魅惑的堕落※
「大ちゃん、俺のこと、好き?」
何度となく七緒から問い掛けられたその言葉に、毎回俺は「大好きだよ」と答えた。
繰り返されるやり取りに最早感情の欠片すら籠らない。それでも、不安そうだった七緒は俺の一言に安堵しているのは確かで。
今回もそれは同じだった。だから大丈夫だろうと思った。思ったのに。
七緒の部屋に閉じ込められて三日目。
両手首を拘束する手錠は相変わらず俺の自由を奪ったままで、七緒もこれを外す気はないらしい。
風呂の代わりに一日に何度か七緒に体を拭いてもらってる。
つっても、セックスしたあとなので意味あるのかないのかわかんないけど取り敢えず風呂に入りたい。服は着せてもらえないが部屋の温度調節は丁度いいし飯もたらふく食わせて貰ってるけど、ぶっちゃけ退屈だ。
携帯は取り上げられてる。
部屋にはテレビもあるけど、昼間はまじつまんない。一応ゲーム機も置いてあるけど手が使えないので意味ない。
だから、一日は七緒に借りさせたDVDを見てるか寝てるか飯食ってるかヤッてるかという超絶不健全な一日を送っているがよく考えたら七緒に閉じ込められる前も対して変わらないな。
なんて思いながら、ベッドの上でうつ伏せになっていた俺は考える。
三日早々でなんだが、正直飽きた。
というわけで俺は七緒との同棲ごっこという名の監禁をやめることに決めたわけだが、勿論七緒はそれを許さないだろう。
なので俺はまず作戦を練ることにした。
◆ ◆ ◆
「七緒、デートしよ」
予備校から帰ってくるなり制服姿のまま部屋へ入ってきた七緒に、俺は単刀直入に申し込む。
いきなりのことに一瞬なんのことかわからなかったらしい七緒だったが、デートという単語だけは理解したようだ。ぱあっと目が輝く。
「デート?俺と大ちゃんが?」
「うん。いいだろ、たまには。ここの部屋閉じ込もってばかりだったら腐っちゃいそうだし」
「大ちゃんが言うならいいよ!」
いいのかよ。
てっきり部屋から出したくないと駄々捏ねると覚悟していただけになんだか出鼻挫かれた気分になる。
でもまあ、話は早いに越したことはない。
「じゃあどこ行く?泊まり?」
「そーだな。……取り敢えず、風呂に入りたいからこれ取れよ」
「あ、そうだね」
「ちょっとごめんね」と俺の背後に回り、手首を掴まれる。
そして、数秒後。
ガチャリとちいさな音を立て、両手の自由を奪っていた拘束具は外れた。
「あー久しぶりの感覚」
動かす機会が少なくなったお陰で血の巡りが悪くなり、冷たくなった掌を何度か握り血行を促進する。
そのまま肩を回し軽いストレッチをしていると、「で、どこ行く?」と再度七緒に問い掛けられた。どんだけ楽しみなんだよ。
ないはずの尻尾がぶんぶん振られているのが見えるが気のせいではないはずだ。
「取り敢えず、飯………あ」
「ん?」
「せっかくだし買い出しに行って家でなんか作るか」
咄嗟に頭を回転させ、閃いた俺は七緒を見上げる。
俺の言葉に反応して、期待するかのように七緒の目はキラキラと輝きを増す。
「手作り?大ちゃん料理できんの?」
「まあな。インスタントの大地とは俺のことよ」
「大ちゃん、インスタントは手作りじゃないよ」
「ん……細かいことは気にすんなって」
正直料理なんてしたことないのだが、店で並んで飯食うよりもスーパーで食材探すフリして七緒を撒いたほうが遥かに効率がいい。
そう思い、適当な提案をしてみたのだが想像以上に七緒が楽しみにしているのでなんだか可哀想になってくる。が、まあ、いいや。いちいち七緒に付き合っていたらその内骨の髄までどろどろに溶けてダメになってしまう。
「大ちゃんと買い出しかぁー、なんだか恋人さんみたいだねっ!」
「日生君と一緒に買い出しとか行かねえの?」
「は?ヒナちゃん?なんで?行かないよ、そんなの。面倒臭いし」
即答。
