59


「――ゆゅがここでバイトはじめてすぐくらいの時にね、インカレサークルの幹部ってゆうお客さんが来たの。その人から『学イベのメンバー集めてるから来ない?』って誘われて行ったんだぁ」

それはナイトクラブで行われたイベントだったそうだ。二か月に一回、定期的に行われているらしい。
イベントとはいっても、ただそこで飲みながら他大学の学生と交流する、というだけの集まりである。
糸雨がその話を聞いた限りでは、言葉巧みに女子大生を集め、それを餌に男から高い参加費をせしめる、といったあまりたちの良くない集まりのように思えた。
一応サークルでVIP席も借りるそうなのだが、全員が座れるわけではなく、いわゆる幹部連中のための席だそうだ。
幹部に気に入られ、その席に呼ばれることがある種のステータスとなっているのだとか。

席に入れない者はフロアにいるしかないが、クラブにはもちろん一般の客もいる。
となると、そういった客とのトラブルも当然孕んでいる。ワンナイト、闇バイト斡旋、違法ドラッグ、ホストへの客引き――。
ゆゆのこの調子では簡単に騙されそうだ。関が心配する気持ちも分かる。

「今月のイベ行った時に、病みかわの子と仲良くなってぇ。まみりってゆーんだけど。で、めっちゃ飲んでたら、まみりから紹介制の特別な場所があるから行こって誘われたの。かなちゃんはいつも変な男についてくなってゆうけど、まみりは女子だし危なくないし」

そうやって同性を使って対象の警戒心を解き、最終的に犯罪に巻き込む手口もあるのだが。
思わず口を挟みたくなった糸雨だったがぐっと堪えて、曖昧に頷いた。彼女はご褒美ドリンクを一口飲んでから続けた。

「そこね、今月開いたばっかのスピ系のお店でね、ゆゅ、そん時ちょっと病み入ってたし、占ってくださいってお願いしたんだぁ。でぇ、そこの占い師さんが『姫』って呼ばれてたの」
「占い師?」

ゆゆはその『姫』がいかに美しく神秘的か熱心に語りはじめたが、糸雨はそれをなんとか止めさせ、肝心の内容を聞き出した。
占い自体はそれほど目新しいものではなかったという。カードを使った占いで、そのカードが花札のような変わった柄をしていたくらいで。
あなたは悩みがありますね、友人関係ですね、恋愛運も良くないですね……そんなありきたりな内容で、しかしゆゆは「当たってる!」と目を輝かせた。

そうして占いの最後に、「誰にも秘密のおまじない」を持ちかけられたのだという。
占い代とは別で五万円と聞いて驚いたものの、手持ちがないと言ったら値下げして一万円、そして足りない分は血を採られたそうだ。
どう聞いても怪しい。それなのにゆゆはその異常性に全く気が付いていないようだった。
店の雰囲気に呑まれてそれらを承諾したのだろうが、普通なら考えられない行動だ。
その『姫』が術者なのかただのお飾りなのかは彼女の話からは判別できなかった。

要点だけ話してくれればいいものを、話がしょっちゅう横道に逸れるうえに余計な雑談も多いので、彼女の話し相手はなかなかに大変だった。
店が混めばさっさと切り上げることができたのだが、週の中日の昼すぎとあっては客足も少なく、ご褒美ドリンク三杯分まるまる独占状態にあった。
最終的に占いの店の場所を聞き出して、糸雨はようやく歓楽街から解放されたのだった。


この時点でかなり時間が経っていたので、駅のホームで電車待ちの間に仲介屋の事務所に電話をした。
それというのも糸雨が大学に行っている間、八荒丸を事務所に預けているからだ。
常に従業員がいるため窓から出入り自由であるし、見た目は愛らしい小鳥だからか若様は何かと彼らに可愛がられているらしい。
ときおり大学に着いてくる日もあるものの、けっきょく退屈だと言って事務所の方にいることが多い。
ワンコールで電話に出た従業員に「これから用事で出かけなければならないので、もう少し若様を預かっておいてほしい」と頼めば、すぐさま了承の返事があった。
いま八荒丸は動画を見るのに夢中らしく、早く迎えに来いとは言わなかった。呪詛に関わることを一色から禁じられているため、バレずに事を進めたい今は実に好都合だった。


