尻軽男は愛されたい


 脅迫的出会い

「やす」

 名前を呼ばれ、稲妻が落ちたみたいに俺はぴんと背筋を伸ばした。
「は、はい」と答えた声は情けなく震えてしまったがそれを気にする余裕すら俺にはない。

「お前、確かB組だったよな。1-B」
「そう、ですけど……それが……」

 どうかしたんですか。という俺の言葉は目の前の先輩の睨みで消えた。

「ならお前、岸本葵衣ちゃんって知ってる?つーか、おんなじクラスなんだよな」

 そうやけにそわそわとした調子で尋ねてくる先輩に気圧されつつ「ええ、まあ、はあ」と濁した調子で頷く。
 岸本葵衣。その名前には嫌ってほど聞き覚えがあった。
 うちの学年、いや中学でも有名な女の子みたいに可愛い男の子。だから、皆普通に葵衣ちゃんと呼んでいた。
 しかしうちの高校ではその可愛さよりもその素行の悪さの方が有名だった。
 詳しくは、俺も知らないけど。
 いくら同じクラスだとはいえ、彼はいつも授業サボって悪そうな子たちと遊びにいってるし、それに、不良とかと無縁な地味で目立たない俺が彼と御近づきになれるわけもなく、たかがクラスが同じというだけで違うクラスの友人たちは羨ましがっていたが正直クラスが同じだからって特になにがあるわけもない。
 しかし、それをわからない人間がいる。
 例えば、目の前のこの人とか。

「ならさあ、葵衣ちゃんに俺紹介してよ」

 なにがならなのかわけがわからない。

「紹介、ですか」
「俺、葵衣ちゃんみたいな子タイプなんだよね。あ、他のやつらに言うなよ、うるせーから」

 榛原先輩は笑いながら耳打ちをしてくる。そんな動作にまでびくびくしながら俺は「言いません、言いません」と慌てて首を横に振る。
 それに、言わなくても皆榛原先輩のストライクゾーンの広さは把握しているはずだ。

「でも、紹介って言われても俺、岸本君と話したことないんですけど……」

 もっと詳しくいうなら、目が合ったこともない。

「いやいや、話す切っ掛けはたくさんあるだろ。だから、な?」

 なにが「な?」なんだろうか。
 俺みたいな根暗にあんな派手な子に御近づきになれと無茶なことを言ってくる榛原先輩に血の気が引く。

「それなら、俺なんかより先輩が直接話した方がいいんじゃ……」

 どうしても納得がいかなくてそうごにょごにょと口ごもったとき。
 バンッと大きな音を立て、すぐ背後の壁に榛原先輩の手が叩き付けられる。破裂するような音に無意識に身がすくんだ。

「いいからやれっつってんだよ。俺が言った通り」

 鼻先数センチ。至近距離から睨まれ、足がガクガクと震えだし全身から変な汗が流れ始める。

「……わ、わかり、ました」

 泣きそうになるのを必死に堪えながら俺はそう何度も頷いた。
 どうしてこうなったんだろうか。何度も繰り返した自問をまた問い掛ける。
 中学生になり、目立つような真似をすることもなく細々と生きていたはずなのになぜかクラスに柄の悪いやつばかりが集まっていて必然的にクラスメートの不良たちにパシられ、気が付いたら二年三年の先輩たちも集まってきて、いつの間にか俺はその輪の中に入っていた。しかし、やはりパシリなのは変わらない。
 榛原先輩に背中を押されるようにして教室へと戻れば、やけに教室が賑やかだった。

「葵衣ちゃん、みてみてこれ!新しい下着買ったんだー!」
「わー!ふりふりしててかわいいね!って、あれ?カナちゃん痩せた?」
「あっ、わかるー?」

 きゃっきゃきゃっきゃと聞こえてくる甲高い声。
 何事かと思いながら教室を覗けば、ミニスカート集団に紛れて一際目立つ男子生徒が一人。
 金と黒のツートンヘアーが特徴的な大きな目をした小さな男の子。岸本葵衣君だ。

「つーか教室で脱ぐなよ、目が腐るだろ」

 盛り上がる教室内にどこか気だるげな声が響く。
 あまり聞きなれない声につられ、こっそりと声がする方をみた。
 廊下の壁に取り付けられた窓、そこから顔を出すちょっと長めの黒髪の男子生徒がそこにはいた。
 唇の端を持ち上げただけのゆるい笑顔。
 あまり学校では見ない顔だった。

「うっさい海山道!自分のクラス帰れっての!」
「やだよ、つまんねーもん。あそこ」

 海山道と呼ばれたその男子生徒はにやにやと笑いながら教室へと入ってくる。
 ひょろりと高い背。同性に嫌われ異性からはモテそうなタイプだと思った。

「それに、お前らに会いにきたわけじゃねーし」

 周りの女子の脇をすり抜け、岸本に近付いた海山道は「ね、葵衣ちゃん」と微笑む。
 細くなった目は猫のようで。葵衣ちゃんに近付くな!と騒ぐ女子たちを他所に岸本は「遅いよ」と楽しそうに笑った。

 男の勘なんて当てになるものかわからなかったけど、ただ俺は確かにこの二人がなにかしらの関係があることをその取り巻く空気から悟る。

 榛原先輩の命令を遂行するために俺が考えたこと。
 まず、岸本君と仲良くなる。でなければ岸本君に榛原先輩を紹介したところで相手にされないだろう。
 だからまず俺は岸本君との間になにか接点を作ろうと岸本君のことを知ろうとした。
 とは言っても岸本君とその周りにいる女子たちの会話に耳を傾けることくらいしか出来ず、しかも内容はデートに遊びにファッションにとなかなか身のある情報は入ってこず、仕方なく俺は大二段階に移行する。
 あまり学校にこない岸本君と教室の中で接する時間はかなり限られる。
 だから俺は教室の外で岸本君を着けることにした。

 わかったこと。岸本君は四六時中誰かといなければ済まない性格らしい。常に女の子(しかもコロコロ変わる)とあの海山道と呼ばれた男子生徒といた。
 基本異性とばかりつるんでいる岸本君だが同じクラスの信楽君と一緒にいるのをよく見かけた。
 二人は結構仲がいいらしい。海山道を含め、三人でよく放課後出歩いていた。
 岸本君は同性の友達があまりいない。もしかしたら友達とかではなく恋愛対象として見られているのかもしれない。女の子みたいだから同性としてもどう接したらいいのかわからないだろう。俺もその一人だ。
 まあ、岸本君自体はかなり質の悪い男のようだが。

 中学入学祝いに買って貰ったピカピカの携帯電話を片手に目の前の怪しげな店を撮影した俺はそこに写り込んだ画像に目をやる。
 ネオンの明かりをバックに写る柄の悪そうな連中と派手な女子集団。その中央、楽しげに騒ぎながら店内へと入っていく岸本君の姿がきれいに写っていた。

「……はぁ」

 岸本君のことを知れば知るほど仲良くなれる気がしなかった。
 遊びも嗜好もなにもかもが違うのだ。
 あの派手な外見からしてまず優等生には見えなかったが、俺みたいなやつがほんとうに彼と話せるかすらわからなかった。
 とにかく、今日はもう帰るか。夜行性な岸本君の夜遊びが終わるのを待っていたら朝になってしまう。携帯を仕舞い、小さく息をついた俺はふととあることに気付いた。
 そういや、いつも岸本君と一緒にいる海山道の姿がない。まあ、あいつも遊び好きそうだしどっかに行っているのだろう。
 然程気に止めず、俺は自宅に向かって歩き出した。
 そう、どこからか自身に向けられた視線から逃げるように。

 岸本葵衣、十三歳。岾南小出身で帰宅部。特定の恋人はいない。その代わり肉体関係をもった女の子は俺が調べただけでも七人。
 榛原先輩よりましだが、それでも女の子の手すら握ったことがない俺にしてみたら未知の領域だった。
 電話番号はわからなかったがアドレスはなんとか手に入れることが出来た。
 信楽君に聞いたらすんなり教えてくれたのだ。いい人。
 そんで、勇気を出して岸本君にメールをしてみたその日のこと。すぐに返事は返ってきた。

