07
なるほど、相馬か。
確かにあいつなら愛斗の連絡先を知っているだろう。
『相馬の番号言おうか?』
そう機転を利かせる岸本に、俺は「んじゃ頼む」とだけ答える。
珍しく気が利く岸本から相馬の連絡先を聞き出し、取り敢えずそれをメモした俺は「ありがと」と岸本にお礼を言った。
『素直な大地って気持ち悪いなあ。ま、気にしないでよ。今度たっぷり礼は貰うから』
「お前本当余計な一言二言多いよな」
そう呆れたように苦笑を浮かべれば、受話器から『お互い様でしょ?』と岸本の楽しそうな声が聞こえてくる。誠実で真面目な俺を一緒にしないでほしい。
「そういやなんか俺に用あったんじゃねえの」
『ん?あ、そうだった』
すっかり脱線していた岸本は俺の一言にそう思い出したように声を上げる。
わざわざ十和に連絡を入れるくらいだったからよっぽどのことかと思えば、肝心の用事を忘れるくらいだから対したことではないのかもしれない。
『まあ大した用はなかったんだけどさ、この前のことがあったからちょっと気になって』
この前のこととは恐らく此花とのごたごたのことを言っているようだ。
『手遅れだったみたいだけどね』そして、そう岸本は小さく笑う。
ガサガサと雑音が入り、僅かにその声は遠くなった。
「葵衣ちゃんに心配されるなんて俺も大概やばいかもな」
『むっ、なにそれ。まるで僕が血も涙もないやつみたいじゃん』
「違うんだ?」
『違うに決まってんでしょ』
そう怒ったように即答する岸本だったが『ま、詳しい話はまた明日聞かせてよ』とさっそく切り換える。
相変わらずサバサバしてるというか大雑把というか。
「明日って、あーそっか。学校行きたくねー」
『出た登校拒否。そんなにやなら朝僕が迎えに行ってあげるよ』
「来んな来んな」
『そんなつれないこと言わないでよ、尚更行きたくなるじゃん』
相変わらず強引な岸本は『じゃ、ちゃんと早寝早起き心掛けてね』と言い残し、そのまま一方的に通話を終了させた。
ぶつりと切れる無音になる携帯電話を耳に当てたまま硬直した俺は深く溜め息を吐く。
朝からとか起きれる気がしなかったが岸本のことだ、引き込もって居留守使っても無理矢理部屋に入ってきて叩き起こして来るに違いない。
長年一緒にいるだけに見た目にそぐわぬ岸本の狂暴な性格を知り尽くした俺はなんだかもう生きた心地がしなかった。どうせなら顔が治るまで行きたくなかったが、まあいいや。
そういや今俺の顔面はどんなことになってるのだろうか。帰ってから一度も鏡を見てないのでわからなかったが、やすくんに手当てしてもらったばっかだし、わざわざ顔のガーゼを剥がすのも勿体なかったのでそれを実行に移すのはやめておく。
なんて思いながら岸本から聞いた相馬の番号を十和の携帯電話に入力したとき、ふと廊下の奥に人影があるのに気が付いた。
「……うわっ、ビックリした」
リビングに繋がる扉の前。
こちらを眺めたまま佇むやすくんに素で驚く。
「なにやってんの、そんなところで」
全く気配を感じなかったものでついつい話し込んでしまった俺は『いつから?』という疑問を覚えつつ、そうやすくんに声をかけた。
目があって、慌てて笑みを浮かべるやすくんは「ちょっとトイレ借りようと思ったんだけど……」と気恥ずかしそうに続けた。
「トイレ?トイレならこの奥言ったところの突き当たりにあるよ」
十和のやつ、ちゃんと教えてやっとけよ。
なんて思いつつ、俺はそう方向を指でさしながら続ける。
「ありがとう」と微笑むやすくんは、そう言って小走りで通りすぎて行った。
その後ろ姿を尻目に、俺は改めて相馬に電話をかけることにする。
かけてすぐ、通話は切れた。
どうやら現在他の誰かとお話し中のようだ。
まあ明日聞けばいいか。
いや、相馬に聞くくらいなら直接愛斗に話した方が早くないか。
なんてことを考えながら携帯を閉じた俺はそのまま十和の待つリビングへ戻ることにする。
自宅内、リビング。
出ていく前と変わらずソファーにもたれ掛かる十和は俺がリビングに入ってくるなり全反射神経を駆使してこちらを振り返った。
「ちゃんと話したんだろうな。余計なことしてないよな」
「話したししてないっての。ほら、携帯」
