絶対的同族嫌悪
ぼくの家は貧乏で、満足にご飯を食べられない時もあった。
だからか、生まれつき体が弱く、頭もそれ程よくもなく、周りの子と比べてぼくは明らかに劣っていて。並ぶのが恥ずかしくて。それは皆も同じで。ぼくがいると皆どこか居心地悪そうで、それを察したぼくは皆の隣に並ばないようにした。
結果、泣き虫でグズでノロマなぼくは気付いたら一人でいることが多くなった。
「なあ、なんでお前いつも一人でいるんだよ」
いつものように、校庭で遊ぶ同級生たちを木陰の下に座り込んでぼんやりと眺めていると、一人の男の子が目の前にやってくる。
その子の名前は、此花清音君。
いつも皆の中心にいて、楽しそうに笑っている子。
家は近所だけど、まともに話したこともなかったぼくはそんな男の子がなんで自分に声を掛けてきたのかがわからなくて、困惑して、俯いた。
「だって、ぼくがいたらみんな楽しくなさそうだし、邪魔、したくなくて」
「お前は隅っこにいて楽しいのか?」
「……ううん、楽しくない」
楽しいわけがない。ただ過ぎていく時間を一人で過ごすのは苦痛すらある。
それでも、あの輪の中に入って疎まれるよりかはましだ。
だけど、そんなぼくの言葉は清音君にばっさりと切り捨てられる。
「なら、意味ないだろ」
ごく当たり前のように、清音君は続ける。
はっきりとした、迷いのない口調。
俯いていたぼくは、つられるようにして顔を上げた。
「皆が楽しくたって、お前が楽しくなかったら一緒じゃねえか」
恥ずかしげもなく答える清音君の言葉には力強さがある。
そんなこと、言われたことなかった。
先生も、皆、ぼくのことを腫れ物みたいに触っていたから、だから、目を見て話してもらったことなんかなくて。
……多分、すごく嬉しかったんだと思う。
じんわりと暖かくなる胸の奥。
「……きよね、くん」と呟くように彼の名前を口にしたら、清音君は少し照れ臭そうに笑った。
「その名前で呼ぶなって。……きよでいい」
きよ、と唇を動かす。
「そうだ」と、清音君、きよは満足そうに頷き、そしてはにかむように笑った。
「なあ、暇なら一緒に遊ぼうぜ」
「一人より二人のがぜってえ楽しいから」そして、差し伸ばされた小麦色に日焼けした手を取ろうと伸ばすけど、まともに日焼けしたこともない生白く骨みたいな自分の腕が視界に入ると全身の筋肉が硬直した。
恥ずかしくなって、引っ込めようと戸惑っていると、きよの手に腕を掴まれ、構わず立ち上がらせられる。
ぼくを引っ張り上げてくれる、強い力。眩しい笑顔。
きっと、この時からきよはぼくにとってのかけがえのない存在になっていたんだろうと思う。
もしかしたら、その前、ぼくが遠くから眺めていた世界の中心に居るきよに、ぼくは、ぼくは――……。
それからぼくの毎日は劇的な変化を遂げた。
きよの存在はぼくの生活の一部に食い込み、ぼくの世界はきよを中心に廻るようになった。
きよは、男の子とも女の子とも仲良くできて、友達がいっぱいいる。
だけど、ぼくが一人でじっときよを見ているのを見つけるとすぐに駆けつけてくれて、『一緒に遊ぼう』って劣等感に押し潰されそうになっているぼくを引っ張り出してくれるんだ。
だけど、そうやっていつでもきよに助けてもらえるわけがない。
中学に上がってきよは更に友好関係が増え、彼女が出来た。
彼女とはすぐに別れたけど、それでも成長してさらにカッコよくなったきよに色目使う女子が少なくないのは事実で。
必然的に、きよは、ぼくと疎遠になった。
高校に上がったら、きよは沢山の人間に囲まれるようになっていた。
その分、きよは目を付けられていた。
生意気だとか、調子に乗っているだとか、きよのことをよく思っていない先輩たちがいることを知ったぼくは、きよの輪を壊されるのがいやで、きよがいつでも笑っていられるように頑張った。
高校に上がると流石に成長期に入ったらしいぼくはある程度の肉体的発達したみたいだ。
とはいっても成長したのは身長だけだしまともに筋肉なんてつかない。
成長期真っ只中のぼくたちにとって年の差というのは大きなもので、先輩たちはぼくよりもずっと大きくみえた。
だけど、それでも、きよを邪魔するなら。
始めは、野球部から盗んだバッドを握り締め、一人の所を狙って背後から思いっきりぶん殴った。何度も何度もぶん殴った。
殺してもいいと思っていた。けど、溢れる血が、バッドに当たる肉の感触が、痙攣する体が、いつ反撃されるのかがわからなくて、怖くて手が震えた。
動かなくなるのを確かめ、ぼくは、その場を立ち去った。
二人目は、突き飛ばした。
女の子と並んでいちゃいちゃ体を触りあっているところを少しだけ強く突き飛ばしたら、呆気なくバランスを崩した体は女を巻き込み車道へと飛び出し、目の前で自動車と衝突した。
バッドで殴ったときよりも体力は要いなかったが、目の前で肉がぶつかったときのあの音は今でも耳から離れない。
三人目、四人目は上記二人に比べ、簡単だった。少しだけ、揉め事の種を撒いた。彼女がこいつと浮気してたとか、そういう感じの?
そんで近くに殴れそうなもん置いてたらあら不思議、ぼくが手を出さなくても勝手に潰し合ってくれる。
そうやって、少しずつ、少しずつ、ぼくはきよの邪魔するやつを始末してきた。なるべくバレないようにしていたけど、まあ、いつまでもそれが続くわけがなくて。
ある日、ぼくは警察の人たちに引っ張られることになった。
あのとき、真っ青になったきよが警察署まで駆けつけてきてくれたことを聞いた時、ぼくはすごく嬉しかった。嬉しかったよ。きよは、まだぼくのことを気にしてくれてたんだって。
ぼくもきよのことばっかり考えてたらこんなふうになっちゃったよって笑ったら、きよにぶん殴られて、すごく痛くて嬉しくて泣いちゃったのを今も覚えてる。
でも、きよは嬉しそうじゃなかった。
たくさん怒ってくれたけど、前みたいにぼくに笑いかけてくれなくなった。
それから、きよは変わった。
人を殴ることもできないくらい優しかったきよは、誰彼かまわず喧嘩を仕掛けるようになった。
殴って殴って病院送りにして、もしかしたらぼくよりもいっぱい補導されたんじゃないかなって思う。
それでも、人気者だったきよの周りにはたくさん人がいた。
いないのは、ぼくだけ。
きよを守るという役目をきよに奪われたぼくはどうしたらいいのかわからなくて、ぼくはきよに置いてけぼりにされたくなくて、きよの隣にいたいぼくはきよの真似をした。
だけど、きよの気持ちを味わうために人を殴るだけじゃ物足りなくなって、次第にエスカレートしていった。
ものを盗み、ものを壊して、女の子とも沢山遊んだ。
気付けばぼくの周りにもどうしようもないやつらばっかりが集まっていて、だけど、そこにはきよの姿はなくて、ああ、これじゃだめなんだって。どうしたらいいのかわからなくなったぼくは、ただひたすらきよの姿を追いかけることしかできなくて。
伸ばした手は、なにも掴めない。
◆ ◆ ◆
夢を見ていた気がする。懐かしい夢を。
「……みさん……」
微睡んだ意識の中、遠くから声が聞こえる。
まだ眠っていたくて、寝返りを打とうとすれば思いっきり肩を揺すられ、半ば強制的に眠りから起こされた。
「多治見さん、多治見さん」
「……」
「こんなところで寝てたら風邪引きますよ」
うるせえな、と思いながらもこのままでは煩くて二度寝ができない。渋々と光を遮断していたアイマスクを外せば、目の前には見慣れた鉄筋剥き出しのコンクリートの天井と……。
「……誰?」
黒いニット帽を深く被った黒髪の同い年か少し下くらいの男の子がこちらをのぞき込んでいるではないか。
そんなぼくの反応に、ニット帽の男の子は大袈裟に肩を揺すって笑う。
「やだなぁ、寝惚けてるんすか。俺ですよ、多治見さんの一家来、マナカです」
マナカ……マナカ……。やっぱ覚えてない。
元々人の顔は覚えない主義だけど、こいつがそういうのならそうなのかもしれない。正直どうでもいい。
ここにいるということは、そういうことなのだろう。
町外れの廃工場。
中学の頃からあまり家に帰らなかったが、高校に上がるとぼくはまともに家に帰ることはなくなり、誰も使っていない廃工場で夜を過ごすようになった。
広いそこにはぼくと同じようなやつらが毎晩集まっては騒いで遊んでいて、まあ、つまりこのマナカとかいう子もぼくと同じってことなんじゃないだろうか。
どうでもいいけど。
「……で、なんの用?まさか、ぼくの睡眠の邪魔して用事がないわけないよねえ?」
「いやいやいや!そんなわけないじゃないっすか!松尾さんたちが今からパーティーするらしいんで多治見さんも一緒にどうっすか?今回のはえらい美人が沢山らしいですよ〜」
パーティーねえ。ただの集団レイプだろ。
人気のないことをいいことに、最近ではそこら辺歩いてた女をここに連れ込んで遊んでるやつらも多い。
松尾とかいうのは、毎回そーいうのを首謀する無類のレイプマニアで、あいついっつもイカ臭いからぼくは嫌い。
…………いい趣味だとは思うけどねぇ。
「……んー、パス」
「ええっ?珍しいですね」
「だって、そーいう気分じゃないし」