『別にメールくらいいいけどなんで僕と?』

 因みに俺は自分の本名と岸本君のクラスメートであること、仲良くなりたいという趣旨をメールにしていた。

『目立ってたし前から気になってたから』
『男気になっても仕方ないと思うんだけど』
『自分でも思う』
『変なの』
『ごめんなさい』
『別に謝らなくていいけど』

 会話するみたいな短時間での岸本君とのメールのやり取りは正直俺にとっては苦痛だった。
 だってなにを話せばいいのかわからないのだ。
 いきなり榛原先輩の話題に入ってもあれだろうし、と途切れた話題に頭を抱えていたとき。また携帯が岸本君からのメールを受信した。

『明日、また学校で』

 それは岸本君からのお誘いのメールだった。
 その短文に胸を弾ませた俺は興奮を抑えきれぬまま『わかった』と返事をし、そして初めての岸本君との接触は確かな手応えを残し、終わった。

 翌日、いつも通り登校すればそこには女子に囲まれた岸本君がいた。
 不意にこちらを見た岸本君と目が合い、岸本君はにこりと笑う。そして、女子を置いてそのまま教室の外へと歩き出した。
 今のは、ついてこいというアイコンタクトなのだろうか。思いながら、慌てて鞄をおいた俺は岸本君の後を追い掛ける。
 なんとなくおかしいと思ったのは校舎を出て靴に履き替えたときだった。殆どの生徒が教室入りをし人気がなくなった外を行く岸本君はどんどん校舎の裏へと歩いていく。

 校舎裏。
 日が当たらずどんよりとした空気に包まれたそこを進めば進むほど腹の奥に芽生えた違和感は膨張した。
 なんか、おかしくないか。そう、不意に踏み出した足を止めた矢先のことだった。
 背後で影が動き、それに気付き咄嗟に振り返ろうとした瞬間背中に衝撃が走る。一瞬、息が詰まった。

「っ!」

 気づいたら自分は地面の上に転がっていて、攻撃されたと悟った俺は咄嗟に立ち上がろうとするがすかさず背中の上になにかが落ちた。硬く、重い一撃が二ヶ所。それが膝だと知ったときには遅かった。
 腹の中の臓物が掻き乱されるような激痛に目を向き、喘いだとき、目の前にファンシーな靴が現れる。

「大地、遅いよ」
「わりいわりい、電話かかってきててさ」
「電話くらい無視してよ。大地のせいで僕が襲われちゃったらどうすんの?」
「それはないから安心しろ」

 聞き覚えのある声に恐る恐る顔をあげれば僕の上に目を向けた岸本君は笑う。
 そしてもう一つ、どこかで聞いたことのある声に背後を振り返ろうとしたとき後ろ髪を引っ張られ無理矢理顔を上げさせられた。
 逸る上半身。視界には濁った灰色の空と、こちらを覗き込む少し長めの黒い髪の男子生徒。
 海山道だ。

「なあ、だよな?」

 にたりと口角を持ち上げ怪しく笑う海山道は俺の首筋にゆっくり手を這わせ顎を掴んだ。
 瞬間、海山道の手に顔を持ち上げられると同時にゴキリと首が嫌な音を立てる。ひゅっと喉が鳴った。

「ほら、こいつもお前みたいな性悪カマ野郎襲わねえってよ」
「大地は幻聴の気があるみたいだね。速やかに精神科に行くことをおすすめするよ」
「それなら、葵衣ちゃんに興味津々なこいつも一緒に連れていくよ」

 遠くから見ていたときと変わらないどこか和気藹々とした二人のやり取り。しかしこの状況は最悪以外のなにものでもないことには違いなく。
 海山道大地は一本の赤い携帯電話を取り出し、俺の目の前に差し出した。

『同じクラスのやすって言います。岸本君と仲良くなりたくてメールさせていただきました。』

 見覚えのあるメール。差出人は『岸本ストーカーN』。
 俺は顔面から血が引くのがわかった。岸本君の携帯は赤くない。
 青ざめる俺を見て、海山道は愉快そうに笑う。

「可哀想に。ストーカー扱いされちゃうなんて」

 最初から俺にしときゃよかったのに。
 そう無邪気に笑う海山道は愛しそうに優しく俺の頬を手で包み込みそのままゆっくりと右目を隠すように手を這わせれば俺の右目には言葉にできないくらいの激痛とともに終わりのない闇が訪れた。

被虐少年の闇

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