「別に聞いただけだろ」
「……あっそ」

 屋敷内応接室。
 窓の外を見下ろしていた藤也はそう素っ気なく答える。相変わらず変なところで気が短いというか、臍を曲げやすいやつだな。
 室内に置かれた古いソファーに腰を下ろした俺は思いながら隣にやってくる藤也に目を向ける。相変わらず怒ってるのかよくわからないようなむっすりとした顔をする藤也はそのままソファーに腰を下ろした。

「……」
「……」

 そして、沈黙。
 静まり返った室内に屋敷の外の林から聞こえてくる変な鳥の声が響き渡る。
 ムードの欠片もないな。なんて内心苦笑していると、不意に「ねえ」と隣の藤也が声を掛けてきた。

「なんでそんなに離れてんの」

 こちらをじとりと横目で見てくる藤也はそう不服そうな顔をして尋ねてくる。
 言われて、無意識に自分が藤也と距離を取っていることに気付いた。

「……だって、くっついてたら花鶏さんたちにまたなんか言われるだろ」
「だから居ないって言ってるじゃん」

「何回言わせんの」と面白くなさそうに眉を潜める藤也は、言いながらずいっと距離を詰めてくる。
 広いソファーにも関わらずわざわざ隣に座ろうとしてくる藤也につられるようにしてその一つ隣にずれる俺。それを暫く繰り返してると、「ねえ」と益々不機嫌そうな顔をした藤也に腕を掴まれる。

「なんで逃げるの」
「……」
「なにその顔」
「お前、なんか怖いよ」
「準一さんに言われたくない」

 キッパリと言い返され、ぐさりと胸が痛んだ。
 こいつ痛いところ突きやがって。

「なんで逃げるの」

 今度は顔を覗き込まれ、じっと見据えながら先程と同じ問いを投げ掛けられる。
 真っ正面から見詰められ、目のやり場に困った俺は思わず視線を泳がせた。

「準一さん」

 静かに名前を呼ばれる。
 藤也から出てる無言の圧力がハンパない。腕を掴む藤也の指先にぐっと力がこもり、徐々に顔が近付く。
 俺の体にもたれ掛かるようにして至近距離から見詰めてくる藤也に堪えられなくなった俺は、「わかった、わかったから」と言いながら慌てて藤也の肩を掴み自分から引き離した。
 なにがわかったのか自分でもわからない。ただ、このまま黙っていたら藤也が拗ねるだろうということはわかった。

「藤也、お前……近いんだよ」
「なにが?」
「だから、なんか全体的に。距離が」
「……別に普通じゃない?」
「は?これ普通なの?……すっげー恥ずかしいんだけど」

 そう視線を泳がせ口ごもる俺に、なにを言い出すんだこいつとでも言いたそうな顔をする藤也。
 遠回しに自分がスキンシップに慣れていないと宣言していることに気が付いた俺は、向けられた藤也の視線になんかもう羞恥諸々が込み上げてくる

「……準一さんってさ、結構」
「……なんだよ」
「いや、そういや俺より年下なんだよなって思って」

 薄く笑う藤也になんだかバカにされているようでいたたまれなくなってくる。
 そう言えば、藤也は俺より先に産まれて俺より先に死んだんだったっけ。
 言われてから気付き、俺は『そう言えば』と藤也を見た。見た目が若いからすっかり忘れてた。

「恥ずかしいなら少しずつでも慣れればいい」
「……少しずつ?」
「例えば、俺の目を見ることから」
「見てんじゃん」
「ほら泳いだ」
「……ん」

 指摘してくる藤也にむっと顔をしかめる俺は睨むように藤也を見据えた。目が合う。

「……」
「……」

 数秒間見つめ合うような形になり、そしてそれに堪えられなくなったのか藤也の目線が外れた。
 余所見する藤也に、俺は「おい」と唸る。
 さっきまで散々偉そうなこと言ってたくせにどういうことだ、これは。ちょっと傷付いた。

「……だって、準一さんが」
「俺のせいかよ」

 目を伏せる藤也は「そうだよ」と言いながら俺から顔を逸らす。
 口許を隠すように手の甲で押さえる藤也に、俺はぱっと閃いた。

「あれ、お前なんでそんなに顔赤いわけ?」

 隣に座り顔を隠す藤也に気付いた俺は、藤也の肩を掴み無理矢理自分の方へ向かせる。
 仄かに赤く染まった藤也の頬。どうみても、照れてる。

「慣れろって言ったくせに、藤也だって慣れてな……」

 なんだか相手の弱点を見付けたような気になって頬を弛ませながら相手に指摘したとき、不意に藤也に後頭部を掴まれた。
 そして、そのまま頭部を寄せられ藤也の顔が近付いたと思ったら問答無用と唇を塞がれる。
 突拍子のない藤也の行動に俺は目を丸くし硬直した。
 目の前すぐ側に藤也の目許が映り、動揺のあまり「あ、結構睫毛長いな」なんて現実逃避しかけたが時間が経てば経つほど冷静になり、そして余計テンパる。
 全身が緊張でガチガチになって動かない。
 するとすぐに藤也の唇は離れ、小さく動いたそこからは「うるさい」とだけ呟かれた。

「……な、なに、今の」

 短い時間だったはずなのに、唇に触れていた柔らかい感触がこびりついて離れない。
 藤也が離れてからようやく機能していない心臓がバクバクと煩くなる。
 先ほどまでとは比にならないくらいの熱が顔に集まり、俺は慌てて俯きながら口許を手で覆った。
 そんな俺を眺める藤也は「キス」となんでもないように答える。
 藤也も藤也で動揺しているのだろうか。いつもの淡々とした口調ではなく、なんとなく力んだような声だった。
 どちらにせよ、意味は変わらないのだが。

