天国か地獄


 08

 ――阿賀松伊織を直接潰す。
 芳川会長はそう言った。

「やり方は俺が考える。君は余計なことを考えなくていい。……余計な真似はするな」

 はい、とだけ俺は応えた。
 会長の力になりたい気持ちはあったが、今は俺に出来る最善は会長に任せることだ。
 ――芳川会長には、俺のことを一通り説明した。
 ……俺が死んだという意味も、阿賀松も阿佐美も俺のことを身代わりの男だと思ってると。
 会長は怒るわけでもなく、ただ無言で俺の話を聞いていた。会長に怒ってほしいわけではない、抱き締めて慰めの言葉を囁いてほしいわけでもない。
 会長だけが俺を俺だと知ってくれてたら、それだけで良かった。

「……ならば尚更、君を帰すわけにはいかないな」

 ようやく口を開いた会長はそう言ってどこかへと連絡をする。そして、間もなくして扉が三回叩かれた。
 ここに誰を呼んだのか、立ち上がった会長は玄関へと向かう。扉を開けばそこには見慣れない――いや、見たことのある男がいた。

「どーも、芳川かいちょ……あ!先輩っすね!」

 ずかずかと大股歩きで部屋へと上がってきた金髪の男は俺の顔を見るなり「うげ」と顔をしかめる。

「なんだ、まだ生きてたのかよ先輩」

 不遜な態度といい、端正な顔立ちといい、俺はこの目の前の男が誰なのかすぐに分かった。
 露骨に不満げな顔をするその金髪の男を尻目に、扉を閉めた芳川会長は深く溜息を吐く。

「櫻田、暫くこいつを見張ってろ」

 ……もしや、と思ったがどうやら当たっていたらしい。
 大分昔、一度だけ女装姿ではない櫻田に会ったことがある。
 それでも、久し振りに会った櫻田に見張りを頼む芳川会長に驚いた。……そもそも、芳川会長は櫻田のことをよく思っていなかったはずだ。
 思わず会長の方を見れば、俺が言わんとしていることが分かったのだろう。会長と視線が合う。余計なことは気にしなくていい。そう無言で言われているようだった。

「別にいいっすけど、いいんですか?俺で」
「お前しか適任がいないからな」
「あはっ!へへ、やった!先輩直々のお願いなら俺頑張っちゃいますよ」

 上機嫌に笑う櫻田は「んじゃそーいうことなんで、よろしく齋藤先輩」と笑いかけてくる。面影はあるものの、目の前の男から櫻田の声が聞こえてくるのはやはり違和感がある。
 ……今は会長を信じるしかない。離れ難いが、会長が選んだことならそれを受け入れるしかない。

「あの、会長は……」
「連中の様子を見に行ってくる。その間、こいつと待ってろ」

 わしゃ、と頭を撫でられる。その掌の熱に後ろ髪を引かれそうになるが、堪えた。
 会長のことが心配だったが、俺がついて行ったところで足手まといだろう。ただ無事を願いながら俺は会長を見送った。
 部屋の中、俺は櫻田と二人きりになる。
 櫻田はというと鼻歌交じりなにやら勝手に冷蔵庫を開けては水を飲んでいた。
 ……聞きたいことも色々あった、が、会長がいない今余計なことはしない方ではないか。そう思い、ソファーの片隅で座っていた。
 そんな中、水の入ったボトルを手にしたまま櫻田はどかりと隣に腰をかけてくる。ぎくりと顔をあげれば、ニッコリと笑う櫻田がいた。

「随分と大人しくなったな、齋藤先輩」
「……っ、それは……」
「なにビクビクしてんの?別になんもしねーよ、今更」

 あれほど人のことを目の敵にしていた櫻田を知っていただけに、棘が抜けたような櫻田の態度には強い違和感を覚えた。

「……どうして」

 思わず疑問をそのまま口にすれば、櫻田は「どうしてだと思う?」とずいと顔を寄せてくるのだ。

「芳川先輩が帰ってきたからだよ」
「帰ってきた?」
「ああそうだよ、俺の尊敬する先輩。ずっと、ずっともう一度会いたくてこんなところまで追いかけてきたんだ。もう二度と会えねーかもって思ってたけど、はは、やっぱあの人は生徒会長なんてものに縛られない方がいいんだわ」
「…………」

 その口振りからするに、櫻田は入学以前から芳川会長のことを知っていたということか。
 なんとなく胸にしこりのようなものを覚える。……俺は、なにも会長のことを知らない。けれど、櫻田が言いたいこともなんとなく分かった。――会長が活き活きしているように見える。
 それと同時に、やはり会長は会長なのだと思った。……一人でいるよりもずっと、側に会長がいてくれるというだけで心強い。

「……櫻田君は、その……どうして」
「あ?」
「その格好……」

 恐る恐る指摘すれば、櫻田は思い出したように「あー」と気の抜けた声を上げた。

「着る必要なくなったから」
「え?」
「なんだよ、勘鈍いやつだな。芳川先輩がこうして俺のことを頼ってくれる、側に置いてくれるってだけで俺は十分なんだよ。な、ほら、十勝のやろ……じゃねーや、十勝先輩じゃなくて俺をあんたの見張りに付けてくれたのが証拠な、証拠」

 そう、にっと嬉しそうに歯を見せて笑う櫻田。
 確かに、俺も驚いた。というよりも、会長は櫻田のことを知っててわざと避けて、だから振り向いてもらうために躍起になって女装するってのもなかなか分からないが、本当に嬉しそうな櫻田を見てるとこちらも嬉しくなった。
 ……ずっと、会長が一人になるのではないかと思っていた。けれど、櫻田は会長の味方をしてくれていたのだ。
 そして、櫻田の言葉からすると……。

「十勝君も、会長に?」
「ああ、あんたがいなくなってあちこち探しまくったんだからな。ほーんと、あのもじゃもじゃ頭が入院してる病院までいくハメになるし」
「……え?」

 思わず聞き返していた。
 もじゃもじゃ頭、と言われて栫井が過ぎった。それと同時に、背筋が冷たくなった。

「もじゃもじゃ頭って……栫井……?」
「そうそう。話聞こうとしたけど、収穫なしだったしな。本当感謝しろよ、芳川先輩にはもちろん、俺にも」
「……ぁ、ありがとう」

 ……そうか、出会わずに済んだのならよかった。
 心底ほっとすると同時に、会長たちが俺のことを探してくれてたことがただ純粋に嬉しくて、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
 櫻田は「ハンッ」と妙な顔をして鼻で笑った。……照れているのだろうか。

「それより、今度はあんたの話聞かせろよ。先輩」
「っ、それは……」
「つっても、大方想像付くけどな。どーーせ阿賀松絡みだろ」
「…………」

 櫻田にどこまで言えばいいのか分からなかったが、櫻田も櫻田で自分の考えに自信を持ってるのだろう。それ以上執拗に聞いてこない櫻田にただ安堵した。
 そもそもさして俺のことに興味がないらしい。すぐに櫻田の興味は会長の部屋に移っており、「芳川先輩、こんな本読んでんのか」って机の上のブックスタンドを弄り始める櫻田を見て内心ひやひやした。
 櫻田と一緒にいるとよくも悪くも気が逸らされる。
 そのことまで考えて櫻田を選んでくれたのか、とも思ったがわからない。
 そして会長が部屋を出てどれくらい経っただろうか。ソファーに寝そべってテレビを眺めていた櫻田がいきなり起き上がった。そして、着崩した制服から携帯端末を取り出した。

「げ」
「どうしたの?」
「……ゴリラ先輩からだ」

 櫻田がゴリラ呼びする相手は一人しかいない。こっそりと櫻田の手の中の端末を覗き込めば、そこには連理の名前が表示されていた。
 懐かしい名前に胸が苦しくなる。が、感傷に浸ってる場合ではない。

「面倒くせーし切ろ」
「待って、大事な用かもしれない……」
「あー?じゃお前出ろよ」
「さ、櫻田君……お願い」

 そう櫻田に訴えかければ櫻田はぐ、と言葉に詰まる。そして面倒臭そうに舌打ちをし、「はーい」と電話に出る。

「今どこって……どこでもいいっしょ。つか、今お取り込み中なんですけど。………………は?」

 そう片方の耳を穿りながらだるそうに話していた櫻田だったが、一瞬にしてその表情から色が抜け落ちた。
 その様子を見て直感する、なにか良くない連絡なのだと。胸の奥がざわつく。俺は耳を澄ませ、会話の内容を聞こうとするが聞こえない。そしてゆっくりと櫻田がこちらを見た。

