短編


 03

「蜂谷、どっか寄って帰ろーぜー」


 放課後。
 眠そうな顔をして教室までやってきた前野に「おう」と返す。
 帰宅の準備を済ませ、ぺたぺたと前野の元へ向かったとき。

「ってなんで小鳩までいんの」
「小鳩?いねえよ、そんなやつ」
「じゃあ、なんだよそれ」
「新しいカバン置き。な」

 言いながら、カバンを抱える小鳩の頭をぽんと抑えれば目を輝かせた小鳩は嬉しそうに「わん!」と吠えた。

「どっから突っ込めば」

 俺も知らない。

 ◆ ◆ ◆

「次なんだっけ、数学?」
「めんどくせーからパス」
「なら屋上行こうぜ」

 休み時間終了間際。前野たちとだらだら廊下を歩いていると、ふと友人の一人が窓から顔を出した。

「あ、あれって小鳩じゃね?」
「また告られてんのかよ、女子も飽きねえなぁ。……って、うそ、三年の超美人じゃん」

 その前野に、「え?まじ?!」と友人たちが窓枠へ食い掛かる。
 小鳩がモテることは前からだ。
 高校に入学してからすぐ在校生や同級生、何人もの女子生徒とたまに男子生徒や教師を魅了していた。
 だけど、小鳩はそれを嫌がっている。
 小さい頃からたくさんの人間に囲まれていたからこそ、小鳩は人間関係そのものにうんざりしている気があった。
 だからこそ、小鳩は面倒くさい性癖を抉らせたのだろう。
 それでも、話し掛けてくる人間を無下に出来ない小鳩だからこそ俺もこうして今でもつるむことが出来るのだろう。
 なんて思いながら、前野たちと一緒に窓の外へ目を向ける。確かにそこには小鳩と女子生徒の姿があった。

「はあ、嘘だろ。俺狙ってたのに」
「うわあああ羨ましい、くそ、小鳩まじボコる」
「……」

 楽しそうに笑いあう女子生徒と小鳩。そのあとを追うように次々と友人たちが現れ、小鳩を囲んでいく。
 楽しそうな連中。その中で浮かべる小鳩の笑顔は見たことのないもので。
 本当ならば、こうして普通に友達と過ごして笑うのが小鳩には似合っているのだろう。そう、眺める景色に自分の姿はない。

「蜂谷?」

 無言で窓の外を見つめる俺からなにか察したのかもしれない。不思議そうな顔をした前野が、欠伸を噛み締めるように名前を呼んでくる。

「……わり、ちょっとトイレ」

 なんとなく居心地が悪くなり、それだけを言い残して俺はその場から離れた。
 小鳩は無理して自分なんかに付き合っているのではないか。
 あのときの俺の命令が小鳩を縛り付けてるんではないのか。そんな考えが、ぐるぐると頭の中を回る。
 ぐるぐる、ぐるぐると。

 ◆ ◆ ◆

「蜂谷!」
「……」
「蜂谷ってば!」

 耳元で大きな声で呼ばれ、視線だけ向ければそこには拗ねたように頬を膨らませる小鳩がいた。
 春の陽気に包まれた日差しが差し込む教室の中にて、先ほど小鳩が遊びに来ていたことを思い出す。

「……ん、ああ、わり」
「は、蜂谷が謝った……?うそ、これは夢?っていてえし」
「……喧嘩売ってんのか、テメェ」

 小鳩の話し相手をするのも怠くて、眠気からか重たくなる瞼を擦りながら答えれば益々小鳩は不安そうな顔をしていて。

「どうしたんだよ、そんなボケーッとして。俺というものがいながら考え事?」
「別にいいだろ、どうでも」
「ノーツッコミ……」

 ここ最近、小鳩と一緒にいる時間が少しだけ息苦しくなった。
 小鳩は喧しいくらいに賑やかなやつだし、退屈することもなかったが、だからこそ自分が小鳩の隣にいていいのかと思うようになった。
 前、まだ自分と小鳩しか見えていなかった頃。言いなりになる小鳩に胸が満たされていた。
 だけど今は、俺からの命令を待つ小鳩に虚しさすら覚えるようになる。
 俺がなりたかったのは、こんなんじゃなくて、もっと、もっと……。

