天国か地獄


 12【side:芳川】

 気を失った阿賀松の身体を引き摺り、部屋の奥へと連れて行く。洗面所を通り抜け、浴室へと繋がる扉を開け放つ。途中で足が突っかかり邪魔だったが無視した。
 換気しっぱなしの浴室に阿賀松の身体を放り込んだ。タイル張りの壁に頭がぶつかったのか、気絶していたやつの身体が反応する。死んではいないようだ。それでもまだ目を覚ます気配はない。

「……」

 眠っている相手をどうこうするのは得意ではない。手加減のしようがないからだ。だから、叩き起こすことにした。
 逃げないようにやつの上に馬乗りになり、その髪を鷲掴む。そしてシャワーヘッドを手に取り、温度を最大まで上げた熱湯のシャワーをやつの頭へと降り注いだ。瞬間、覚醒したようだ。本能からか短く呻き、自分の顔を腕で覆い隠す阿賀松。

「っ、う゛……ッ、ぐ……」
「……目を覚ましたようだな」
「……ッ、……」

 痛覚は鈍いが、それでも無痛というわけではない。ただでさえ生白いやつの皮膚が熱により赤く染まっていく。硬く唇を噛み締め、熱を堪えながらも阿賀松は片方の手でシャワーを止めようとするのだ。
 伸びた手首を掴み、腕を強く真下へと引っ張る。そしてそのまま腕を掴み上げた。瞬間、掌から確かな手応えとともに阿賀松の顔が青くなる。ぶらんとぶら下がる片腕を抑えようとしたため、ガードを失ったやつの顔面に熱湯がかかったようだ。

「志摩裕斗はどこだ」
「……っ、……」

 声が出ないわけじゃないのだろう。必死に声を殺そうとしているのだ。情けなく悲鳴を上げたところで外には漏れない、無駄な努力だ。

「志摩裕斗はどこだ、と聞いている」

 阿賀松はなにも応えない。この男は鈍いだけで丈夫ではない。既に満身創痍の身体を無理矢理縫い繋いでいる状態だ。脳を損傷すれば容易く壊れかねない。ならば、とやつの指と指の間にシャワーヘッドを挟み込む。開いた指、ヘッド部分を梃子の代わりにしてその関節部分に軽く体重を掛ければ呆気なく骨の折れる音がした。

「……ッ、ぅ゛、ぐ……ッ!」
「問い掛けに答えなければ一本ずつ指を折っていく。安心しろ、指以外にも骨はある。俺は気は長い方でな、待つのは得意なんだ」
「ぉ、まえ……ッ」
「志摩裕斗の失踪にお前は関与しているのか」

 唇を開こうともしない。それどころか白くなるほど唇を噛み締め堪える阿賀松に、俺は青黒く腫れ上がり始めた右手の人差し指の隣――中指をそのまま折った。小気味の良い音が伝わってくると同時に阿賀松の顔色が更に青くなる。その額からは脂汗が玉のように溢れていた。長い前髪の下、やつはこちらを恨めしげに睨むのだ。それでも尚口を開こうとしない。己の時間稼ぎという役割を理解しているようだ。

「齋藤佑樹の身代わりを用意したのはお前か?」

 何も答えない。炎症を起こし、先程よりも明らかに腫れ上がった人差し指と中指の間からシャワーヘッドを抜き、今度は薬指と小指の間に挟む。ほんの一瞬、阿賀松の肩が震えた。しかし求むような回答はなく、俺は薬指を折り曲げた。梃子など必要なかった。

「っ、……ッ!!」
「……両手足合わせて二十本、残り十七本分耐えれることができればなんとかなると思っているのか?」

 阿賀松は答えない。小指をそのまま関節とは真逆へと曲げる。頭を下げ、小刻みに肩を震わせる阿賀松の腕をそのまま掴んだ。

「――骨は指だけではないだろう」

 そのまま立ち上がり、やつの肩を踏みつける。抵抗するが、肩が外れてる今無駄に等しい。それを無視し、今度は足裏に力を入れた。乱れた前髪の下、阿賀松の目が見開かれる。指よりも太く、丈夫な骨だ。それでも癖さえ理解できればそれを壊すことは安易だった。

 浴室内に阿賀松の声が響く。
 この男もこんな声を出すことができるのか。そんなことを思いながら、俺はタイルの上蹲ったやつを見下ろした。右腕だけが赤黒く変色し、腫れ上がっている様は別の生き物のようだと思った。

「――あいつを殺そうとしたんだ。……殺される覚悟ぐらいできてるだろう?」

 シャワーの音に混ざって遠くでインターホンが鳴り響く。黒い髪の下、二つの目がこちらを睨んでいた。

「阿賀松伊織に伝えておけ、早くしないとお前の弟は今度は助からないぞ、とな」

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