Open sesame!45



日向は頬をだらしなく緩ませ、次にそっと尾白に伺いを立てる。
「それで先輩……その、時間が来るまでまだお話ししていたいんですけど、いいですか?」
構わないと即答が返ったので日向はほくほく顔で尾白の傍らに居座る。尾白も尾白で日向が照れを誘発するものやわらかな眼差しでいるので、日向は自分より雲を見るよう尾白に進言せねばならなかった。以前では考えられないことだ。それでも悪戯っぽく笑う尾白は日向から視線を外してくれないので、日向は尾白とにらめっこを経てじゃれあい――もといこれからを見据えた話し合いを続けていく。
鶴先輩に付きまとっていた男が言っていたこと、神無月のことなどまだまだ問題は山積みだが、今この時ばかりはそれらを忘れてこの人との時間を許してもらいたい。
そう思う日向と尾白の二人きりの時間は途切れることなく続き、まるでそれは二人の深まる親密さと流れ行く時が等価であるようにゆったりと流れる。満たされた時間だった。


***


次に日向と尾白は放課後に鶴先輩との話し合いをすることになった。それには徳さんも同席し、計四人の出席となる。渋る鶴先輩を説き伏せて徳さんが同行を願い出たのだ。他のメンバーはといえば玉生はリハビリ、矢田川と勅使河原は部活。花コンビはもし話してもいい内容なら後で教えて欲しいと今回は参加を見送った。気を遣ってくれたのだろう。
校内だと神無月の目が気になるので、尾白と日向は鶴先輩と徳さんを連れて校外へと出た。徳さんがよく行く喫茶店があるらしいと聞き、そこに寄らせてもらうことにする。
駅近くは神在の系列する店が多く人通りもある。しかしそこから外れるとひっそりと静かな印象になるのは拭えない。徳さんが案内してくれた店もそんな通りにあったが、不思議と寂れた印象も古びた感慨も感じせず、ずっと昔からそこにあったように風景に馴染んでいた。
緑色を基調とした看板に、小じんまりとした店構え。ベージュの壁に光沢のある焦げ茶色の扉。大きく取ってある窓からは店内の間取りが窺え、日が落ちてからは暖かい光が道行く人を手招きするのだろうと思われた。
徳さんはベルがついた扉を押し開けながら尾白と日向に、ナポリタンがおすすめだと言って中に入っていく。続けて鶴先輩も、私はサンドイッチがおすすめですわと二人に囁いてから扉を潜る。尾白と日向は顔を見合わせ、どうやらこの店は徳さんだけでなく鶴先輩にとっても行きつけの店らしいと予想をつける。
「いらっしゃい」
そして店に入った四人を迎えたのは眼鏡をかけた白髪の老店主で、穏やかに声をかけられる。徳さんと鶴先輩がその人と気安く話している間に日向は店内全体を素早く見渡した尾白に伺いの視線を向ける。尾白は頷いた。どうやら尾白が感知できる範囲で怪しい糸の気配はないらしい。こうした警戒にどれほどの意味があるのかは分からないが、やらないよりはましだろう。
それでも他の客とは離れた位置のテーブルへ席を取り、鶴先輩と徳さんが合流すると各自注文を済ませた。席は尾白と日向、徳さんと鶴先輩で隣同士に座り、尾白と鶴先輩、日向と徳さんが向かい合う形になる。尾白と鶴先輩は窓際だ。店内では扉と同じ色のソファーや椅子がテーブルを囲み、頭上の照明からは橙色の暖かな光が注ぐのだという。初めて来たのになぜか懐かしさをかきたてられる、不思議な居心地の店だった。
頼んだものが来るとまず鶴先輩が口火を切る。
「――さて、では何からお話し致しましょうか」
鶴先輩はメロンソーダを口に含んでから他の三人を見回す。しっとりと落ち着いた色合いでまとめられた店内で見る彼女のそんな仕草はとても堂に入っており場慣れしたものだ。
鶴先輩の質問は他の参加者へも向けられたものだったが、実際は日向一人に向けられていた。その証拠に鶴先輩の黒い瞳は他の二人を通り過ぎ、日向に固定されて動かない。
日向は尾白や徳さんとも視線を交わし、二人からまず自分の聞きたいことを聞いていいのだと確認を取ってから鶴先輩に向き合う。姿勢も気持ちも正した。
「では不躾なことから伺いますが、僕は先輩とあの人がどんなことを話していたのかが気になります。まずはそこから教えて頂けないでしょうか」
もしごく個人的な内容なら詳しく教えてくれなくても概要だけで構わないとも告げる。
鶴先輩は目を閉じた。即答せずに考えこむ。それだけでもたわいのない世間話をしていたわけではないことを察するには余りあり、そもそもあの神無月と普通の会話をするという図が想像できない日向だった。
そして鶴先輩はそっと目を開け、力強い煌めきを宿した瞳で順繰りに三人を見ていく。やはり視線は日向で固定された。
「それを話すには、まず私がこの特異な能力に目覚めた経緯をお話ししなければなりませんわね」
日向の隣で尾白が注意深く神経を張り詰めたのが分かった。徳さんはいまいち事情が飲み込めない様子だったが、口を挟まずにいる。日向は鶴先輩の冴え冴えとした美貌を固唾を飲んで見守り、彼女はゆっくりと語り始める。
「私がこの“探す能力”を使えるようになったきっかけ。それは――神無月なのです」
その言葉の意味が三人、主に尾白と日向に浸透するのを待ってから鶴先輩は再び口を開く。ぴんと張った糸を弾くような物言いだった。
「いえ、正確にはあの人だと“思われる”、ね。神無月は放課後に一人教室に居残っていた私を訪ねて来ますと、私に何か望むものはないかと聞いてきたのです。それを自分なら叶えられるかもしれない、と。……ああいう人ですから、突飛な行動に出るのはいつものことです。冗談だと笑って流してしまえればよかったのでしょうけれど――私は結局あの人の誘いに乗りました。そのときの私には知りたいものが、探したいものがあったからです」
はっきりとした揺るぎない彼女の告白に隣にいる徳さんが身動ぎする。日向にもすぐに察しがつく彼女の望みは、彼にも容易に想像ができるもののようだ。もしかしたら彼女がその日一人でいた理由もそこに起因するものなのかもしれない。
他に教室に誰かいたなら。或いは他に何か一つかけ違っていたなら。自分は半ば捨鉢に彼の誘いには乗らなかっただろうと鶴先輩は語る。
神無月には昔からそうした妙な運の良さ、或いは引きのよさがあって、それがより彼にとってより都合のいい結果を引き寄せているように思うと鶴先輩は自説を述べる。
いずれにせよ彼女は誰もいない教室で神無月と二人きり、素直に彼の指示に従った。畏まって向かい合い椅子に座ると、次に目隠しを要求した神無月に彼女の視界は塞がれてしまったのだという。
詳細に語られていく回想に徐々に彼女の隣にいる徳さんの顔色が複雑そうなものに変わっていく。なぜそんな怪しい話に乗ったのか、本来なら注意の一つでもしたいところだろうが今は口を噤んで控えている。
それから神無月は鶴先輩にいま一番強く思っている願い事を頭に思い浮かべるように指示し、そして――
「次に目隠しを取ったとき、私が同じことを願ってみますともうこの能力が宿っていたのです」
自らの手のひらを見下ろしながらそこまで言い切り、鶴先輩は申し訳なさそうに眉を下げる。
「そういうわけですから、私にはあの人がどうやってそんなことができたのか、しようと思ったのか詳しいことは分かりませんの。ただあの人の言う通りにしてみると私にはこの力が宿った。状況証拠でしかないのですけれど、私にはあの人とこの力が無関係には思えないのです。……それでも確かな証拠はないのですから、断言はできません」
申し訳ないと謝られて日向は大いに慌てた。
「そんな、気にしないでください。そうだ先輩、メロンソーダ飲みましょう。落ち着きますよ」
日向がそうすすめると徳さんがそっとメロンソーダを彼女の方へ押しやる。鶴先輩は日向の言う通りメロンソーダに口をつけると、それは別にあんたの落ち度じゃないと尾白からのフォローも入ったことで多少気が解れたようだ。
それにつられて尾白もコーヒー、日向が紅茶で喉を潤す。徳さんは頼んだアイスフロートを三人が会話を交わす間に一人黙々と片付けている。
「何か道具を使ったのもしれません。それとも生まれつきそうした能力を身に付けているのかも……何にしても、あの人らしいと普通に納得できてしまえるのが恐ろしいところですわね」
他に思い付く範囲でいいから何か不自然なことや儀式めいたものはなかったのかと聞かれ、鶴先輩は考え考え、言葉を絞り出して言った。
「何か呪文みたいなものが聞こえたとか、何かを鳴らされた、或いは嗅がされた覚えもありませんわね。でも……勘違いかもしれませんけれど、途中でなにかふわっと浮くような、感覚が……あったような」
もどかしげに記憶を探っていた彼女はやがて少し時間をくれと言い置くとテーブルに自らの片手の手のひらを上に向けて置く。もう片方の手をその上に翳し目を閉じて集中し出した。日向が隣を窺うと少し目を細めた尾白が彼女の手元を注視している。今彼女の翳した手の平からは幾度となく日向の記憶、そして鶴先輩を頼ってきた人達と探し物の間を結んできた糸が現れているのだろう。徳さんも横でじっとその様子を見守っている。鶴先輩はしばらく粘っていたが手を戻し席に背を預けて嘆息すると、成果はなしと報告した。心当たりのあった何かしら浮くような感覚はあったものの、他に目ぼしい発見はないという。
そして鶴先輩はその特異な能力に目覚めた後も、心身共にこれといった悪影響が出たことはないと語る。強いて言えばその能力を目当てに随分と大袈裟に人に頼られるようになったことくらいか。未知数の力なのでこの先何が起こるのかは分からない。尾白と同じように用心は必要だろう。
そして鶴先輩はグラスの縁を指先で辿りながら、ぽつりと呟きを落とす。
「……でも反則もいいところの力ですから、罰が当たったのかもしれませんわね」
日向は思わず彼女の方へ視線を飛ばす。彼女も日向の方を見て、髪留めを使わなくなった髪をさらりと揺らし、ほのかに笑った。なんだかその微笑みが寂しげに見えたのは気のせいだろうか。鶴先輩の家で一緒に庭を見たときの不可思議な連帯感、その感情のほつれが微かな感傷を連れてくる。
しかし彼女の切り替えは早かった。何かを他に思い当たることかあったらしく、手を打ち合わせて短く声をあげると次に両手をテーブルについて身を乗り出してきた。
「私としたことが忘れるところでした。……神無月はこの能力に目覚めた私に、白い毛玉を探すよう言ってきたのです」
日向と尾白の顔が引き締まる。それまで若干気まずそうにしていた徳さんが空気が変わったのを察知して三人を見比べた。

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