「小鳩くーん、おいでー!お菓子あるよー!」

 いきなり、俺の考えをふっ飛ばすように勢い良く教室の扉が開いたと思えば、黄色い声が複数上がる。
 なんてことはない、小鳩目当ての三年だろう。

「あ、先輩……」

 がたりと椅子を引き、小さく腰を上げる小鳩だったが俺と一緒ということを思い出したようだ。
 困ったように俺に目を向ける。助けを求めるようなその視線が辛くて、俺はそっぽ向いた。

「……行けよ」
「え、でも」
「命令だ、行って来い」

 思ったよりも低い声が出た。
 吐き捨てるように呟く俺をどう思ったかわからなかったが、まだどこか腑に落ちない様子の小鳩は迷いながらも立ちあがる。

「う……うん、わかった」

 そして、戸惑いがちに頷いた小鳩はそのまま教室の外で待つ三年生たちの元へと向かった。
 こんなはずじゃなかったのに。これじゃあ、まるで俺が拗ねているみたいじゃないか。
 友人の元へ行く小鳩を笑顔で見送ることすら出来ない自分が小鳩と普通の関係になりたいと思うことすら浅はかで。
 何してるんだ、俺は。一人になり、急激な孤独感が全身にのし掛かってくる。
 戻ってくるかもわからない小鳩を普通の態度で迎えられる自信がなく、俺は逃げるように教室を後にした。


「蜂谷!次、サッカーだってよ、体育!準備運動に俺をボールにしてもいいぜ!……蜂谷?なあ、蜂谷ってばー!」

 遠くにいても聞こえるくらいの声で延々と名前を連呼する小鳩に、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうになる。
 しかし、ここで振り返ってしまったら駄目だ。なんとしても、小鳩離れをしなければならないんだ、俺は。

「なあ、いいのか、あれ」

 そんな俺の意思とは関係無く隣を歩いていた前野の方が痺れを切らしたようだ。
 うんざりしたような様子で耳を抑える前野に俺は「別に」とだけ答える。素っ気ない口調になってしまい、前野は意外そうに目を丸くした。

「この間までべったりだったくせに、喧嘩か?」
「だから、なんでもねぇって」
「嘘、めっちゃ目赤くなってる」
「なってねえ」
「お前、自分が映画見てて感動のシーンに入るとすぐに目赤くなるのしってる?」

 なにが言いたいんだよ、と睨むように前野をじとりと見上げたときだ。

「は!ち!や!」

 耳を塞ぎたくなるような大きな声がしたと思えば、乱暴に肩を掴まれる。
 どうやら我慢の限界に達した小鳩が実力行使に出たようだ。だからといって、怯むようなあれでもないのだが。

「……」
「なんで無視すんだよ」
「……」
「蜂谷」

 コッチ見ろ、とでもいうかのように両頬を掌で挟まれ、強引に正面向かされた。
 首が痛むことよりも、小鳩の馬鹿みたいに真っ直ぐな瞳と視線がぶつかり合い、不覚にも胸が大きか弾んでしまう。それを紛らわすように俺は「触んじゃねえ」と小鳩の手を振り払った。そして、お望み通りに小鳩を睨み付けてやる。

「……ごっこ遊び、いい加減飽きたんだよ」
「は?」
「これからはもう俺に構うな。他の奴らと付き合うなり好きにしていいぞ」

 あしらうように小鳩の手を叩き落とし、そのまま歩き出せば再度肩を引っ張られ、強引に足止めされる。
 先ほどとは比べ物にならない力強いその手に骨が軋んだ。

「どういう意味だよ、それ」

 聞いたことのないような、低い声。
 怒ってる。顔を見なくても、そのことだけはよくわかった。
 だからこそ余計小鳩の顔を見ることが出来なくて、「うるせえんだよ」と舌打ちをし、強引に小鳩を振り払った。
 そして、小鳩がまたなにかアクション掛けてくるよりも先に逃げるようにその場を後にする。小鳩がなにかを言っていたが、いっぱいいっぱいの俺の頭はただ逃げることが精一杯だった。


