Open sesame!23



そこで完全に気が抜けた日向はのろのろと時計を見て――大いに慌てた。いつも通話を終える時間を大幅に過ぎている。日向が謝罪と共に通話を切ろうとすると、携帯越しから俺も話したかったから気にするなと、いつもの気の抜けた声で言われ日向の恋心は途端にハートマークをまき散らした。
そんなことを言われてはときめくしかないではないか。
急激に高まった恋情に溺れかける日向だったがなんとか振り切ってとにかく時間をとらせてしまったことを詫びた。しかし日向も尾白と長く話せたことを嬉しく感じていること、そこだけはしっかり伝えておくことを忘れず、それからやっと通話を切った。熱を持った携帯を置き、座ったまま少しの間放心する。その間もゆっくりと頭のなかでは思考が回転していた。
まだ尾白の傍にいたいのなら、まだそうしようと思うのなら、向き合って受け入れるべきなのだろう。自分の醜さと尾白への欲望、そして何より尾白自身を。自分自身を。――認めて、受け入れて、誤魔化さずに逃げることなく考えるのだ。
よし、と小声で自分に言い聞かせた日向は、まずは急いで朝の支度をするべく立ち上がった。


***


放課後の教室に玉生と矢田川はいた。矢田川は今日は部活がないらしい。玉生が教室を見回してみると、梅雨が近付いて空が微妙な雲行きになっているせいか他にも居残っている生徒達が何人かいた。そんな天気と同調するように教室内の空気は籠って爽やかとは言い難い。
「どうにかならないかな〜」
そう悩ましげに呟くのは矢田川だった。怪我をした足を投げ出すようにして横向きに座っている玉生の隣の席に腰掛けている。こちらも体を横向きにし、体の正面は玉生の方を向いていた。
学校の教室で頬杖をついているだけなのにどこぞのお洒落なバーにでもいそうなのは、彼女が既に身に付けている女性としての魅力がそうした日常的な仕草に華を添えているからだろう。
そして二人の間で目下交わされる議題と言えば、尾白の告白ラッシュによる日向の心労だった。尾白は尾白で心配ではあるのだが、主に日向経由で知っている人柄故かあの人はなんとかなるという妙な頼もしさ――いやこれは信頼と言い換えてもいいだろう――がある。
だが肝心の日向本人はさっぱりとしており、どうやら知らないところで何かを吹っ切ったようである。
こんなときムードメーカーとなって周りの憂慮を吹き飛ばしてくれる雨月は、日向の恋の行く末を気にするあまりしょんぼりしている。日向自身がそんなに気にすることはないといっても効果は薄く、今回は尾白の元へ直接聞きに行ったりもしていないようだ。そんな雨月のケアを積極的に務める彼女の親友であるところの卯月は、儘ならない状況に多少なりとも不満をためているようである。
「日向は何か言ってないの?」
「少しなら聞いた」
矢田川の問いに、玉生は友人との会話の断片を彼女に伝える。
――僕って自分で思ってたより、ずっとずっとずるかったんだなって。
そう言って苦味を含ませた、しかし芯の太い微笑をみせた友人は何かを決めようとしている。朧気ながらそう玉生は察した。そこには慰めにしろ励ましにしろ、既に他者の意見を必要としていない感触があった。残念ながらそれ以上は聞けなかったし日向も何も言わなかったが、結果は教えてくれるという。
実は玉生は今回のことにそこまで焦りを感じていない。尾白のことなら日向は自力でなんとかしてしまうだろうという妙な信頼と楽観があるからだ。そういう意味では玉生のなかで尾白と日向の二人は似た者同士と言える。これでも伊達に日向が尾白への恋心を自覚したときから垂れ流される惚気を聞き続けてきたわけではない。日向が諦めていないのに、玉生が勝手に見切りをつけるわけにはいかなかった。
玉生の述懐を聞いて、矢田川はテストの難問に取り組むような唸り声をあげ、唇を尖らせる。
その表情から、いっそ落ち込んでくれた方がこっちとしても全力で励ませたのにと、そんなことをつい考えてしまったことへの後悔と、それでも未だに解決する見込みのない現状への歯痒い思いが感じられる。
それは玉生も同じで、尾白から禁止令を言い渡された時の日向の方がまだ分かりやすく感情を露にしていた分色々言いやすかった。だがそれも結局は手出しも手助けもできない部外者が勝手に不満を溜めているに過ぎない。
矢田川もそれは承知しているのだろう、それ以上踏み込むことはせず、組んだ指先を玉生の方に向けて伸びをした。それから天井を見ながら腕を下ろすと玉生に視線を戻してしみじみと言う。
「いけないことなのかもしれないけど、どうしても日向の肩持っちゃうんだよね〜。告白されたって聞くと、日向がいるのにって思っちゃう」
まだ二人とも付き合ってもいないしそんなの先輩のせいでもないのにね〜、とそんなことを言いながら今度は腕を組んでうんうん悩む彼女を見て、知らず玉生は微笑んでいた。
他のクラスメイト達もそうなのだが、日向本人に聞いてもどうにもはぐらかされるらしく、そうすると彼らは大丈夫なのかとこっそり玉生に現状を窺ってくる。できることなら協力したいが、撮影大会の前科があるので動くに動けないらしい。
何にしろ大切に思う友人が、他の友人やクラスメイト達から大切に思われているのは喜ばしいことである。