七緒の飯の面倒まで見ている日生弥一なら一緒に買い出しに連れて行くのではないのだろうかと思っていたのだが、どうやら考え違いだったらしい。
まあ、確かにこんなデカイ子供みたいなの連れて買い物に行ったら帰りがいつになるかわからない。
ある意味七緒を連れて行かないのも懸命な判断かも知れない。そして、今から俺はそれと反対のことをするわけだ。
「七緒、風呂入れる?」
「あ、今から入れるからちょっと待って」
「用意できてねえなら別にいいよ。シャワー浴びるし」
「そ?わかった」
そう適当な所で会話を切り上げ、俺は浴室へと向かった。
他人の家を全裸で徘徊するというなんとも刺激的なシチュエーションだが、ここには七緒しかいないし七緒んちにも慣れてきたところなのであまり興奮しない。
なんか、第二の我が家的な。
住み心地がいいんだよなーなんて思っている内に浴室に到着。
そもそもパンツも履いていないので脱衣する必要もなく、そのまま俺は浴室へと入った。
タイル張りのそこは冷えていて、ぶるりと震えながら俺は肩を擦った。
「………はぁ」
取り敢えず、第一関門突破。
あまりにもあっさりと成功したのであんま実感はないが、まあいい。
シャワーコックを捻り、溢れるお湯を被りながら脳内作戦会議再開。
問題は、ここからだろう。と言いたいところだがわりとここが一番の難関だと思っていたから、ここから先は特に手間取らないだろう。
基本すっとろい七緒を撒くのは簡単だ。
問題といえば、その後のことだがまあその場でぐずっても後から適当にフォローしてやれば単純なあいつのことだ、すぐに忘れたみたいにいつも通りになるだろう。
今は取り敢えずこの退屈な生活から抜け出すことが出来ればそれだけで……と、そこまで頭を働かせた時だった。
「大ちゃーん!お背中流しましょうかー!」
がらりと勢いよく浴室の扉が開いたと思えば、脳天気な声とともに腰にタオルを巻いた七緒が入ってくる。
あまりにも驚き過ぎてシャワーヘッドから手を離しそうになったが辛うじて持ちこたえる。
そうだ、忘れてた。こいつ、こういう奴だった。
「ちょっ、うわ、勝手入ってくんなよ。……エッチ」
「今更照れなくてもいいじゃん」
「照れてねえよ、お前でけえから邪魔になんだよ」
「なんでそんなこというの?俺、大ちゃんの体洗ってあげようと思ったのにぃ……」
ああ、また始まった。俺の言い方が気に障ったらしく、じわぁっと瞳に涙を浮かべる七緒にぎょっとする。
どうやら本当に善意だったらしい。タオルを握り締め、ぽろぽろと涙を零し、しゃくり上げる七緒。
これじゃ俺が虐めたみたいじゃないか。いや、あながち間違いではないけれども。
「あー……なら助かった、腕痛くて思うように手ぇ動かねえからちょっと手伝えよ」
なんだかんだ、俺は七緒の泣き顔に弱い。
俺の言葉に素早く反応した七緒は「いいのっ?」と目を輝かせた。
いいのって、最初からそのつもりできたんだろうが。突っ込む代わりに「よろしく」とだけ返す。
「わかった、俺、頑張って大ちゃんを綺麗にするからね!」
痛かったら言ってね、と意気込む七緒は俺の背後に回れば、ボディーソープを掌に垂らす。
そしてぐちゅぐちゅと満遍なく掌に絡める七緒。
え、そのタオル使わねえのかよ。と思った矢先、「じゃ、失礼しまーす」と濡れた七緒の手が脇の下に差し込まれた。
ぬちゃりと舌その生々しい触感に思わず飛び跳ねそうになったが、なんとか耐える。
「ちょ……っと、タンマ。お前、洗うだけだからな」
「うん?わかってるよ?」
「俺、腹減ってんだから早く済ませろよ」
「わかってるって〜。俺もお腹ペコペコだもーん」
嘘つけ、と言い返そうとして、思いっきり両胸を掴まれ、揉み扱かれる。
ぬるぬるとした指が濡れた皮膚に滑るように触れ、その度にぬちゃぬちゃと嫌な音が響いた。
これは、洗われてるというより、寧ろ。
「っ、ん……おい……っ」
「んー?」
「そこは、いいだろ……ッ別に」
「よくないよ。大ちゃんの体にどうでといいところなんて一つもないんだから」
「髪の毛の先から指の隙間まで全身隈なく俺が綺麗にしてあげる」そう、うっとりと目を細める七緒は濡れた俺の髪に唇を寄せ、その隙間から覗く耳朶に舌を這わせてくる。
「っ、ちょ、やめろって、今じゃなくていいだろ……っ」
両手で両胸を弄られ、耳を舌で犯される。
背中に感じる七緒の体温が心地よく感じる反面、このまま流されてしまえば間違いなく日付を跨ぐと危機感を覚えた。
買い出しで七緒を巻くにはある程度の体力がいるわけでー……とか考えてる内にめっちゃなんか胸揉んでくるし、気持ちいいけど、気持ちいいけど。
「七緒、だめだって、おいこら!」
「えー?なんでぇ?」
「そういう気分じゃない」
そう言い切れば、ピタリと七緒の動きが止まる。
ようやくわかってくれたようだ。
少しは物分りがよくなったみたいだな、なんて内心ホッとしながら背後の七緒の振り返った時。俺はぎくりと青褪める。
「……なんでぇ?俺、大ちゃんとならいつでもどこでもムラムラしてしたくて堪んなくなるのに……大ちゃんは違うの?俺の片思いなの……?」
ふえ……と大きな目に涙を浮かべる七緒。
こいつは本当に大忙しだなと顔が引き攣りそうになるが、駄目だ。七緒の泣き顔はどうしてこうも人の罪悪感をチクチクチク刺激してくるんだ。
「やっぱり大ちゃんは俺のことが嫌いなんだああ」
「違う、違うから。第一そんなこと一言も言ってないだろ、馬鹿か」
「馬鹿だもん、俺大ちゃん馬鹿だもんっ」
ぼろぼろと泣き出す七緒は言いながら背中に抱き着いてくる。
全裸、風呂、ソープまみれという悪くないシチュエーションというのに全く色気がないというか色々削がれるのはわんわんと泣きついてくる後輩のせいだろう。
ここ最近、七緒の幼児退行化が激しいのだがやはり甘やかし過ぎてるせいだろうか。
「七緒」
「やだ、俺、大ちゃんから離れないから」
「それじゃ体洗えねえだろ」
体を動かし、向かい合うように移動すれば、「え」と驚いたように涙で濡れた顔を上げる七緒。
鼻水諸々でせっかくのイケメンが台無しだ。
七緒の鬱陶しいくらい長い前髪を掻き上げ、俺は額、目元、頬へと顔中に唇を落とす。
するとあら不思議、蛇口の壊れた水道みたいに涙を流していた七緒の涙はぴたりと止まっている。なんということでしょう。
「その代わりに、俺にも洗わせろよ」
短時間で七緒を満足させるために俺は強行手段『洗いっこ』を実行することにした。
「っ大ちゃん、ちょっ、待って、まじでそれ……やばいから……ッ」
「やだ、待たねえ。俺、すげえ腹減ってだから」
ソープを絡めた掌を使い、両手で包み込んだ七緒のを擦り上げる。
粘っこいやらしー音がぐっちゃぐっちゃ響く浴室内、俺は唇を舌で舐めた。
さっさと終わらせるのが目的だったのだが、目の前でぴくぴくと身悶える七緒を眺めるのは中々楽しい。どうしよう。困った。
「俺のはさぁ、も、いいから……っ、ね?ダメだって、それ以上は……っ!」
「出ちゃうから?」
「それも、そーだけど……逆上せちゃいそ……」
蒸気で頬を赤くした七緒は、潤む瞳を細める。
僅かに震えるその声に、ぷっつんと音を立て俺の中のなにかがキレるのがわかった。
「えっ、ちょ、大ちゃ、ぁ……っ待って待って待って!ん、ぅっ!」
ソープやらでどろどろになったそれを根本から先っぽまで指を使って扱き上げれば、ぴくぴくと七緒の腰が揺れる。
掌の中の反り返ったそれは熱く、硬い。指から伝わる脈打つ鼓動が七緒の限界を知らせてくれた。
「大ちゃんっ、大ちゃん……っ」
あ、そろそろだな。なんて、七緒の顔を覗き込んでいた俺はそのまま両手で輪っかを作るようにしてぎゅうっと根本を絞る。
瞬間、七緒が目を見開いた。
「だ、大ちゃん……っ!」
「駄目なんだろ?イッちゃ」
そう、にやにやと口元を緩めれば、またじわぁっと七緒の瞳が潤んだ。
「そうだけど、そうだけど……っこんな……」声を震わせ、息苦しそうに呻く七緒にぞくぞくと電流が走る。
……この反応、堪んねぇ。
「イキたい?」
「……っうん、イキたい、お願い……っ」
「もっと可愛く言ったらいいよ」
「ぇ、えぇー……可愛く……?俺可愛くない……?」
わりとナルシストなのか確信犯なのかぶりっ子なのかわからないが、まあ今のは聞かなかったことにしよう。
ガチガチになったその根本をぐっとキツく掴めば、「んッ」と小さく身動いだ七緒は苦しそうに息をする。
その額には脂汗が滲んでいて。射精したくて可笑しくなりそうな頭で必死に可愛いお願いの仕方を考えているのだろう。
うーんと呻く七緒だったが、やがて、おすおずと俺を見上げた。
「お……お願いします、センパイ……」
上目遣い。甘えるようなその瞳に、声に、心が満たされていくのがわかった。
アホそうな顔して、よく俺の趣味と自分の立場を熟知している。
あざとい、とはわかっていたが、やはりときめいたものは仕方なくて。
それに、正直俺の方が限界だった。
「合格」
にこりと笑えば、ほっと安堵を露わにする七緒。
しかし、それも束の間。
射精寸前のパンパンに膨張したそれを掴む手は離れるどころか、勃起したそれの上に跨ろうと七緒の膝に乗り上げる俺に七緒は驚いたように目を見開いた。
「えっ、ちょ、大ちゃん……っ」
「ん?」
「今?今?挿れんの出した後じゃダメ?」
「やだ」と、呟き、七緒のの上にゆっくりと腰を下ろす。
肛門に先走り諸々で濡れたそれの感触を感じたら、あとはすこーし腰の力を抜くだけ。すると、あらふしぎ。
「ッ、は……」
ずぷずぷと音を立て、体内へと飲み込まれていく七緒の性器。
濡れたそれは内壁を擦り、下腹部にぎゅうっと力が入る。
ビクッと反応する七緒の腰を掴んだ俺は、そのまま根本奥深くまで挿入し、一旦深い息を吐いた。
「どうせ出すんなら、濃いやつ、俺ん中でいっぱい出してよ」
ね、と七緒に跨り微笑みかける。
つーか、ま、勃起した性器が目の前にあってムラムラすんなっつー方が無理な話だよな。
「っは、はは、何泣いてんだよ……っ!っふ、んッ、ちゃんと、奥まで洗えっての……っばーか……っ」
腰を上下し、自分で動いて七緒のそれで中をめちゃくちゃに擦り上げれば喉奥から声が漏れる。
体内にぐちゅぐちゅと響く濡れた音が余計やらしくて、目の前の七緒の顔は最高だし、もう堪んない。
自分で動いて挿入を楽しんでると、ようやく調子を取り戻したようだ。
いきなり腰を抱き締められる。勿論、そんなに密着したら中のものも奥まで来るわけで。
「っぁ、はっ、んんぅッ!」
「あぁ、もう……ほんと、好き……っ!大ちゃん、大好き……っ!!」
「ぁ、っもっと、七緒……ふ、んんっ」
言い終わる前に唇を塞がれ、間抜けに開いた唇から熱く濡れた舌を捩じ込まれる。
舌と性器の両方で上と下、体内を乱暴に掻き乱されればあまりの心地の良さに堪らず骨の髄まで蕩けそうになって。
下から激しく腰を打ち付けられれば四肢から力が抜け、ずり落ちそうになるところをしっかりと抱き留められる。
「っ、ん、ぅう……っ」
もっと、と咥内を弄る七緒の舌に吸い付き、甘えるように七緒の背中に手を伸ばせば、抱き締めた肌が熱くなるのがわかった。
瞬間、不意に舌が離れた。口寂しくなり、糸を引く濡れた七緒の唇を目で追った時、乱暴な動作で最奥を抉られた。
息が詰まるような衝撃に一瞬思考が飛び、絶句する。それも束の間。強弱付けてやってくる快楽の波に既に意識は引き返された。
「も……っ、ズルい、ほんと、ズルいって、そういうの!俺が弱いって知ってんでしょっ?ねえ、大ちゃん……っ!」
「んっ、ぁっ、七緒っ、七緒……っ!」
「もーっ、ホント好きっ!大ちゃんっ、俺と付き合ってよっ!ねえ!幸せにしてあげるからっ!」
