Open sesame!16



まだ鶴先輩が幼かった頃、彼女は今よりもっと怖いもの知らずの勇猛果敢な女児だった。それには生まれもった環境と性質も大いに影響していただろう。何くれとなく世話を焼き丁重に扱ってくれる者達に囲まれ、子供の狭い視野には己と己が認識できるごく限られた範囲で世界は完結していた。それで不都合はなかった。
あの頃は自分と他人の区別があまりついていなかったのではないかと鶴先輩は言う。自分の望むものは他の人間も望むものだと勝手に思い込んでいた。
彼女はその時既に恋の何たるかを知っており、それはまだ淡く青い感情であったものの、それでも彼女の胸には人ひとりを思う小さな花が咲いていた。その自覚がより鼻を高くさせていたのだと今の彼女はほろ苦く過去を語る。
その好きな人というのが、よく鶴先輩と行動を共にしていた同じ年頃の男の子で、自分がこの子のことを好きなのだから相手も自分のことを好いていてくれるに違いないと何の根拠もなく幼い日の鶴先輩は盲信していた。言い訳をさせてもらえるなら、子供の狭い了見を差し引いてもその男の子の態度は彼女を勘違いさせるに十分な代物だったのだ。
何をおいても彼女を優先し、いつでも傍にいてくれ、彼女がこの世で一番大事だと言わんばかりに付き従う。そう、まるでお姫様とその姫君に忠誠を誓う侍従のように。
そしてある日、彼女はついに想い人と確認するまでもない自分達の将来を確かめあう気になった。
「――ねえ、私のことどう思ってる?」
当然、彼から返ってくる答えは彼女と同じ気持ちであるはずだった。その後にそれじゃあ将来お嫁さんにしてねと嬉し恥ずかしの約束の指切りをするつもりだった。しかしその男の子から返ってきたのはなぜ彼の恋愛相手ないし結婚相手に彼女を選ばなければならないのかという理解不能の顔つきであり、嫌いではないがそういった対象としては――と、その子は語尾を濁して現実を鶴先輩に突き付けた。想像を裏切る展開に幼い日の鶴先輩は失意の底に落ちる。
彼女と彼の家はかつて主従の関係にあり、今ではそんな上下関係はなくなっているものの、未だ根強く残っている部分もある。よくよく考えてみれば彼の行動はいかにもその古い慣習に則ったもので、言ってみれば彼の忠実な献身は彼女自身ではなく過去の産物に向けられたものだったのだ。
彼女の幸福な子供時代はその日終わりを告げた。高々と伸びていた鼻もぽっきり折れた。世間知らずの未熟な精神はあわやと思われるほどの痛手を被ったが、なんの彼女は諦めなかった。ひとしきり悔恨と恥辱に塗れたあとは好物をたらふく腹に入れ、お気に入りの入浴剤とあひるさんをお供に風呂に浸かり、良質な睡眠を取ると粗方傷は回復していた。割としぶとい女児だったのだ。心を入れ替え、うぬぼれを捨て、自らの気持ちを開示し真っ向から挑んでみたもののやはり玉砕。それからは艱難辛苦の道のりで、挑んでは敗れ、敗れては挑んでの連敗のループ。その挑戦は今尚続き記録を更新し続けている。
「……そんなに長い間その人のことを思い続けているんですね」
「そうね、かれこれ十年以上にはなるかしら」
じゅうねん、と日向は呟く。こんなことを思ってはいけないのだろうが、そんなにも長い間一人の人を思い続け、求愛しては夢破れて、辛くはないのだろうか。
そんな日向の憂慮が伝わったのか、長年の片想いを打ち明けた鶴先輩は漆黒の瞳を向けて逆に日向に問うてくる。
「あなたはどう?好きな人と同じ気持ちでいられないことは――」
その先を濁したのは口にすることで自分の中にある感情を確定させたくないからか。
日向は鶴先輩が日向と尾白が付き合っていないことを承知しているか確認し、答える。視線は膝先に落ちているが、脳裏に思い浮かべているのは尾白のことだ。
「……辛くないと言えば嘘になります。でも僕の場合、尾白先輩と結ばれることはまず考えられませんから。だから包み隠さず自分の気持ちをぶつけられているんだと思いますし。そうは言っても先輩とどうにかなりたいって気持ちが抑えられなくなるときもあって……こうしてみると僕って結構矛盾してますね」
そう言って眉を下げて笑ってみせる日向を鶴先輩は眩しそうに見つめ、それから囁くように言った。
「私が見る限り、そこまで悲観的にならなくていいと思いますけれど」
それは恋愛的な意味でなくても尾白に好意的でいてもらいたい日向の脳内補正がそうさせるのではないか。先程見返した記憶を振り返りながらそう言うと、鶴先輩は曖昧に首をふって肯定も否定もしなかった。
時間も迫ってきたので日向は鶴先輩を教室まで送り届け、その帰りがけに午後の授業へ向かう生徒達の流れに混じって尾白に携帯で報告した。
特殊なやり方とはいえ尾白が現在日向を遠ざけている理由を探っているのには違いなく、そのことに尾白は難色を示すかと思いきや好きにしろとのことだ。許されるラインは一体どこからなのか、日向には分からない。鶴先輩のような能力持ちの人の傍にいた方が何かあったときに対処しやすいだろうから、そうした警戒の意味もあるのだろうか。
『終わりました。先輩送ってきました』
『ご苦労さん』
『はい。すごかったです、鶴先輩の探し物のやり方。臨場感たっぷりで、本当にその場にいるみたいでした』
『俺も見てもらったけど、あれは翳した掌から糸が出てるんだな。で、探りたいやつの体に触れて記憶を探る』
『そういえば白い毛玉を探してもらったんでしたっけ』
『ああ。俺の個人的な悩みも見てもらったけど』
『――それって、今先輩が考えてるっていう?』
『そう。言ってなかったか?』
『聞いてません!』
鶴先輩も言っていなかった。尾白と鶴先輩が何を見たのか気になるところだが、こうして未だに日向との距離を保っているところをみると決定的な答えを見付けるには至らなかったのかもしれない。
そんな風にして日向が尾白とのメッセージを交わしているうちに予鈴が鳴った。日向は尾白に挨拶をして携帯をしまい、慌てて自分の教室に戻る。
知っているつもりでも全く本質をつかめていなかったり、どうしても知りたいのに知ることができないこともある。あえて知らない振りをしている場合もあるだろう。
今知ろうとしていることは一体どれになるのだろうと、日向は足を前に進ませていく。


それから日向は鶴先輩と共に記憶を探る日々を送った。中庭で、階段の踊り場で、緑の園で。たまに場所を変えながら、一つ一つ大事なものを確かめるように辿る。神無月のことには触れずに屋上にも行かなかったが、鶴先輩も聞いてこなかったし行こうとも言い出さなかったので日向はその温情に甘えて日々を過ごした。
以下はそんな風にして日向が思い起こした記憶の断片になる。
ある日、日向は屋上に先に来ていた尾白がいつもより静かというか、放っておいて欲しい雰囲気を放っているのに気が付いた。日向だって意味もなく気が塞ぐ日はある。なので挨拶もそこそこに傍に座ったきり、終始無言でただ空を眺めていた。寒くもなく吹く風もほんの僅かだったので、二人の間は人一人分空いている。日向も没頭して昼休みが終わるまでそうして過ごし、最後に尾白のこの状態がしばらく続くようならここに来るのは控えておいた方がいいだろうと思い確認のため聞いてみた。
「先輩、僕、明日もここに来ていいですか?」
「……ああ、大丈夫だ」
無意識に答えていたらしい尾白は自分の口から飛び出た言葉に驚いて固まっている。日向も驚いた。先程聞こえたのはいつものような許容と投げ槍が同居する、好きにしろの一言ではない。尾白自身の感情からくる明確な意思が込められていた。先程の質問は尾白の不意を突いたのだろうか。
何にしろ尾白の気持ちに触れられたのは嬉しい。日向は尾白へ向かうほわほわした気持ちのまま、明日も来ますねと優しく包み込むように言った。そのままにこにこと尾白を見ていれば、その尾白は顔をそらす。それからそろそろと顔を戻し、小さく困ったように笑った。それによって日向の顔が情けないほどに緩む傍ら、恋心がきゅうんと高鳴り顔が熱くなる。気恥ずかしさと嬉しさに目にも知らず水分が溜まり、その瞳には縋るような色も浮かんでくる。尾白はただ静かに、そんな日向を傍に置いていた。
またある日。その日二人は雲を見てそれが何に見えるかについて話しあっていた。既に昼食は食べ終え、それでもまだ足りぬというように二人が口にするのは食べ物の名前が多い。今は低い円筒形に近い形をしたものが何に見えるか語らっている最中であり、尾白がハンバーガー、日向が大判焼を唱えた。眠気を助長するようにぬくぬくと暖かい日で、ともすると瞼が下りてきそうな陽気である。
「あれ真ん中がちょっと薄く切れてるだろ。あそこが横から見たハンバーガーの具」
「それを言うなら大判焼の継ぎ目にも見えますよ」
どちらも自分の見えているものが絶対だと信じているわけではない。お遊びの会話だ。時に挑発的に、そして時に横にそれる二人きりの会話は愛らしい動物の赤ん坊がじゃれるように続いた。
目を離している隙にまた雲の形が変わっていた。楕円形と平行四辺形の中間のような形。尾白がジャムパン、日向がトンカツだと答えてから顔を見合わせ、どちらも似た種類の笑みを浮かべる。意図的に違う方向の意見を言ってみるのも案外面白いものだった。
「日向って案外食い意地張ってるよな」
「先輩こそ食べるの好きでしょう」
「食い道楽って言葉もあるし、美味しいものを食べるのは人生の潤いだから」
「確かにグルメはいいものです。庶民的な味もいいものですよね」
「B級はB級で出せる味があるよな」

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