花結び11



気持ち慰めるような口調になったが生真面目に頷く日向に落ち込みの色はない。
そして日向は改めて尾白に膝を進めてきた。
「先輩は、糸が見える原因を知りたいと思いますか?」
無言で見つめ返す尾白へ日向が更に言い募る。
「それとも糸が見えなくなればいいと思いますか?」
「……正直言うと、どうでもいい」
要るも要らないも無い。尾白はとうに自分の意思に関係なく見える糸の束を、いつも通り受け流すことに決めている。日向が言うような段階には既にない。後輩はそれ以上しつこくせず、素直に引いた。
「では気持ちが変わったら教えてください。その時はお手伝いしますので」
体調についても何か異変があったらすぐに連絡をくれと言う。
「まあ、気が向いたらな」
そんな曖昧な返答にも日向は嬉しそうにした。
それから、そういえば自分にも糸が発現しているのかと自らの手を確かめる後輩へ、本題はこれからだと尾白は場を仕切り直す。
糸のことを話したのはそれを前提とした予備知識を入れておいた方がこれからする話もしやすいし、通りやすいと思ったからだ。尾白は遠慮なく切り込む。
「お前、嫌がらせされてるだろ」
「――な、にを根拠に?」
ぎこちない反応が何よりの答えだった。日向は基本的に嘘がつけない。ついてもすぐにばれる。尾白は制服のポケットから紙を取り出し、後輩に見せる。それは昨日拾ったプリントであり、動かぬ証拠でもあった。
「これ、お前のだろ」
「……そう、みたいですね」
「ゴミ箱に入ってた」
「間違えて捨ててしまったんでしょう」
「隣のクラスのゴミ箱にか?」
じっと見ていると目をそらす。そのまま黙秘を貫くので、尾白は日向の肩を組み耳にふうっと息を吹きかけてみた。小さく悲鳴を上げて逃げようとするのを、日向の頭を抱え込んで耳のすぐ近くに口を持っていきそのまま低く囁く。
「早く認めないと噛んじまうぞ」
これみよがしに歯を噛み鳴らしてみせれぱ、腕の中の後輩の体がぞくぞくと戦くのが分かった。それでも耐えているのでとうとう甘噛みしようとすると、日向はとうとう白旗をあげる。
「わ、分かりました!分かりましたから!それは僕がなくしたと思ってたプリントです!捨てたんじゃありません!」
言質が取れたので日向を解放してやれば、後輩は項垂れて息を切らしている。しかしこちらを睨む恨めしそうな目付きにも、微量ながらむしろご褒美ですといった色があるのを尾白は見逃さなかった。
「……先輩は意地悪です」
拗ねたような日向の訴えにふふんと尾白が開き直れば、そんな大人げない先輩に日向は気の抜けた笑いを溢し、次に尾白が手にしたプリントを憂鬱そうに見やった。
それから日向がぽつぽつと語ったところによると、最初は筆記用具から始まったという。日向も始めのうちは自分のうっかりミスだと思っていたのだが、どうにもなくなる頻度が高い。十分に確認し、念のため家で鞄に入れた様子を携帯に撮ってみても学校に行くとなくなっている。そして徐々にプリントやノート、時には学級委員としてメモしたものにまで被害は広がり始める。さりげなく周りに聞いてみても、クラスの中で日向のような被害にあっている生徒はどうやらいないという話だった。
相手からの意思表示はなく、ただ淡々と身の回りのものが無くなっていく。こうして一度なくなったものが出てきたのは初めてのことらしい。
「ゴミ箱にあったんですね」
「そうだな。見つけた時の話聞くか?そいつが犯人かどうかは分からんが」
「……僕自身、自分が絶対に人に好かれる人間だとは思っていません。でも我慢していればいつか飽きて止めてくれるんじゃないかと、それだけを期待して黙っていました」
「でも止まらなかった」
「はい。そして先輩に知られてしまった。……もう、潮時なのかもしれませんね」
日向は寂しそうに言う。
「このまま放置していてはいつ先輩に迷惑がかかる分かりませんし……犯人、という言い方は好みませんがこの際はっきり言いましょう。“犯人”の方もこのまま続けていてはいずれ取り返しがつかなくなる。……今のうちに、止めさせるべきなのでしょうね」
そういう言葉の割に日向にまとわりつく躊躇いの色は消えなかった。
尾白はその日向が語る懸念のなかに、まるで当事者である日向自身が存在していないかのような口振りが気になった。そして日向が語る犯人にどうやら想定している人物がありそうだとも。
その証拠に尾白がプリントを発見した時の状況を伝えていくと幾らかほっとした様子をみせ、次に話し手を交代して尾白が日向に今までにあった異変の詳しい状況や時間を聞き出していくと後輩の口は固く重くなっていった。やはりこの後輩は具体的な犯人の心当たりないし目星がついており、そしてできることならその人物を庇いたいのではないか。