ゆゆから聞き出した件の場所というのは少々離れたところにあった。電車を一回乗り換えて、県をまたぐかどうかといった境目だ。
都内の賑やかさを残しつつ、繁華街というには物足りない――そんな街である。
カフェで時間を取られたせいで、当該の駅に着いた頃には逢魔が時に差し掛かっていた。

店は紹介制とのことだったが、ゆゆはあくまで客で、『紹介する側』にはなり得ないだろう。
まみりという女に接触することも考えたが、それはさすがに術者側に怪しまれそうだった。回り道をしている間に逃げられては元も子もない。
もしかしたら、ゆゆが交換したというその女の連絡先もすでに消されているかもしれない。
呪術師の手先か、あるいはそうと知らず駒として使われていただけか――。
何にせよ、その店が在ることを一刻も早く己の目で確認したかった糸雨は、足早に改札を出た。



「――ここか」

新しい建造物の間に建つ大きめの駅前ビル。昔ながらと言えば聞こえはいいが、周囲と対比してかなり古びた印象を受ける建物だ。
七階建てで、地下と一階に居酒屋等の飲食店、二階から五階はテナントが入り、六、七階はオフィスが入っている。その五階に、例の店があるという。

エレベーターに乗り五階のボタンを押す。同乗の客はおらず、途中の階で止まることもなくチンと軽い音を立てて上昇が止まる。
狭い箱から外に出れば、薄暗い通路が横に続いていた。
低い天井の下、青白い照明に照らされた通路を挟むようにして小さな店舗が並んでひしめき合っている。
四階までは八割方埋まっているようだった店舗も、この階はずいぶん閑散として寂れていた。
シャッターが下りている場所も多く、それでも語学教室、喫茶店、消費者金融、マッサージ店、雀荘と、一応開いている店もあった。
ところが奇妙なことに、開いているだけで客の気配が一切感じられない。

鬱々と青白い、細い通路を慎重に歩く。
まっすぐかと思えば右に左に折れ曲がり、数分前に見たばかりの店を何度も通りかかり、シャッターの下りた壁はどれも似た景色でいやに方向感覚が狂う。まるで迷路だ、と糸雨は思った。
無人の通路に下駄の音が反響し、異様に大きく響いてはあとから追いかけてくる。握った拳の内側がうっすら汗で湿った。

ひとつひとつつぶさに店を確認していったが、それらしい場所は見当たらなかった。
ふと、もしかしたら何かの術がかかっているのかもしれないと思い至った。
糸雨は次の角を曲がる前に、下駄で床をカンと強く打ち付けた。邪気払いの四股に通じる、簡易的な力足だ。
そうしてから角を曲がれば、案の定、先程までぐるぐると巡っていた通路が様変わりした。

シャッターの下りた貸店舗の中間に一つだけ開いている店がある。糸雨はホッと胸を撫で下ろすと大股でそこへと歩を進めた。

開店しているとはいえドアは閉じており、店名の看板もない。店舗の壁は窓もなく、中の様子を少しも窺えない。
そのかわり、入り口の横にはアンティークの椅子がぽつんと置かれていた。そこには一抱えほどの大きさのテディベアが座り、肩から『OPEN』の札が下げられている。
ぬいぐるみは薄紫のふわふわした毛で、首に水色のリボンが巻かれている――匂い袋と全く同じ色合いだ。ここが例の占いの店で間違いない。

(……ってことは、こいつは『門番』だな)

