25
阿賀松を刺したあと、完全に殺すために腹を刺したという。
瞼裏にこびり付いた阿賀松の死に顔、あの顔は、今までずっと親友だと思っていた相手に殺されたからか。少なくとも阿賀松は、裕斗に刺されるとは微塵も思わなかったのだろう。
そう思うと心臓の奥が痛くなったが、俺はその痛みを見てみぬふりをした。
そして、志木村があげたエレベーター内へと阿賀松の死体を引き摺って運ぶ。
壱畝が持っていたカメラに残っていた映像は正にそのときだったのだろう。裕斗は志木村と協力し、外で待機してる栫井に芳川会長を受け渡す。
――破られた窓から芳川会長を落とす形で。
下手したらトドメになりかねない方法だが、学生寮内と校舎、人目を無視してなるべく目立たない形で芳川会長を学園外に運び出すには手段を選ぶことはできなかったのだろう。
そのときに芳川会長は裕斗に告げたのだ、仮眠室にいる俺のことを。
そして裕斗は着替え、何事もなかったように俺を迎えに来たのだ。
「とにかく、あの状態ではあいつはすぐに他の奴らに狙われるだろうからな。せめて怪我が回復するまでは匿わせるつもりだった」
「そのあときちんと罪は償ってもらうつもりでな」裕斗は続ける。
「……勿論、俺も自首するつもりだ。けど」
「けど……?」
「言っただろ、お前を一人にさせないって」
「……ッ」
「せめて、知憲が回復するまで――お前の判決が決まるまで様子を見るつもりだった。もしお前が保釈されて、俺が拘留されたままで知憲も動けない。……そんな状態でお前になにかがあったら、どうしようもないからな」
全て、裕斗は考えていた。見据えていたのだ、万が一の可能性も全て。
初めてあったときは正義感の強い人だと思っていたが、そうではなかった。計算高く、自分以外を信じていない。故に、張り巡らせるのだ。何重にも、糸を。
そんな裕斗の欠点――合理的非合理性、それは俺に対するソレだ。俺が、この人を歪めてしまったのか。
自惚れだと笑って受け流すようなそんなものだったらきっとまだよかったのだろう。志摩のことがあるとはいえ、俺はこの人の光を、人生を歪めてしまった。そう思うと酷くやるせなくなり――それ以上に、嬉しくすら思う自分の浅はかさを見た。
「……先輩」
その頬に触れる。裕斗は抵抗しなかった。俺の手を握りしめたまま、指を絡める。
「齋藤」
「……はい」
「俺はおかしいのか?」
「いえ、おかしくありません」
「お前は今、幸せなのか」
阿賀松が死んで、芳川会長が生きている。
何人も巻き込んだ。人の善意も、悪意も、全て踏みにじって、俺は今ここに立っている。
裕斗の背後、阿佐美がこちらを見ていた。長い前髪の下、俺を見ていた。
「――……はい」
幸せです、という言葉は裕斗によって塞がれ、掻き消された。重ねられた唇を受け入れながら、俺は裕斗の肩越しにその亡霊に目を向ける。
――幸せでなくてはならないのだ。
他人の生を踏みにじって、不幸者であってはならないのだ。
もう誰も邪魔されない。俺たちの穏やかな生活を脅かす不安要素はなくなったのだ。それこそ、俺の望んでいた天国ではないか。
「……っ、しあわせ、です……」
溢れる涙を舐めとられ、裕斗は俺をきつく抱き締めた。しゃくりあげる声も聞こえなくなるほど、強く。
隣の部屋から流れてくる調子外れな歌声を聞きながら、俺達は体の隙間がなくなるほどきつく、抱きしめあった。
←back