短編


 02※

 翌朝。


「亜太郎、おっす」

「アキちゃん、おはよう。珍しいね、朝から登校してるなんて」

「だろ?実はオール。朝まで遊んでてそのまま来ちゃった」

「……大丈夫なの?寝てないんだよね?」


「……正直割ときついな。特にこの朝日」


 なんて言いながら、アキちゃんと一緒に校門潜ろうとしたら「おい秋庭!何だその頭は!」と学年主任が飛んできた。


「ゲッ、ハゲだ。俺の髪に嫉妬してきやがった。あいつの説教はまじで長えからな、おい、亜太郎……逃げるぞ!」

「え、ええっ?!ぼ、僕も……?!」


 正直怒られるのはアキちゃんだけだと思うんですけど……。
 咄嗟に握られた手の熱さを感じながら、僕たちは校門前からUターンして引き返す。
 結局朝から学校をサボってしまうことになったのだが、もういまさらだ。どうにでもなれ、と思いながら僕はアキちゃんに振り払われないようにその後を追い掛ける。


 それから、僕たちはアキちゃんの家に一時避難することにした。
 相変わらずごみごみとしたアキちゃんの部屋。
 アキちゃんちは両親共働きで、ご両親もアキちゃんのサボりぐせには苦労してるようだ。会う度「亜太郎君からも馬鹿倫冶に言ってやってくれ」って言われる。
 けど、なんだかんだ可愛がられてるのがよく分かる。だから、アキちゃんちの温かい空気が好きだった。

「くっそ、走ったら暑ィな……」
「アキちゃんの部屋、またもの増えたね」
「これでも片付けてる方なんだぜ?おかしいだろ。ぜってー誰か俺がいないときに散らかしてるって」

 そんな無茶苦茶な。
 言いながら足で床に散乱した漫画やらなんやらを退けていくアキちゃん。
 大雑把というより、だらしないなぁ……。

「ほら、座れよ」
「ん……失礼します」

 ベッドに腰を掛けるアキちゃん。その隣に腰を下ろす。
 軋むベッド。カバンを足元に置けば、なんとなく沈黙が流れる。

「……」
「……」
「あれ?アキちゃん、寝ないの?」
「へっ?……なんでだよ」
「だって寝てないんだよね、それなら眠いでしょ。……寝なよ、だから帰ってきたんじゃないの?」

 てっきり僕はそう思っていた、けれど、アキちゃんは僕の言葉が気に入らなかったらしい。
 少しだけムッとしたのをみて、あ、違ったのかと内心焦った。けれど、それも少しの間のことだった。

「……お前残して寝たら拗ねるだろ」
「そんなことないよ。僕勝手に漫画読んでおくから」
「……可愛くねえな」
「ええ?……寂しいって言ってほしかったの?」

 ゴロンとベッド寝転がるアキちゃん。ふて寝するみたいにこちらに背中を向けたと思いきや、今度はいきなり僕の方を睨む。そして。

「……そうだよ」

 伸びてきた手に肩を引っ張られ、思いっきりベッドへと引きずり込まれた。
 びっくりして避けるのに遅れてしまう。そのまま仰向けに倒れ、天井が目の前に広がった。

「ちょっ、ちょっと、アキちゃん……!」

 服がシワになるとか、そんなことも関係ない。慌てて起き上がろうとする僕の肩を掴むようにベッドに押し倒してくるアキちゃんに、視界が陰る。こちらを見下ろすその目に、一瞬息が止まりそうになる。
 いつもの笑顔ではない、切羽詰まったような、その目は僕を捉えて離さない。
 ただごとではない雰囲気を察し、言葉に詰まった。

「あ、アキ……ちゃん……?」
「なあ、亜太郎……キスしていいか?」

 真剣な顔をしてそんなこと聞いてくるアキちゃんに、僕はただ狼狽える。いつもならそんなこと聞かないで勝手にしてくるくせに。
 アキちゃんの手が、肩を掴むその指に力が入る。逃げようと思えば逃げられたのだろう。けれど、それを拒むことはできなくて。

「……アキちゃんが、したいなら」

 いいよ、という言葉は続かなかった。
 鮮やかなエメラルドグリーンに目が眩んだ。
 最初、確かめるような触れ合うだけのキスは次第に深くなり、覆い被さってくるアキちゃんにベッドに縫い付けるように押し付けられる。

 アキちゃんとするキスは、変な感じがするけど嫌いではなかった。こんなことおかしいとは思ってたけど、それでも、相手がアキちゃんだからだろう。
 アキちゃんが気持ちいいならそれでいい。そんな風に思えてしまうのだ。いつもなら、ある程度満足したらアキちゃんは俺から唇を離していた。
 けれど、今回はなかなか唇が離れない。
 それどころか、もっとと言わんばかりに口の中を縦横無尽に舐め回され、舌ごと食われそうになる。

「っ、は、ん……む……」

 混ざり合う吐息に、触れるアキちゃんの唇の熱さに、だんだん頭の中がぼんやりとしてきた。
 朝、窓から差し込む日差しの中、日の高い内から何してんだというツッコミをする気にもなれない。外からは鳥の鳴き声と登校中の子供たちの楽しげな声が響いてくる。
 なのに、まるでこの部屋だけ世界から隔離されたみたいに静まり返っていて。
 粘膜同士が唾液で絡み、濡れた音が響いた。
 意識したくないのに、全身の熱が下腹部に集まりだすのがわかった。それを悟られたくなくて、必死に腿を閉じ、腰を引く。