テディベアの黒くつぶらな瞳がどこかを見ている。糸雨のことも当然視ているだろう。
客として招かれていない糸雨がここでドアを開けたなら、門番から何らかの制裁を受けるおそれがある。かといってここまで来て何もせず帰るというのもできはしない。
天井、通路、両隣と背後のシャッター店舗をぐるりと見回す。
門番以外の厄介そうな術がかけられていないことを確認してから、糸雨は押戸の取っ手に手を伸ばした。

ところがその瞬間、内側からドアが開いた。
驚いて目を瞠ると、中から白髪頭の上品そうな老婆が姿を見せた。

「どうぞ、中へ。姫様が、あなたをお通しするように、と」

しわがれた声でゆっくり喋った老婆は、いかにも使用人然としたお仕着せを身につけていた。コンセプトカフェとは格の違う、本物の女中といった衣服と物腰だ。
糸雨は呆気にとられつつも、相手から筒抜けであったこと自体にはそれほど驚かなかった。
老婆のあとについて店内に足を踏み入れる。
入ってすぐの一室は、黒に近い濃灰色の壁に金の装飾が施された、バロック調を模した部屋だった。
内部はそれほど広くはなく、蝋燭色の照明がより荘厳な雰囲気を醸し出している。
外からは全く予想のつかなかった内装に度肝を抜かれた糸雨だったが、老婆がその部屋を素通りしたので立ち止まることなくついて行った。

奥の壁に突き当たると、老婆は天井から垂れ下がった金色の紐を引いた。すると、部屋と部屋の間を仕切っていた紫色の天鵞絨のカーテンが真ん中で割れた。
割れたカーテンから横に一歩引いて道を開けた老婆は無表情で、「どうぞ」と糸雨を次の部屋の中へと促した。
恐れ半分、興味半分で糸雨は間仕切りを潜った。
次の間も同じような内装だったが、奥の壁際にアンティークの角テーブルと、それを挟む二脚の豪奢なソファがあった。その一つに誰かがゆったりと腰かけている。

糸雨はその人物を見た瞬間、人形だ、と思った。

丸みを帯びたやや幼い顔立ちは、一瞬見ただけでも印象に残るほど美しく整っていた。だが、その肌は血が通っていないかのごとくに白すぎる。
白面を囲む前髪とサイドの髪は真っ直ぐに切り揃えられ、胸あたりまで垂らされた長い後ろ髪は、毛先だけ緩く波打っている。
髪色は艶を消したような闇より深い黒で、ラベンダー色のインナーカラーが見え隠れする。

濃い睫毛に縁取られた瞳は大きくも眠たそうに気怠い眼差しで、しかし鮮やかな水色だ。
小さく形が良い唇は、内側から血を滲ませたような口紅で彩られて可憐に艶めいている。

さらに印象的なのはその衣服だ。立襟と二列に並んだ前ボタンのかっちりした仕立てで、軍服と制服の中間のような特徴を併せ持った、青みがかったグレーのドレスである。
スカート部分は大げさに広がり、前面二ヶ所に切れ込みの入った布地の合間に、薄紫と白の濃淡のレース生地がのぞいている。

服と同色の大ぶりのリボンを乗せた頭がゆらりと動いたことで、糸雨はそれが人形ではないとようやく気がついた。
これが『姫』だ。一目で分かった。お飾りでも何でもない、術者本人に違いない。
なぜなら彼女と相対した瞬間から、薔薇の棘を彷彿とさせる鋭くも強力な霊力の圧が肌に突き刺さっている。
言葉を失ってただそこに立ちすくむ糸雨を上から下まで眺めた『姫』は、おもむろに小さな唇を開いた。

「まさか使婢(つかわしめ)の手引きなく、僕の城に辿り着く奴がいるとはな。――貴様、本当に人間か?」

低い女声か、あるいは高めの男声か。そんな倒錯的な少年声が、糸雨に冷たく浴びせられた。


prev / next

←back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -