58


件の友人からの返事待ちの間に、念のため糸雨は関を保健室に連れていった。
彼女はしきりに「大丈夫です」を繰り返していたが、そこで診てもらった結果、足は捻挫で腫れていた。さらに脛も打ち付けていたらしく、歩けなくはないが若干難儀するようだった。
最近よく転ぶ、というのは誇張でなく言葉の通りだったようで、それらが積み重なった末に決定的に足を痛めてしまったのだろう。
とはいえ程度としては軽く、二、三日もすれば良くなる見込みとのことだった。

合間合間に件の友人の人となりを聞いたのだが、関の語り口からは「明るくて話上手の楽しい人」という印象しか受け取れなかった。とても他人を呪うような人物像ではない。
少なくとも関は友人に好印象を抱いている。「時々考えなしな面もあるから心配してる」と本音を漏らすところからして、かなり親しい間柄に思われた。
『真の呪いは言霊に宿る』――主の教えに従い、彼女には呪詛の存在を悟らせずおくびにも出さず、糸雨はひたすら聞き役に徹した。
一通り話したあと、他大学に通っている関の彼氏がここまで迎えに来るとメッセージが届いたというので、そこで彼女とは別れた。

関から入手した住所は都内の繁華街だった。大学からそれほど離れていない。
件の友人のシフト開始までまだ少々間が空いている。かといって改めて講義に出る心境でもなかった。
正直、関から預かった呪い袋から発せられる悪臭はすさまじく、どこへ行くのも躊躇われた。
常人ならこれを芳香だと感じ誰も気にも留めないだろう。が、そうと分かっていても気が滅入る。
スマホやお金、学生証など貴重品を入れている袂落としに呪い袋をそっと押し込んだ。

糸雨は別キャンパスをあとにして、いったん本学舎に戻った。
部室に行くと、室内にもうほとんど人はおらず後輩らもとっくに帰ったという。彼らに会わなかったのは幸いか。
ともかく、教科書や文具類の入った麻の布鞄を部室に置いて、身軽になってから関の友人のバイト先へと向かったのだった。



「カフェ……?」

指定された場所に来たところで、糸雨は呆然と呟いた。
繁華街どころか風俗街だ。店の方も、単語から想像していた店構えとまるで違っていることに戸惑いを隠せない。
もう一度スマホで住所を検索し、ついでに店名を調べた。
するとそこは、コンセプトカフェと銘打ってはいるものの、昼遅い時間から夜中まで営業しており、ほぼガールズバーという水商売ギリギリの店だった。

主という想い人がいる身であるので、こういった店は興味もなければ人伝にしか聞いたことがなかった。
やや気後れたものの、糸雨は薄暗い通路を通ってドアを開けた。神域の門を潜ることに比べればどうということもない。

店内に足を踏み入れた直後に、軽快な音楽に紛れて来客歓迎の声が上がった。
店の中は思ったより明るく、バーカウンターに椅子がずらりと並んでいる。従業員らしき若い女が一人そこに立っており、フロアの方にも三人いた。
彼女らは皆それぞれに過剰なフリルの装飾の施された、安っぽいコスプレ感の強いメイド服を身に纏っている。色とりどりのそれは舞台衣裳さながらだ。しかも頭には、作り物の動物の耳がそれぞれ付けられている。
まだ開店したてらしく店内に客は少ない。そのせいか、従業員の女性たちから値踏みをされるような視線が一斉に突き刺さった。普通は逆ではないだろうか。

糸雨が適当なカウンター席につくと、さっそくキャストの一人が前に立って声を掛けてきた。

「お帰りなさいませ、ご主人様!お飲み物は何にしますか〜?」

ずっと主の側仕えとして頭を垂れる立場だっただけに、「ご主人様」などと呼ばれるとひどく居心地が悪い。腕にうっすら鳥肌が立つ。
もしや店にいる間はこの茶番に付き合わなければならないのだろうか――そう思うと早くも後悔が押し寄せてきた。神域に入る方がよっぽど簡単だ。
それでも気を取り直した糸雨は、和やかな態度で兎耳の彼女に話しかけた。

