26
俺は、その場で裕斗と別れた。
心配だからとホテルまで送ろうとする裕斗だったが、万が一のことを考えたのだろう。俺を尾行すると言う形ならば、と話を付けて俺達は時間をずらしてカラオケを後にした。
それから俺はホテルの部屋へと戻った。
芳川会長が、生きていた。それを知れただけで充分だと思っていた。
手足の震えを紛らわすように俺は付属の枕を抱き締め、顔を埋める。
後悔は、しない。する資格など俺にはないのだ。
頬を叩き、俺はベッドから立ち上がった。そして、鏡の前に立つ。洗面台のノベルティのはさみを使い、伸びた前髪に刃を入れた。
ずっとバタバタしていたせいか春先よりも伸びた髪はバラバラとシンクへと落ちていく。
そしてそんな動作を繰り返せば、鬱陶しかった髪もさっぱりとした。
幾分か広くなった視界が少し心細かったが、それでも少しは目の前が明るくなったような気がした。
「……っよし!」
……頑張らなければ。変わるんだ、俺は。
――それは自分のためだけではない。
頑張らなければ、ともう一度口の中で呟き、気合を入れる代わりに俺は頬を叩いた。
日が落ち、俺は再びホテルへとやってきた両親に頭を下げた。
それから、なにがあったのか話した。
脅されただけではない、自分の意志で罪を犯したのだと。
俺は、産まれて始めて父親に殴られた。母親のビンタなんて比にならなくて、それ以上に穏やかで優しかった父が始めて声を荒げたのは後にも先にもこのときだけだった。
どうして、そうなる前に相談してくれなかったのだと。目に涙を滲ませる父に、俺は「ごめんなさい」と謝った。謝ってどうにかなる問題ではないとわかっていた、それでも、俺は両親を信じることができなかった。また軽蔑されるのが怖くて、不出来な子供だと思われるのが怖くて、落胆されたくなくて、黙っていた。
ごめんなさい、ごめんなさい。繰り返すことしかできない俺をただ父と母は抱きしめてくれた。
自分に居場所などないと思っていた。けれど、それは俺が周りに目を向けれなかったからだ。自分のことを考えることだけで精一杯だった。
それから、俺のホテルには幼い頃から知っている使用人もやってきた。身の回りの世話を使用人にしてもらいながらも、裁判までの日々を過ごす。
弁護士の先生とも改めて話した。ちゃんと、自分の意志も伝えた。事情が事情だから、これならば刑期を軽くなるだろうと先生は言っていたが俺はそれを拒んだ。
頑張ってくれる先生には悪いが軽くしたいなどという気は毛頭なかった。
――あれから、裕斗とも会っていない。
壱畝もだ。学園関係者の誰とも会わず、俺はホテルで使用人と過ごした。
芳川会長に会いたかった。それでも、そうしなかったのは両親のこともあったからだ。
芳川会長が無事と分かった今、俺は罪を償うだけだ。
――そして二ヶ月後、俺は裁判所に立つことになった。
あれほど怖かった人目も気にならなかった。もう、こそこそする必要も逃げる必要もなくなったから。
だから堂々とその裁判を受けることができた。
刑期は五年、俺は少年院に送致されることになった。
◆ ◆ ◆
短いようであっという間に時間は過ぎる。
刑期を終え、出所した俺は迎えに来ていた両親とともに一度実家へと戻ることになった。
夏も終わり、秋の空気が気持ちいい時期だった。
両親は定期的に面会に来てくれていたが、五年ぶりに帰ってきた実家はやはり久し振りだった。
そして、両親と話したあと俺は自室に戻りすぐに芳川会長を探し出すことに専念する。
当時のニュースを片っ端から調べれ、当時相当話題になっていたことを知る。そして、それらの記事から数名の安否を知ることとなった。
灘はあのあと死亡したのだと。縁は意識不明の重体となっているが、別の記事では輸送先の病院で息を引き取ったとの記事を見て俺は息を飲んだ。
そして、数ある記事の中とある記事を見て固まった。
――志摩裕斗が、死んだ。
一瞬理解ができなかった。同姓同名の別人ではないか、そう思いたかったのに、貼り付けられた顔写真には見覚えがあった。
そして犯人は現行犯で捕まり、医療少年院に送致。当時十八歳のその少年は、市内私立高等学校で起きた連続殺人・過失致死傷罪の主犯である男子高校生で――……。
その先の文字は歪んで見ることができなかった。
ずっと、外部からの新しい情報が入ってくることはなかった。手に渡るもの全て検閲されたなか、俺は、なにも知らずにただ刑期を終えることだけを考えて模範囚として五年を過ごした。
――なにも知らずに。
のうのうと。
「……どうして、」
裕斗は芳川会長を助けたはずだ。何故、芳川会長が裕斗を殺す必要があったのか。
考えたくなかった。駄目だ、目を逸らすな。
なんで。
「――」