「……や、だからそういう意味じゃなくて、その……」

 そんなことはわかってんだよと思いつつも頭の中が真っ白になって次の言葉が見付からず、言葉に詰まってしまう。
「準一さん焦りすぎ」そういう藤也の顔も赤い。
 確かに、自分の取り乱し具合は自分でもわかった。
 たかだかキス一つでドキドキするなんて自分でもなさけない。……キス一つで。
 そう口の中で呟けば、再度藤也のドアップが脳裏に浮かぶ。そして、耳の裏がじわじわと熱くなるのがわかった。

「な……んでお前、いきなりそんなことを……」
「準一さんがうるさかったから」
「う、うるさいって……」
「付き合ってんだからいいじゃん、別に」

 あくまで冷静に答える藤也に狼狽える俺。
『付き合ってる』
 そう藤也の口から出たとき、なんだかもう息が詰まりそうになった。
「確かに、そうだけど」ごねてはみるが、相手の顔がまともに見れない。
 ああもう、みっともない。落ち着こうとすればするほど物事の大きさに頭ん中がこんがらがってしまう。

「嫌?」
「や、嫌とかそう言うんじゃなくて、心の準備とかあるだろ」

「藤也お前、いつもいきなりすぎるんだよ」そう文句垂れる俺に対し、藤也は無言で俺を見据えてくる。

「……おい、黙んなよ」

 もしかして強く言い過ぎたのだろうか。
 こちらに目を向けたまま押し黙る藤也に、俺の語尾は自然と弱くなる。
 この場合は、やっぱ謝った方がいいのだろうか。と言われても、なにを謝ればいいのかサッパリわからないが。
 そんなことを考えながら項垂れる俺はちらりと藤也に目を向ける。と、同時に視界が暗くなった。
 唇になにかが触れそうになったとき、咄嗟に俺は迫る藤也の顎を手で押さえる。

「お、おい!人の話聞いてたのかよ!」
「慣れればいいじゃん」
「……はい?」
「……俺も、慣れるから」
「…………え?」

 藤也がなにを言っているのかわからなくて思わず聞き返す俺に、先ほどよりも僅かに頬を紅潮させた藤也は「聞き返さないでよ」と顔をしかめながら俺の手首を掴む。

「慣れるとか慣れないとか、そんな無理してやる必要ないだろ」
「俺はしたい」
「……したいって、なにを」
「準一さんに触れたい」
「ふ、触れ……?」

 どうやっても下ネタにしか聞こえないのは俺の頭がパンク寸前まできているからだろうか。
 真面目な顔してそう続ける藤也は、言いながら俺の手を握る。
 触れたそこから互いの体温が交わることはないがそこにある感触は確かに本物で、耳の側でバクバクとうるさく鼓動が鳴った。

「俺はそう思ったけど、準一さんは違うの?」
「……なにが?」
「準一さんは、俺と一緒にいるの嫌?」

 ずるい。絶対ずるい。そんな少し寂しそうな顔な顔して俺を見ないでくれ。真剣な声で俺に聞かないでくれ。
 じっと見据えられ、きゅっと心臓が締まる。
 俺がこういうことを言うのが苦手だって知ってるくせに。ずるい。

「準一さん」
「……嫌なら、最初からここにいるわけねえだろ」

 緊張で声帯が震え、自然と声が上擦った。糞恥ずかしい。
 あまりにも熱くなる顔面に、まともに藤也の顔が直視出来なくなった俺は俯きながらそうしどろもどろと口にする。
 ちゃんと相手に伝わったか自信はなかったが、どうやら藤也は俺の言葉を理解してくれたようだ。僅かに藤也の頬が弛んだような気がした。
 そして、

「準一さん」
「待った、ちょっと待てって!」

 構わず再び迫ってくる藤也に慌てて肩を掴み、それを止める。
 人の話を聞いてたのか聞いてなかったのか、「なに」と惚けたような顔して尋ねてくる藤也に俺は絶句した。

「だ、だからぁ……」
「………………」

 今度の今度こそは文句言ってやろう。
 そう意気込んではみるが、無言でこちらをじっと見てくる藤也から発せられるプレッシャーに俺の意思は見事泡となって消えた。

「……せめて一言お願いします……」

 ああ、どんだけ弱いんだ俺。でもやっぱり微妙に嬉しそうな藤也を見てると『もうどうにでもなってしまえ』とヤケクソにならずにはいられない。
 惚れた弱味という言葉が脳裏を過り、「わかった」なんて頷く藤也の顔を見れなくなる。
 顔が近付いてきて目をぎゅって瞑ったとき、ふと伸びてきた藤也の手に前髪を掻き上げられた。
 そして、ちゅ、と消え入りそうな小さなリップ音とともに額に柔らかいあの感触が触れる。
 さっきまで散々唇にされてたからか、まさかデコされるとは思っていなかった俺はゆっくりと目を開いた。
 すぐ側には藤也の顔があり、ぽかんと驚く俺の視線に気付いた藤也はそっと離れる。

「……口じゃねえの?」
「……誘ってんの?」
「は?違う、違うからっ」

 俺の言葉に呆れたような顔をする藤也に、自分の失言に気付いた俺は慌てて首を横にする。
 すると、藤也は少しだけ笑いながら「わかってる」と呟いた。

「さっきも言ったじゃん。だから、一緒に慣れるために最初は少しずつね」

 そういう問題なのかと突っ込みそうになったが『一緒に』という言葉に見事ほだされてしまう俺は、なんだかもう幸せすぎて成仏した。


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