きよの夢を見たせいだろうか。今は感傷に浸っていたかった。女の裸だの血だのなんて以ての外だ。
「松尾君たちに言っといて。『後片付けはちゃんとしろ』って」
「ぼく、いつもいつも尻拭いに付き合わされんのやだからさぁ」ヤッたらヤッたでそこら辺で全裸のままの女の子を捨てるのは松尾君の悪い癖だ。
そのせいで警察に見つかってぼくが疑われたことも何度もある。
まあ、無関係ではないのも事実なんだけど、松尾君のしたことをぼくのせいにされるなんて非常に不愉快だ。
ぼくなら全裸で捨てるなんて非道な真似せず、誰にも見つからないように山に捨ててやるのに。
「ういーっす、わかりましたぁ……って、あ、多治見さんどこ行くんですか!」
「んーきみがいないところぉ?」
「ええっ?!」
さっきからなんとなく思ってたけど、マナカ君、リアクションでかすぎてちょっと鬱陶しいんだよねえ。
だから、一人で落ち着きたいぼくは寝床にしていた空き部屋から出ることにする。
……んだけど、マナカ君はどうもまだぼくに用事があるらしく、困ったような顔をして慌ててぼくのあとをついてこようとした。
「ちょっ、待っ、多治見さん!」
「着いてきたら殺す」
このままついて来られたら面倒なので、そう釘を刺せば青褪めたマナカ君はそれ以上ぼくを止めるようなことはしなかった。
部屋をあとにしたぼくは、そのまま廃工場をあとにした。
なんであんな夢見たんだろう。小さい頃のぼくときよの夢。夢というよりも回想に近いかもしれない。
何年経っても忘れることのできない記憶。あの時からだ、ぼくの人生が変わったのは。
「……」
きよに、会いたいなあ。
このごろ、たまにきよと遊ぶようになった。
前までは目すら合わせてくれなかったんだけど、多分、きよはぼくという出た釘を打とうとしてるんだろう。ぼくがなにか事件を起こす前に。
きよの正義感の強さはぼくが一番知っている。だからこそ、ぼくはここまでやってきたんだ。きよの気を引くために。きっときよはぼくが会いたいと言ったらすぐに来てくれる。渋られたら脅せばいい。だから、少しだけ、会いたい。
久し振りに昔話でもしよう、なんて想いながら携帯電話を取り出したぼくはきよの携帯に電話をかける。
…………出ない。
「……」
おかしいなぁ。いつもならすぐに出てくれるのに。
もしかしたらなにか立て込んでるのだろうか。
それとも、手芸に夢中になっているとか。
無骨な容姿に似合わず繊細な趣味を持っている幼馴染を思い浮かべたぼくは、仕方なくきよの家へと向かうことにした。
きよの家は、大通りにある。一階がお花屋さんで二階、三階が住居になっている。
ぼくの家とも然程距離はないが、ついででも実家に顔を出す気はない。ぼくは真っ直ぐお花屋さんに向かった。
放課後、きよはたまにお花屋さんで働いてる。同級生たちに見られて茶化されるのが嫌らしく、変装のつもりか髪型を変えて店頭に立っているが遠くからでもその姿は目立つのだけれど。
「……きよー?」
こっそりと花屋店内を覗いてみるが、中にはお客さんらしいスーツ姿の女の人ときよの三番目のお姉さんが店員として立っているだけで、エプロン姿のきよは見当たらない。
「……いない」
ついでにお姉さんにきよが帰ってるかと尋ねてみたけど首を横に振るばかりで。
嘘を吐くような人でもないし、帰っていないのは本当なのだろう。
ということは、どこかで遊び回ってるのだろうか。
学校ではいつも人に囲まれているきよだけど、プライベートの時間は家で過ごすのを好む。
だから、今回も家にいるのだろうとばかり思っていたのだけど。
「あ、きよ……」
制服姿がやけに目立つ駅前通り。
家以外できよがいそうなところを歩き回っていると、ようやくきよを見つけることが出来た。
とある雑貨屋の影。赤っぽい頭のある男の子と一緒にいたきよはなにやら怒っているようで、赤くなってその男の子に怒鳴りつけていた。
その男の子の後ろ姿には、見覚えがある。
たしか、名前は……木江大地。
「……」
人の顔を覚えるのはもちろん、人の名前を覚えるのも嫌いだ。