「申し訳ないんだけど、ゆゆさんって子はいるかな。その子とちょっと話したいんだけど」
「あ、えっと、その子は今日……」

糸雨の前に立ったキャストは困ったような顔をしつつ店の端に視線をやった。つられてそちらへと顔を向ける。
すると、壁際にいた女子がパタパタと小走りに近寄ってきたではないか。

「えっえっ、ゆゅにゃはここだよっ!えっうそ何で!?やば、おにーさんビジュ強っ!」

彼女は急いでカウンター内に入ってきたかと思えば、糸雨の前にいた兎耳の子を押し退ける形で前に立った。
ほぼ金に近い明るい茶髪をツインテールに結い上げ、淡いピンク色のメイド服を着ている。
スカート丈の短いそれはメイド服というより、ドレスといっていいほど大袈裟なリボンとフリルがこれでもかとついた衣服だ。
頭には白いレースの重なった猫耳付きのカチューシャまで乗っている。
彼女は満面の笑みを浮かべると、両手を可愛らしく合わせた。

「かなちゃんのラインで聞いてるよっ。こんなに早く来てくれると思わなかったからぁ、ゆゅにゃびっくりしちゃった」
「ちょっと何もう、痛客だからゆゆはいないことにしてって言ったのあんたじゃん」
「ごめーん勘違い!お友達からの紹介の、ゆゅにゃの大事なご主人様だよっ」

店内で揉め事はご法度とばかりに、最初のキャストはそれ以上何も言わずに離れていく。ちょうど別の客が来店したので彼女はそちらの接客にうつった。
システムとして四十分飲み放題が基本だというので、糸雨は無難にソフトドリンクを注文した。
ドリンクを用意しながらゆゆが機嫌良さげに勝手に話しはじめる。

「かなちゃんがぁ、ゆゅにゃとお話したい先輩がいるって言ってたからぁ、てっきり陰キャオタク君かなって思ってた。ゆゅにゃって、そぉゆーナンパ多いんだぁ」
「誤解させたみたいでごめんね。ナンパじゃないから安心して」
「全然っ!ぜーんぜんだよ!え〜来てくれてうれし〜。ゆゅにゃと先輩、前にどっかで会ったかなぁ?」
「いや、ないよ。――俺が話したいのは、これについて」

袂落としから例の匂い袋を取り出してカウンターの上に置けば、ゆゆは途端に不機嫌そうに顔を歪めた。

「きみが関さんにあげた物だよね、これ」
「そぉだけど……なんで先輩が持ってるの?」

もしかしたら、これが何かを知らずに関に渡した可能性もあるかと思った。しかし、この反応ではこれの効用を知っている。
呪詛と分かっていて関に渡したのなら話は早い。無駄な探り合いなど必要ない。

「もらったか買ったかどっちでもいいけど、きみはこれを、誰から受け取った?」

単刀直入に切り出せば、ゆゆはツインテールの毛先を握っていじり始めた。

「そのへんのお店でテキトーに買ったやつだし、ゆゅにゃ覚えてなーい」
「一週間前に渡したばかりの、友達の誕生日プレゼントなのに?」
「覚えてないもん」

嘘だな、とすぐに知れた。
後ろめたいものがあるのか、ゆゆはカウンターの上の匂い袋を取ろうとした。
そうなる前に糸雨はすかさず小袋をサッと取り上げ、声音を落とす。

「俺が知りたいのはこれの出所だけ。きみが何を思ってこれを関さんに渡したかなんて、理由は聞かないよ」

笑みを消して告げると、ゆゆは不貞腐れた表情で横を向いた。

「……だって言っちゃダメなんだもん。誰にも秘密だって、『姫』との約束だもん」
「姫?」

無意識に口を滑らせたのか、糸雨に聞き返されたゆゆは「しまった」と言わんばかりの顔をした。

「姫って誰?」
「なんでもない!違うんだから!かなちゃんがいらないって言ったの?だったらゆゅに返して!」

糸雨の同級生の時と同じだ。呪詛についての知識が全くない。
いま呪い袋を返したら、それはそのまま呪詛返しと見なされ彼女の身に全てが、否、最悪倍の火の粉が降りかかる。
カウンター越しに伸ばされた手を避けつつ、糸雨は呪い袋を袂に戻した。

