Open sesame!43



「……実は僕、雨月さん達に尾白先輩が僕のことを気にしているって聞いて、それで告白しようって思ったんです。卑怯っていうなら僕も卑怯ですよ」
言っている内容とは真反対の慈愛に満ちた穏和な態度で日向がそう言う。尾白はそれを世界であなたが一番大事だと諭された子供のようなくすぐったげな様子で聞いていた。
いずれにしろ尾白が今回こういった結論を出したのには日向が尾白と離れていてもいなくても変わらず危ない目にあうのなら、自分の傍に置いておいた方がいいと判断したためでもあったらしい。そこまでトラブル体質の自覚はない日向には不服な評価ではあったものの、そうした目に連続であっているのは確かなので反論は胸にしまっておく。ただ日向の場合尾白の傍にいられることは利点しかないので、そこはしっかり主張しておくことを忘れなかった。
そうして日向はそろそろ頃合いだろうと尾白と繋ぎあった手を離そうとする。しかし尾白からは厭うように引っ張られた。どうやら尾白にはまだ言いたいことがあるらしい。
日向は一字一句聞き漏らすまいと繋いだ両手の先の先輩を見守る。日向の目の前で真剣な表情の尾白の唇がゆっくりと開いていった。
「俺の傍にいるつもりなら、覚悟をしておいた方がいい」
そこで尾白は一旦言葉を区切り、一転して意地悪そうなシニカルな笑いを含ませる。
「――多分、“そう”なったら離してやれない」
「……ッ!」
日向は言葉にならない感情のうねりに翻弄され、息を詰まらせた。体の隅々まで尾白への恋情が駆け抜ける。例え単なる未来予想だとしても、そうまでして日向を傍に置こうとしてくれる尾白の気構えが喜ばしく愛おしい。
「先輩好きです……」
総まとめした思いの丈を日向が潤んだ瞳と紅潮した頬、熱い吐息と共に囁けば、尾白はここは引くところじゃないのかと不可解そうにする。だがそれもすぐにまあいいかと流され、二人の手も解かれた。
日向は若干の寂しさを感じながらも、今まで尾白と触れていた手のひらをまじまじと見つめる。随分と自分に都合のいい展開が続いているなと思い、それが自然と口をついて出た。
「これが糸で結ばれているってことなんでしょうか」
尾白からの糸は不明だが、日向からの糸は確実に出ている。それも恋情という名の強烈で熱烈な糸が。一方的とはいえそこから何かしらの効果を引き出しているのか、或いは引き寄せたのか。
尾白は日向の呟きには答えず、この際だからまだ言っておきたいことがあると日向の注意を促してくる。すぐさま何でしょうとキリッと真面目に聞く態勢に入った後輩を前に、尾白は片手を髪に差し込んで言い淀む。
「……あーっと、そうだな。実は俺が日向を遠ざけたのにはまだ理由があるんだよ」
俺の傍にいたら危ないと思ったんだと腕を下ろしながら言われ、しかし日向には何が何だか分からない。事情が飲み込めずにいると、ふと尾白の視線が自分の首筋にじっと注がれていることに気付いた。日向の手は無意識にそこに伸び、尾白の焦げ付きそうな視線から隠そうとする。普段意識さえしていないそこが尾白に見られていると思うとなんだか落ち着かなくなった。
そしてそれまで一心に首に注がれていた視線がふいにあげられる。日向の眼鏡越しの夕焼け色の瞳とかち合った。揺るぎのない朝焼けが誠実さを秘めて日向を映し、それなのにどこか自棄を起こした剣呑さを帯びてぎらついている。
「あのとき、日向が俺と玉生で違うことを言ったとき。俺はいっそお前を噛んでやろうかと思った」
ぞくん、と日向の体に言い様のない震えが走る。
淡々とした言葉にも関わらず、尾白が紡ぐ音の羅列には沸騰するような熱が込められている。雲の色をした前髪の下から隠しきれない凶暴さが日向の芯を貫く。
あのとき日向は尾白に後ろから抱き抱えられていた。すると尾白は日向のうなじを噛もうとしていたのだろうか。依然として痺れるようなぞくぞくする感覚が体の内外から止まらず、日向は手を喉からうなじに移し変える。
「な?離れててよかっただろ」
尾白は束の間垣間見せた鋭さを引っ込め、少々の自虐を滲ませてそう言った。だが彼の表情はすぐに意外そうな色で染まる。
「――何で嬉しそうなんだ?」
「えっ?」
日向は尾白の指摘に手をうなじから頬に添え変える。どうやら自分は相当にやけていたらしい。今も口角がむずむずとあがってくるのを抑えきれない。
「いえ、あの……先輩ならありだと思いまして……実は僕、いま人に近付かれると体が竦んでしまうようになってしまって。あ、先輩や玉生、それに雨月さん達なら大丈夫なんですけど。……えっと、それでですね。もしですよ?もし先輩に上書きしてもらえるなら他の人との接触も平気になっていくのかなって」
日向は恥ずかしくも正直すぎる本音を赤裸々に語る。無意識なのかそうなった原因については濁しているが、言外の要因からその元凶はおそらく尾白の想像通りで間違いないのだろう。既に玉生から聞いて知っているとは言わず、それにしてもと尾白は思う。日向はまだ何も知らない夢見がちな少女が憧れの人を慕うような初々しさで言っているが、内容とのギャップがすごい。尾白は本当に全くお前はと呆れた声を出し、日向はあまりに変態的だったかと反省する。だが尾白はそうじゃないと否定した。
「……あまり俺を甘やかすなよ」
ほんの少し苦みを添えた尾白の太い微笑はとても魅力的だった。日向の恋心はときめきにときめく。しかし尾白からの注意を蔑ろにするわけにもいかないので日向は桃色気分を振りきって答えた。
