02
面会謝絶の文字を無視して、目の前の扉を開く。
手術を終えた知憲がそこにいた。
「――面会謝絶、と書かれていたはずだが」
「なんだ。お前、起きてたのか」
「……お前みたいなやつがいつ来るかわからないからな」
「なんだよ、人を人殺しみたいに言うな」
「……」
知憲はなにも言わない。
麻酔を打ったところで完全に痛みから逃れるわけではない。
それに、今回ばかりは骨だけではなく神経をぶった切られている。
右腕はリハビリしたところで殆どまともに物を掴むことは難しいだろう、と医師が話していたのを聞いていた。
「痛みは……って、野暮な質問だったな。痛くないわけねえか」
「話し相手が欲しいなら他を当たれ」
「――齋藤に会ってきた」
そう口にすれば、知憲は視線を動かすこともなく、ただベッドに腰をかけたまま黙り込む。
「保釈されたんだって。裁判までは親御さんが用意したホテルで過ごすらしい」
「だからなんだ」
「気になってただろ、あいつのこと」
答える気すらならないのだろう。それでも、ずっと見てきた後輩のことだ。
本当に、昔から変わらない。
「なあ知憲、お前ってこんな気持ちだったんだな」
知憲の目がこちらを向く。数日間、薬の副作用と痛みでろくに眠れていないのだろう。
眩しいからという理由で照明すらついていない部屋の中、あいつはこちらを睨んだ。
「……何が言いたい?」
「俺は齋藤のことを守ってやりたいと思ってた」
「……」
「あいつが幸せなら、それでもいい」
「自分語りがしたいなら他所でやれ」
「そのために、お前が邪魔で仕方ないんだ。……知憲」
「……分かるだろ?お前なら」ずっと俺に対してお前もそう思っていたはずだ。
あいつが幸せになるため、あいつの明るい未来のため。その先にいつも居て、それを拒もうとする障害物。
恨みはない。それでも、お前がいなければあいつはきっともっと違う生き方が出来たのだ。
ずっと考えていた。けれど、あいつの頭の中にいるのはいつだって“お前”だったんだ。
それが間違っている。心神喪失と恐怖、汎ゆる状況が重なって強く脳に刷り込まれた強烈な感情――ただの幻影だとしても、俺はそのまやかしにすら勝つことはできなかった。
あいつな――齋藤は、ずっといつかの日かのお前を追って、ここまできたのだ。
「だったらなんだ。俺を殺してあいつを自分のものにでもするつもりか? ヒーロー気取りで、やってることは独裁者だな」
「なあ知憲、お前だったらどうする」
「どうもしない。……勝手にすればいい。どうせ、あいつはお前に振り向くことはない。表向きならばなんとでもなる」
「けれど、あいつはもうとっくに壊れてる。お前が何やったところでその場しのぎにしかならないだろうな」あいつが人を好きになることはもうない。そう知憲が静かに口にしたとき、ああ、と理解した。
深く傷付けて、傷口を開いて、開いたまま膿んだ傷口をちぐはぐな縫合で誤魔化して、それを愛だと刷り込んで――苦痛が伴わない幸福を、与えられるだけの愛情を信用することができない。甘んじることができない。
「――お前もそうなのか?」
知憲はなにも言わない。ギプスに嵌められたまま上体と固定された右腕。その下にある腕は既に使い物にならない肉の塊だ。
「聞いてどうする。……同調して諦めるのか?」
「俺がそんなやつに思えるか?」
知憲はなにも答えなかった。その代わりに、ゆっくりと起き上がるのだ。
「良い機会だ。ずっと、あんたに話したかったことがある」
「ああ」
「俺は、あんたを――会長のことを尊敬していた」
「あんたが羨ましかった」立ち上がった知憲はゆっくりとこちらへと歩いてくる。
重心のバランスを取ることが困難なようだが、それでもその足取りがしっかりしているところを見ると自分でももう歩く練習をしていたのだろう。
「過去形なんだな」
「全部過去だろう。俺にとっても、お前にとっても」
「どこに行くんだ?」
「外の――空気を吸いたい」
「あんたも来るだろ」そう、こちらを見ずに知憲は続けた。
「ああ」と俺は返し、知憲とともに屋上へと向かった。
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