天国か地獄


 24

「ゆ、うと……先輩……」

 よりによってこのタイミングで。このタイミングだからなのか、わからない。それでも何故裕斗がここにいるのかわからなくて、俺の言葉から察したのだろう。その顔から血の気が引いていく。壱畝は咄嗟に俺からカメラをひったくろうとしたが、それよりも先に裕斗に手首を掴まれた。そして、手にしたカメラごと掌を重ねられる。

「……駄目だろ齋藤、事件の関係者とは関わったら」
「お、まえ……」
「伊織と一緒にいたやつだよな、お前。……名前は、えーと……なんだったか?」

「悪い、もしかして自己紹介してなかったっけか?」と裕斗は笑い、そして俺の手からカメラを取り上げるのだ。

「っ、裕斗先輩……」
「齋藤、今は大人しくした方がいい。そう言われなかったか?」
「……そ、れは……」

 そうですけど、という語尾は消える。カメラを指先で弄び、SDカードを抜いた裕斗は「ま、そういう気分のときもあるか」と笑ってそれを真っ二つにへし折るのだ。

「な……ッ」

 なにをしてるのだ。あまりにも突然で止める暇もなかった。けれど、裕斗はいつもと変わらない態度のまま、俺の腕を掴んで立ち上がらせようとするのだ。

「っ、裕斗先輩ッ」
「お、まえ……なにして……」
「そういうわけだ。……こいつは俺がちゃんと送り届けておく、お前もこいつのこと考えるんだったら考えて行動しろよ」

「ハルちゃん」青ざめる壱畝を前に、そう裕斗は笑う。そのまま俺を連れて立ち去ろうとする裕斗に、壱畝は「待てよ」と声を上げる。

「そいつから離れろよ、どこに連れて行くつもりだ……ッ」
「どこって、言ってるだろ。“送り届ける”って」
「ふざけるなよ、人殺しが。俺がお前のこと言えばお前は……ッ」
「だったら言えばいい」
「――……は?」
「警察にでもどこにでも駆け込めばいい。……ああ、カメラが必要なのか? なら返すよ。ほら。なんならここに警察呼べばいい」

 その場の空気は最悪だった。
 そう壱畝の目の前にカメラを置いた裕斗は、それに向かって手を伸ばそうとする壱畝の手首を掴む。

「――その代わり、こいつがどうなろうが責任取れるんだろうな」

 その言葉に、壱畝の顔が引きつった。
 壱畝の指先が白く染まるのを見て、俺は思わず裕斗を見た。先輩、と裕斗の腕を掴めば、裕斗は俺の視線に気付いたようだ。
「ああ」と小さく頷き、そして壱畝の手から離す。

「行くぞ、齋藤」

 そして、裕斗は俺の手を握ったのだ。
 裕斗のことを信じたい。裕斗がもし万が一阿賀松殺害に関わっていたとして、俺に危害を加えるはずがない。
 ……そのことだけは、間違いないと分かっていたから。
 裕斗に対して聞きたいことはたくさんある。疑念も払拭されたわけではない。恐らく裕斗は、俺に隠していることがいくつもある。
 だから、聞かなければならない。
 俺は裕斗の手を握り返し、そのまま壱畝を残して騒然とする店内を後にしたのだ。


 店を出た俺たちは、そのまま近所のカラオケに入店した。フリータイムで部屋を借り、案内される部屋番号の扉を叩く。
 二人きりになれて、静かな場所。監視カメラはあるが、それでも話せる場所ならどこでもよかった。
 裕斗は着ていた上着を脱ぎ、俺の上着を預かろうとしたが俺はそれを断った。
 ここでゆっくりと長居するつもりはなかった。

「もしかして怒ってるのか、さっきのこと」
「……いえ、怒ってないです」
「そうか、けど……そうだな。――聞きたいことがあるんだろ、言いたいことも」

 長い足を組み、裕斗は「もういい頃合いだからな」と口にした。

「お前が知りたいって言うなら、俺は正直に話すよ」

 ……本当に、この人はおかしな人だと思う。
 自覚してるのだろう。そして、恐らくあの場で俺が見ていたものの内容も想像ついてる。
 その上で、俺に対しては裕斗先輩として接してくるのだ。俺のことを好きだと、ずっと味方だと言った顔で。