「会長が齋藤佑樹と一緒に消えた?」

 そうまるで幽霊でも見たかのような顔でこちらを見る櫻田に思わず力が抜けそうになる。

「ああ、わかった……すぐ連絡する。そっちも頼みます……はい」

 そう神妙な顔のまま相槌を打ち、そして櫻田は通話を終えた。

「……櫻田君、演技上手だね」
「だろ?惚れんなよ」

 そう先程までと変わらないいたずらっ子のような顔で笑いながら、櫻田は携帯端末を仕舞う。
 というか、あの場にいなかったはずの連理にまで伝わってるということは相当大事になってるようだ。
 不安は煽られるが、それでも俺は芳川会長をただ信じて待つだけだ。そんなときだった。部屋のドアノブがガチャリと音を立てた。
 解錠音はない――間違いない、来訪者だ。
 俺達は話すのを中断し、そして扉へと視線を向けた。
 櫻田に目配せをすれば、俺が思ってることが伝わったのか櫻田はこくりと頷いた。
 ――ここは黙ってやり過ごした方が良いだろう。
 そう頷き返したときだった、櫻田はそのまま立ち上がる。そしてそのまま玄関口の方へと向かう櫻田にぎょっとし、俺は慌てて櫻田の腕を掴んだ。

「さ、櫻田君……っ」
「なんだよ、誰が来たのか確認するだけだろ」
「っ、で、でも……」

 いくら防音とは言えど、こうして小声で話してる声や少しの足音でも聞こえてしまっていたらと思うと生きた心地がしなかった。

「心配し過ぎなんだよ、先輩は。つうか、あんたも気になるだろ?気になんねえの?」
「……それは……」

 気にならないと言えば嘘になる。
 一番最悪のパターンは俺が芳川会長と一緒に向かったと聞いた阿賀松がこの部屋までやってきた場合だが、あの男ならばもう少し俺のことを泳がせるだろう。それに、阿賀松はもっと乱暴だ。
 阿佐美か……それとも連理か。はたまたただ純粋に本当に芳川会長に用がある人間かもしれない。

「あんたはそこで待ってろよ、俺ドアスコープから見てくるわ」

 止めるよりも先に櫻田は扉の方へと向かう。二人分の足音が聞こえた方が怪しまれる。俺は着いていきたいのをぐっと堪え、なるべく物音を立てないように櫻田の様子を伺った。櫻田が扉に近付き、そのままドアスコープを覗こうとしたときだった。再び扉がノックされる。それにも動じることなく櫻田はノック音が止み、扉の前から人がいなくなったのを確認してこちらへと戻ってくる。

「……どうだった?」
「まあ大丈夫そうだな」
「誰だったの?」
「江古田」

 俺は思わず櫻田を見た。無視してよかったのか、と思ったが状況が状況だ。いくら櫻田と江古田の仲が良かろうが、芳川会長にじっとしてろと言われた現状勝手な真似をすることはできない。――そして、櫻田も俺と同じなのだろう。

「でも、どうして江古田君がここに」
「さあ?ゴリラに頼まれたんじゃねえの?すげえ渋々みたいな顔してたし」
「……そっか」

 それならばまだ納得が行く。
 正直、いたのが江古田でよかった。
 もし、阿賀松や阿佐美だと思うと生きた心地がしなかった。膝を抱き締め、息を吐く。
 それから暫く櫻田と共に芳川会長が戻ってくるのを待っていた。
 予め芳川会長が用意してくれていたようだ。気付けば日が落ち、うつらうつらとしていたときだった。隣に腰を掛けていた櫻田が立ち上がる。
 咄嗟に顔をあげれば、携帯端末を手にしたまま固まっていられる櫻田がいた。

「どうかしたの?」

 そう恐る恐る尋ねれば、端末を仕舞った櫻田がこちらへと目を向ける。

「会長からお達しだ。今すぐ部屋から移動しろだとよ」

 誰か押し掛けてくるということか。その一言で会長の意図は読めた。
 そして、櫻田の言葉に迷ってる暇もなかった。

「けど、俺、このままで……」
「良いだろ。んで、俺の部屋連れて行くから」

 場所を選んでる暇もない。「分かった」とだけ頷き返す。
 それから俺達は最低限必要なものだけを手にして部屋を出た。

 学生寮四階、会長の部屋の前。
 通路は静まり返っていた。そんな中、足音が静かに響いた。俺や櫻田のものでもない、硬質な靴音。

「やっぱり、そこに居たんだね」

 息が詰まる。心臓が大きく跳ね、血液がどくどくと流れ込んでくるのが分かった。視線の先、そこに立っていた男を見て毛穴が開きぶわりと汗が滲む。

「――……ゆうき君」

 伸びた前髪の下、確かに阿佐美はこちらを見ていた。冷めた瞳。その声は間違いなく“俺”に問いかけていた。

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