亡霊が思うには


 19

「もしかして……それで挑発したつもりです?悪いけど、俺そこまで馬鹿じゃないですよ」

「拘束外してほしいんならお望み通り壊してあげましょうか、けど、準一さんがここから逃れることは不可能でしょうけど」どうにかして拘束だけでも外させれたら、そう思ったのだが、思いの外その挑発は上手く行った。無表情のまま向けられた銃口、次の瞬間、破裂するような音とともに白ばむ視界。手首の感覚が一瞬消えた。それからすぐ、じわじわと焼けるような痛み、否衝撃が肘から先、末端から這い上がってくる。

 この男、拘束ごと俺の手首を撃ちやがった。これが生前だと思えばゾッとする。痛覚がない今でも痛みを感じてしまいそうになるほどだ。自分の腕がどうなってるのか、確認したくもない。けれど、確かにこれで拘束は外れたのだ。

 血と焦げたような硝煙の匂いの中、俺はちゃんとついているのかどうかすらわからない手を伸ばしやつが用意していたニッパーを奪った。死んでてよかった。指先に感覚が戻るのを感じながら思いっきりそのニッパーの先端部でやつの顔面を殴った。手応えは、あった。けれど、抉れた顔の皮も瞬く間に戻っていく。やはり、俺じゃだめなのだ。
 そう悟ったとき、伸びてきた手に首を締め上げられる。

「……ッ、本当にお行儀が悪い」

 ピクピクと痙攣する表情筋。色男もここまでくれば型なしだ。滲む殺気を隠すことすらできていない。血で汚れたハンマーで顔を横殴りにされる。眼球に槌の部分が刺さり、眼球が潰れたのか視界が一瞬黒くなるが、それも一瞬。やつに前髪を掴み上げられる。顔の傷も、指の先も、戻っていく。皮膚の中、血管を押し上げるように骨が蠢く感触は相変わらず慣れそうにない。

「……お前みたいなやつに殺せねえよ。俺も、南波さんも」

 絶対に死なない。殺されない。こんなところで死んでやるものか。ここまで来たら子供の意地の張り合いだ。心が折れた瞬間、俺が諦めた瞬間南波も俺もおしまいだ。

「いやあんたは死ぬ」

 口の中、捩じ込まれる鉄の感触。血の味なのか銃特有のそれなのかしらないが、ひんやりとしたその硬いそれは俺の歯を抉じ開ける。その銃身を掴んで、剣崎を睨んだ。

「存在しねー亡霊に殺されるんすよ」

 そして引き金を引いた。
 頭を撃ち抜かれるのは、なかなか貴重な体験だと思う。飛び散るピンクが混じった赤が自分のだと理解したときには視界はブラックアウト。恐らく眼球もいかれたのだろう。
 けれど、死んでいない。俺は、生きている。

「……っ、が、は……ッ」

 撃ち抜かれた衝撃で折れ、口の中に刺さった歯も、潰れてあっちこっちに四散していた肉片も全部が元あるべきところに戻っていく。ゆっくりと、確実に。それでも、やつは元通りになろうとしていた俺の体を更に撃ったらしい。どこを撃たれたのかすらわからない。ただ、俺の意識が更にバラバラになっていく。どれが俺で、どこが自分の体なのか。それでも、俺は生きてる。死なない。例え残ったのが指一本でも、必ず見失わない。
 耳がやられたのか銃の発砲音すらも聞こえなくなる。けれど、まだ意識は保っている。南波さんが、来るまで。それまでの辛抱だ。耐えられる。俺は。俺が。

 …………。
 ………………。

「……っ、アンタ、本当しつこいっすね」
「言っただろ、お前に俺たちは殺せない 」

 光を、色を取り戻した視界の向こう。
 引き攣った笑みを浮かべる剣崎。そして、その奥、その背後で開く扉を見て俺は笑った。 
 剣崎が背後を振り返ったと同時だった。破裂するような音ともに、剣崎の体が痙攣する。そして、そのスーツに赤い血がじわりと滲んだ。

「っ、な……なんで」

 ごぽり、と、剣崎の濁った声とともに赤黒い血がやつの体からぼたぼたと漏れる。
 けれど、銃声はそれで止まなかった。二発、三発、四発……何度も何度も、執拗に南波は剣崎を撃った。その体がだらんと人形のように倒れて動かなくなっても取り憑かれたように弾を打ち込んだ。やがて、ガキンと音を立て弾切れを報せる銃。それを捨てた瞬間。目の前の剣崎がどろりと泥のように消えるのだ。
 違う、剣崎だけではない。俺を捕まえていた椅子も、忌々しいあの部屋も、全部消えてなくなる。

 そして、青々と茂る樹海の中。俺と南波だけがそこにいた。
 膝をついたまま動かなくなる南波に駆け寄る。俺の体もいつの間にかにいつも通りになっていて、南波のシャツは赤く染まっていた。「南波さん」と名前を呼んだとき、乱れた前髪の下、焦点の定まっていなかったその目が俺を見た。