腰を浮かし、こちらまでずかずかと大股で歩いてくる十和は俺の手から携帯電話を奪い、その場で異変がないか探し始める。
相変わらず人を信用していない十和にむっとしつつ、俺は椅子に腰を下ろした。
どうやら待受やら目立ったところが変わっていないことに安心したのか、すぐに携帯を閉じる。
低身長先輩に気付いてないとか流石低身長。
なんて思いながら、ソファーへ座り直す十和を目で追いながら飲み掛けのグラスを手に取った。
そして暫くもしない内にやすくんも戻ってきて、何故か気まずい空気になる。
とは言っても俺と十和にとってこの空気は通常なのだがやはり第三者であるやすくんがいるからだろうか。ギスギスした空気の中、恐縮するやすくんがおずおずと口を開く。
「あの……じゃあ、俺そろそろ帰るよ」
「あ、まじで?帰んの?」
リビングの時計をちらりと見るやすくんの言葉に目を丸くした俺はそう聞き返した。
「これ以上長居しちゃ悪いし」そうやすくんは申し訳なさそうにはにかむ。
傷が目立つせいか、やはり痛々しい印象が拭えない。
「別にそんなこと気にしなくていいですよ。ゆっくりしてってください」
そう横から口を挟んで来たのは十和だった。
こいつ、家族である俺に対してはさっさと出ていけとかボロクソ言うくせに他人であるやすくんはゆっくりしていけとかどういうつもりか。差別か。
「いや、流石にそこまで世話になるのは悪いし……」
まさか泊まるよう誘われるとは思わなかったようだ。
狼狽えるやすくんはそうしどろもどろと続ける。
まあやすくんの反応はごく自然だろう。いくら何度か顔合わせたことがあろうが俺とやすくんは相手の家に寝泊まりする程の深い関係ではない。
まあ俺の場合相手によっては寝泊まり余裕だがやすくんはそうではないようだ。
「なんか多治見に探されてるけど大丈夫なわけ?」
俺としてはやすくんが泊まろうがどちらでもいいが、無理に泊まらせるつもりもない。
やすくんが多治見たち不良に探されてることを思い出し、そう何気無い感じで尋ねればやすくんはハッとする。そして、関係のない十和が僅かに反応した。
「……多治見?多治見って、三年の?」
そう確認してくる十和。
「なに、お前知ってんの」まさか十和が食い付いてくるとは思わなくてつい聞き返せば、十和「当たり前だろ」と怒ったように言い返してくる。
「後輩いびりが酷いって一年でも有名だから」
有名なのかあいつ。そういや前カツアゲや弱いもの虐め云々やってる三年がいるっていうのは聞いたことがあったが、まさかあれが多治見のことだったのだろうか。
まあ確かに悪目立ちしそうな容姿性格はしてる。
「つーかそんなことも知らねえのかよ、だっせ」
本当こいつは余計な一言二言三事多い。
小馬鹿にするように人を見てくる十和にピクリと眉間を寄せつつ、俺は「だって噂話に興味持つ程暇じゃないんだもん」と答えれば十和が睨んできた。
「いや、でもまあ多治見先輩は目立つから」
火花を散らす俺と十和の仲裁に入るやすくんはそう強引に話題を変えようとしてくる。
いつもなら『なに見てんだよ』とチンピラのような言いがかりをつけて逆ギレしてくる十和だがやはり第三者の存在は大きい。
舌打ちし、おもむろに俺から視線を外した
「でも多治見に探されてるって、先輩なにかやったんですか?」
「なにかっていうわけじゃないけど……」
「やすくんは俺のこと助けてくれたんだよ、多治見から」
まじまじとやすくんに目を向ける十和に対し、俺はそうやすくんの言葉を遮る。
それに対し「大袈裟だよ」と恥ずかしそうにするやすくん。
まあ確かに大袈裟だったかもしれない。が、十和には十分効いたようだ。
「……お前、多治見に目付けられてんのかよ」
目を丸くし、兄を普通にお前呼ばわりしてくる十和は呆れたようにそう口を開く。
なんなんだいきなり。
いつものようにぷりぷりしてると思ったら今度は呆然とする十和に、なんだからこっちまで調子狂わせられそうだ。
「どうりで三年に絡まれると思ったらてめえのせいかよ」
そして今度はてめえ呼ばわり。非常に嘆かわしい。
確か、この前十和が不良に追いかけ回された!と騒いでいたがどうやらそれのことを言っているようだ。
「モテまくりなお兄ちゃんがいて嬉しいだろ?友達に自慢してこいよ」
「どの口で言ってんだよ余計なことばっかしやがって!」
人が冗談を言って和ませようとしているというのに凄まじいキレっぷりである。
テレビのリモコンを振り上げそのまま投げようとしたその寸でのところで思い止まった十和は、「クソッ」と小さく吐き捨てた。
「……ともかく、どうすんだよ。やっぱり先輩泊まった方がいいんじゃないんですか?夜とか危ないし」
「うちの兄のせいなら尚更、迷惑かもしれませんが俺は泊まっていって欲しいです」どんだけお前はやすくんにお泊まりして欲しいんだよと口を挟もうとして、十和の口から出てきた兄という単語に目を丸くさせる。
「うちの兄……」
「なんだよ、うっせーんだよ、いちいち口挟むなお前まじもう」
俺がなにを言おうとしたのか悟ったようだ。
顔を強張らせた十和はそう俺の言葉を遮るように矢継ぎ早に吐き捨てる。
まさか不意打ちで十和から何年か振りの兄扱いを受けるとは思わず、十和を弄り倒したい衝動に駈られるが確かにそんな問題ではない。いや俺にとったら大問題だが。
「先輩」
感動で目をキラキラさせる俺を無視して十和はそうやすくんに返事を促す。
余程俺の尻拭いをしたいようだ。
いつもの相手優先な十和から想像つきにくい有無を言わせない強引な態度にやすくんはたじろぎ、そして困ったように笑う。
「じゃあ、一晩だけお邪魔させてもらうね」
渋ってた割りにはやけにあっさり落ちたな。
と思ったが、十和の態度が態度なので妥当なのかもしれない。
「そうですか、よかったです。なんだか無理強いさせちゃってすみません」
「いいよ、別に。……俺の方こそなんだか心配させてごめんね」
「いえ、気にしないでください。全部あいつのせいなんで」
いいながら対客人用の人良さそうな笑みを浮かべる十和はこちらを指差してくる。
この野郎、人がせっかく調子よくなってるときに調子に乗りやがって。
「やすくんやすくん、助けてやすくん。あいつ俺のこと虐めてくるんだけど」
そう泣き真似をしながらやすくんにすがりつけば、まさか自分が捲き込まれると思ってなかったようだ。
揉め出す俺たちを苦笑を浮かべて眺めていたやすくんは「えっ」と戸惑う。
「誰が『虐めてくる〜』だよ!お前が俺を虐めてんだろうが!」
そしてその俺の泣き真似が癪に触ったようだ。
額に青筋を浮かべ怒鳴る十和。俺の真似をしているつもりのようだ。似てなさすぎて指さして爆笑すれば、とうとうリモコンが飛んでくる。
咄嗟にやすくんガードで回避したら更に十和がキレて結局ベランダに閉め出された。
やすくんにベランダから救助してもらい、義母が帰ってくる。
怪我が悪化している俺にビックリする義母にトドメを刺すように携帯のことをチクりやがった十和のせいでなんやかんやあって帰ってきた父親に正座させられ、そして夜が更けた。
どちらかと言えば客人が多い我が家にとってやすくんのようなイレギュラーも歓迎の対象のようで、眼帯ピアスに満身創痍といういかにもな容姿をしているやすくんもなにを言われるわけでもなくあっという間に溶け込んだ。
うちの家族がいかにも代表な岸本で耐性ついているのもあるだろうが、やはりやすくんの性格のお陰もあるのかもしれない。
なのに我が家の長男である俺がベランダに追い出された上長時間正座というのはいかがなことだろうか。感心しない。
というわけで三年と喧嘩して携帯を無くした罰の正座からようやく解放された俺は生まれたての小鹿のような足取りで部屋へ戻る。
長時間床に転がされたりとしたので風呂入って、改めて義母に怪我の手当てをしてもらった。
義母曰く骨は大丈夫らしいが中が切れているようで、まあその辺はやすくんから貰った血止め薬でどうにかなったので後は内出血が酷いだとか。
ガーゼを張り替えてもらい、さっぱりした俺は部屋へ戻る。
既に風呂に入ったやすくんはその俺の後ろからついてきた。寝間着代わりに俺の服を着ているやすくん。違和感が無さすぎる。
自宅内自室にて。
そういうわけでやすくんの布団敷いて俺は普通にベッドに潜った。
一つ屋根の下に前々から接触したかった伏見保行張本人がいるという素晴らしいシチュエーションだったが残念ながら今の俺にアクションかける程の元気は残っていない。
長時間硬いコンクリートの床に転がされていただけに酷くベッドの暖かみが恋しく、布団に入っただけでうとうとし出す。
それはやすくんも同じなのかもしれない。
電気を消した部屋の中、会話という会話もなくただ時間だけが過ぎる。
そして、どれくらい経ったのだろうか。
聞こえてくる静かな寝息を耳にしながら俺は意識を手離した。
それからまた暫くして、眠っていると扉が開く音が聞こえてくる。
それに気付いて目を覚ました俺は寝惚け眼を扉に向けた。
薄暗い部屋の中、確かに人影が一つ。恐らくやすくんがトイレに行ってるのだろう。
興味よりも眠気が勝った俺はそのときは深く考えず再度眠りにつくことにした。
◆ ◆ ◆
翌日。いつもより早めに眠ったお陰だろうか、勝手に目が覚めた。
時刻を確認しようかと手探りで携帯電話を探すがそれらしきものを探り当てることはなかった。
そういや、携帯無くしたまんまだった。
思い出し、ややテンションを下げつつ俺はむくりと起き上がる。
早朝。開きっぱなしになっていたカーテンの隙間からは朝日が射し込む。
やけに静かだ。他のやつらはまだ眠っているのだろうか。
ボリボリと後頭部を掻きながらベッドから降りれば、丁度足元にあったそれを踏んでしまう。
「うっ」と呻き声が聞こえ、何事かと足元に目を向ければベッドの側に敷かれた布団の膨らみもといやすくんを踏みつけていた。
「あ、ごめん」
そのままベッドから降りる俺はそう謝るが返事はない。どうやらまだ眠っているようだ。
そのまま通り過ぎようとして、俺は布団に丸まるやすくんの元に近付く。顔を覗き込んでみるがやすくんは相変わらずすやすや言っている。
そういや、これの下どうなっているのだろうか。右目を覆い隠すように当てられた眼帯の下に興味もった俺は内心うずうずしながらやすくんの顔に手を伸ばした。
丁度俺の指先が右目の当て布に触れたときだ。やすくんの左目がぱちりと開く。
「……………」
「……………」
そして沈黙。
手を伸ばしたままの体勢で動きを止めた俺は無言で手を引いた。
「やすくん、おはよ」
「え?お……おはよう」
そしてなにごともなかったかのように挨拶すれば、戸惑いながらもやすくんは返してくれる。
まだ寝惚けているようだ。
半目のやすくんは不思議そうに俺を見上げてくるばかりで、シラを切ることを選んだ俺はやすくんから離れた。
こうして、俺たちの一日は始まる。
よっぽど布団が気持ちいいのか、起きてるくせに動こうとしないやすくんを部屋に置いて洗面台で身形を整えた。
取り敢えず制服に着替え適当に準備をしていると義母や父親が起き出し、各々朝食の用意や仕事の準備に励む。
義母が朝食の用意をしているのを他所にソファーに腰を下ろして朝の報道番組を眺めているとやすくんと十和も動き出した。
義母が朝食を作り終えたときには父親は仕事に出て、他の家族全員がリビングに集まる。
「夜よく寝れましたか?」
「うん、お陰さまで」
「あいつ、妙な真似しませんでしたよね」
すっかり解け合ってる二人のやり取りを微笑ましく思った途端これだ。
意味を理解してないのか「妙な真似?」と不思議そうな顔をするやすくんを遮り、「してねーよ」と俺は眉間をしかめた。
こいつは俺を節操のない野郎かなにかと勘違いしているのではないだろうか。
誠に憤慨である。
というわけで朝から空気を悪くしてくる十和を睨みつつ、俺は久し振りの出来立てホヤホヤな朝食を口にした。
いつものようにテーブル下で十和の足を踏み、時折反撃を食らいながらも朝食を済ませる。
そして、丁度そのタイミングを見計らったかのようにリビング内に呼び鈴が響いた。
ソファーで寛いでいた十和は立ち上がり、インターホンに出る。
「はい。あ、岸本さん?」
まじで来やがった。
インターホンから視線を外し、こっちを見てくる十和に「いないいない」と言えば「今開けますね」とか言いながらロビーへ繋がるオートロックを解除する。
この俺への嫌がらせに対する機転の利き方、全く見習いたくない。