「芳川会長を殺したんですか」
「殺していない。あいつは生きてるよ」

「いや、死んでない……って言った方がいいのか?」そう口にする裕斗に、俺は目を瞑った。
 裕斗は、嘘は吐いていない。そうわかったからこそ余計、その一言に思考が乱されそうになるのを深呼吸をすることで堪えた。

「じゃあ、どこに……」
「今は俺達が入院してた病院だ。……阿佐美たちが貸してくれたあそこに運ばせておいた」
「でも、いつ、どうやって……」
「あいつには何日か頑張ってもらったよ。あの晩、すぐに動くのはあまりにも無謀過ぎたからな」

 それから裕斗は一つ一つ、俺に説明してくれた。
 あの晩に起きたこと、俺が気絶していた間に起きていたことを。

 サイトウと別れたあと、裕斗は志木村と連絡を取った。そして俺が帰ってきていることを確認し、それから志木村を通して俺の状況を確認していたと。
 裕斗は芳川会長がなにをするか分かっていたのだ。
 だから、学園に戻ってくる前にとある病院へと向かった。もう一人、学園外で自由に動ける第三者の協力が必要だったのだ。

「栫井のやつ、俺の言葉を聞いてすぐに協力してくれたぞ。……よっぽど知憲のことを助けたかったんだろうな」

 裕斗から芳川会長が危ないと聞いた栫井は、タクシー代わりの車を用意して待機していたという。
 そして、あの晩。
 芳川会長をトドメを刺そうとしていた阿賀松を止めた裕斗は、そのまま隠し持っていた包丁で阿賀松の首を掻ききった。
 ――ずっと、腑に落ちなかった。
 あの阿賀松があっさりと殺されるはずがないと。阿賀松が唯一油断する相手――それでも、その可能性はあり得ないと思っていた。
 けど、阿賀松がいなくなった今、裕斗は隠す必要もなくなったのだろう。

「……本当は、後遺症なんてなかったんですね」

 志摩に刺された際、神経を傷つけてしまい極端に握力が落ちている。片腕は殆ど感覚がないと、俺を抱き締めた裕斗は口にしていた。
 けれど、俺を助けにきたとき。扉を壊す裕斗を見てその違和感は色濃く浮かんだ。

「齋藤には心配かけたと思ってるよ。けど、そういうことにしないと、詩織は慎重な性格だからな。余計な警戒をさせたくなかったんだ」

「それに、多少握力が弱くなったのは事実だしな」それも、数日前リハビリを行えば通常通りに戻るようになっていたという。
 一人で歩くこともできるし、生活に不自由することもない。それでもそうせざる得ない、そう判断した裕斗は阿佐美だけではなく俺も騙したのだ。
 そして、阿賀松さえも。

「……っ、どうして、阿賀松先輩を……」
「逆に聞くが、もしお前が俺の立場だったらどうする?」

 溶けかけた氷が浮かんだジュースをストローで掻き混ぜ、そして中を一口飲み干す裕斗。
 裕斗はグラスをテーブルの上に置き、こちらへと目を向けた。
 裕斗に笑顔はなかった。
 ただ真っ直ぐ、その目はこちらを向いていた。

「あのままにしていたら伊織は知憲を殺していただろうな。……それから、お前のこともだ。齋藤」

 底冷えするほど穏やかで、優しい声音だった。
 この人は後悔などしていない――そう思えるほどはっきりとした口調だった。

「お前と知憲がしたことが正しいとは思わない。けれど、そうしなければならない原因を作り、追い詰めたのはあいつだ」
「……ゆ、うと先輩……」
「あいつは亮太を殺した」

 その一言に背筋が凍る。
 考えたくなかった。それでも、裕斗は顔色を変えることなく続ける。

「証拠はないし、状況証拠だけだ。あいつのことだ、きちんと隠してんだろうな。こんなに時間経っても音沙汰ないんだ、もう見つかるはずがない」
「……ッ、……」
「だから俺はあいつを殺したんだよ、齋藤――憶測だけで行動するなんて愚かだと思うか?」

 裕斗は微笑む。表情は笑っていたはずなのに、まるで泣いてるようにも見えるのだ。おかしいと分かっていた。
 けれど、きっと、俺が裕斗の立場だったら。

「……いえ、俺も、そうすると思います」

 そっと裕斗の手に自分の手を重ねれば、その手ごと裕斗に握られる。強く、包み込むように握られた手をそのまま裕斗は自分の額に押し付けるのだ。まるでなにかに祈るように、「お前は優しいな」と小さくつぶやき、目を瞑るのだ。

 home 
bookmark
←back