Open sesame!15



ちょっと面白そうだともしもの話にやる気になっている日向のポジティブさに鼻白んだのか、尾白は少しの間沈黙する。日向の輪郭を確かめるように見たあと――日向は尾白がたまにそうして自分を見ることを知っていた。今から思えば日向から出ている糸を確かめていたのだろう――にやっと口の端を吊り上げた。
「例えばどんな法則があると思う?」
囁きは何かを企むように低く、密やかに。日向はその声の調子にこっそりとぞくぞくしたものを感じつつ、お遊びの質問に真面目に考え込む。やがて、答えが全部しりとりになっているのはどうかと提案してみた。先輩は、ははあ、とわざとらしく感心してみせてから、しらっと別の案を提示してくる。なるほどそっちですかと日向は残念がりながらも次こそ当ててみせると意気込んだ。尾白が実際にそうしたことをするかどうかは関係ない。あくまで仮定の話なのだ。
そしてそんな一連のやり取りを済ませたあと、そっと合わさった二人の瞳には日向と尾白どちらにも明快に楽しげな色が浮かんでいた。
それから二人によるもしもの話はどんどん膨らんでいき、なぞなぞというよりとんちの方向に傾いた頃、はて自分達は何の話をしていたのだったかと我に返った。当初の目的が忘れ去られた二人の間には、ただ目の前の相手と話に興じていた仄かな熱気の名残がたゆたっている。
見つめあって同じ角度で首を傾げ、先に口を開いたのは日向の方だった。顔の角度を戻して言う。
「ええと――ああ、そうそう、先輩に色々聞いてしまうかもしれないという話でした」
尾白も顔の角度を戻し、そういえばそうだったと思い出す。日向も一緒になってそうでしたそうでしたと繰り返し、二人はそのままなんとなしに見つめあった。
やっぱり先輩は格好いいなあと日向がぼんやり思っていると、尾白の目がやわらかに細まる。まだ尾白のそんな表情に免疫のない日向は首筋まで赤く染まり、俯く。いやそれでもこれは是非見ておくべきだと奮い立ってちらちらと窺うのを、尾白がおかしそうに見ている。決まりが悪くなった後輩が、先輩が格好よすぎるのが悪いのだと責任転嫁するまでそんな時間は続いた。
目の前の尾白の姿がぶれて、次に見えたのはごく薄く白い雲が浮かぶ青。先程とは見える雲の様子が違った。別の日の記憶だ。
その日も日向は尾白の傍で空を眺めていた。言うまでもなく屋上である。言葉も交わさず頭を空っぽにして、目の前の自然の風景に没頭する。陽は出ていたがひんやりと肌寒い日で、風も緩やかに吹いている。日向の忘我の境地は自分が発した唐突なくしゃみによって消えた。思ったより冷えていたらしい。体がぶるりと震える。身を縮こまらせて腕を擦りジャージでも持ってくれば良かったかと思っていると、尾白に名前を呼ばれた。
隣を向くと尾白が片手をあげておいでおいでをしている。意味は分かる。分かるが、従っていいものか迷う。日向が反応に困っていると、尾白は次に床を叩いた。風は尾白の方から吹いている。つまり尾白は自分を風避けにしろと言っているのだ。
「そんな、悪いです。先輩の方こそ寒くありませんか」
言うことを聞かない日向に、いいから、と尾白は強めの声を出す。
「俺は平気だ。風邪引かれる方が迷惑」
そう言い切られては日向も腹をくくるしかない。
失礼します、とおずおずと腰をあげて移動し人一人分空けていたのを拳一つ分にまで詰める。それだけで尾白の側に向けた体の側が暖かくなったような気がしてドキドキした。本当にまずいと思ったら教室に帰れと重ねて言われ、日向は神妙に頷く。それから日向は改めて横を向いた。当たり前だが距離が近い。その事実に少しばかり動揺したのはばれていないと思いたい。
「こっちから風が来た時には僕が壁になりますので、ご安心ください」
「いやそれは……どうだろう」
尾白は日向に風が当たらないように呼び寄せたのであって、風避けにしたいわけではない。それに風避けにするにしたって面積の問題がある。日向では尾白をカバーしきれない。
皆まで言わずとも尾白の言いたいことを把握した日向は妥協案を提示する。
確かに尾白の方が背は高いし体格もいいが、日向とて小柄な方ではない。平均はある。人類は古来から埋めようのない差異をどうやって克服してきたのか。日向は目の前の問題を解決するべく懸命に頭を働かせた。
「僕が立つのはどうでしょう?」
「すぐ傍でずっと見下ろされてるのは落ち着かない」
「ひ、膝立ち。膝立ちならどうです」
「それはそれでシュールじゃないか?立ってるのと変わらない」
「ぐっ、た、確かに」
でも風向きが変わる度にちょこちょこ動き回るのは面白そうだとのんびり呟く尾白に、起死回生の策を思い付いてハッとした日向が、この制服を脱いで尾白にかけたらどうかと提案した。何故こんなにも王道な展開をすぐに思い付かなかったのか、日向も不思議なくらいである。しかし少々自慢げにさえ告げた後輩の案に対する先輩の反応は冷静極まりないものだった。
「自分より寒さに弱い後輩の服を借りるほど俺も鬼じゃないぞ」
ですよねとしか返せない日向の脳裏には諦めも肝心だという文字がちらつく。押しくらまんじゅうという案も浮かんだが、まだそこまで思いきれない日向は体育座りになって心なしか項垂れた。それから顔色を変えない尾白と揃ってそのまましばらく空の観察に戻る。日向の思考がまた青と白の色合いだけになった頃、隣からぽつりと落とされた言葉があった。
「……別にここからじゃなくても雲は見れるし」
咄嗟に尾白に振り向けた日向の視線を気にするでもなく、あくまで独り言の体で尾白は呟く。
「寒かったら廊下からでも見たらいい」
その意味を飲み込んだ日向の声は掠れていた。
「……その時はご一緒してもよろしいでしょうか」
答えが返ってこなくても構わないと思っていたのにそれほど間を置かず好きにしろとの返事がきて、日向は内心ずるずるとへたりこみながらむずむずと体の奥底からやってくる感情に任せて頬を緩める。
先輩は優しいですとしみじみと呟き、立てた膝に腕を乗せて顎も埋める。熱い吐息と共に好きだなあと思う気持ちが溶けていく。そのまますきですと呟けばまたもや相槌が返ってくるので、日向は目を閉じてぎゅっと縮こまった。
日向の周りに流れる空気は尾白の人柄を表すようにじんわりと優しい。この空気に、尾白の世界に触れられていることが嬉しい。まるで許されているようで。
そわそわと浮わつくだけだった恋心が日向の心に、体に、しっとりと馴染んでいく。日向の奥深くに根を張り、成長していく。尾白と会い話すごとにそれは折り重なって馴染んだ色を作る。当たり前になっていく。
海の波間にぷかぷかと浮かぶ心地に浸りながら、日向は体を弛緩させ再び空を見上げる。眼鏡越しの白と青は先程よりずっと深く、鮮やかに見えた。フェンスや校舎も含めて隣にいる尾白の目には一体どう映っているのだろう。尾白のことを知りたいと思う。日向のことを知ってほしいとも思った。
すぐ傍にある気配は心強く、温かで――もう寒さを感じることはない。
どちらもまだ日向が尾白の枕になろうとする前の話だ。