つまりこういうことかと尾白は日向の途切れがちな報告をまとめる。
「異変が起きるのは学校に限る。それもほとんどの場合が教室。ということは日向の教室に簡単に出入りができ、かつ不審な動きをみせても誤魔化しが効くか、そもそも不審とも思われない人物」
あえて迂遠な言い方をすれば日向が何とも心許なさそうにする。しゅんと垂れ下がった耳や尻尾まで見えるようで、これではこちらが悪いことをした気分になる。尾白に分かることが当事者の日向に分からぬはずもないのだ。
しばらく俯いて黙っていた日向が苦渋の色を乗せてゆっくりと口を開いていく。
「複数犯か単独犯かは分かりません。ですが、お察しの通り実行犯は僕のクラスにいると思います。……そして、その――“犯人”、ですが」
「日向、待て」
尾白は厳しい声で割って入りその先を言わせなかった。その代わり後輩にこれまでと違った方向性の謎を提示してみる。
「さて、日向くんに問題です。何で俺がこんな柄にもないことやってるんでしょーか?」
効果音もつけてクイズ番組のようなノリで言ってみるも、肝心の回答者である日向は急な方向転換についていけずしどろもどろになっている。
「え?あの、――それは、先輩が」
「優しいから、なんて言うなよ?お人好しも違う。俺は熱血漢でも正義漢でもない。ましてや人格者でもない」
短い付き合いのお前でも分かってるだろうけど、と一年の教室前の廊下で盗み聞きした内容をあえて誇張や美化として位置付け、それを壊すような言葉を選ぶ。尾白が注意深く観察する日向に失望や落胆の色はない。
「じゃあ、どうしてですか?」
更にいつものように真っ直ぐに尾白と対峙し純粋に問うた日向の夕焼け色の瞳の奥には、些かの揺らぎも見られない。尾白は小さく笑い、決まってるだろとふてぶてしく答える。
「俺のためだよ。ここで雲を見るのは俺が好きでやってることだ。そんな俺でもここにお前が来るのは……まあ、悪くないと思ってる。弁当にもありつけるしな。それが邪魔されるのが嫌だからこんな柄にもないことやってる。俺がそう思うくらいなんだから、“そいつ”か“そいつら”なのかは分かんねえけど、そっちもそう思ってくれる可能性は高いんじゃないか?」
「……そう、ですかね」
「“可能性”だけならな。なんならお前の強引さに“そいつ”を巻き込んじまえばいい。お前のしぶとさとしつこさは俺が保証する」
尾白はさきほど日向が尾白への論拠にした“可能性”を強調し、まあ向こうが嫌がらなければの話だけどな、と余計とも言える一言を付け加える。
日向はそんな尾白を眩しそうに見つめ、歪でぎこちない、泣き笑いの表情を浮かべた。それからしみじみと、やっぱり先輩は優しいですと呟く。
尾白はそれを聞かなかったことにして、それまで格好つけていた反動から一気にだらしなく弛緩した。そんな尾白の横からやわらかく染み入るような笑いが隣から届く。どうにも締まらないが、束の間そんな空気に身を委ねて雲を見るのは先程日向に言った通り悪くない時間だった。
日向が使いますかと腕を広げて自らの体を指し示してくる。必要とあらばいつでも枕としてどうぞという意味で、尾白はちょっと悩んでから残りの休み時間をみていけるようなら頼むと後輩の提案を受け入れた。
思いもよらず提案が受け入れられた日向は俄然生き生きとして纏う雰囲気が明るくなる。先程までの陰りは見られない。どうやらこの後輩も“犯人”と向き合う覚悟ができたようである。
「その“犯人”の動機だけどな、俺はこう考えた」
すっかりだらけて覇気のない尾白の自説披露を、寄り添うようにして傍らで聞く日向の眼差しはこちらが気恥ずかしくなるほど優しく、またその奥にはいつか尾白が見た芯の強さも含んでいる。
尾白は三本の指を立てた。
「一つ目、さっき話した変な能力に目覚めたやつが他にもいて、そのとばっちりを受けた。もしかしたら自覚なくやってるやつもいるかもしれない」
俺も無意識にやってるかも、と付け加える。尾白は一つ目の指を折り、残るは二つ。
「二つ目、俺の傍にいるから。何かと目立つらしいからな、俺は」
尾白のファンか、逆に尾白を快く思わない人間か。徳さんに聞いたところ尾白のファンは静かに見守るタイプが多いらしいが――そして日向との関係を諸手をあげて歓迎してくれているらしいが、嫌な方向に実行力のある人間がいないとも限らない。日向はそういったことも織り込み済みで尾白に接触したという。黙って耐えていたのもそうした決意によるものか。――いや、“その結果がどうなろうと構わない”だったか。

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