 南波さん。もう一度、そう名前を呼ぼうとした瞬間、伸びてきた腕に抱き締められる。強い力で、まるで存在を確かめるように何度も背中を擦られ、肩口に顔を埋めてくるのだ。
 驚いたが、触れてくる南波の手に俺も安堵したのだ。
 夢じゃない、俺たちは、現実に戻ってくることができたのだ。南波の記憶を取り戻して、この現実に。
 微かに震えるその背中を撫でながら、俺は南波が落ち着くまでそのままにした。

 どれほど時間が経っていたのかわからない。けれど、俺たちはあのとき掘り返した墓場へと来ていた。あのときの穴は既に戻されていた。恐らく花鶏が片付けてくれたのだろう。
 端的に言えば、南波も俺も全部覚えていた。
 記憶を失ったあとのやり取りも、南波の精神世界の中でのことも、バラバラになっていた記憶が全部元通りになっていた。
 南波は、恐怖症を克服したようだ。俺を抱きしめられるくらいだ。やはり、南波の恐怖症に剣崎や組長さんのことが深く関わっていると思うと思うところはあるが、南波はそれを断ち切ることができたのだ。今はそのことを喜ぶべきだろう。

「準一さんも、見たんですよね。俺の記憶」
「……はい、すみません」
「いや、それはいいんだ。つか、俺が準一さん呼んだんだし……寧ろアンタだから……」
「……南波さん」
「本当なら、俺も考次郎さんも犬死してた。……アンタはそれを、考次郎さんを生かそうとしてくれた」
「……っ、でも……俺は……」
「もう死んでんだよ。俺も、あの人も」

「俺が殺したんだ」と、南波は吐き捨てるように続ける。虫の鳴き声が一層大きく聞こえる。生ぬるい風が俺たちの間を抜けていく。

「……見たんだろ、俺の記憶」
「……はい」
「あの世界でも、本当なら俺がまた同じことを繰り返すだけだった。俺が考次郎さんを殺して、剣崎に殺される。……けど、アンタがそれを救ってくれたんだ」

「ありがとう」アンタは俺の恩人だ、と。静かに続ける南波に俺は何も言えなかった。けれど南波のその言葉を聞いた瞬間、胸がすっと軽くなるのだ。

 ……こんな風に穏やかに笑う南波を見ることができる日が来るなんて思ってもいなかった。
 嬉しい半面、むず痒くなる。こうもストレートに感謝の気持ちを伝えられるのがここまで温かいものだとは思わなくて、どんな顔をしたらいいのかわからなくなった俺は咄嗟に視線を外す。こちらこそ、と小さく口にしたが、南波の耳に届いたかはわからない。俺の方だって、助けられた。南波のことを信じていた。あのとき来なかったら、俺もここに戻れたかすら怪しい。
 暫くまた沈黙が流れる。けれど、以前のような気まずさはない。

「……あの、南波さん。前みたいに準一って呼んでくれてもいいんですよ。俺年下ですし、敬語も……」
「っ、そんな失礼な真似……」
「失礼?」
「いや……違うな、そうだな……」

 ごほん、と南波は咳払いをし、視線を泳がせる。そして、諦めたように俺に目を向けるのだ。

「じゅ……んいち」
「……っ」
「――準一」

 精神世界で南波の舎弟をやらされていたことが既に懐かしい。南波にこうして名前を呼んでもらえることがここまで嬉しく感じるとは。暫く俺と南波は無言で視線を交わしていたが、先に痺れを切らしたのは南波だった。

「っ、あ゛ー!やめだ!やめやめ!せっかくようやく思い出したってのにこんなんじゃなんも変わんねえ!」
「あ、あの……南波さん?」

 急に大きな声出すものだから驚いて固まる俺に、南波は改めてこちらに向き直るのだ。
「準一」と、もう一度なぞるように俺の名前を呼ぶ。

「……あんたに逢えてよかった」
「っ、南波さん」
「あんたのお陰だ、準一」

 嬉しい。けれど、こうして改まられると逆に不安になってくる。まるで永遠の別れのように。
 様子が変だ。そう、「南波さん」と名前を呼び、手を伸ばす。
 瞬間、突風が吹いた。葉と葉が擦れ合う音が響く。強い風に思わず目を瞑ったとき。

「――え?」

 目の前にいたはずの南波の姿は消えていた。
 その代わり、地面の上には錆びた指輪だけが落ちていた。


 ◆ ◆ ◆


 南波がいなくなってからどれくらいが経ったのだろうか。
 正確には多分、一日と少しくらいだろうか。
 あのときの南波の笑顔、声、もしかして、と背筋が冷たくなる。成仏、なんて言葉が脳裏を過った。
 本来ならば喜ばしいことなのだろう。南波は記憶を取り戻して、そしてトラウマを自ら克服した。
 ……それなのに、胸にはぽっかりと穴が空いたようだった。

 せっかく、南波が俺の目を見て笑ってくれるようになったのに。素直に喜べない自分が嫌だった。けれど、この喪失感は誤魔化しようがなかった。

 現実世界では俺と南波がいなくなってから数日経過していたようだ。俺の姿を見た藤也と奈都は安堵したように俺を出迎えてくれたが、「南波さんは?」と二人に聞かれても何も答えることができなかった。
 幸喜はいつも通り、「準一がいない間退屈してたんだよ。よかった、どっかで野垂れ死んでるのかと思った」と笑っていた。南波については特に気にした様子もない。
 ただ一人、花鶏だけは俺の様子から何かを感じたのか。何も聞かずに「おかえりなさい」と俺に微笑みかけたのだ。

「……南波の精神世界に行ってたんでしょう。無事でよかったです」
「花鶏さん……どうして……」
「わかりますよ、貴方の様子を見れば。……それにしても、元気がないのが少々気になりますが」

 どうかしたんですか?と、優しい声で聞かれれば、相手が花鶏だとわかっていても我慢していたものが溢れ出しそうになった。

「っ、花鶏さん……」
「はい」
「南波さんが……っ」
「……南波がどうしたんですか?」

 俺のせいで消えてしまった、と言い掛けたときだった。

「花鶏テメェ話はまだ終わってねえだろうがこのカマ野郎!!!!」

 部屋の扉が勢いよく開き、現れたのは――先日俺の目の前から姿を消した南波だった。……そう、南波だ。いつものように巻き舌でチンピラよろしく飛び込んできた南波に、俺も、そして南波自身も凍りついた。ただ一人花鶏だけはニコニコと微笑んだまま。

「な、南波さん……?」
「あ、じゅ……準一……」

 やべ、みたいな顔をしてそそくさと部屋から逃げ出そうとする南波に咄嗟に俺はその腕を掴んだ。

「南波さん、い、今までどこに行ってたんですか……!」
「あ、あーっと……」
「私の方から説明しましょうか。この捻くれヘタレ男、貴方に素直に色々こっ恥ずかしいことを言ってしまったことが耐えられずに逃げ隠れしてたんですよ。おまけにしっかりと人には文句を言いに来るくせに」
「な、……な……」
「お、おい!余計なこと言うんじゃねえぞこの……っ!」

 つまり、また南波の逃避癖が出たってことか。
 あんまりだ、とショックを受ける半面、またこうして南波の顔を見れたことにただひたすら安堵し、脱力した。

「お、俺……本気で南波さんが成仏したのかと……っ」
「わ、悪い……」
「今回ばかりは貴方が全面的に悪いですからね、南波」
「お、お前だって共犯だろうが!」
「おや、なんのことやら」
「……っ、南波さん……っ!」
「っ!お、おう……悪かったって……」
「……別に怒ってないです」

 そうだ、と俺はポケットに仕舞っていた南波の落とし物を取り出した。そして、それを手渡せば、「これ」と南波は目を見張る。最上考次郎の結婚指輪。それは、俺が持っていていいものではない。

「……南波さんに返せてよかったです」
「準一……」
「言ったでしょう、南波。……準一さんは優しい方だと」
「……んなの、お前に言われなくても知ってっから」

 ありがとな、と指輪を握り締めた南波はそう言って目を伏せた。


 【Episode7.END】


「そういえば、どうして成仏できなかったんでしょうか。私は貴方の未練は記憶のことだとばかり思っていたのですが」
「……簡単な話だ。俺にはやらなきゃならねえことができたからな」
「貴方の部下だった彼のことですか」
「当たり前だ。……その後の組のことも気になる。それを調べる。今度は自分の目で確かめるんだ」
「それならば準一さんに協力を仰げばいいのではないですか?幸い、仲吉さんも居ますし簡単に情報を手にすることができるのでは?」
「あいつらにんなこと頼めるかよ。自分のケツくらい自分で拭く」
「……南波、こんなに立派になって……」
「一挙一動が腹立つんだよテメェはよぉ……!!
 つか、それに……」
「それに?」
「……こんなわけわかんねえやつしかいねえところにアイツだけ残しとくわけにも行かないしな」
「アイツですか、貴方の部下ではないんですがね。準一さんは」
「チッ!うるせえな、言っとくがお前に一番信用ならねえんだからな」
「おやおや、すっかり嫌われましたねえ……。まあ、いいでしょう。ならば、心ゆくまでここにいるといいですよ。これからも末永くよろしくお願いしますね」
「冗談、さっさとここを出ていって成仏してやる」
「おやおや……全くその減らず口も困りものですね。……まあ、死人よりかはマシでしょうが」


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