「――ありがとう」
「ん?何が?」
そんなことを思っていると感謝の言葉が滑り出てきた。その言葉の意味を飲み込めない矢田川は不思議そうに聞き返してくる。日向を大事に思ってくれて、と玉生が先程の言葉の意味を補足すると矢田川は分かりやすく表情を険しくした。それが照れ隠し故なのは玉生でなくとも容易に知れる。
「も〜、何で玉生がお礼言うかな〜?」
「友達だから」
「……あ〜、うん。私も日向のことは友達だと思ってるけどね〜」
それから玉生をじっと見たかと思うと顔をそむけ、玉生のそういうところいいと思う、と呟いた。しかし声が小さ過ぎて玉生には届かなかった。
何か言ったかと問う玉生に、矢田川は何でもないと誤魔化すとそれから思い付いたように声をあげた。
「あっ、じゃあこっちから口を出せないんなら気分転換に日向を誘うのはどう?……うーん、でも玉生相手に言えてるなら問題ないか……」
自問自答する矢田川に玉生は、日向は見せていないだけで溜め込んでいる可能性があると彼女の認識を改めにかかる。彼は矢田川ほど二人の仲を心配しているわけではないが、友の心遣いを無下にする日向ではないし実際にそうした外部からの働きかけが膠着状態の現状をいい具合に壊してくれるかもしれない。つまりそれはいい案だと賛成したわけだが、それを遅れて理解した矢田川は玉生のそんな意見の出し方を分かりにくいと笑い飛ばした。
では気分を晴らすにはどうすればいいか、互いに意見を出しあう。
食べる、寝る、遊ぶ、体を動かす。それぞれ意見を出しきったところで玉生は何気なく言った。
「でも、俺だけじゃなくて皆が話し相手になってくれてるから、日向も少しは楽になれてると思う」
勿論矢田川さんも、と付け加えると言われた本人は何度か目を瞬かせて肩を縮め、そういうことなら玉生には敵わないと思う、とぼそぼそと呟いた。今度は玉生にも届く声量で、玉生がする親切の動機は人が喜んだり嬉しがるところが見たいという純粋な友情とは微妙に隔たったものだったが、玉生は日向の友人として矢田川の評価を有り難く受け取った。
「……うん、でも、役に立ててるなら嬉しいかな」
それから矢田川はむずむずと上がろうとする口角を抑えきれないように、俯きがちに照れくさそうに笑った。嬉しいのにそれを素直に表せない、控えめな年頃の少女らしい微笑みだった。
玉生はその嬉しそうな矢田川の微笑みに釘付けになる。日向の時と似通った、けれどどこかが決定的に違う感覚にこれはなんだと混乱する。そんな玉生を置いて当の矢田川は日向をどこに遊びに誘おうか既に算段をつけ始めている。
後に悩みに悩んで、日向には囚われ、矢田川には魅せられたのだとその時の感覚の違いを理解する玉生だったが、このときはただ呆然とするばかりだった。
沈黙にそれぞれの思考を漂わせる彼と彼女、それからまだ複数の生徒達がいる教室に、高らかに足音を響かせて勢いよく駆け込んできた人物があった。二人の視線は自然とそこに吸い寄せられる。のみならず他に居残っていた生徒達の視線もその人物に集中し、誰もが口を閉ざした。
放課後の校舎に相応しい静けさが教室に充満する。玉生はこんな登場の仕方をするのは雨月くらいかと思ったのだが、違った。同じ女生徒だが本来はこんな登場をしそうにない人物が矢田川達を見つけて目を輝かせる。
「あっ、や、やっぱりいた!ルリちゃん、玉生くん!」
「燕?どうしたの〜、そんなに慌てて」
部活の集まりがあったんじゃなかったの?、と珍しく教室に騒々しく入ってきた勅使河原に矢田川が腰を浮かせて問いかける。何か緊急の事態が起こったのかとその顔には危ぶむ色があったが、しかし当の勅使河原はやる気と興奮に満ちており何か悲惨な出来事が起こったとは思えない。
そんな彼女達の会話を聞き、玉生はもしかしなくても矢田川は勅使河原の部活が終わるのを待っていたのかと、ようやくそのことに思い当たった。ちなみに玉生自身は家族が車でこの近くまで来るというので、こういう天気でもあることだしそれならば途中で拾っていってもらおうと待っているところだった。
こちらにやってくる勅使河原の目付きは本当に普段大人しい彼女かと思うほど爛々と輝いており、鼻息まで聞こえてきそうだった。玉生はなんとなく蒸気機関車を連想する。
そして彼は勅使河原がこうなった原因を容易に思い浮かべることができる。日向と尾白のことが絡んだとき、彼女はたまにこうなった。今回もそうなのだろうか。勿論彼女も日向のことを心配してくれている大事な友人の一人であり、今は元々興味があったらしい茶道部に所属している。
心なしかずんずんと形容したくなる足取りで二人の元までやってきた勅使河原は、立ったままでいた矢田川の手をがっしりと掴んだ。もし玉生の手も彼女が握れる範囲にあったなら、そちらもがっしり掴まれていただろう力強さだ。そして彼女は端的に言い放つ。
「お茶会!」
端的過ぎて何のことか分からない二人に言い聞かせるようにして、再び彼女は口を開いた。
「――お茶会、しよう!」
実に明快に的確に自分の意思を伝えた彼女は、世紀の大発見をした探求者のように頬を紅潮させ、満足そうに胸を張った。


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