「本当に嫌なわけではないし、甘やかしてるつもりもないです。でも僕は先輩を駄目にしたいわけでも僕自身が駄目になるつもりもないので、そこは気を付けていきますね」
両方の掌を握り決意を新たにする日向に、是非そうしてくれと尾白が重々しく頷く。日向も肝に銘じたが、しかし困ったことが一つあった。
「でも僕が先輩にされて嫌なことってそんなにない気がするんですよね」
離れていようと言われた時は悲しかったし辛かったが、そうした拒否感とは違う気もする。実際にやってみなければ分からないが、先程言われた噛まれる行為もきっと日向は抵抗せずむしろ喜んで己のうなじを差し出してしまうだろう。
さすがに人として悖る行為に及ぼうとするなら止めに入るだろうが、そもそも尾白がそんな行為に耽溺するとは考えにくい。ましてや日向相手への行為となるとハードルは極端に低くなってしまう。
そんなことをつらつらとまたも日向が正直に白状すると、尾白は呆れと苦味が混ざったような顔をした。こいつ本当にどうしてくれようといった顔付きである。これだから放っておけないのだと、意外なところで危なっかしい飼い犬の手綱を握り直すような心持ちだった。
一方で日向は腕を組んでうんうん唸り、ようやく現状これしかないといった答えをまとめあげる。
「つまり、”望むところ“なんですよね」
なぜか自慢げに堂々と宣言する日向である。尾白は何と言っていいのか分からず複雑そうにしていたが、やがてそうした感情を越えて楽しくなってきたらしい。上等だと唇の端を吊り上げて意地悪く日向の挑戦を受け取めた。
それにもぞくぞくきてしまったとは言えない日向はこっそり自分の胸を抑えるに留める。
「じゃあ、よろしく」
尾白はもう一度そう言ってさっぱりとした、気の抜けた態度で日向の前に立つ。この先を予感させる清々しい表情とその立ち姿に日向の方こそよろしくお願いしますと頭を下げ、戻すと同時に本当に嫌だったら言えよ俺も気を付けるからと念を押された。勿論だと日向も頷き、そこで話は一段落する。だがまだ時間はあったので、二人はフェンスに寄り横に並んで雲を眺める。話題は明日からの予定になった。
「僕、また前みたいに先輩とお昼をご一緒したいです。いいですか?」
「ああ、俺もそのつもりだった。場所はここでいいよな?」
「はい。僕、先輩とここにいるの好きです。落ち着くのにドキドキして、開放感があるのに秘密基地っぽくて。あ、勿論雲を眺めているのも好きですよ。そうはいっても、僕は先輩が一緒ならどこでも楽しめてしまうんでしょうけど」
尾白が止めないので日向の勢いは止まらないままだ。そんなことをさらりと言って、それまで空を見上げていた視線を尾白に振り向ける。同じタイミングで尾白も日向を見てきたから、日向はなんだか心のやわらかい部分をくすぐられるような心地だった。
「僕が作ったお弁当もまた食べて欲しいです」
「そうだな、俺も食べたい」
「先輩が作ったサラダも食べたいです」
「気が向いたらな」
そうしてお互いの顔を見ながら話していくうちに、ふと尾白の指先が伸ばされるのを日向は見た。口を閉ざしてその行方を見守っていると、尾白の曲げた人差し指の背が日向の閉じた唇の間際すれすれを擦り撫でていく。
そんな些細な接触と感触は、まざまざと日向の感覚に言い知れぬ動揺と熱っぽく腹の底に溜まるもどかしさを残した。
今のは何だと日向はまじまじと尾白を見返し、対して尾白は悪戯っぽく稚気を閃かせながら後輩を見返してくる。
今のは日向の弁当の返礼に以前のように尾白の分の昼食を食べさせてくれるということだろうか。何にせよ尾白からの接触を日向が厭う筈もなく、いきなりはびっくりします、と口では不満を唱えつつも嬉しさは隠しようがない。
それにしても尾白は意外とスキンシップが多い。そのことを伝えると親の影響かもしれないと考え深げに言われた。日向がまだ見ぬ尾白の両親に想像を膨らませていると、当の尾白は日向を促して校門が見える方へ移動した。
「あっちに桜が見えるだろ」
日向が尾白の隣でフェンス越しに眼下を見下ろすと、校門近くの学校の敷地、そこから先の道路に住宅街、商店といった街並みが一望に見渡せた。この学校は坂の上に建っているからより遠くへの眺望がきく。駅近くにある神在系列の店が並ぶ通りも見ようと思えば見えるのだろうか。
そのなかで尾白が言っているのは校門や塀、そして道路に沿って植えられている桜の木のことである。とうに花弁は散ってしまっているが、日向が入学する前から根を張っている木々達は当たり前にそこにあった。
「――ありますね、僕、あそこで初めて玉生と会ったんです」
日向が校門近くの道路あたりを指差しながら尾白に報告すると、そのことは既に玉生から聞いていると言われる。それからあの中には他と違う木があるのだとも言われたが、日向には分からない。
「何か特徴があったりするんですか?僕にはどれも同じに見えますけど……」
細かい部位は違うのだろうが、大きさも枝振りも並んでいる間隔も遠目からするとどれも似たように映る。日向がすぐに白旗をあげると、尾白があれだと一つの桜の木を示した。校門近くの一つの木。通学のために通る道から覗く、学校の塀の内側に植えられた木。
「あれだけまだ桜の花がついてる」

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