「え?でも七海さんに渡したチョコは本命なんスよね?」

 扉に掛けた手を引っ込めながら、声を出さずに息を吐く。事務室の前、暗がりの廊下で私は腕時計に視線を落とす。19時。時期的にはまだ月初と言えなくもない、補助監督や事務方には片付けるべき業務が山積みなのだろうと察するのは容易い。が、雑談に興じるのであれば帰路についてもらいたいと思う。少なくとも、高専に戻ってくる可能性のある人間の話をするのであれば。

「……本命じゃないよ」

 なんとも煮え切らない声音で言ったのは、やはりというか、予想通りの人物で。じゃあ義理?と尋ね返す新田さんの声に「義理じゃない、けど」と言葉が続く。聞き耳を立てるなど感心しないと、心が脳に告げ続けているというのに、私の足はその場を離れようとしない。彼女はおそらく、この扉の向こうの自分のデスクで、新田さんに、困ったような笑顔を向けているのだと思う。

「本命でも、それを伝えられないなら、どっちでも関係ないと思う」
「……なんで、伝えられないんスか?」
「七海さんを困らせたくないから」

 存外すらすらと紡がれたその言葉に、新田さんの「えー?」という不服そうな反応が続いたのがわかった。ふと、背後に人の気配を感じ取り、私は音を立てずにその場から離れた。正面からあぁ七海さん、と声を掛けられる。

「伊地知くん、お疲れ様です。まだ残るのですか」
「いえ、そろそろ切り上げます。七海さんはどうしてここに?」
「報告書を届けに。明日は代休を取るので……ここできみに渡しても良いですか」
「ええ、良いですよ。わざわざありがとうございます」

 伊地知くんの差し出した手にファイルごと報告書を載せると、ではここで失礼しますと告げ、私は彼の横をすり抜け歩を進めた。お疲れ様ですという声を背中で受ける。
 先の彼女の言葉を繰り返し脳内で咀嚼する。本当はそんな不毛なことをしたいわけじゃない。彼女の言う通り、私にとっても、どちらだって良い事だと理解している。贈り物は、贈り主に全てを決める権利がある。グレードも、そこに載せる想いも。彼女は遠慮して、私に接しているのか。私を困らせないラインを見極め、その内側から笑いかけてくれているのか。

(…………、困らせているのは、私か)

 では、私もそうすべきだろうか。彼女が不毛な感情を抱かぬよう、期待させるような贈り物を選ぶような無駄な行為は、止めるべきだろうか。――勝手だ。私が勝手に、その笑顔が私にも向くことを期待している。もうずっとわかっていたことだ。贈り物は、贈り主に全てを決める権利がある。喜んでほしいと考えを巡らせるのは、期待をするのは、私の勝手だ。

「あ、七海さん。おはようございます」

 休日明け、彼女の名を呼び足を止めさせる。振り返った笑顔が、一瞬の沈黙の違和を感じ取り首を傾げた。こうして相対する度に胸に温度が宿るのは、もうずっと前から、わかっていたことだ。

「14日は夜まで任務に出ます。なので、お返しは後日にさせてもらえませんか」

 数秒、時が止まったような顔をした彼女の頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。困りますか、と尋ねると、目の前の彼女は「嬉しいです」と小声で呟いた。

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