「っ、あっ、ひっ、待っ、七緒っ、やばいって、ななお……っ!」
止まらないピストンに腰は壊れたみたいにガクガクと痙攣し、開いた口からは唾液がとまらない。
だらだらと溢れる唾液を舌でべろりと舐め取った七緒は、そのまま俺の肩口に顔を埋めた。
荒い息遣い。
抱き締めた七緒の背中の筋肉が一瞬固まったと思った次の瞬間、体の中の奥深く、打ち付けられた性器から勢い良く熱が吐き出される。
あぁ、きた。腹の中の熱とともに勢い良く這い上がってくる悪寒にも似たその感覚を覚えたとき、
「っひ、あぁッ!!」
腹にぶつかりそうになるくらい反り返った性器から勢い良く、性器に溜まっていた白濁のそれは七緒を目掛けて飛び出した。
◆ ◆ ◆
またやってしまった。
昔からだ。いくら計画立てていても快楽の前では無計画も等しくて、そして今回も手コキだけと決めていたのにまーたやってしまった。
風呂場で長居しすぎたお陰ですっかり逆上せた俺だったが、なんとか意識は失わずに済んだ。
心配していた腰の怠さもあまりない。
ここ数日、一日中図体だけはでかい七緒の相手をしていたお陰で体が丈夫になったのかもしれない。腰とか。まあそれはそれでいいや。
というわけで風呂から上がり、念願の自由になった俺は七緒の服を借り、髪の毛をセットする。
「大ちゃんが俺の服着てる!」と大はしゃぎの七緒が変なぼんぼんがついたヘアゴムもつけろと騒いだが流石に女役はしても女ものの物を身に着ける趣味はないので丁重にお断りした。
代わりに、不貞腐れる七緒の前髪に変なぼんぼんがついたヘアゴムをつけてあげたらすぐに上機嫌になるわけで。
お互い、ある程度身支度を済ませた俺達は並んでマンションの一室を後にする。
そして、一番近いスーパーへと向かった。
現在真夜中。24時間営業のそこは疎らにも人の影があった。基本コンビニ通いの俺はスーパーは結構新鮮だったりする。
特に、隣にいるのが七緒だというと。
「大ちゃん、ねえ、なににする?」
「ラーメンとうどんと蕎麦と焼き蕎麦、どれがいい?」
「って全部カップ!せめて袋にしてよ手抜き過ぎだよ大ちゃん」
「冗談冗談」
半分本気だけどな。
ざっくりと断られ、渋々カップラーメンを棚に戻した俺は後ろからついてくる七緒をちらりと盗み見た。
さて、これからどうしようか。とはいっても、することはもう決まっているのだけれど。
「じゃ、俺はちょっと野菜の方見てくるからお前調味料見てて」
「は?なんでー?一緒じゃないの?」
「二人で探すよりバラけた方がはえーじゃん」
「俺は大ちゃんと一緒に食材見たいのにぃ……」
始まった、七緒のグズり。
先ほどまでニコニコしていた七緒の表情が曇り始め、内心ぎくりと動揺する。
ああ、もう泣くな泣くな。
しかし、ここで折れる訳にはいかない。可愛い子ほど旅をさせなければならないのだ。なんか違うな。まあいいや。
「俺は早く帰って七緒と一緒に料理作りたいんだよ……わかれよ」
人気がないことをいいことに、そっと七緒に顔を近付けた俺はそのままへの字に曲がった唇を指先でなぞる。
上目で見詰めれば、不満そうな七緒がこっちを見ているではないか。
やべえ、この俺の美貌を持っての色仕掛けで誤魔化せないだと。
「……大ちゃんって、なんか企んでるときいつもそーやって誤魔化そうとするよね」
しかもバレてる。嘘だろ、脳内お花畑な七緒に見抜かれるだと。
「そ、そんなわけないだろ。なんだよ、疑ってんのかよ俺のこと」
「疑ってないけど、一人はやだ」
「七緒ぉぉ……」
いきなり抱き着いて来たと思えば、そのままぎゅーっとくっついて離れようとしない七緒に俺は内心動揺していた。
ここでしくじってはまた七緒の家で何日も過ごすハメになる。
どうにかしなければ、と考えたとき。ふと、腰に回された七緒の掌にケツを鷲掴みされる。
「っ、ちょ、七緒」
大胆な動作で揉み扱かれ、ぎょっと七緒を見上げたとき、ちゅっと唇を吸われ、俺は目を丸くしたまま硬直した。
「お返し」
そう、目を細めて意地の悪い笑みを浮かべる七緒に、心拍数が爆発的に倍増するのがわかった。
なんだこいつ、可愛くないぞ。可愛くない、こんな、七緒のくせに。
不意打ちに顔が熱くなって、じとりと七緒を睨み返したときだ。
ガラガラガラッと音を立て、前方の商品棚から積み上げられた商品が崩れ落ちた。
何事かと七緒の肩越しに視線を向ける俺。そして、商品棚の側で慌てて商品を拾おうとしている見覚えのあるそいつの姿に俺は目を丸くする。
「あ、ヒナちゃんだっ!」
そう、楽しそうな声を上げたのは七緒だった。
俺たちの視線に気付いた日生弥一は、あたふたと商品を抱えたまま顔を青くする。
「……いらっしゃいませ」
そう言う日生の顔色は死人みたいで、必死に目を逸らしながら軽く会釈した。
「うっわ……」
なんというタイミングで現れるんだ、こいつは。
いらっしゃいませ、という言葉からして日生がここで働いているのは一目瞭然だし、なんという偶然だろうか。
スーパーが似合う男とは思っていたが、働いてるなんて聞いてないぞ。
「あれぇ、ヒナちゃんが始めたバイトってここだったんだ!すごいエプロン似合ってるよー」
と困惑している俺を他所にニコニコと笑う七緒。
どうやら七緒は知っていたようだ、日生のバイトのこと。
そんな無邪気な七緒の態度に、更に顔を強張らせた日生は「ありがとう」と呟く。
「けど、その、店の中でそういうあれはやめていただけませんかね。……ほっ、他のお客さんに迷惑が掛かるので」
「あはは、ごめんごめーん。まさか日生君がいるとは思わなかったから」
これは嘘ではない。誰か知り合いがいればラッキーだとは思っていたが、この展開はちょっと予想外だ。
それでも、ラッキーなことには変わりないのだけれど。
「あのね、ヒナちゃん俺たち今晩のおかず買いに来たんだよー!」
「おかず……?誰か料理するんですか?」
七緒の一言に怪訝そうに眉根を寄せる日生に、「俺」とだけ答えれば日生は露骨に驚いたように目を丸くした。
「せっ、先輩が?」
なんだその残虐な殺人事件の真犯人を聞いた脇役みたいな反応は。喧嘩売ってんのか。
「いいでしょ、大ちゃんの手料理羨ましいでしょー!」
「いや、別に……」
しかも普通に別にとか言ってるし。
確かに日生は料理上手らしいしどうせ俺の料理は鳥の糞並みとでも思ってんだろう。
心外だ。
腹いせに「七緒、見ろあれ、すげー悔しがってる」と珍妙な顔をしたやつを指差してやれば、呆れたような顔をした日生は全力でそれを否定してくる。
「あの、どう見たらそうなるんですか。七緒が変なもの食わされて腹壊さないか心配なんですよ」
「はあぁああ?」
「とにかく、あまりそういうことは人前でほいほいしないでください…………気分が悪いので」
まるでてめーらの相手してるほど暇じゃねえんだよとでも言うかのように露骨に嫌悪感を滲ませる日生は「失礼します」とだけ残せば、俺達の反応も待たずにその場を後にした。
いつもに増して不機嫌な日生を引き止めることも出来ず、俺は視線だけでやつの背中を眺める。
ま、日生の不機嫌の原因も大抵わかるのだが。
間違いなく、十中八九隣でぽやぽやした七緒だろう。あと俺。
「もーヒナちゃんってば、羨ましいからってそんな言い方しなくてもいいじゃん!」
「…………」
あまりにも素っ気ない日生に不満たっぷりな七緒は怒っているらしいがまるで迫力がない。本気で怒っているわけではないのだろう。寧ろ、気になるといえば日生の方だ。
「大ちゃん?」
ふと、七緒に名前を呼ばれる。
反応がない俺を不審に思ったらしい。心配そうにこちらを覗き込む七緒に、俺は「いや、なんでもねえわ」とだけ答え、七緒を振り返る。
「ほら、行こうぜ」
そう、声を掛ければ七緒は「うんっ」と嬉しそうに目を細めた。