……会いに、いかなければ。
自分で確かめなければ。もう逃げないのだと決めたのだ。
俺は会長が送致された医療少年院へと向かった。
それほど長い旅にはならなかった。
閑静な田舎町に、その少年院は存在した。丁度建物の前にいた刑務官に面会はできないのかと聞いたが、断られた。どこも同じだ、身内でなければ面会することは叶わない。
そして、芳川会長の親族はもうどこにもいない。
だとしたらどうすればいいのか。
一か八かだった。
「――芳川知憲さんは、ここにいらっしゃいますか」
そう聞いた瞬間、刑務官はうんざりしたような顔をした。
「なんだ、お前もマスコミ関係者か?」
「い、いえ……俺は……その、後輩で。面会ができなくてもいいんです。あの人が、元気なら……」
「ああ……そういう。残念だけどあの子ならもうここにはいないよ」
「――え?」
「つい先日退院してた。今どこで何やってるやら知らねえよ」
「……あ、りがとう、ございます……」
会長が、出所。
心臓の鼓動が加速していく。なんでだ、何故、俺はこんなに緊張しているのだろうか。
俺は刑務官にお礼を言い、その場を後にする。
ひんやりとした秋空の下、俺は途方に暮れていた。電車もバスも一日に数本しか通らない田舎町、次の便は翌朝になるようだ。
仕方なく俺はその町の宿泊施設を探すことにした。
静かな町だった。穏やかで、時間がゆっくりと過ぎていくようなそんな町だ。
もしかしたら、俺の知らないところで会長も穏やかに過ごしてるのではないか。
――裕斗を殺して。
「……ッ、……」
俺は、なんで震えてるのだ。
まだなにも聞いていない。それに、会長は会長だ。なにも変わっていない。
――信じると決めたのだ。もう、逃げないのだと。
五年間、毎晩のように会長のことを夢に見た。
一人になった会長。あのとき、最後に別れたときの会長。映像の中の会長。
――まだ、ちゃんとお別れも、なにも言えていない。
そう冷たくなり始めていた頬を叩き、喝を入れ直す。
きっと、裕斗のこともなにかがあったんだ。そう思いたかった。割り切りたかった。
とにかく、話を聞こう。そう自分に言い聞かせて、再び街の中を歩き出す。
日も落ち始めた中、近くのコンビニに入ってどこか泊まれるような場所がないか聞いてみよう。葬思い、通りを抜けて視界に入ったコンビニへと入る。
そして、バイトの学生の子に泊まれそうな場所を聞く。ボロいが安い宿があるらしい。お礼と、ついでにホットのお茶を買って俺はコンビニを後にした。
刑務官の様子からして、会長のことを悪く思ってる様子はなかった。本当に真面目に過ごしてたのか。
俺と会長の間にある空白の五年間はあまりにも大きくて。
――大丈夫、大丈夫だ。
裕斗の口癖だった言葉を繰り返し、自分に言い聞かせる。気分を切り替えるために、お茶でも飲もうかとしたときだった。ふと、コンビニの入り口の横に先程までいなかった長身の陰を見た。黒尽くし、フードを深くまで被ったその人影に思わず目を向けた俺はそのまま固まった。
「……よお、久し振りだな」
――忘れたことも、なかった。
ゆっくりとフードを外したその男は、無造作に伸びた癖混じりの黒い髪を掻き上げ、俺を見下ろした。
「どうして、お前が――……」
「……お前を待ってた」
フードの男――栫井平佑は生白い顔に笑みを浮かべる。面影はあるが、より鋭利になったその雰囲気にただならぬ嫌な予感を覚えた。
確か、栫井は裕斗に頼まれて芳川会長を匿っていたはずだ。確かに、栫井の死亡記事は見てなかった。
けど、なんで今このタイミングでこいつが現れるのか。
「待ってたって……う゛ッ!」
次の瞬間、腹を殴られ身体が浮きそうになる。
ここ数年、まともに殴られることはなかった。だからこそ余計、久し振りの殴られた衝撃はより重く、鋭く肉体に刺さる。四肢から力が抜け落ちたとき、伸びてきた栫井の腕に支えられる。
「っ、ぁ、が……ッ」
逃げなければ、そう思うのに身体は思うように動かなかった。
栫井はそんな俺を抱えたまま、そしてコンビニの駐車場へと停まっていた車の後部座席を開くのだ。
「まっ、……って、どこに……ッ」
「――あの人が待ってる」
その一言に、喉が焼けるように熱くなる。込み上げてくる熱に、俺は閉まる扉を見た。
「……あの人って、」
広い車内。運転席に乗り込んだ栫井はミラー越しに俺を一瞥するだけで、そのまま何も言わずにエンジンを掛けるのだ。
……免許、持ってたのか。
そんなことを聞けるような空気でもない。俺は、ただ大人しく栫井についていくことにした。
――元より、逃げるつもりなど最初からなかったのに。
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