「……はぁ」

 何度目の溜息だろうか。結局、学校にいることすらきつくてそのまま早退した俺は自室に篭っていた。
 蹲るベッドの上。これで、いいんだよな。そう、自分に言い聞かせるようにして手元の写真を見詰める。
 小学校の入学式。小鳩の母親に撮ってもらったその写真には、幼い晴れ着姿の俺と小鳩が並んでいた。
 俺と小鳩がまだ普通の友達だった頃の、普通のツーショット。

 これで、またあの頃みたいに普通の友達に戻れるのだろうか。
 記憶に新しい、小鳩への命令。小鳩だけはなんとしても逃したくなくて、側にいてほしくて、あんな馬鹿な命令をした。
 だけど、小鳩が住む世界の違う住人だと確信してしまった今、ただあいつを独占することが息苦しい。
 そう思うくらい、気が付いたら俺は小鳩に惹かれていたのだろう。小鳩が最も嫌う人間になっていたのだろう。

 夕刻。
 そろそろ学校が終わり、街全体が帰宅部の生徒たちで賑わいだす頃だろう。
 なんてぼんやり空腹の頭で考えていた時だ。コンコンと、窓からなにか音がする。
 うるせーな、と思いながらベランダへと続く窓へと視線を移したとき、俺はベッドから飛び起きた。

「って、うわっ!」

 どうやって登ってきたのか、そこには制服姿の小鳩がいた。
 というかどんどん窓を叩くな!壊れる!
 あまりの出来事に思考停止しかけたが、開けて開けてと窓の外から叫ぶ小鳩に慌てて俺は窓に駆け寄った。そして、窓ガラスを開く。

「な、なにしてんだよ!お前!」
「だって、電話しても出ねえだろうし」
「で、出るよ……そんくらい」

 文句を言おうとしたが、図星を指されついつい語尾が弱くなる。そんな俺にトドメを刺すかのように「嘘だ」と即答する小鳩。
 確かに嘘だ、嘘だけども。

「……何しに来たんだよ」
「文句言いに」

 それだけ答えた小鳩は、ベランダで靴を脱ぐなりよっこらせと部屋の中へずかずかと入ってくる。
「おい」と慌てて小鳩を止めれば、素直に小鳩は立ち止まる。そして、俺を真っ直ぐ見据えた。

「俺をこんな風にしておいて、自分だけ逃げるのはずるいだろ」

 睨むような強い視線に、思わず怯む。
 いくらどんなゴツいゴリラみてえなやつにガン付けられてもどうも思わなかったのに、なぜだろうか。小鳩の目に弱い。そして、その理由も俺はすでに理解してるはずだ。

「……お前は良いんだろ、自分をいじめてくれるやつなら誰でも」

 目を合わせるのがバツが悪くて、俯きがちに言い返せば小鳩はわざとらしく大きな溜息を吐いた。

「あのなぁ、勝手に決めんなよ。俺、そんな軽くねえし。第一、興味ねえ奴にいたぶられたところで興奮も勃起もしねえし!」
「な、何言ってんだよ」
「蜂谷じゃないと、駄目なんだ。俺を嫌うのは」

 その一言に、胸がじんっと熱くなる。
 しかし、それと同時にその言葉は胸を深く抉り、俺に大打撃を与えた。
 小鳩は、俺の嫌悪しか求めていない。そうハッキリと言われ、全身の血が滾るように熱くなった。 

「……ふざけんなよ、なんなんだよ、それ。勝手すぎんだろ」
「ああ。知ってる。ムカツクなら好きなだけ殴れよ」
「殴らねえよ、もう」
「なんで?」
「俺は……っ、もう、こういう関係はやなんだよっ!俺も、普通に話して普通にお前とつるみたいんだよ、友達みてえにっ!」

 言葉にすればするほど胸の高ぶりは収まるどころか悪化するばかりで、恐らく、溜まりに溜まった俺の感情はもう既に自制が利かないレベルに達していたのだろう。
 口にすればするほど胸のそこから感情の波が溢れ出し、熱くなった目頭からはぽろぽろと涙が溢れ出した。それでも構わず、俺は、気持ちを吐露する。

「好きな奴に嫌いとか言いたくねえんだよっ」

 結果なんてどうでもよかった。ただ、本心を伝えたかった。
 引かれようが、嫌がられようが、このまま小鳩を縛り付けるのだけは嫌だった。覚悟は、できていた。

「……」

 気圧されたのか、引いたのか、小鳩はなにも言わなかった。
 開きっぱなしの窓の外から聞こえてくる帰宅部の楽しそうな声がやけに大きく部屋に響く。
 小鳩の顔を見ることはできなかった。
 俯いた瞳からは壊れた蛇口みたいに涙が止めどなく溢れ、やがて、どれくらいの時間が経ったときだろうか。頭を、撫でられた。

「小鳩……」

 驚いて、顔を上げたとき。強引に、頭を押さえ付けられる。

「よく、頑張ったな」

 頭上から落ちてくるのは、優しい小鳩の声。わしわしと髪をかき混ぜる大きな掌に一瞬、安堵した。

「でも……ごめん」

 そして、僅かに震えた小鳩の声に、俺はゆっくりと目を閉じた。


『ごめん、そういうのはちょっと……困る』
『正直好かれるのは好きじゃないし』
『つか、蜂谷知ってるよな。それ。わざと?なら満点だぞ』
『っつーわけで、今日は帰るわ。また明日な!』

 覚悟はできていた。できていた。できていたけど、こんなのって、どうなんだ。
 小鳩が立ち去ったあとの自室内。
 何年ぶりだろうか、俺は声を上げて泣いた。頑張って、頑張って、小鳩みたいに口も上手くないが、俺なりに必死になって伝えた。それなのに。相思相愛を求めていないわけではない。ただの友達になりたい、そう思う時点で多少の自惚れは自覚していた。
 だからこそ、俺は小鳩を甘く見ていた。
 あいつは、俺が思ってる以上に……。
 あのときの屈辱が、羞恥が、全身の血を滾らせる。
 破裂しそうなくらいの勢いで脈打つ心臓は収まる気配がなく、寧ろ、益々悪化したような気がしてならない。
 どうかしたのだろうか、俺は。フラれたはずなのに、息が止まりそうなくらいの屈辱を受けたはずなのに、思い出せば出すほど、小鳩の顔が、声が、離れなくて。
 また、小鳩と当たり前のように話すことが出来る。
 努力の末、なんの進展もクソもないその結果に、それでも小鳩と話すことができるのならそれでいい。そう、犬みたいにしっぽ振って喜ぶ俺がいた。


 ◇ ◇ ◇

 今日は、気分がいい。
 毎度のことながらテストも百点満点とれたし、体育の試合も勝てた。
 いいなと思っていた女子にしゃぶらせる事もできたし、気に入らなかった教師は左遷されることになった。
 そして、なにより……。

「小鳩くん、ねえ、一緒に……」
「わりぃ、そんな気分じゃねえから」

 夜の街、次々と掛けられる声を適当にあしらいながらひたすら歩く。
 目的地はない。ただ、こうして夜の風を浴びなければ全身の昂ぶりが収まりそうになかった。

 蜂谷に、告白された。泣き付かれて、友達になりたいって言われた。
 あのときのことを思い出しただけで頭に血が昇り、どうしようもなく胸が締め付けられる。

「でもまあ、あの顔は最っ高だったな」

 蜂谷の唯一の取り柄である勉強を奪った時も、体育祭でわざと転ばせた時も、親にボコられてボロボロになりながらも俺の前じゃなにもなかったかのように必死に取り繕った時も、似合わない金髪にして不良ぶり始めた時も、勝手に俺にコンプレックス抱いて筋トレし始めた時も、腕相撲でわざと負けてやってそれに気付かないでアホみたいに喜んでいた時も、こんな馬鹿みたいなごっこあそびに夢中になって振るえもしない鞭を振っていた時も、いつも笑えて笑えて仕方なかったけど俺の中ではあの時の蜂谷がナンバーワンに入るだろう。
 しかし、長かった。単純であほで根性なしの蜂谷のことだ。すぐにあっさりと泣き付いてくると思っていたのだが、まさかこんなお遊びにここまで粘るなんて。
 お陰でうっかり俺までハマりそうになってしまった。

「……ま、楽しくなるのはこれからだけどな」

 時間をかけてじっくりと落とした獲物だ。甚振るのも、じっくり、じっくりと時間を掛けて骨の髄までしゃぶりついてやる。
 これからの未来に甘い甘い期待を寄せながら俺は乾いた唇に舌を這わせた。

 おしまい



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