尻軽男は愛されたい


 06

 結局やすくんに手伝ってもらい、途中悪化しかけたりしたがなんとか怪我の手当てを済ませることができた。
 手際はともかく、薬の選び方からしてやすくんが怪我の手当てに慣れていることがわかる。
 満身創痍なやすくんの姿を見る限り、もしかしたら自分の手当てで慣れているのかもしれない。
 鼻にガーゼを貼られなんだか違和感を感じたが、それもすぐになくなるだろう。

「これ、一応替えも入ってるから。渡しとくね」

 言いながら、やすくんは薬等が入ったビニール袋を俺に手渡してきた。
 小さく頷きそれを受け取った俺は中からミネラルウォーターを取り出しそのまま口をつける。

「取り敢えず、腹減ってない?大分時間食っちゃったからさ、まだ食べてないんだろ」

 ごくごくと中身を流し込み、喉を潤す俺から空腹を感じ取ったようだ。そうやすくんは提案してくる。
 正直やすくんには色々聞きたいことがあるのだが、確かに腹が減った。
 空腹を水で満たそうと試みるが腹が重くなるだけだった。
 問い掛けてくるやすくんに頷き返せば、やすくんは「そうだよね」と頬を弛ませる。

「なに、なんか奢ってくれんの?」
「そのつもりだよ。鞄、先輩に取られてないんだろ」

 先輩って、やはり多治見のことなのだろう。どうせあの陰険野郎の仕業とは思っていたが、こう事実を知らされると不愉快で仕方がない。
 万年金欠なので大した額は入っていなかったが、俺の私物を盗んだ罪は重い。
 絶対あいつの財布取り上げてやると静かに燃やす俺。
 黙り込む俺からなにか察したようだ。やすくんは困ったように笑う。

「大丈夫だよ、きっと此花先輩が取り返してくれるから」
「此花が?」
「うん、先輩そういうの嫌いだからさ。心配しなくていいって」

 そう俺を宥めるように続けるやすくんに俺は目を丸くした。
 なにかが可笑しい。目の前で笑うやすくんを見据えた俺は、その言葉に疑問を覚えずにはいられなかった。
 俺が知る限り、確かやすくんは此花にカツアゲされていたはずだ。
 先日此花と鞄が入れ替わったときに出てきたやすくんの財布を思い出す。
 なのに、そんな此花を優しいと言うやすくんが不思議で堪らなかった。

「ん?どうかした?」
「やすくんてさぁ、此花たちと仲良いの?」

 俺の視線にくすぐったそうな顔をするやすくんにそう直球で尋ねれば、やすくんは少しだけ意外そうな顔をした。そして、すぐに頬を綻ばせる。

「そんな……仲良いっていうより、俺が良くしてもらってるだけだよ」

 ただならぬ違和感。笑いながらそう当たり前のように続けるやすくんに俺の思考は益々こんがらがってくる。
 こいつアレか、もしかして相当な馬鹿なのだろうか。

「じゃあ、そろそろ移動しようか。いつまでもこんなところにいたら見付かるかもしれないし」

 敢えて『誰に』とは言わないやすくんだったが、恐らく多治見のことを言っているのだろう。
 確かに俺は一応解放してもらった身だが、一目散に逃げたやすくんは今現在も多治見に探されている最中なはずだ。
 鞄から財布を取り出し、有り金を確認するやすくん。
 その財布に目を向けた俺はそのまま固まる。
 やすくんの手に握られたその財布は、俺が此花に返したものとは違うものだった。
 飾りっ気のないシンプルな造りのその財布には悪趣味なアニメのプリントはない。
 思いきってあの財布のことを聞いてみようか。思いながら、俺は「やすくん」と声をかけた。

「やすくんさ、携帯持ってる?」

 やっぱり、今はなにも言わない方がいいか。
 せっかく接触出来たのに、あまり確信に突いて引っ掻き回すような真似はしたくない。
 思いながら、そう思考を切り換えた俺はそうやすくんに尋ねた。

「携帯?」
「ちょっと掛けたいところあるんだけど」
「別にいいよ。はい」

 言いながらやすくんは制服の中から携帯を取り出す。
 それを受け取った俺はうろ覚えの番号を入力し、躊躇いもなくそこに電話をかけた。
 静かな夜の公園に、小さな呼び出し音が響く。
 そして、

『……はい、木江ですけど』

 受話器から聞き覚えのある義弟の声が聞こえてきた。
 十和だ。まだ両親は帰ってきていないのか、受話器の向こうは静かだ。

「あー十和?俺だけど、お兄ちゃん」
『……はい?』
「もう飯出来てる?まだだったら今すぐ作っとけよ」
『おい、ちょっと待てよ。なんだよ、いきなり』
「いまから帰るからよろしくな」

 受話器越しに『おい』だとか『待てよ』だとか噛み付いてくる十和に、俺は「それじゃ」とだけ言い一方的に通話を終了させた。
 通話を聞いていたやすくんは受話器から聞こえていた十和の怒鳴り声に驚いたようだ。
 目を丸くしてこちらを見てくるやすくんに、俺は「はい」と携帯電話を返す。

「ってことで、今から帰るけどいーい?」
「え?あの……ご飯は?もういいの?」
「だから、俺んちで食うんだろ。外食なんてしてたらやすくん目立つから一発でバレそうだし」

「それに、金勿体ないじゃん」そう笑えば、顔が痛くなった。
 薬代までやすくんに出させた今、これ以上やすくんに金を出させたくない。
 別に謙遜や遠慮をしてるわけではないが、得体の知れない相手に借りを作りたくないというのが本音だ。
 やすくんがその手のタイプの人間ではないとしても、断言できることなんてなにもない。

「そういうわけだからさ、これから俺んち来いよ」

 まあ、早い話歩き過ぎて疲れたからゆっくりしたいだけなんだけどね。

 ということで、「え?いいの?」とか「やっぱ悪いよ」とかごたごた言うやすくんとともに自宅マンションまで戻ってきた。
 口では遠慮してるくせにしっかりついてきているやすくんを横目に、俺はエントランスのロビーインターホンで自宅の部屋番号を呼び出す。
 何度か無視されてがむしゃらに呼び出しボタン連打しているとようやくエントランスの自動ドアが開いた。
 嫌々ドアを開く十和の顔が安易に想像ついた。
 そのままエレベーターに乗り込み、俺は階数を設定する。
 エレベーターが目的の階につくまでやすくんと会話はなかった。
 緊張しているのか、トイレに行きたいのか、ずっとソワソワしているやすくんが気になったが面白かったので無視する。
 というわけで、ポンと間抜けな音を立て停止するエレベーター機内を降りた俺は自室に向かった。

 自宅マンション、俺んち前。
 見慣れたネームプレートが掛かった扉のドアノブを掴んだ俺は、そのままそれを捻る。
 鍵が掛かっていなかったので簡単に扉を開いた。同時に、奥の方からバタバタと足音が聞こえてくる。
 興味深そうに扉回りを見渡すやすくんに「入れよ」と声をかければ、慌てて頷き「お邪魔します」と玄関に上がった。

「お前、今までどこ行って……っ!」

 やすくんに続くように玄関に上がれば、駆け付けてきた十和は客人の姿に目を丸くする。
 どうやら俺が客を連れていると思っていなかったようだ。
 怒鳴りかけて慌てて口を閉じた十和は、客人の後ろにいる俺の姿を見付け更に目を見開いた。

「……えっと、こんばんは」

 十和と目が合い、笑うやすくんはそう人良さそうに続ける。
 対する十和は声を掛けられ慌てて「ああ、どうも」と答えた。
 元々十和が人見知りしない性格と知っている俺は、いつもよりもどこかぎこちない義弟の態度になんとなく違和感を覚える。
 が、腹が減ったので細かいことは気にしないことにした。

「十和、それより飯できてんの?あ、やすくんも食っていくから」
「作ってねーよ」

 玄関口で靴を脱ぎ、リビングへ向かおうとした俺は十和の一言にピタリと足を止める。

「は?作っとけっつったじゃん」
「知るか、二人分とか聞いてないんだよ。そういうことは先に言えっていつも言ってんだろ」

 なるほど、どうやら一人分しか用意していないという意味のようだ。
 紛らわしい。キレ気味で言い返してくる十和の正論に俺は言葉に詰まりつつ、一人分でも用意してるならまだいいかと止めた足を再び動かした。
 リビングに入れば、テーブルの上に一人分の晩飯が用意されている。
 ご飯に昨日の残り物にインスタントスープという有り合わせの手抜き感が否めないものだったが空腹の俺にとっては十分なものだった。
 そのまま椅子に座ろうとすれば、後を追ってきた十和に「おいっ!」と服を掴まれる。

「なんでお前普通に食おうとしてんだよ!」
「は?だって腹減ってんだもん」
「客優先しろよっ」

「バカ」と吐き捨てる十和。
 血が繋がっていないとは言えど、弟にこうもバカバカと言われると本当に自分がバカな気がしてきた。

「確かラーメン残ってただろ」

 そう思い付いたように十和に続ければ「人にインスタントラーメン食わせる気かよ」と怒鳴られる。
 こういう無駄に見栄っぱりで世間体に煩いところはうちの父親に似ている。
 是非俺のおおらかさと臨機応変さを見習って欲しい。
 騒ぐ十和を無視して箸を片手に食事に手をつければ、十和はなにか言いたそうな顔をしたがやがて諦めたように溜め息をついた。

「あ、あの……俺の分は気遣わなくていいから。それより、その人に食べさせてあげてよ。ずっとなにも食べてなかったみたいだから」

 いつの間にかリビングに入ってきていたやすくんは、やるせなさでいっぱいになる十和にそう慌てて声をかける。
 いいぞ、もっと言ってやれ。思いながらぱくりと惣菜を口に放れば、十和が恨めしそうな顔してこっちを睨んだ。まさかこいつ読心術でも心得たのか。

「……すぐに作るんで少しだけ待ってもらってていいですか?」

 そうやすくんに目を向けた十和は尋ねる。その言葉にやすくんは「いいの?」と目を丸くした。
 まさかわざわざ別に用意されると思っていなかったようだ。俺も思っていなかった。

「有り合わせでよかったら……ですけど」

 申し訳なさそうなやすくんに対し、十和はそう苦笑混じりに続ける。
 結局、やすくんには俺の分よりもちゃんとした手作り料理が用意された。
 なんで仮にも兄である俺よりも初見のやすくんの方が手が込んでるのかとか色々言いたいことはあったが自分から十和の手抜き料理に食いついたのでなにも言えない。
 あっという間に食べ終わった俺は、目の前でホクホクと美味しそうに暖かい手料理を頬張るやすくんを眺める。

「……えっと、食べる?」
「いいですよ、やらなくて。まだ残ってるんで」

 恐らくハイエナのような顔になっていたのだろう。
 恐る恐る尋ねてくるやすくんに対しそう素っ気なく答える十和は湯気立つスープが入った皿を俺の目の前に置いた。
 てっきりまじでやすくんの分しか用意していないと思っていた俺は珍しく優しい十和を見上げる。
 そこには天使のような愛らしい義弟が……なんてことはなく、『腹減ってんだろ。恵んでやるからみっともなく食い付けよ』とでも言うかのような蔑んだ目で見下ろしてくる十和と目があった。
 とても家族にするような顔とは思えない。
 屈辱的だったが腹が減ってたので取り敢えず有り難く貰うことにした。
 やすくんには色々聞きたいことがあった。
 なんで俺を助けたのかだとか、此花とのこと。……写真のことは一先ず置いておこう。
 とにかく、そのために人目を気にせずゆっくりできるであろう我が家へとやすくんを引っ張ってきたわけだが、思いもよらぬ伏兵がいた。

「この前のだけでも母さんたち心配してたのにまたかよ。人に心配かけないって考えはないのか、お前には」

 いや別に思いもよらなくもないか。
 なんて思いながら、側でぐちぐちねちねち小うるさい十和に眉間を寄せる。
「弱いくせに喧嘩してんじゃねーよ馬鹿かよ」とまで言われ、この野郎調子乗りやがってと憤慨しそうになるがいつだってクールな俺はこんなところで感情的になるほど小さい器はしていない。

「いや、あの今回その人が怪我したのは俺のせいだから」

 ようやくご飯を食べ終わったやすくんは険悪な空気を漂わせる俺たちに慌ててそう仲裁に入ってくる。
 そのやすくんの言葉が引っ掛かったようだ。
 十和は「その人?」と不思議そうな顔をする。

「いや、あー、えっと……大地君、だっけ」

 確認するようにこちらを見てくるやすくんに俺は「そうだよ」とだけ答えた。
 そうだ。俺たちはまともに自己紹介をしたことない。
 やすくんについてなにも知らない俺同様、やすくんも俺についてなにもわからないのだろう。

「やすくんって名前なんて言うの?」

 だから、流れに乗って名前を聞いてみることにした。
 その問い掛けに、やすくんは「え?」と目を丸くしてなんだか気まずそうに視線を逸らす。
 言いたくないのだろうか。
 と、勘繰ってみたが突然の問い掛けにただ戸惑っていただけのようだ。

「保行だよ」

「あ、好きなように呼んでくれていいから」そう気恥ずかしそうに続けるやすくんに、俺は『やっぱりな』とは思わずにいられなかった。
 やはりやすくんが伏見保行のようだ。
 一度伏見と呼ばれている場面に遭遇したから薄々感付いてはいたが、やはり本人の口から聞かされるのとはわけが違ってくる。

「……なんで今自己紹介?」

 変なものを見たような顔をして、十和は声を潜めて尋ねてきた。
「色々あったんだよ」とだけ答えれば「ふーん」と興味無さそうに呟き、テーブルの上の空いた皿を下げる。

「んーまあ、さっきはありがと。助かった」
「いいよ別に、気にしないで。寧ろ、俺がもっと早く行っとけば怪我しなかったのに」

 そう申し訳なさそうに項垂れるやすくんの言葉に、俺は「そーだ、それだ」と声を上げた。
 シンクまで皿を運んだ十和に「何様だお前」と怒鳴られる。

「ちげーよ、そう意味じゃねえって。すっこんでろ、お前」

 どうやら俺がやすくんを責めているように聞こえたのだろう。
 厄介な勘違いをし、話しの場をややこしくしてくる十和に俺はそう舌打ちをした。
 まるで俺が失礼な発言をしないよう目を光らせる十和は邪魔なことこの上ない。どう反応すればいいのか困っているやすくんを無視し、俺は話を続けることにする。

「なんで俺のこと助けてくれたわけ?」

 面倒なので直球で尋ねることにした。
 その一言にやすくんは静かに俺に目を向ける。そして、すぐに小さな笑みを浮かべた。

「君が、俺のことを助けてくれたから。……じゃ、ダメかな」

 こいつ、結構タラシだな。
 人良さそうな笑みを浮かべ、恥ずかしさや気まずさから視線を泳がせるやすくんにこっちが恥ずかしくなってきた。

 というか、俺やすくんのこと助けた覚えないんだけど。
 思いかけて、俺はいつの日か多治見に絡まれていたやすくんと逃げたことを思い出す。
 もしかしてあれか。
 寧ろあれはやすくんが勝手についてきただけのような気がするが、まあいい。
 本人がそう言っているんだからそういうことにしておこう。

「でも、最初逃げられたからビビったわ。此花探しに行ってたの?」
「うん、電話で連絡取って来てもらった」
「なんで此花?」
「ん?えっと、あの……なんでって……」

 やすくんはなんで自分が質問責めにあっているかわからないようだ。
 次々と質問を投げ掛ける俺にやすくんは少しだけ戸惑ったような顔をする。
 質問の意図が理解できない。自分はなにかしてしまったのだろうか。そんな顔だった。

「此花先輩なら、多治見先輩を説得できると思ったからだけど……もしかしてなにかまずかった?」

 不安そうに尋ねてくるやすくんに、俺は「いいや」と首を横に振り笑い返す。

「てっきり多治見の味方するかと思ったから、まさか助けられるとは思ってなくてさぁ。ちょっとびびっただけ」

「変なこと聞いてごめんな?」と少し申し訳なさそうに笑えば、やすくんはほっと安堵したように緊張した頬を弛ませた。

「味方はないと思うよ。此花先輩、多治見先輩のこと……ほら、あんまりよく思ってないし」

 まじで。そのやすくんの一言に、俺は僅かに目を開いた。
 今までの此花の態度を考えてもしかしたらと思ってはいたが、少し驚いた。
 よく多治見と一緒に見かけたからだろう。
 今思えば多治見の方が一方的に付きまとっているといっても納得できた。
 神妙な顔をする俺に対し、ハッとしたやすくんは「絶対多治見先輩には言っちゃダメだから」と慌てて念を押す。というからには、多治見はこのことを知らないようだ。

「……やすくんてば詳しいねー」

 今まで噂や他人の人間関係に興味なかった俺としては意外と情報に精通しているやすくんにビックリした。
 そして同時に不良に集られていると思ったら不良とつるんでいるやすくんの立ち位置がわからなくなる。
 そう感心するように呟く俺に、やすくんは少し恥ずかしそうに俯いた。
 やすくんは苦笑を浮かべるだけだった。

 此花と多治見が仲良しだろうがそうじゃなかろうが正直どちらでもいいが、知っといて損はないだろう。
 つまり此花がわざわざ俺を助けに来てくれたのは多治見が気に食わないからで、そうなると此花に多治見を任せておいてよかったのだろうかと思わずにはいられなかった。
 それに、ぶっちゃけた話わざわざやすくんが助けに来てくれなくても多治見には解放された後だったわけだし。
 なんというか、薮蛇というか蛇足というか。まあ、帰ってこれただけいいか。なんて自己完結したとき、水仕事を済ませた十和が「そう言えば」と声をかけてきた。

「さっき岸本さんから電話かかって来たんだけど」

 岸本?……ああ、岸本葵衣か。知り合いの子煩い女好きを思い浮かべる。
 麦茶が入ったグラスに口をつけていたやすくんが僅かに反応するのを俺は見逃さなかった。
「なんて?」そう聞き返せば、リビングのソファーに腰をかける十和は「連絡が取れないって」とぶっきらぼうに返す。
 言われて、消失した携帯電話のことを思い出した。
 そうだ、あれもどうにかしなきゃいけない。

「用は」
「自分で聞け」
「じゃ、携帯貸して」
「は?自分の使えよ」

 正論だ。正論すぎる。
 あまりにも当たり前のことを言う十和に対し黙り込む俺。
 暫く沈黙が続き、なにも言わない俺になにか察したようだ。

「なんで黙るんだよ」
「……」
「……お前まさか」

 どうやら思っていたよりも十和は勘がいいようだ。
 なにも言わない俺に、十和の表情がみるみる険しくなっていく。

「無くしちゃった」
「この穀潰しがッ!」

 苛立ったように吐き捨てる十和は側にあったクッションを投げてきた。
 確かに無くしたのは俺だ。俺が悪い。が、何故義弟に罵られておまけにクッションを投げ付けられないといけないのだろうか。
 頭部で柔らかいそれを受け止めた俺はクッションを鷲掴みし、それを片手に椅子から立ち上がる。
 そのままソファーで寛ぐ十和に詰め寄ろうとしたとき「落ち着いて落ち着いて」と顔を青くしたやすくんに両腕を掴まれ、引き留められた。

「あ、ほら携帯なら俺の貸すから」

 言いながらやすくんは携帯を差し出してくる。
 やすくんに免じて渋々動きを止める俺は、押し付けられるがままその携帯電話を受け取った。
 十和がやすくん程聞き分けがあったらいいパシリになったのに。つくづく思う。

「いいっすよ、わざわざ貸さなくて」

 まさかやすくんが貸すとは思わなかったようだ。
 本気にするやすくんにビビった十和は言いながらソファーから身を乗り出す。
 俺の手からやすくんの携帯電話を取り上げる十和は、そのままやすくんに押し返した。
 そして、代わりに自分の携帯電話を手渡してくる。
 最初から素直に差し出しておけばいいものを。

「さっさと連絡しろよ。連絡だけを」

 念を押す十和。
 余計なことは一切するなということなのだろう。
 俺が義弟の携帯を弄くり回すような兄に見えるのだろうか。誠に心外である。
 煩い十和に「はいはい」と適当な返事をし、俺は携帯を操作しながら一旦リビングの外へ出た。
「ここでやればいいだろ!」と十和が騒いでいたが、まあいいや。
 アドレス帳を開き、岸本の名前を探す。
 あだ名で入れているから誰が誰だか大半わからなかったが、取り敢えず俺のアドレス帳より登録件数が多いのだけはわかった。そして異様に女子の名前が多い。
 岸本を探すフリしてアドレス帳を眺めていると見覚えがある名前が登録されていた。

 日生。比較的珍しい名字のそいつは、普通に本名で登録されていた。まさかこんなところで日生弥一の連絡先を手に入れることになるとは。
 特に用はなかったが念のため暗記しておくことにする。
 そして続いて岸本の名前も見つけ出すことに成功した。
 因みに登録名は『あおい先輩』だった。女の名前に紛れてたお陰で探すのに手間がかかった。
 分かりやすく『低身長先輩』に変えておいてやった。ということで早速低身長先輩に電話を掛ける。
 低身長先輩もとい岸本葵衣が電話に出るまで然程時間はかからなかった。

『もしもし?十和?』

 受話器越しにくぐもった岸本の声が聞こえてきて、廊下の壁に背中を預けながら俺は「はーい、十和でーす」と猫なで声で返す。

『うわ……もしかして大地?』

 うわってなんだうわって。どうやら岸本は外にいるようだ。
 遠くからがやがやと喧騒が聞こえてくる。

「そう呼ばれてた時期もあったかな」
『その頭悪そうな発言は間違いなく大地だね』

 そうほっと安心したように息を吐く岸本。喧嘩を売っているようにしか聞こえない。

『今までどこ行ってたの?』
「拉致られてた」
『え、なにそれ』
「さっきまで多治見に絡まれててさぁ、なんやかんやあって今帰宅。携帯取られたっぽいから電話出れない」
『大丈夫なの?』

 先ほどまで軽薄だった岸本の声が緊張する。
 どこか不安そうな声に、俺は「だいじょーぶじゃない」と続けた。

「葵衣ちゃんさぁ、愛斗の番号知ってる?」
『愛斗?……いや、僕は知らないけど』

 もしかしたらと思って一か八か聞いてみたが、やはり知らないようだ。
 元々愛斗が安易に番号を教えたりするようなやつではないのは俺も知っている。
 実際、俺に対しても番号教えるのを渋っていたくらいだ。
 多治見の言葉が気になったので連絡取りたかったのだがやはり携帯ないと無理か。そう諦めかけたとき、受話器から『あっ、そうだ』と岸本の明るい声が聞こえてくる。

『相馬なら知ってるかもよ』

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