「関さんはこれを喜んで身につけてたよ。友達からのプレゼントで、気に入ってるって」
「……だって……っそんな」
「これは、本来ならきみみたいな子が手を出しちゃいけないものだ。こんなことをするくらいなら、正直に不満を関さんに言うか、いっそ彼女と離れた方がいい」

言いながら、そう簡単に白黒つけられないのが人間関係というものだということも分かっていた。
彼女らの間柄など表面上では真に推し量れないし、他人からは見えない根深い確執があろうことも分かる。
それでも何となく、こんな小さな袋一つで壊していいようなものでもないと思った。そうするなら己の言葉で真っ当に向き合ってほしいとも。
ところがゆゆはそんな忠告などどこ吹く風で、桃色の唇に人差し指を当てて首を傾げた。

「先輩むずかしーことばっか言ってて、何のことか、ゆゅ分かんない」

あくまでしらを切るつもりなのか。
糸雨はカウンターにやや前のめりになって彼女に近づくと、笑みを作ってもう一度ゆっくり問うた。

「このサシェをどこで手に入れたか。俺が知りたいのはそれだけだよ」
「え〜……あっ、じゃあ、先輩がゆゅにゃの彼氏になってくれたら教えたげる!」
「ああ、悪いけど俺、女の人駄目なんだよね。彼氏もいるし」

これは、糸雨が周囲からのアプローチをかわすための常套句だった。
嘘ではないが厳密には真実と異なる。主と恋仲になるのは一年半後のことだからだ。
糸雨の言葉にゆゆが絶句した。今まで彼女に近づいてくる男は異性愛者だけだったのだろう。ゆえに勝算があったのだと思われた。

この程度の安易な取引を持ちかけるくらいだ、これ以上の有益な情報は望めまい。
そもそも、そう簡単に術者に辿り着けるとは思っていない。『姫』という言葉を引き出せただけでも御の字だろう。
長居は無用とばかりに、糸雨は、一口も飲んでいない飲み放題の清算のために袂落としをさぐった。

「まあ、どうしても言えないっていうなら無理強いはしないよ。飲み物ありがとう。それと、余計なことかもしれないけど……関さんは、きみにとって大事にした方がいい人だと思う」

老婆心ながらそう付け加えると、ゆゆは化粧も透けるほど顔を真っ赤にして唇を噛んだ。
その豹変ぶりに、糸雨は少し驚いて袂に入れた手を止めた。

「だっ……だって……」
「うん?」
「だって……!ゆゅ、二年生になれなかったの、かなちゃんはゆゅが遊んでたせいだって責めるし、ちゃんと勉強しなよとかうるさいし、でもゆゅはかなちゃんみたいに頭良くないし、バカだし……危ないバイトやめてってかなちゃん泣くの意味わかんないし、パパ活だってやめさせられたし……かなちゃんなんかっ、昔いじめられてたくせに偉そうにして何様って感じだし、かなちゃんよりゆゅのが可愛くてモテるのに、なのにかなちゃんは医大生の彼氏とか、作っちゃって、だからゆゅと前みたく遊んでくれないし、ゆゅ、かなちゃんと一緒に卒業できないのやだし、ゆゅは、だって……!」

急に早口でまくしたてられ、糸雨は目を丸くした。
彼女は関に対し、単純な恨み妬みではなく様々な感情が入り交じっているらしい。
しばし興奮で震えていたゆゆだったがそれも一過性のものだったようで、すぐに呼吸は落ち着いた。
鬱憤を吐き出して多少なりともすっきりしたのか、彼女は衣装に似合いの甘ったるい笑みを浮かべた。そうして口元に手を当てて囁く。

「――ご主人様。ご褒美ドリンク、ゆゅにゃにちょうだい。いっちばん高いやつ!……そしたら『姫』のこと、言いたくなっちゃうかも」

ご褒美ドリンクはキャストにドリンクを奢るシステムだ。
糸雨は席から半ば浮かせていた腰をもう一度下ろし、もちろん快諾した。


prev / next

←back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -