Open sesame!44



日向はよくよく目を凝らしてみるも、示された木にも他の木にも桜色は見えない。しかし尾白には見えている。ということは――
「糸の花がついているということですか?」
日向が尾白へ顔を振り向けて問えば、そうだと尾白も日向を見返して頷く。そして二人はまた揃って眼下の景色を見下ろした。
「俺にはあの木にだけ糸でできた花が見える。多分、日向が玉生と出会った日に猫が見てたっていう木もあの木なんじゃないか?」
日向は脳裏に浮かぶ記憶をなぞり、答える。
「確かにあのあたりにあった木で間違いないと思います。……何かそれらしい噂のある木なんですか?それとも何か曰く付きの?」
後輩が先輩に思ったままの疑問をぶつければ、尾白は意味深な表情を作り逆に問いかけてくる。
「――知りたいか?」
日向は束の間迷ったものの、それでも覚悟を決めて言う。
「知りたいです」
そんな日向にそう言うと思ったと尾白はほんのりと嬉しそうな気配を見せ、理由は尾白らしく淡々と語られた。
「といってもそんなに大した話じゃないんだが……前に徳さん――今日会った坊主頭のヤツな。あいつにあそこにある木の内の一本を自分のことだと思って欲しいって口説いたやつがいたんだ。まあ、俺にはその話を聞かされる前からあの木には散らない花と糸で繋がれた発生源が見えてたわけだが」
誰と明言されずとも日向はそれを望んだ人物が誰か分かった。
「もしかして、鶴先輩ですか?」
「ああ。でも花をつけてるのは徳さんの方。糸もあいつから伸びてる」
「今も見えているわけですね?その糸の花が」
「むしろわさわさ増えてるな」
尾白は僅かに目を細めて言った。彼の目には今が盛りと咲き狂う散らない花が見えているのだろう。
鶴先輩は想い人へどんな思いを込めてそんなことを言ったのだろう。来年の今頃にはもうここにはいない彼女は、今も昔も変わらずこの学校に在る桜の木にどんな願いを託したのか。
何事も魔法のようにはうまくいかない。それでも何かしらの救いがあって欲しいと日向は思う。
日向はこの先師匠となる予定の彼女が残した願いの残滓をどうにかして汲み取れないかと眼下の景色を眺める。そして次に尾白の横顔を盗み見た。
尾白経由とはいえ今の話は徳さんや鶴先輩のプライベート、秘密に関することだ。それを知ってしまったことで何かしらの不利益や非難を被るなら、日向はそれを粛々と受け入れようと思う。少しでも尾白の負担が軽くなるなら、日向は身勝手にも尾白一人のために第三者の秘密を暴くことを厭わない。その責任を尾白と共に負いたいと願う。
「……もっと、教えてください」
尾白の白い髪を揺らした風が通りすぎるのを待って口をついた日向からのお願いに、ちらりとこちらに意識を向けた尾白は日向の輪郭を辿るように視線を動かす。日向が辛抱強く待っていると微睡む猫のように尾白の目がしんなりと細まった。尾白の心に宿ったやわらかな感情が日向にも伝わるようであったし、日向の方もつられて胸の内がほこほこと温まって頬が緩む。なんだか尾白のだらりとした気の抜けた態度もいつも以上に頭上に漂う雲のように軽くなったような気もしたが、そうなって欲しい日向の欲目かもしれない。
その尾白が言うには桜の木のことは日向が徳さんと鶴先輩どちらにも接触を持ったことだし、糸のこともあるから伝えておこうと思ったのだそうだ。それを聞いた日向は少なくとも尾白と向き合う姿勢は間違えてはいなかったのだと、心のどこかで張りつめていた緊張の糸を緩める。
「他は――そうだな。鶴のお嬢様、髪留め使ってただろ?あれにも桜の花がついてた」
「えっ、じゃああれは名前のことじゃなかったんですか」
日向は驚きを露にする。尾白が鶴先輩のことを日向から聞いて会いに行ったとき、日向への報告には端的に“桜”とあった。てっきり日向は名前や髪留めの色についてのことだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「そう、俺が言ってたのはくっついてた花の方。勘違いされてるなとは思ったけど、めんどくさいから放っておいた」
すまんと謝られたが日向はそうだったんですかと納得するのみだ。尾白はフェンスに手をかけ物寂しい様子で呟く。
「……人の感情っていうのは不思議なもんで、駄目だって分かって、なくなろうとしてやっと分かることがある。全部初めから分かってれば苦労しないのにな」
日向も同じくフェンスに手を添え空を見上げると、すっきりとした口調で答える。
「鶴先輩が言っていました。何度考えても変わらないならそれは譲れないことなんだと。それを確かめるためにも、大事なものを見逃さないためにも、考えることを止めないなら気付くのが遅れてもいいんじゃないですか?」
「取り返しがつかない場合もあるけどな」
日向は尾白の意見を苦笑で迎え、それでもと続ける。
「それでもですよ。後悔ってまた同じ間違いを起こさないための、忘れないための楔だと思うんです。だから……」
――だから日向は抗わないのだ。
その先を日向は明確な言葉にして言わなかったが、尾白の横顔に感じられるほのかな陰りは薄くなっていたので後輩はとろけたような心地に浸りながら、次に尾白が今日見た鶴先輩の頭にはティアラのように盛られた桜の花が乗っていたと聞いた。徳さんの方にもその胸元には小さな桜の花束が添えられていたという。
日向はそれを聞いてなんとなく二人の今後の感情の行く末が想像できる気がして、視点を尾白が教えてくれた桜の木の一つに合わせる。自分には鶴先輩の髪に髪留めがなくなったことくらいしか分からない。それを残念に思うくらいには日向の心は尾白に寄り添うことを欲している。徳さんからの想いの糸によってお姫様みたいに飾り立てられた鶴先輩はきっと綺麗に違いなかった。
徳さんも鶴先輩もこの先どんな選択肢を選び取ったとしても、これでよかったとお互いが認めあえるような結果であればいいと思う。
そんなことを考えている日向の上空では、白い雲が奥行きのある空を埋め尽くす勢いで浮遊している。いまその中心にはぽっかりと穴が空き、円状の青が覗く。まるで空に穴が空いているよう。吸い込まれそうでもあった。
再び夕焼け色の瞳を宙に踊らせた日向は例え本当にあそこが世界の果てだったとしても、そしてそこに落ちることになったとしても、日向は尾白がいれば楽しんでしまえるだろうと思った。その気分のまま日向は尾白に話しかけ、笑いかける。
「僕、先輩と一緒ならどんなことでも楽しめると思うんです。わくわくして、ドキドキして、きっと満たされる。それは今も同じですけど。――あっ、勿論僕の方からも先輩に楽しんでもらえるよう努力するので……その、よろしくお願いしますね?」
最後には照れを滲ませ、混じりけなしの本音をぶつけていく。しばらく尾白からの反応はなく、日向が不審に思い始めた頃にようやく先輩は後輩に張り付けていた視線をひっぺがした。
それから日向からの視線を避け、楽しくなきゃ傍にいないのかとちくりと刺してくる。日向は眉を下げた。
「やっぱり先輩ってちょっと意地悪ですね」
日向が言いたかったことはそういうことではないし、尾白も本気で日向を腐したいわけではないだろう。日向もそれが分かっているから、僕離れてる間結構寂しかったんですよと若干唇を尖らせて拗ねた気分をふんだんに盛り込んだ視線で尾白をじとりと睨む。わざらとしいポーズだがおふざけなので許されると思いたい。
ところがそんな日向のちょっとした意趣返しは、真面目な顔をした尾白にそれは俺も同じだけどと真剣に返されてあっさり崩れた。首まで赤くした日向に尾白がニタリと口の端をあげる。どうやら尾白の計算通りの反応をしてしまったようだ。手のひらで転がされている。嬉しいような悔しいような日向を置いて、尾白が呟く。
「……日向は空が似合うな」
「この髪色だからですか?」
そう返しながら後輩は自分の髪をつまむ。尾白は思わず口から出てしまったという顔をしていたが日向は気にせず、この髪色で空が背景だと同化してしまうのでは、いやもしかしなくても今までハゲて見えていたのではと今更の可能性に気付いて一人考えを暴走させている。
尾白はその先を口ごもり何か言いたくても言えない様子でいるが、そんな尾白に一足早く気持ち切り変えた日向は片手で握り拳を作り胸のあたりまで持ちあげてみせる。
「きっと先輩を惚れさせてみせますので、覚悟しておいてくださいね」
少し自慢げに堂々と宣言する。それを言われた尾白の整った顔に程なくして日向が見惚れるほどの情が灯り、とろけた。
「……ああ、楽しみにしてる」
日向はふわふわと気分が浮かれ、この穏やかな気持ちのまま目の前の人と微睡んでいたい衝動に駆られる。不思議といま日向は尾白と同じ気持ちを共有できている実感があった。

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