***


ふっと意識が浮上した。目を開き、聞こえてくる音、五感で感じとれる感覚とそれまで認識していたものが噛み合わなくて焦る。自分がいまどこにいるのか、何をしていたのか分からなくなる。
「今日はここまでにしておきましょう」
そう囁いた鶴先輩の一言で日向の不安定だった自意識はようやく安定を取り戻した。
まるで深く潜っていた水底から急浮上したよう。目の前にいる鶴先輩は既に腕を下ろし、自身の膝の上に両手を揃えている。日向は差し出していた手を握っては開く。感嘆の溜め息が漏れた。他の生徒達の会話が微かなざわめきとなって中庭の空気を渡っていく。
「すごいですね。記憶の再現というか、夢でも見ているみたいだ」
過去に起こったことをほぼ体験できた。それも時間にしたらほんの僅かときているから、探し物の件でもそれ以外のことでも彼女の能力を目当てに生徒が列をなすのも納得と言えた。
鶴先輩は口許に控えめな微笑みをたたえつつ、その実その瞳には興味深そうな煌めきを宿している。
「驚いたのは私もですわ。普段ならもっと時間がかかったり、見られる記憶も不鮮明だったりしますのに、あなたの場合はむしろ私の方が引き出されている感じがしましたもの」
と、今までのことを思い返すように校舎で区切られた空を見上げる。ふっと淡く息を吐いた。疲れたのかもしれない。
鶴先輩が言ったことが本当ならば、日向は催眠術の類いがかかりやすい体質なのだろうか。日向も鶴先輩にならって空を見上げる。はっきり何がとは言えないが、尾白と見る空とは何かが違う気がした。それに今日の天気は記憶にあったものより温くて湿っぽい。
顔の角度を戻した鶴先輩が、それにしてもと頬に手を添えて悩ましげに首を傾げる。肩からかかった長い黒髪がさらりと流れた。
「分かっていたことですけれど、この方法ではあなたの悩みをすぐに解決するのは難しいようですわね」
それでもより的確な状況の整理と客観的な視点での見つめ直しのためによければ今後もやってみないかと鶴先輩が提案するのを、日向は喜んで受け入れる。
「その意気ですわ。駄目元ですもの。やれることはどんどんやっていきましょう。……気持ちが負けたら、終わりですもの」
今にもファイティングポーズをとりそうだった鶴先輩の勢いは、最後の一言を付け加える時には落ち込んでしまっていた。それでも日向が何か言う前に鶴先輩は強いて笑顔をみせ、明るく振る舞う。
「根性と粘り強さは欠かせないものでしてよ。継続は力なりとも申します」
後輩に先輩らしい余裕をみせた彼女に日向はあえて何も聞かず、今度ともよろしくお願いしますと頭を下げた。先輩もこちらこそと頭を下げる。
「さて、ではお約束通り私の好きな人のことについてお話し致しますわね」
こほんと咳払いし、鶴先輩は語りだす。

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