というわけで、七緒を撒いた。
足には自信にあったので元々捕まる心配はしていなかったが、想像以上に楽勝だっただけに余計逆に不安になってくるくらいだ。
七緒が目を離した隙に逃げ出した俺は適当に逃げ回り、そして、再度スーパーまで戻ってきていた。
とは行っても、七緒が気になったわけではないが。
「はぁ……寒い」
もっと厚着してくるべきだったか。
暖房の利いた七緒の部屋は特に寒さなど感じなかったが、そのせいか余計外気が冷えて感じる。
スーパー裏口にて。もしかしたらもう上がったのだろうか、なんてなかなか開かない扉の前で七緒からの着信とメールで履歴埋め尽くされている携帯を弄っていると、不意に裏口が開いた。
来た。日生弥一だ。
「っ、先輩……?」
上着を着込み、現れた日生に「よっ」と手を振ればみるみるうちに目が丸くなる。
いいリアクションだ。
「なんで、七緒は」
そう、青褪め、辺りを見渡し始める日生に歩み寄り、そのまま顔を近付ける。
「先輩」と、ぎょっとする日生を黙らせるようにちゅっと音を立てて唇を塞いでやれば、日生は大きく飛び跳ねた。
「んっ、ちょ、なにして……」
「日生君に会いたかったから、会いに来ちゃった」
慌てて引き剥がそうとしてくる日生にされるがままになりながら微笑みかければ、露骨に日生の顔が強張った。
「……七緒には言ったんですか」
七緒七緒七緒七緒って、どんだけ七緒のこと好きなんだよ。俺のこと名前で呼んでくれないくせに。うぜー。なんて思いながらも、青い顔をした日生に「んなわけねーじゃん。逃げてきた」と即答すれば、一瞬、確かに日生の動きは止まった。
そして、
「はあ?!」
声うるせえ。
素っ頓狂な声を上げる日生に俺は慌てて耳を塞ぐ。
「だってさぁ、このままだと俺、あいつの部屋から出られなさそうだったし仕方ねーじゃん?」
「出られないって、何言って……」
まるで意味がわからない、とでもいうかのような日生の反応。しかし、本当はわかっているのだろう。
幼馴染だからこそ、日生は七緒の性格のことをよーく理解しているはずだ。
一瞬、日生の瞳が揺らぐのを俺は見逃さなかった。
しん、と静まり返った夜空の下。流れる沈黙を遮ったのは、日生の携帯から流れる着信音だった。
上着のポケットから携帯を取り出した日生は、表示された着信先に硬直する。
『七緒』画面には、そう表示されていた。
「出んの?」
携帯を握り締めたまま動かない日生に声を掛ける。
日生が七緒に俺がここにいることを伝えればそこまでだろう。
残念ながらまた七緒とのラブラブご隠居生活が始まるというわけだ。
そして、日生にとって七緒と俺、どちらが大切かどうか。そんなことは一目瞭然で。
「……っ」
そして、俺の予想通り日生は携帯を閉じた。
途切れる着信音。ゆっくりと息を吐き、日生は俺を睨む。
「言っときますけど、別に先輩を庇ったわけではないんで」
「わかってるから」
大切なお友達がこのまま駄目になっていくのを見たくないのだろう、日生は。
「俺、日生君のそーいうとこ好きだよ」
「俺は先輩のそういうところ、大嫌いです」
かくして、俺は七緒のご友人でもある後輩日生の手を借りて七緒家から脱出することに成功した。
つーかまあ、日生には匿ってもらっただけだけど。
なんか噂では七緒が学校に来なくなっただとか聞いたけど、日生曰く、家にも七緒の姿がないだとか。あいつは直接なんだとかいわなかったが、こっちを見る目は先輩のせいだと切に訴えかけていて。
まあ、七緒のことだしそのうち出てくるだろ。
なんて思いながら日常へと復帰した俺を出迎えてくれたのは大好きな彼氏でも小生意気な友人でも気になる先輩でも口うるせー義弟でもなく、
「……大ちゃん、会いたかった」
目からぽろぽろと涙を零す七緒は、嗚咽混じりにそう顔をくしゃくしゃにした。
その手には、包丁を握りしめて。
END?