23
壱畝とやってきたのは近くのファーストフード店だった。閑静な店内。カウンターでドリンクだけを頼み、それを受け取った壱畝は俺の手を掴んだまま階段を登っていく。そして賑わう二階席の一番奥、四人がけ用のボックス席に腰を下ろした。
「ひ、とせ君……ここ……」
「ここなら、目立たないだろ」
「……どうして」
どうして俺を助けるような真似をしたんだ。
そう、目の前の壱畝を見上げたとき。あいつは『ハルちゃんって呼べ』なんて茶化すこともなくただまっすぐにこちらを見ていた。その顔から見て取れるのは焦燥、そして疲労――緊張だ。
「……俺は、こんなこと、したくなかった」
「それって、どういう……」
「会長さん、まだ見つかっていないんだろ。警察が捜索してる」
「……ッ!」
壱畝の口から芳川会長のことが出てくるとは思わなくて、思わず立ち上がりそうになってテーブルの下で脹脛を爪先で蹴られる。
「痛……ッ」
「目立つような真似はするなよ。……どこで聞かれてるか分からないからな」
周りの楽しげな声で賑わう店内、壱畝はより声を潜め、そして手元のジュースのストローを噛み潰した。
「あの男を――あの人をやったのは、会長さんじゃない」
一瞬、耳鳴りが響いた。全ての音が遠くなり、壱畝の声だけがはっきりと聞こえたのだ。
「な、にを……言ってるの……?」
「……っ、見てたんだよ、俺、あいつに言われて……だから、ずっとこれ持たされて。あそこには監視カメラがないから記録しろって……ッ」
そう、壱畝はテーブルの上になにかを置いた。掌サイズのそれはカメラだ。
「……っ、待って、これ……」
「……言われた通りしてた。状況によってはちゃんと破棄しろって言われたけど」
あいつ、というのは阿賀松のことか。
そひてそのカメラに入ってるのは、阿賀松が殺されるまでの一部始終。考えれば考えるほど、肝が冷えていくような気持ちだった。
なによりも、壱畝はそれを見てたのだ。だったら、わかるはずだ。俺は我慢できず壱畝の腕を掴んだ。
「……っ、先に、答えてほしい。会長は、会長は無事なの? 犯人が会長じゃないなら、どこに……っ」
そう問い詰めれば、壱畝の顔が歪む。なにかを思い出しているのか、顔色が悪い。口元を掌で抑えたまま、壱畝は「知りたければ見ればいい」と口にした。
「……けど、少なくとも俺は今もまだ無事だとは思えない」
その一言に目の前が真っ暗になる。全身が震え、奥歯ががちがちとぶつかり合う。それでも、堪えた。
まだ俺は自分の目で確かめていない。
俺は壱畝からカメラをひったくり、再生する。薄暗い通路、阿賀松が死んでいたあのエレベーターの前の辺りから映し出している。消音モードになってるのか、それとも最初から音が載らないように設定しているのか声も物音も聞こえない。それでも、はっきりと阿賀松の後ろ姿が写っていた。その手になにか持っている。棒状の、なにやら先端になにかついてるそれは間違いなく人を殴らためのものだとわかり、心臓が締め付けられる。
そしてそんな阿賀松の肩越し、その向かい側に立つ人物の姿を見て息を飲んだ。
――芳川会長だ。
薄暗く、遠いせいでぼんやりとしていたが間違いなく会長はそこにいた。阿賀松の手にした斧のようなそれが会長に向かって振り下ろされるのを見て思わず目を反らしそうになるが、それが直撃することはなかった。空振った金属の刃は窓を突き破っただけでホッとしたのも束の間、その手斧が会長の腕に叩き込まれるのを見て全身が冷たくなる。
「……っ、う、そだ」
壱畝は「嘘じゃない」と続ける。
そこから先は、見るに耐えないものだった。攻防戦は圧倒的に会長が不利だった。元々、怪我もしていた。それを知っていたからこそ、この過去の映像を見せられることが苦痛だった。それでも、この目で確かめなければならない。
阿賀松がもう片方の腕目掛けて斧を振り下ろす。常人ならば耐えられるものではない、それでも会長はまだ立ち上がろうとしていた。それから阿賀松が動きを止め、芳川会長となにかを話してるようだった。瞬間、阿賀松が動きを止めた。カメラが大きくぶれ、物陰へと移動する。
そのときカメラが揺れ、エレベーターの方へと振り返った。慌ててカメラを隠そうとしたのだろう、激しく揺れる映像の中、エレベーターの中から現れた人物を見て息を飲んだ。
「――、……志木村先輩」
何故このタイミングであの人が出てくるのか分からなかった。
映像は、そのまま真っ暗なまま壱畝のポケットの裏側を映し出し続けていた。肝心の映像も何もない、けれどそこに一瞬写っていたのは間違いない――志木村だ。
「志木村は、最初からあの男を殺すつもりだったんだ。だから――手を組んでいたんだ」
「待って、それって……」
一体誰のことを言っているんだ。
「あいつだよ、ゆう君が警察に捕まるとき、ゆう君と一緒にいた……――」
待ってくれ。待って。頼むから、違うと言ってくれ。他人の空似だって、言ってくれ。
「――志摩裕斗」
「齋藤」
それは、ほぼ同時だった。
ソファーに座った壱畝の背後、現れた裕斗は俺の姿を見るなり「こんなところにいたのか」と笑った。
いつもと変わらない、太陽のような笑顔で。俺を見て笑ったのだ。
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