だけど、どうやら彼の名前と姿はぼくの意識を飛び越えて脳味噌に直接刻み込まれているのかもしれない。
要注意人物として。
なにやら木江君に怒ったらしいきよは、ぼくの存在に気付かないままその場をあとにする。
一人残された木江君はその後ろ姿にひらひらと手を振っていたが、やがてきよの姿が見えなくなると浮かべていた笑みを消し、離れた歩道に立っていたぼくの方を見た。
そして、目があったとき、彼はにやり笑う。
その笑顔に、心の奥が一斉にざわつきはじめた。
込み上げてくるのは、怒りか、動揺か。きよと一緒にいた彼に嫉妬心とやらは湧かなかった、けれど、馬鹿にしたような挑発的な笑みをみた瞬間、先程まで静かだった腹の奥底からどす黒い感情が湧き上がった。
加虐心。彼の笑顔に吐き気を覚え、今すぐその笑顔をぐちゃぐちゃに潰してしまいたい衝動に駆られたが、気が付いたら彼の姿はなく、ぼくの目の前にはただ人の群れが通るばかりで。
「…………」
彼ときよは、なにを話していたのだろうか。
きよは人気者だからきっと彼もきよに興味があるのだろう。
でも、彼はだめだ。どうも胡散臭い。ぼくが言っても説得力もクソもないのだろうけど、ダメだ。
そんな彼がきよにやたら馴れ馴れしく構っているという事実を突き付けられたようで、なんだか更にきよが遠く感じて、なんできよなんだろうか。きよにはもう友達はたくさんいるはずなのに、なんできよなんだ。きよばっかり皆に好かれて、違う、優しくて暖かいきよを好きになるのはごく自然な流れなわけであって、それはおかしくない。だけど、なんなんだ、この気持ちは。
あの子はダメだ、あの子は。なにがダメなのけはわからないけど、直感がそう叫ぶ。だめなんだ。あの子は。
だって、笑ったときの目が、ぼくと同じ目をしてるんだ。
結局、木江君もきよも捕まえることが出来なかったぼくは落ち着かない気分のまま廃工場へと戻ってきた。
錆びついたままの設備が残った大きな部屋の中。そこには結構は人数が集まっていた。
どっかから拾ってきたらしいソファーやテーブルを並べ、それらしく出来上がった部屋は薄暗いが、いつものようなひんやりとした空気や静けさはなくて。寧ろ、熱気や酒気で咽返りそうになる。
鉄製の扉を開き、中へ入れば結局来ていたらしいマナカ君が驚いたように目を丸くした。
「あれぇ?多治見さんやっぱり来たんですか!」
「うるさいよ」と、嬉しそうに笑うマナカ君を無視して人だかりの中央へと向かえば酒瓶を手にした松尾君たちと、腕を縛られ、転がされた数人の女の人がいた。
「おせえっすよ、公太郎君。もうこないと思ったじゃないっすか」
「ぼくも、そう思った」
昔みたいに話して、昔みたいに戻ることができれば、ここに来る必要はないと思っていた。
けど、ぼくには無理なんだろうなと思う。
まだ腹の奥底に残った苛立ちを収める方法をぼくはこれ以外しらないから。
「っぁ゙あッ」
傍にいた女の人の顔面を蹴りあげれば、白い顔が赤く染まる。
あ、そういやこの靴、鉄板入ってんだっけ。なんて思いながら、ぼくは悲鳴を上げ地面の上を転がる女の人の髪を掴み上げ、無理矢理上を向かせた。
恐怖で引き攣った顔は涙で濡れ、化粧は崩れてどろどろになってしまっているが、まあ、いかにも松尾君が好きそうなけばいタイプだ。
「んー、顔はまあまあかなぁ。まあ、潰れりゃ一緒だけどねえ」
「多治見さん女の子にそんなこと言っちゃだめですよー」
「ああ、そっか。そうだね。女の子ねえ」
「どうせならぼく、男がいいなあ」女の人から手を離し、そのままごとりと地面の上に転がせば「え」とマナカ君と松尾君は目を丸くした。
二人だけではない、先ほどまで馬鹿騒ぎしていた周りの連中も一気に静まり返り、ぼくを見た。
上着から携帯電話を取り出したぼくは、フォルダに保存された一枚の画像を表示した画面を松尾君に突き付ける。
「木江大地」
「こいつ、まえてきてよ」と、ぼくは顔を引き攣らせた松尾君にゆっくりと微笑みかける。
…………出た釘は早めに打たないとねえ、きよ?
おしまい