感染恋心
「結婚なんてさせない」
そう意気込んでいた俺は仲睦まじい二人になにをどうすることもできず、呆然とする俺だけを取り残し時間はただ過ぎていく。
佐鳥兄ちゃんと時雨麟子の式が無事終わり、数ヵ月後。予定通り時雨麟子は体内に宿らせた兄ちゃんの子供を出産させた。
そして、更に数年後。
「れーちゃん、だっこ」
「兄ちゃんもう疲れちゃったよ」
「やだ、だっこ」
「じゃあ砂場で遊ぼっか」
高校を卒業し、社会人になった俺はベンチに腰をかけ砂場で遊ぶまだ幼い男の子を眺めていた。
兄ちゃんと時雨麟子、いや、烏丸麟子の子供。名前は季。
どちらかと言えば麟子さんに似ているが、どことなくいつの日か見せてもらった兄ちゃんの幼い頃に似ている気もしないでもない。
麟子さんじゃなくて俺とのだったらどんな感じなのかな、なんてぼんやり思いながら山だかなんだかよくらわからないものを熱心につくる季くんを眺める休日の昼下がり。
兄ちゃんも、初めて俺に会ったときこんな気持ちだったのだろうか。胸の中で渦巻く愛憎を確かに感じながら低く息を吐いたとき。
「れー君」
ふいに、声をかけられた。振り返ればそこには麟子さんがいた。
初めて会ったときより短くなった髪に、膨らんだ腹部。兄ちゃんと麟子さんの第二児。
「ごめんね、せっかく遊びに来たのに子守りさせちゃって」
申し訳なさそうに笑いながらぱたぱたと歩み寄ってくる麟子さんに苦笑を浮かべながら顔を逸らした俺は「いいよ、別に」とだけ答える。
砂場遊びに夢中になっていた季くんは母親の姿を見るなり「まぁま」と麟子さんに駆け寄った。それを手を広げ受け入れる麟子さん。
季くんの背中を撫で抱き抱える麟子さんはなにか思い出したように「そうだ」とこちらを振り返る。
「さっき麻尋ちゃんから電話かかってきたよ。『また約束すっぽかされた』って」
「あ」
「季はあたしに任せて。れー君は麻尋ちゃんのところに行ってあげて」
「お腹の赤ちゃんもお父さんを待ってるよ」そうにこりと無邪気に微笑みかけてくる麟子さんにぎくりとしながら俺は「……はは」と力なく笑い、そして二人と別れ公園を後にした。
携帯電話を開けば麻尋さんから大量の着信があり、戦慄する。
そういや麻尋さん、買い物に付き合ってって言ってたなあ。思いながらそう遠くはない自宅へと足を進める。
もし、季くんが兄ちゃんにもっと似ていたら俺はどうしただろうか。もしかしたら、手を出していたのかもしれない。佐鳥兄ちゃんが俺に手を出したように、行き場を無くした恋心の拠り所を探すため。
自宅マンションの自室扉にかかった『狭間』とかかれたネームプレートを一瞥し、足を止めた俺は自分の顔に触れた。そして、凝り固まった顔面の筋肉を揉み解す。
時折、佐鳥兄ちゃんが見せた父親への恨めしげな顔を思い出す。
俺も、麟子さんと話すときあんな顔をしていたのだろうかと思うと何故だか言い知れないものが腹の底から込み上げてきた。
世の中というのはなんと皮肉なのだろうか。佐鳥兄ちゃんに憧れるあまりか、同じ道を歩み掛けている自分に苦笑が漏れた。
すると、目の前の扉が開く。
「怜衣っ、いつまでブラブラしてたのよ!」
怒った麻尋さんは俺の姿を見付けるなり声を荒げ、そしてぼんやりしている俺に気付いたのかはっとした。
「お……おかえりなさい」
恥ずかしそうに目を伏せ、上目がちに見上げてくる麻尋さんはそう声を震わせた。
終わらない関係はまるで螺旋のようで。感染する感情は波打ち広がる波紋のようで。
未だ後を引く恋心は俺の歩みを止めさせない。
感
染
恋心
「ただいま、麻尋さん」
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