Open sesame!22



後ろめたさに不甲斐なさ、それでもなおいま会話している人を欲している自分自身と。相反する葛藤は日向の心を、精神をじわじわと締め付ける。
ぽつぽつと言葉を交わしながらそんな苦さを噛み締めていると、尾白がふいに言葉を途切れさせた。
「……あの、どうかしました?」
「いや、もしかして具合悪い?もう切ろうか」
気付かれていたのだ。日向の、話に集中しきれていない心中を。
そうだったと新たな悔恨と納得が日向の心に浮かぶ。この人は決して鈍くないのだ。時にその洞察力を他者に向けることを厭わず、染み入るような心遣いを差し伸べてくる。今にも通話を切ろうとする気配を察し、日向は咄嗟に上体を起き上がらせて、声をはりあげた。
「待ってください!あの……ッ」
しかしそこから先が出てこない。
言いたいことはある。だがそれでも言えなかった。――他の人からの告白を、全て断って欲しいなどとは。
恋人を作るも作らないも尾白の自由だ。それが日向以外の誰であっても日向に何が言えるだろう。日向は尾白に思いを寄せているがそれだけだ。何かを望める立場にない。我儘を言える権利もなければ、またその資格もなかった。日向はその立場を初めから放棄したのだし、僅かな可能性に賭けて挑むことすらしなかった。
そんな自分のどこに誠実さがあったと言えるだろう。後輩としてなら尾白の事情に多少介入できるかもしれないが、それでも現状とさほど変わらない。日向の望むものとは程遠い。
もしかしたらあったかもしれないチャンスを我が身可愛さに見て見ぬふりをしたツケは、しっかり日向の身に降りかかっていた。
結局日向の口から出てきた音の羅列は、本当に言いたいこととは焦点をずらした言葉だった。
「……尾白先輩に告白ラッシュが来てると聞きました」
ああ、と応じた尾白の声は、げんなりした色に浸かっている。
日向が不意打ちで聞くことになったあの告白の件を皮切りに、尾白の元に求愛する生徒の群れが列をなして絶えないという。
「すごいぞ、行列ができる店みたいになってる」
台詞だけを聞けば浮かれた調子にも聞こえる発言だが、実際に日向の耳に届いた尾白の声は空虚にして棒読みな音の連続だった。尾白にはあまり好ましくない状況なのだろう。このことが二人の会話に上るのは初めてのことであり、日向は携帯を介して想い人の苦労を偲ぶ。
そんな尾白に対して暗い安堵を覚えてしまった日向は、自己嫌悪と共に自らの卑しさを飲み込む。
おかげで尾白は休み時間に入る度、人の来ない場所を求めてさ迷い歩いてるという。雲隠れですねと日向が相槌を打てば、尾白がそうそれと少し明るさを取り戻した声音で賛同する。
「でもそれだとゆっくりできないでしょう」
「そうだな、屋上でのんびりしてた頃が懐かしいよ」
日向も在りし日を懐かしく思い出す。ただ尾白の傍にあり、時に胸を高鳴らせて過ごした時間。今は遠い時間だ。その追憶に添うようにそうですねと返した日向の声はしんみりと静けさをまとって部屋の中に響いた。
そこでまた屋上で過ごせたらいいですねと言えないのが今の日向だ。
その後、尾白から告白は全て断っていると聞き、日向はほっとした。同時にそんな自分にまたじわりと苦みが増す。最早慣れた感情である。
それに言えていないことはまだあった。その行動すら逃げだと自覚しながら、日向は再び言葉を紡いでいく。
「――その、告白のきっかけになった人のことですけど。特徴を聞くと、前に僕に尾白先輩のことで相談してきた人と同じ人みたいなんです。そのとき僕はその人にお互い尾白先輩を好きな者同士頑張ろうって背中を押して……だから、先輩がいま告白され過ぎて困っているのは僕のせいでもあるんです。……すみません」
謝ってどうにかなるものではないが、日向の口からは自然と謝罪が溢れ出ていた。悄然と語る日向に尾白はあっさりと言う。
「ああ、それは別にいい。というか俺のクラスのやつが告白してくる前にそいつと神無月が話してるのを見たって言ってたから、むしろ原因はそっちだと思う」
「……あの人が?」
その生徒に神無月の糸は結ばれていなかったという。何か目的があって仕掛けてきたのだとしても、自力で説得したということだろうか。どういうことでしょうと日向が訝しむと、尾白も考え込んで言った。
「あったとしても陽動か撹乱か。……“そういう気分だったから”が一番有り得そうなのが厄介だな」
神無月は何も考えていないようで考えている時もあるし、考えているようで全く考えていない時もある。どちらにしてもこちらの尺度では計らない方がいいというのが尾白の見解だった。そこは日向も全くその通りだと思う。
尾白に校内をうろつかせないためだろうか?いやむしろこのことで尾白は余計に校内をうろつく羽目になっている。なんにせよ油断大敵ですねと日向が力むと、そういうことだと尾白も重々しく頷く気配がある。日向はいつの間にか尾白との会話を楽しんでいる自分に気付く。ちくちくと生じる痛みと共に、それでも日向は尾白との会話を止められなかった。
「そういえば、僕が傍にいる間は先輩に告白してくる人はいなかったですね」
尾白に確認するとそうだと言うので、尾白の許しを得て日向はその理由として考えた持論を語り始めた。
まず分かりやすい要因をあげるならば、尾白と日向の仲に言及する噂が多く出回っていたことだろう。これが延いては尾白に好意を持つ者への牽制となっていたのではないか。その噂を面白半分とはいえ支持していた者も多くいたようだから、そういった者達の目を鶴先輩に付きまとう男子生徒を相手に日向達が監視の目としたように同種の効果を発揮していたのではあるまいか。
次に、比較的時間が取りやすい昼休みに日向が尾白にべったりくっついていたから。これはかなり大きな要因になっていたと思われる。告白しようとしている生徒達にとっては、日向は簡易的なバリケードの役目を担っていたのだ。
物理的な効果と心理的な効果。その二つがなくなった今、歯止めが効かなくなった恋する者達の思いが爆発し、現在の状況に至ったのだろう。なかには以前廊下で見かけた生徒のような一時的にでも尾白にこちらを向いてもらえればラッキーという軽いノリの者も紛れているのだろうけれど。
「……うんまあ、日向がそう思うんならそれでいいんじゃないか」
そうして少々自慢げでさえあった日向の自説の披露は、尾白から何とも歯切れの悪い反応を引き出して終わった。もしや間違っていたのかと日向が恐縮すると、客観的な事実としては間違っていないと思うと実にあやふやな回答を得た。これには日向も微妙な反応を返さざるを得ない。
それから二人の間には不自然な間が空き、日向はその沈黙につられるようにして身の内に生じている不安を全て吐き出してしまいそうになった。だが堪える。まだ気持ちを整理できているとは言い難いし、本音を言える段階でも、またその覚悟もない。
尾白は無言のままでいる。その無言を待ってくれていると解釈するのは高望みが過ぎるだろうか。
日向の気持ちは自分で自覚していたよりもずっと重く、みっともなくて情けない。だがそれでもそこを受け入れないことには何も始まらなかった。
恐る恐る、やっとのことで絞り出した声は少し震えて、やはり本当に言いたいこととはずれている。
「……先輩、僕、先輩に言いたいことも聞きたいこともいっぱいあるんです」
剥き出しの自分で、核心とは言えないまでも心の一部を曝け出すことはこんなにも勇気がいるものなのか。
かつて尾白に告白した時も、尾白に神無月と自分がどう違うのかと問うた時も緊張したが、それとはまた違うプレッシャーが日向にのし掛かる。あのときはまだ自分可愛さの防護服を纏って尾白に対峙していたのだ。
懸命に次の言葉を探す日向の耳に、うん、と優しく穏やかに尾白の相槌が届く。日向はそれで気が緩んでしまいそうになるも、それでも踏ん張って尾白に声をかけた。
純粋とも真っ直ぐとも言い難い気持ちだが、それでも尾白を想う感情だけは確かなものだという確信はあった。
「でも、まだまとまってなくて――覚悟も、できてなくて。だから、先輩に面と向かって話せるようになったら、聞いて欲しい。……先輩からも、聞かせて欲しいんです」
ですからその時は接近禁止令を一旦解除して頂けないでしょうか、と目を閉じてお願いする。日向の携帯を握る手にはじっとりと汗が滲み、心臓が口から飛び出しそうだった。
だから、分かった、とやわらかな声音の答えが返ってきたとき、日向は全身の力が抜けるようだった。慌てて携帯を持ち直し、よかったと日向の唇は音を出さずに心の底からの呟きを落とす。
「俺もそんなに長くかけるつもりはなかったし。うまく言えるかは分からないけど、その時になったらちゃんと言うから……だから、俺の考えも聞いて欲しい」
深みのある声が染み入るように携帯を介して日向の隅々にまで溶け込んでいく。日向は日向ぼっこをする時のような、うとうととふやけるような気持ちで頬を緩ませた。
そのまま目を開けて、はい、とようやく返せた答えは湿っており、内心情けなくも思ったが、尾白がそれを指摘することはない。
「じゃあ、その時まで連絡を取り合うのは止したほうがいいか?」
尾白の確認に日向は慌てて否定する。
「あっ、いえ、できればこのままでお願いします。先輩の声を聞くと安心しますし……その、先輩とこれ以上接触を持てないのは」
そこまで言って日向はまた詰まってしまう。
ええいこれくらい言えずにいざ会ったときに本音が言えるかと日向は自らを叱咤し、開き直り、我儘という名の自分の欲望の一端を尾白に勢いよく差し出してみる。
「さっ……寂しいので」
裏返り、囁くような何とも頼りない発声になってしまったが、しかしこれが今の日向の精一杯だ。すると、ふ、とくすぐったげな吐息の動きが携帯越しから火照った耳にぞくぞくと日向の感覚に入り込んでくる。
「……そっか、分かった」
ただの願望かもしれないが、そう言った尾白の口調はそれまでのものと比べものにならないほどに甘く、日向の心臓を高鳴らせるのに十分な威力を持っていた。目を細めてやわらかな微笑みを作る尾白が目に浮かぶようである。

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