天国か地獄


 11

 江古田とともに部屋の中で会長たちが戻ってくるのを待っていること暫く。
 玄関口の方で物音がし、俺はそっと抱えていたぬいぐるみをソファーに降ろして立ち上がろうとすれば江古田に止められた。そこに座っていてください、と言いたげな目で俺の服の裾を引っ張る江古田。
 後輩に甘えるのはなんとも情けないが、ここは江古田の部屋だ。俺は江古田に促されるがまま再び着席した。
 江古田は扉へと近付けば、そのまま扉を開いた。
 瞬間、勢いよく開く扉とともに現れたのは先程芳川会長を追って出ていったはずの連理だった。
 そして、その腕には白目剥いて気絶した櫻田を俵のように抱えられていた。

「貴音先輩……っ!櫻田君……っ!」
「っと、遅くなったわね。りゅうちゃん、ちょっとベッド借りるわよ」
「……櫻田君のベッドはそっちなので僕のは使わないでくださいね……」

 こういうときでも変わらない江古田に連理も慣れているようだ、「はいはい、分かったわよ」と言いながらもベッドの側まで歩み寄った連理はそのままどさりと櫻田をベッドへと転がす。
 俺はその後を追ってベッドへ近づく。見たところ、殴られたりはしていないようだ。規則正しい寝息が聞こえてきてほっとする。

「っ、貴音先輩……櫻田君は……」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。途中で目を覚ましたんだけど、あまりにも騒ぐからもっかい眠らせたのよ」

 さらっととんでもないことを言い出したなこの人……。
 けれど、それを聞いて安心した。櫻田の方を向き直れば、櫻田は「う、うう゛ーん……」と魘されている。そっとその目を閉じさせた。

「あの、貴音先輩……芳川会長は……」

 後から戻ってくるのだろうかと思ったが、その様子もない。気になって恐る恐る尋ねれば、連理は「ああ」と思い出したように頬に手を当てる。

「そうそう、トモ君なら阿佐美詩織を探すから先に洋介ちゃんだけ連れて帰れって言われたのよ」
「……っ、芳川会長が……?」
「そうなのよ、自分の部屋にいるはずだっては言ってたけど……ごめんなさいね、アタシ洋介ちゃんを連れて帰ることでいっぱいで」

「ま、でもトモ君ならその内ひょっこり帰ってくるから大丈夫よ」と微笑み、連理に肩を叩かれる。
 その言葉に、俺は肩が重くなるのを感じた。会長を見送るときに感じていた嫌なものが足元から這い上がってくるようだった。
 そう、芳川会長だけならきっと大丈夫なのだろう。
 けれど、阿佐美は……――。

「……っ、お、俺……」

 少し様子見てきます、と立ち上がろうとしたところを「駄目よ!」と連理に腕を掴まれる。

「っ、貴音先輩……」
「トモ君も言ってたでしょ?彼が狙ってるのは佑ちゃんだって。そのためにアタシたちだけで行ったのに、今佑ちゃんが戻ったら危ないわよ」
「……っ、でも……」
「大丈夫よ、トモ君なら心配いらないわ」
「…………ッ」

 瞼裏に浮かび上がるのは赤く染まる浴槽。
 大丈夫、なのか、本当に。
 でも、そうだ、芳川会長を信じると決めたのだ。芳川会長をもう裏切らないと……。
 だったら、俺は。俺ができることは。

「……佑ちゃん?」
「…………貴音先輩、お願いします……っ、芳川会長のところに戻ってください……」
「でも、洋介ちゃんが……」
「……櫻田君のことなら、僕たちが尻拭いしておくんで……」

 そう、俺の代わりに応えたのは先程まで傍観に徹していた江古田だ。
 櫻田の顔面にタオルを乗せた江古田はそう、虚ろな瞳を連理の方へと向ける。が、相変わらずその目を見ようとしないまま呟く。

「……僕も、あの人は一人にしないほうがいいと思います……また、風紀委員の人たちに怒られると面倒ですし……」
「ああ、そうね。分かったわ。けど、何かあったらすぐに連絡ちょうだいね、ダッシュで帰ってくるから。あとアタシたち以外の人がきても扉を開けないこと」
「……分かったからさっさと行ってください……」
「んもう!りゅうちゃんってば……分かったわ、佑ちゃんのこと頼んだわよ!」

 そうぷりぷりとしながらも、連理はすぐに出ていった。そんな連理を見送った江古田はそのまま玄関を施錠する。
 胸騒ぎが収まらないまま、俺は櫻田を見つめていた。そのとき、僅かにぴくりと櫻田の瞼が反応する。

「っ、櫻田君……っ?!」

 そう咄嗟に櫻田に声を掛ければ、「ううん」と先程よりもはっきりした様子で唸るのだ。
 そして次の瞬間、ぱちりと目を開く櫻田。
 とっさに俺が櫻田を覗き込んだのと、櫻田が勢いよく上半身を飛び起こしたのはほぼ同時だった。

「……ッ!!」
「いっでぇ!!!」

 頭蓋骨同士がぶつかるような脳味噌ごとかき混ぜられるような振動衝撃とともに目の前が点滅する。
 江古田がかけてくれたタオルがひらひらと落ちる中、俺たちは最悪の再会を果たした。頭を抑え悶絶する俺たちを見て、江古田は「……もう大丈夫そうですね……」と呟いた。
 これのどこか大丈夫に見えるのだろうか。言葉は出なかったが、涙は止まらなかった。

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