「っ、……は」

 ちゅぽんと引き抜かれるアキちゃんの舌が僕の舌と糸で繋がってるのを見て顔が熱くなった。
 ズキズキと股間が痛い。アキちゃんは唇を離したと思えば、僕の唇を舐め、溢れた唾液を舐め取る。

「……なあ、亜太郎」
「……うん?」
「…………セックス、したい」

 単刀直入。恥じらいもなくそんなことを言い出すアキちゃんに、なんとなく、予感していた。日に日に増していく肌同士の触れ合いだったり、それこそキスをした日から明らかにアキちゃんの触り方に性的なものを孕んでいたことを僕は知っていた。
 超えちゃいけない一線。その一線を超えたいと言い出したのはアキちゃんだ。
 アキちゃんにとっては大多数いる経験相手の内の一人なのかもしれないが、僕にとってはそうではない。

「……っ」
「なあ、亜太郎」
「……アキちゃん」

 僕は、アキちゃんの金魚の糞だ。
 アキちゃんの機嫌取ることしかできない。それでも。

「なあ、駄目か?」

 甘えるように耳にキスをされ、背筋が震える。
 アキちゃんは恋人やセフレ相手にはこういう風に甘えるのか、こんなときでさえそんなことを考えてしまう自分が嫌になった。

 正直、僕は、どうだって良かった。
 キスを受け入れたあの日から、アキちゃんに対して嫌悪感がないことも理解してたし、それでも、こうして返事に躊躇ってしまうのはアキちゃんのことを考えるからだ。

「……いいけど、その、電気……消してくれないかな」

「あと、カーテンも閉めて」なんて言うと、アキちゃんは慌てて起き上がる。「すぐ閉める」なんて言うアキちゃんに思わず笑ってしまう。
 明かりが消えて薄ぼんやりとした部屋の中。

「アキちゃん、最初に言っておくね」

 僕は、ベッドに戻ってきたアキちゃんの手に触れた。熱い手のひら。「どうした」とすぐに握り返されるアキちゃんの手に、とくとくと心臓が脈打ち出す。

「……嫌になったらすぐに言ってね」

 真っ暗な部屋の中、自分の声が恐ろしく震えていたことに気付いて、なんだかそれがおかしくて笑ってしまう。

 高校に上がってから、人前で服を脱ぐことが嫌になった。
 体操着も誰もいない個室で着替えるようになったし、半袖半ズボンが着れなくなった。
 人に肌を見られるのが怖かった。アキちゃんはクラスが違うしあまり学校にはこないから一緒にならずに済んだが、それでも、夏場は怖かった。
 体を見られるのが。

「お前が嫌がるならわかるけど、……普通逆じゃね?」
「……ううん、逆じゃないよ。僕は、アキちゃんを嫌だと思わないから」
「……っ、そうかよ……」

 アキちゃんの手が微かに震えてるのがわかった。
 変な感じだ。アキちゃんだって慣れてるはずなのに、まるで僕達好きな人とでもしてるかのように触れ合うんだから。

 アキちゃん、アキちゃん。……アキちゃん。
 アキちゃんは僕相手にそうやって優しく触れてくれるんだね、女の子が皆勘違いするのもわかる。
 優しくされると、心の奥まで触られてるみたいにグズグズに溶けていくのだ。

「……アキちゃん」

 僕らにとってはスキンシップの、キスの延長線だ。
 そこに意味なんてないとわかってても、アキちゃんが僕だけを見てくれてると、必要としてくれていると実感することができるこの一瞬この時間だけは愛しく思えた。

「亜太郎、体、大丈夫か?」
「……うん、大丈夫だよ。それより、アキちゃんの方こそ……」
「え、俺?」
「……嫌じゃなかった?」

 なんて、単刀直入に尋ねてみる。
 ベッドの上、寝転んだ僕の顔を覗き込んでいたアキちゃんの顔がじわじわと赤くなった。

「い……嫌なら辞めろって言ったのは亜太郎だろ」
「うん、最後までやめなかったから少しは良かったのかなって思ったんだけど……」
「お前なぁ……少しはこう雰囲気とか?そういうの大切にしろよな」
「あ……ごめん、アキちゃんはそうこと言わないんだね」
「は、って」
「……ごめん、そろそろ門限だから帰るね。ごめんね、こんな時間まで邪魔しちゃって」

 体を起こし、ベッドを降りる。気付けばすっかり外は日が落ちているではないか。
 僕は置いていた鞄を抱え、上着を羽織り、アキちゃんの部屋を出る。アキちゃんはなにか言いかけていたが追いかけてこなかった。
 体が痛くないわけではない。歩く度に腰に違和感が走り、体もまだ火照ったままだ。それでも、なんとなく耐えられなかった。
 理由はわかってる。ずっとアキちゃんと一緒にいたんだ、アキちゃんがなに考えてるのか。だから逃げ出してしまった。

 アキちゃんは僕が考えてるよりもずっと優しかった。だから驚いた、そんな風に優しくしてくれる人間もいるのだと。
 だからこそ、余計怖かった。アキちゃんに、何かを求めてしまいそうになった自分が。

 home 
bookmark
←back